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神懸りの話

――葛岡芳子交霊実験に際して――

(浅野氏の口演筆記)


 昨大正十二年の春東京において心霊科学研究会が創立されると同時に、幾多の霊媒に就きて実験が催されました中に

 葛岡芳子女史は最も頻繁に本会の実験に応じられた一人で、その記録は『心霊界』の前身たる『心霊研究』の誌上に数々発表されて居ります。今回又々会員諸君の御希望により、葛岡女史を岡山から招いて実験をお目にかける事に成りましたに就き、いささか神懸りに関する卑見を申上げて皆様の御参考に供したいと存じます。

 神懸かみがかりという言葉は本邦古来の用語でありますが、これと同一現象……すくなくとも同種類の現象は、支那にも、印度にも、ユデアにも、又欧米各国にも到る所に存在して居るので、決して本邦特有をもって目すべきものではないのであります。いて言えば外面的の方法、手続、又は用途等において多少の相違点があるのみで、の中心骨髄ともいうべきものはいずれも大体共通のものであると言って差支さしつかえないかと存じます。さてしからば神懸りなるものの

 根本原理 は那辺なへんに存するかと申しますに、私の主張によれば、之れは人間を媒体として霊界との交通連絡を行うものであると申して宜しいかと存じます。かくいうと、かの唯物論者をはじめこれに反対さるるものは相当多数に上るものと考えられますが、それは決して無理ではありません。何となれば私のこの定義は、第一に霊界なるものの客観的存在を仮定し、その前提の上に建設したところの定義であるからであります。ですから若しこの仮定にして学術的に何の根柢なきものであるなら、神懸り現象なるものは根本から崩壊してしまう訳でありますが、如何いかにせんこの仮定は、名は仮定でも、実は幾多有力なる

 実験実証 を集めて最後に帰納した事実なのでありますから動きません。事実というものは単に有力なる反証によりて破壊される丈で、議論や法令では決して破壊されるものでありません。いてその事実を無視して厄鬼やくきとなって怒号して見たところで、一時を糊塗し得るかは知れませんが、やがて具眼の士から愛想をつかされます。現に唯物主義の金城鉄壁で固めた日本の学界でも近頃では高い声で幽霊存在の否定を試みる先生などが殆んど全滅したではありませんか僅々きんきん

 五六年前 を回想して私どもは感慨無量であります。先年私が実験の結果、馬鹿正直に人間の亡霊又は動物霊の憑依などということを発表しますと、万物の霊長たる人間に動物の霊魂などがいてたまるかなどと大々的気焔を吐かれた学者が何所かにあったではありませんか。万物の霊長さんが動物霊などに苦めらるるなどは決して名誉ではありませんが、事実は動物霊どころか、極めて低劣なる黴菌ばいきんにまで憑依されて苦んで居るのです。総じてあらゆる学術的研究には気焔や議論は禁物です。就中心霊研究などという微妙なる学問の研究には尚更なおさらそうであります……。

 話頭が兎角岐路に踏み込んで、申訳がありません。いずれにせよ、前掲の霊界の客観的存在ということは、学術上もっとも有力なる仮説であると思召して戴きたいのであります。目下世界の心霊学者は一心不乱にこれを証明すべき実例の蒐集中しゅうしゅうちゅうですからこの仮説は久しからずして

 全人類の 承認せねばならぬ真理となるでありましょう。そうなれば神懸り現象は必然的に承認されることになります。

 さてこれから進んで神懸りの種類性質につきて申上げますが、私は欧米の諸心霊学者とは全然相違せる立場からこれ

 二大別し たいと存じます。即ち

 (甲)理性常識等一切をそのままにそなえて霊界との交渉に当るもの。

 (乙)理性常識等一切を失い、さながら一の生きたる器械として霊界との交渉に当るもの。

であります。

 甲は神懸りというよりはあるいむし霊智霊覚の所有者とでも言った方が適当かも知れません。もっとも優秀な者になりますと、ほとんど人にして神、神にして人、叡智といい、品格といい、到底とうてい尋常人じんじょうじん企及ききゅうし得る所でありません。世界の歴史中でその最大最高の代表者を求むれば、ず指を大成後の釈迦に屈するより外に致し方がありますまい。一番よく何かが自分の躯に揃って居て、しかも宇宙の大霊と冥合融和し、入智慧的いれぢえてき附焼刃的つけやいばてき臭味しうみから脱却して居るように見受けられます。これに続いては老子、孔子、ソクラテス、近くはスウェデンボルク等が卓出して居るかと思われます。一芸一技の名人と呼ばるる部類の人達も、範囲は狭いが、その専門にかけては所謂いわゆる

