直接談話レコード吹込

――龜井霊媒の近業――

編輯子

 龜井霊媒は先般来大阪方面で活動中で、現に『龜井三郎心霊実験後援会』なるものが組織されている。常任幹事は大阪心霊協会の有志中村弘治、永尾真一郎両氏である。

 近頃の龜井霊媒にはなかなかの進境が認められる。物品引寄現象としては、今年七月浜寺の某実業家邸で行われた時に起ったのが特に目立って居る。実験には同邸の応接間を宛て、実験中は無論鍵を降してあったが、その際不意に隣室の押入の中に置いてあった旅行用の鞄、重さ二貫目のものを見事に実験室内に引き入れた。が、龜井氏として就中刮目かつもくすべきは直接談話現象の近来の発達ぶりで、最後に蓄音機のレコード吹込みに成功した。阪急沿線花屋敷にレコード製造業を経営しつつある樫尾慶三氏はかねて熱心な心霊研究者で、殊に同氏夫人は先般来浅野氏の指導によりて優秀な霊言能力を発揮し、その身辺に多数の研究者を集めつつある。龜井霊媒の直接談話のレコード吹込みは実に同所で行われたのである。

 当夜の司会者は大阪心霊相談所の主任間部子爵であったが、何にしろ最初の経験なので、その準備には相当苦心を払われたらしい。が、案ずるよりは生むが易く、床上に置いた喇叭ラッパが勝手に空中飛行をなして吹込ふきこみに近づき、間部子爵の質問に応じて霊界の住人が立派に応答を重ねた。応答者は二人である。一人は龜井霊媒の司配霊としてかねて皆様お馴染のモゴール、他の一人は昭和四年十月東京で死去した石龜精司と称する青年の霊である。

 本誌昭和五年二月号所載『逝く人への死の宣告』と題せる一文を読まれた方はあるいは記憶されているであろうが、精司君は東京の会員故石龜勢輔氏の長男で、帰幽したのが実にその二十二歳の時であった。精司君は生前においてすでに死後の世界の存在を信じ、従容として死に就いた位であるから、従って帰幽後の活動は実に目覚ましく、しばしば中西霊媒を通じ、又その実母(霊言能力者)を通じて興味深い通信を送りつつあった。が、それを知れるは東京会員のごく少数者のみで、龜井霊媒も、又間部子爵も全然石龜精司の名前すら知らないのであった。

 んな関係の人物が何の理由で大阪方面に突然出現してレコード吹込みの晴れの業に従事することになったかはすこぶる興味深い研究問題である。

 最初モゴールのつもりでは新樹君(浅野氏の令息)を引張り出して喋らせるつもりであったらしい。ところが新樹君はそれを辞退し、そして自分の代りに石龜精司君を推薦したものらしい。その辺の消息は新樹君の通信中に漏らされている。

 新樹君と精司君とは生前には全然交際はなかった。しかし死後において二人は懇親の間柄となり、ちょいちょい往来もするらしい。新樹君の通信中にはしばしば精司君の近状を漏らし、又精司君の通信にもよく新樹君の風評が出る。

 去る九月二十六日浅野会長は龜井、小林両霊媒を携えて花屋敷の樫尾邸を訪問した。これは今回の直接談話のレコードに関する解説を、同じくレコードに吹き込むめであった。浅野氏の解説は二面に収められた。浅野氏の解脱を聴いてから、間部子爵対モゴール並に石龜青年の直接談話を聴くことにすれば、ほぼこの心霊現象の真意義が判るであろう。左に双方を紹介する。――

(甲)浅野氏の解説(二面)

