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常人格者と非常人格者

浅野 和三郎


((上)) 心霊学上から見たる人類の二大別

((中)) 非常人格者の根本的資格

 極めて大ざっぱに卑近に申しますと、常人格の所有者が、直接現象世界の経営者であるに反し、非常人格の所有者は超現象世界普通所謂いわゆる霊界との交通連絡係であると申して宜しいかと存じます。往時心霊現象に対する研究が不充分であった場合には、霊界につきての観念がはなはだ不透明であり、そが客観的に存在するものであることなどは夢にも思わない状態にありました。イヤ今日でもまだその残夢の覚め切れない連中が相当多数に上るようですが、霊界なるものは決して人間の主観のみの存在物でないのであります。勿論むろん霊界という言葉は一般に広義に用いられ、物質的現象界と表裏の関係にある大霊界も、又物質的現象界の延長たる幽冥界も共にこの言葉の中に含められますが、いずれにしても共に儼乎げんこたる客観的存在であって、人間の主観によりてその有無を左右さるる性質のものでないことは、幾多の豊富正確なる実験実証、又高遠精緻なる推理の賜によりて最早疑議を挿むの余地がなくなって居るのであります[#行末]。

 既に霊界が立派に存在し、しかもそれが現人生と密接不離の関係を有するものと判った時に、霊界との交通連絡係たる非常人格所有者の任務のいかに重要であるかは明瞭であらねばなりますまい。今日の霊界否定論者は旧幕時代の鎖国主義者にて一層頑冥がんめいであります。鎖国主義者は外国交際の不必要を説いた丈で、外国の存在までも否定したのではありません。しかるに霊界否定論者は確乎たる実証実例をさえ無視して強いて眼をつぶってそんなものは無いと口頭き丈で頑張るのですから、横紙を破ると言おうか、ヘラズ口をたたくと言おうか、全くもってお話にならないのであります。ドーセ有るものは有り、無いものは無いのですから、んな不生産きわまるひま葛藤かっとうは一時も早く切り上げ、お互に一時も早く広大無辺めども尽きぬこの新世界の探窮たんきゅうに努力するのが得策ではないでしょうか。

 それは兎に角非常人格所有者の任務は霊界との交通連絡が専門なのですから言わば水陸両棲動物の如く人間界と霊界との両方の生活に適合せる性質を或る程度具有することが必要で随分難儀ずいぶんなんぎな役割と言わねばなりません。そんな人が余り数多く存在しないことはむしろ当然と言わねばなりますまい。又其所そこで霊覚者の価値も生ずるのであります。

 さて人間界の生活に適合せる性質といえば言うまでもなく人倫の常道を固守することが骨子であります。ドーかすると霊覚者であるというので自他ともに飛んだハキ違いをして、約束を無視したり、嘘を吐いたり、兎角脱線的行為に出でててもよいように考えたがりますが、それは自から求めて人間界から籍を削るが如きもので、正しき非常人格者としての資格の失墜であります。人間界では当然この種の人間を精神異常者又は発狂者として取扱うべきでありましょう。

 次ぎに霊界の生活に適合する性質といえば言うまでもなく人慾との絶縁を根本原則とします。肉体を所持する以上、これを維持するに必要なる正当なる欲求は許さねばなりませぬが、金儲主義の霊覚者、色魔式の霊覚者、権勢かぶれの霊覚者、売名主義の霊覚者などというものは、腐った肉のかすから醗酵はっこうしたバケ物であって、霊界は霊界でも、せいぜい魔の世界の使徒なり、用具たるに過ぎません。これも当然正しき非常人格者の資格の失墜を意味します。

 これを要するに正しき意味の非常人格所有者は、第一に、智慧や学問はなくともすくなくとも人倫の常道を厳守し、第二にほとんど世捨人式に人慾との絶縁を敢行するものであらねばならぬというのがとぼしき私の経験から割り出せる年来の持論なのであります。


((下)) 分業の必要


底本: 雑誌 「心霊界第一巻第八号」 

発行: 1923(大正13)年9月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、 黒丸傍点表記を、下線付き強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2006年7月28日

※ 公開:新かな版     2006年12月11日


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