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日本固有の心霊現象 (二)

――御嶽行者品川守道氏の霊術実験――

浅野 和三郎

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三、大震火災前後の事ども

 さて村上入道さんの品川沖にける霊像れいぞう引上ひきあげの指定時日は九月二日の午前六時ということでありましたが、九月一日からは皆様御存じの東京一帯の大震火災で、とてもその中で金杉から艀舟はしけを出すどころの話でありません。そして大橋氏の住宅も、また本郷元町にける心霊科学研究会の事務所も共に焼失してしまいました。

 さるにても品川氏に憑依せる村上入道なる神は八月二十二日において大変災を予知することがきなかったのかという疑問は当然読者諸氏において起されるに相違ない。私自身も実に大震災中にそう考えた一人でありました。九日前の八月二十二日に村上人道さんがはたしてこの事実を知ってござったかドーかははなはだ疑問であります。九月二十二日神懸りを行った際、村上入道さんは『今回の大震災に際しあらかじめ明白に指示せざりしは因由いわれ あることにて加護は怠らず与え居れり云々』と言いましたが、私にはそれが遁辞とんじであるかドーか判り兼ねます。しかしその前日の八月三十一日に至りほぼ翌日の地震の予覚が出来て居たことは明白であります 何となれば当時藤岡町に帰って居た品川氏は九月一日の早朝大橋氏に電報で右の意味のことを述べ 従って九月二日の品川神出動は中止する旨を通告して来たからであります

 熱心なる大橋氏は地震や火災位はほとんど眼中になく、九月十七日には既に藤岡町の品川氏宅に押しかけて行って居て、其所そこで品川氏を中座なかざとしてしきりに神託を受けつつありました。其際そのさい品川氏に懸って来たのは例の村上入道の外に猿田彦命、歓喜天、北辰妙見大菩薩などと名告なのる霊が沢山あったそうで、そして同十九日午後十一時半頃北辰妙見の黄金像一体印度の宝玉と称する経三四分の玉八個等が品川氏の掌中に引寄せられたそうであります 。右の物品は現在大橋氏の手元にあり、私も屡々しばしば実見しましたが、妙見の像は高さ一寸四五分のもので、合金量は余り多量とも見受けられませんが、兎に角黄金像には相違ない。全体が黒くくすぶって居て、ただ鼻端などがれて光って居ります[#行末]。最初品川氏の掌中に出現した時は、生々なまなましい赤粘土が一面に附着して居たということで、その粘土の一部も大橋氏の許に保存されて居ります。村上入道さんの神託によると、『この像は越後国金剛山 (直江津をへだたること四里、長者邸跡ともいい、上杉の出城でじろのあった場所) に埋蔵されてあったもので、築城のみぎり八門遁甲の法を施すに際して土中に埋めたのであるが、大橋の一心にめでて今日取出して与うるものである、云々。』

 何にしろ当時現場に居たのは品川氏と大橋氏とただ二人切りで、私は後で聞いた丈ですから、詳細を尽すことはきませぬ。

 お越えて十月二日、品川氏は再び上京し、大橋氏外三名の人達と共に品川沖に出動し、ねて約束の観音像一体を水深約八尺の海底から掬い上げたそうで、現にその像も大橋氏の許に保管されて居ります。高さは二寸強、金貨並に製作等は前の妙見像と大同小異でありますが、しかしこれも私自身立合ったのでありませんから、遺憾ながら実験記事を作成する訳に参りません。その前後には他にもくさくさの神託が下り、又十一月十三日には矢張り品川沖から直経四五分の水晶の円玉まるたま、並に指輪ようの金環等が掬い上げられたりしましたが、それにつきての記録も全部省いてしまって、私自身立合ったとこの十月十八日に於ける薬師霊像引上げの記事に移ります。


二、神前の物品引寄

目  次

四、薬師如来の霊像引上げ


底本: 雑誌 「心霊界第一巻第八号」 

発行: 1923(大正13)年9月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、 黒丸傍点表記を、下線付き強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2006年7月28日

※ 公開:新かな版     2007年1月4日


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