第一面

 私が浅野でございます。今回直接談話のレコードが出来ましたので、その解説を試むることに致します。

 一体近代の心霊研究が成しとげました功績の一つは所謂いわゆる幽明の交通言いかえれば超物質的霊界と物質的人間界との連絡に顕著な成功を収めたことであります。幽明交通の要領は、大体ラジオの装置と同じく、霊媒と称する特殊の敏感者をアンテナとし、又受信機と致しまして、他界の居住者からの放送を受取る装置になって居るのであります。通信の手段方法はいろいろに分れますが、それ等の中で最も実証的価値に富み、又最も効果的であるのは所謂いわゆる『直接談話現象』と称するものであります。これは霊媒の身辺から三尺乃至五尺の距離を置いた空中から死者生前そっくりの音声で、言葉を発する現象でありまして、その用語はもちろん本人の用語――日本人ならば日本語、英国人ならば英語を語るのであります。調子の良い時は本人の語調なり、又訛言なまりなりまでも、さながらに現われます。この現象は最初北米において発達し、それからイギリス、イタリイ等にも普及し、現在では、直接談話ということは、ほとんど欧米人士の常識になりかけて居るのであります。直接談話のすぐれた霊媒の数は、欧米において目下数十人にのぼりますが、私の実験したところによれば、中でも北米のバリアンタイン、マージャリイ、リイド夫人等が傑出しているものと考えられます。

 直接談話につきての一般的説明はこの辺のところで留めて置きまして、つづいて簡単に只今皆様に御紹介するレコードに就きて説明を致します。現在の日本において直接談話の霊媒としては龜井霊媒只一人しか居りません。

第二面

 龜井霊媒は非常に多方面の能力者でございまして、大概の心霊現象ならば、見事に独りでってのけますが、近来しきりに直接談話現象の大成に力瘤を入れ、とうとう昭和七年七月直接談話現象のレコード吹込みに成功致しました。これは、ひとり本邦において最初の試みであるばかりでなく、実に又世界の心霊学界においても数えるほどしかない出来事なのであります。

 レコードに収められたのは問答体になって居ります。すなわち龜井霊媒の司配霊である印度人のモゴール、当夜の司会者である間部子爵、並に昭和四年の十月に歿くなられた石龜精司の霊、都合三人の間に交換された談話であります。つまり生きて居るのは間部子爵只一人で、他の二人はいずれも霊界の居住者なのであります。

 石龜精司君は故石龜勢輔氏の長男で、大へん有為の青年でしたが、不幸にも春秋わずかに二十二歳で病のめにたおれました。死後石龜青年は中西霊媒その他によりて通信を試みつつありましたが、今回龜井氏の実験会を行うに際し、突然出現して間部子爵と問答を致したのであります。間部子爵と石龜青年とは全然未知の間柄でありますから、最初間部子爵は石龜という名前を名告なのられた時に、すこぶるマゴつかれたようであります。

 もちろんこのレコードに収められた問答はすこぶる簡単なものではありますが、しかし幽明所を異にせる人達の間に兎も角もこれだけまとまった対話ができるということは、正に人文史上に一の新レコードを作るものとわねばなりますまい。私はこのレコードが成るべく本邦常識者の間に普及するよう切望して止まぬものであります。

(乙)直接談話レコード(四面)

  (モ)は龜井霊媒の司配霊モゴール

  (間)は当時の審神者間部子爵

  (霊)は幽界居住者石龜精司

第一面

(間)あのね、研究のめにね、今晩レコードにお話を入れることにったんです。

 誰れか適当な人をお出し願います、お話しをしたいと思います。

(モ)オーライ。

(間)あのね、此方こちら六ッむずかしいのでね、向うの機械を廻転したりせねば成りませんからね。あなたの方からね、どう言う風にしたもんかね、始めから入りませんからね、うまい事ね

(モ)オーライ、ジャパニース。

(間)日本の言葉がね。

(モ)れでは浅野。

(間)アー浅野新樹君、そう願いましょう、新樹さんをね、れではお頼みします。

(霊)エー

(間)新樹さん。

(霊)イーエ。

(間)新樹さんですか。

(霊)イーエ。

(間)私、間部と言いますが、あなた未だお話した事はありませんが、お父さんのね、とは始終お逢いして居ます。あなた御承知でしょう。今日研究のめにレコードにあなたの声を吹き込んで頂きい、左様言そういう方面の何かお話しを願いいと思う。

