心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊界・第一巻

不安と恐怖の時代

主筆 浅野和三郎


 ほとんどすべての方面において全世界の世相が不安と恐怖の二語で尽されて居ることは争われない。現在も困るが、明日は尚更なおさら困るらしい感がする。在来の情勢で人々は何とか辻褄つじつまを合わせてそのその日を送っては居るが、其所そこ何等なんら確乎かっこたる自信力もなければ、又充実したる気魄もない。あだかも疲れた足を引きずってトボトボとあてもなく険岨けんそ山路やまじ辿たどりつつある旅人のようなおもむきが見える。

 不安と恐怖――ここまではまだよいが、更に一歩をすすめて恐慌となると大変である。不安と恐怖とにはまだ自我意識が存在するが、恐慌となるとそれが亡くなる。周囲の状況にすっかり圧倒されてしまってただ無茶苦茶に東奔西走、軽挙妄動をこれ事とする。昨年九月一日より二日三日にわたる東京市民の行動の如きがほぼそれである。

 泥棒を見て縄をうのが手遅れであるが如く、恐慌が来てからその対策を講ずるのははなはだ面白くない。できることならお互に今において恐慌に処するの途を講じて置き、その惨禍を幾分たりとも軽減することに力を尽すのが必要だと痛感さるる次第であるが、その対策にはあきらかに二種あると思う。他でもない、それは対症策根本策とである。

 私の観る所にしてあやまらずんば、現在賢明なる本邦の為政者又は有識者によりてしきりに講ぜられつつあるは主として対症策であると思う。木造家屋は燃焼し易いから鉄筋コンクリートを勧める。思想が悪化するから思想善導策を講ずる。デモクラシイの精神が瀰漫びまんして居るから普選即行を唱える。移民排斥で国民が怒るから軽挙を戒める。財界が紊乱ぶんらんして居るから財政緊縮を主張する。政局が不安定で困るから護憲運動を起して三派の合同を試みる……。

 これはまことに結構である。対症策が講ぜられねば一日も国家社会の安寧秩序は保たれない。これを無用視し、一足飛びに最後のケリまで附けたがるのは、それは実務の何たるかを知らず、責任の重んべきを解せざる書生論で、すこしも取るに足りない。縦令たとえ死すべき患者でも最後まで見離さずに最善の手段を尽すのが医師の責任であると同様である。

 しかしながら単に対症策の必要であることを知って根本策の重要であることを忘却して居るのもまたはなはけない。これほどまでにジリジリと押詰おしつまって来た世界人類の大転換期において、前途に何等かの大目標をも示さずしていたずらに晏如あんじょたれと勧むるのは無理もまたはなはだしい。『われわれは今後何を目当てに前進すればよいか?』――この切実なる疑問に対する明快なる答が、不幸にして何所からも現われて来ない。日清、日露、さては近き欧州大戦の際等には国民全体が心血を傾注すべき前途の大目標が明示されて居た。所が現在の日本にはそれが無い。当局者からそれを聴き得ぬばかりでなく、学者からも、操觚者そうこしゃからも、そのほかの何人からもこれを聴き得ない。

『われわれは今後何を目当てに前進すればよいか?』

 これに対する答が絶無というのは、心細いといえばまことに心細い限りである。

 思うにこの疑問は、過去においてわれわれの祖先の際会せるいずれの疑問よりも一層根本的、一層徹底的の性質を帯びて居る。一国対他国の問題などに対しては第二義第三義の方策で行ける所が今度の疑問はソーは行かないそれが日本人の問題であると同時に東洋人の問題であり又西洋人の問題でもある第一義の根本的療法によるにあらずんば到底解決の途がないんな難問をやすやすとひとから教えられた附焼刃つけやきばで、処分しようとするのは間違って居るのかも知れない。恐らくこれは各自が胸に手を置いて、名利情実等の拘束からできる限り脱却して、自力で静かに解決して行くべき性質のものかも知れない。

 所詮しょせんうなっては単なる物質的手段方法の問題ではなく、最も厳粛なる精神問題であり、心霊問題であり、従って信念問題である。それには第一に必要なのが反省、第二に必要なのが体験、第三に必要なのが自覚という順序であらねばならぬと私は信ずる。私は今において親愛なる同胞諸氏がこの根本的解決に向って精進されんことを切望して止まぬ。


底本: 雑誌 「心霊界第一巻第七号」 

発行: 1923(大正13)年8月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2006年7月28日

※ 公開:新かな版     2006年8月30日


心霊図書館: 連絡先