 入神の妙 に達して居るもので、一寸見ると尋常人と違わぬようで、実は皆立派なる霊覚者なのであります。真に尊重畏敬すべきはこの種の人達で、その優れたる天分と絶大の修養とが合併して初めて其域そのいきに達したのであります。心霊の研究に従事するものが理想の目標とすべきは是非とも比種の人達でなければなりません。さもないと、心霊研究は大霊界との接触でなく、幽冥界との接触をもってすることになります。但し山師的宗教家などの中には巧みにこのしゅの霊覚を模倣し、お人よしの難有ありがた信者しんじゃなどを惑わしますから決して油断はなりません。そんな場合には吾々は主としてその作物(文章、詩歌、書画等)の真価如何を厳密に審査して誤らざる最後の批判を下さねばなりません。普通世間で神懸りと称するのは

乙の種類 に属するもので、欧米で所謂いわゆる霊媒ミーディアムと称するがそれであります。霊媒たるにもその天分と修養とを必要としますが、只この種の人にもっとも必要なる条件は無邪気なる品性であって、理性や常識は普通若くは普通以下でも立派に役に立ちます。ところが実地に就いてしらべて見ると、此等これらの霊媒の唯一の生命ともいうべき品性をさえ満足にそなえず、ペテン、ゴマカシ、不身持、慾望等の悪癖の捕虜となって居るものが中々多いのを発見します。それではそのひとの肉体は正しい、くるわない器械でなく、汚れた、不正確な器械のようなものですから、ほとんど存在の価値を失う訳であります。

 従ってこのしゅの神懸りにおいてもその等級は沢山に分れます。世界の歴史中で一番優れたこのしゅの神懸りの代表者は

 基督キリストでは ないかと存じます。基督キリストは優れたる叡智や常識の所有者とは受取れません。しかしその品性は千万人に優れ、一点の邪気、衒気げんき、慾気等を認めません。器械は器械でもほとんど理想的の器械です。ですから立派な神様がその肉体を使って、千古れに見る偉大な天啓を漏しました。うなると甲の部類に属するものも、乙の部類に属するものも、ちらが偉いとも言われなくなります。

 現代では この種の神懸りの中、比較的優れたのは出口直子などではなかったかと思われますが、それでもだんだん順境にすすむに連れ、子女に対する愛着慾に煩わされて、その筆先にる程度の不純分子を加味することになったかと推察されます。

甲の種類に属するものは、自分自身が理性常識の所有者であるのですから、比較的に脱線分子が少なく、従って危険害毒が少なくて済みますが、乙の種類に属するものは、断じて手放しがきません。是非ともこれを取扱うものが、余程周到の用意と厳正なる批判とをもって審理の上で発表取捨することにならぬと大変なことになります。私の実験から申すと、この種の霊媒にかかって来るものは

 千差万別 で、人間の生霊又は亡霊をはじめ狐、狸、蛇、猫、馬、犬、がまなどかぞえつくすことがきません。そして其中そのうちほとんど全部はある執着、ある妄念、ある慾望の奴隷であります。憑霊すでくのごとく、霊媒自身の化心がまたこれに加味されて居るのですから、普通神懸りに対する態度は余程冷静で、沈着で、厳正で、一点一かくをも看過せぬ心掛が絶対に必要であります。神懸り現象のあることを信ずるのは、決して迷信ではありません。しかし神懸りの指示する所をそのままに信ずるのは迷信であります。古今を問わず、東西を論ぜず、迷信のめに自他共に取りかえしのつかぬ損害をこうむった実例は、実に枚挙にいとまなしであります。私は今回葛岡女史の実験を執行するに際して特にこの点に就きて

 御注意を 申上げます。葛岡女史の神懸りは全然無意識状態に陥り、本人としては何をるかも、何を言うかも分らぬので、無論乙の部類に属する神懸りであります。従ってその霊示霊告に対しては常に厳密なる審査を必要とすることは申す迄もありません。今日私どもがかかる実験を執行する

 主要目的 は決して直ちに霊媒の霊告を実務の上に利用しようというのではありません。それよりはずっと根本の諸問題を解決したいからであります。即ち

(一)霊界なるものの客観的存在

(二)人間そのほかの死後の生活の存在

(三)憑霊現象の可能性

と云うたような諸点を実際的に明瞭にし、もって従来の誤れる唯物的人生観を徹底的に破壊し、同時に日々夜々に悪化しつつある現代の廃頽的はいたいてき気風をできる限り阻止したいと切望するのであります。

 霊示霊告が立派に磨き上げられて国家人類の福祉のめに活用さるるまでには、その以前に充分の修練、充分の研究を閲せねばなりません。目下はその大切な

 準備時代 であると痛感致します。呉々くれぐれも早まってはなりません。(文責在記者)


底本: 雑誌 「心霊界第一巻第九号」 

発行: 1923(大正13)年10月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、 黒丸傍点表記を、下線付き強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2006年8月31日

※ 公開:新かな版     2007年1月11日


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