 勉めて、はっきりと、の機械の前で私とお話しを仕度したい、一つ何か其方そちらの通信を送って下さいませんか。

(霊)僕、――僕、――石龜、――石龜、――精司です。

(間)石龜精司、あなた石龜精司、――新樹さんだと思ったらあーそうですか。

(霊)浅野さん――お友達です。

(間)あーそうですか、浅野さんのお友達、あなた何時お亡くなりなさったのです。

(霊)昭和四年十月二十二日。

(間)御病気は。

(霊)私の父は医者です。

第二面

第一面と第二面の間少し脱漏あるめ談話連絡を欠く

(霊)私達は――霊媒者へ、私達が意思を送ります。思想のエーテル波動を送ります。

 左様そうしますと、霊媒者はこれを言葉に変えます。

(間)只今の御話しは思想を霊媒に送る、れを霊媒者の能力に依って言葉に表わす。うお話しだったのですね。

(霊)左様です。

(間)良う解りました、猶ほ霊界の方に於ける、何か学術的、れにでもお解りになる様なお話を願えませんでしょうか。

(霊)エー、私達は、私達の世界は、私達が思念をしますと、れが霊媒者にって翻訳をされます。しかして私達の考えて居る事を霊媒者が翻訳するのですが、その霊媒者にって、多少意思から、私達の意思と違った事を言う場合があります。

第三面

此の間少し脱漏

(霊)死んでからも、彼方に生命の存続がある事を教えました。

(間)今のお話しを伺いますと、あなたの最後の時にお父さんから、死んでも霊魂は存続するものであるから、霊界のめに働けと、こううお言伝ことづてであったとうお話ですね。

(霊)左様です。

(間)あー、結構な事で御座います、大変良くお話が解りました。

(霊)二回ばかその死ぬ時に中西霊媒へ懸ってれと。

(間)中西霊媒に二回ばかり懸かられた。

(霊)左様です、死ぬ間際に父は、モーお前は難かしいから、死んだら中西霊媒へ懸って詳しく話をせよと、言いました。

(間)お前はモー死が近いから、死んで幽界へ行ったならば、中西霊媒の体にかかって話をせよ。こうおっしゃった。良く解りました。

(霊)れから、私は其様そのような事が有るとも、無いとも、考えて居ませんでした。しかし父があー言ったものですから、れでもって楽に苦しまず霊界へ行く事が出来ました。

(間)自分は、そうう様な事が有るか、無いか、知らんが、死んで後に何の苦痛も無く霊媒に憑る事が出来た。

(霊)左様です、しかして此方こちらへ来てから二回ばかり、中西霊媒を通じて、お父さんへお話しをしました。

(間)あー左様ですか、二回ばかり中西霊媒を通じて、お父さんとお話をなさった。

(霊)左様です、その時は初めは生きて居る様な、死んで居る様な、んだか、こうはっきりしない気持で。二度目には非常に面白く、お父さんとお話する事が出来ました。

(間)初めは生きてるとも、死んでるとも、分らない様な気分であった、が二回目からは非常な愉快な気分でお父さんとお話しをなさったと。

(霊)左様です。

第四面

(霊)私達は言葉とうものが無いので。

(間)言葉と云うものはあなたの方には無い、思想の伝達。

(霊)左様です。例えば喜怒哀楽の四情と言うものがあります。哀しい、嬉しい、苦しい、れはの四情を犬でもどんな動物でも、哀しい時は、知らせい時は、れは言葉で無くとも、犬は哀しそうな声を上げて、人でも分ります。

 言葉が解らなくとも、んな人にも感じます。これは哀しいと思うから哀しい声が出るのです、言葉ではありません。

(間)エー。どうも色々と有難う御座いました、大変はっきりしたお声で伺う事が出来まして、非常に満足に思います。

(間)モゴールさん、ありがとう。

(モ)ミスタ、マナベ。

(間)エー、間部。

(モ)サンキユー、ベリマッチ。

(間)私こそ、有難う御座いました。お今晩始めてのお方が多いですから、高い所からく遠い所からの鈴をならしながら、廻して、聴かせて上げて下さい。


底本: 雑誌 「心霊と人生」  9巻11号

1932年(昭和7)11月1日発行

発行: 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を太字表記にそれぞれ置き換えました。

入力: いさお


雑誌「心霊と人生」より

   

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