中尾教授と語る

粕川 章子

 七月十七日は関西心霊界の立役者、頭脳明晰な学者、工業大学の教授ともある人にしてかつ透視にかけては現代の第一人者という中尾良知氏の上京日であった。

 丁度ちょうど午後の五時もう今頃は七時からの講演会を控えて大家連の懇談がにぎわって居る事と、息せき切って、桜田本郷町の鳥羽ビルを四階まで駆け上って、協会のドアーを開けると、室内は人の気もなくおほりを渡って来るのか目の下の焼け乾いたコンクリート、トタンの屋根には不似合ふにあいな涼風が、開け拡げた二つの窓から冷たく吹き込んで来る、溶けそうなアスファルトの上を踏んで来た自分には木蔭に涼を入れた感がした。

 見慣れた浅野師の折カバン岡田老の皮袋ともう一つ見慣れぬ旅行用手提げの存在で問題の人の来着は解ったが、所在は不明である、質問の結果老人連は隅田川見物の留守と知れた。炎暑の一二時間をさえ有益な見学に利用される尖端老壮連の元気に敬意を表さずにはいられなかった。

 やがて隅田新公園見学団が四名帰って来られ、其中そのうちの初対面の中老、胡麻塩頭を五分刈にした、浅黒い細面の人、鼠っぽい洋服を着た、極めて質朴な風采の人、これが中尾教授であった。聞けばどう氏はこの朝東京駅頭で浅野岡田両氏と出会う筈であったが駅の構造が悪かったのか、それとも天意か、降りる人、迎える人の視線が行き合わなかった結果中尾氏は鶴見の浅野氏方へ戻る悲運となられたそうな。

『透視でお解りになりませんでしたか』と私の意地悪いじわるい質問も『東京駅にいられる事は解りましたが……』と軽くあしらわれる。まさか駅の雑沓ざっとうの中で向う鉢巻も無理であったに違いない。(どう氏は統一時に手拭で目隠めかくしをされる)

 それから一同で飛行舘の地下室食堂へ出掛ける。会食というと大げさだが、我々雑兵は時節柄二十五銭のライスカレーで、謙遜して中尾氏にすすめた五十銭のランチを引立てる事にした。しかしこの感心な心掛けに恵まれたか、この時の一杯の冷水と一皿のカレーは、いつもの高価な鰻丼に勝る美味であった。

 なが生ビールの注文である事に折角の正客は『サイダーがよろし』と云われる。うかがいを立てると、『酒は飲まん事はないが、大役を前にして、ポーッとなってはあかん』との御返辞。透視時もアルコールだけは禁物との事であった。但し食物はただ一つ嫌いな松茸を除いて、あとはり好みなく、肉食及本能的生活はどう氏の体験によれば透視能力と関係なかるべしとの事。この説は多くの霊験志願者に福音ではなかろうか!

 定刻の七時が近づいたので、講演会場の四階の星の間へ行く、いつもの倍数は並べた筈の椅子がもう足りぬ位の入場者が待ち構えていた、中尾氏の名声によってか、馬力をかけての宣伝の結果か、『矢張り聞く人はあるな』ともう一人のその夜の講演者は如何いかにも満足げに見えた。あとからあとからと人が殖えて来る。何度椅子を運んだ事か、聴者は遂に百五十名に達した。入場無料の立札で舞い込んだ人があるとしても、中途で席を去る人、椅子をベットと間違えた人は七時から十時に渡る長時間中ただの一人も見出す事が出来なかったのである。みな熱心な聴衆であった。

 中尾教授は予定通り正確に一時間丈体験について語られた、如何いかにして霊眼が開いたか、何時いつ霊耳の所有者となったか、そして如何いかなる方法でその確証を得、経験を重ねるに至ったか等であった。

 大家らしい態度も口吻こうふんも示さぬこの数学と心霊の大家は、何処どこまでもジミな風采通りジミな話振りである。けれどユーモアに富んだその卒直な告白の中に氏の強固な信念と洒脱な人生観がうかがわれ、我執がしつ利慾りよくを超越した氏の人格は聴者の心を打たずには置かないものがあった。

 あくる十八日夜はどう教授を迎えての懇談会があったので、少し早目に出掛けて、いよいよ御手並を拝見する事になった。

 中尾氏は目隠しで統一状態のまま来る人々と応対されるのである。浴衣の一枚着で床の間を背にして座して居られた氏の慇懃いんぎんな態度、愉快げに談笑さるる有様は、見様によっては大商店の番頭といった様な感じ、悪く見ると田舎の好老爺、傍らに記録を取って居られた岡田さんの方からかえって御託宣が出そうに思われるのも面白い対照であった。

 どう行の婦人と前に進むと、『どちらの御方をみるのですか』との質問を受け吃驚びっくりして尻込みをする、だしぬけに未来を判決されてはたまらない。

 その婦人が『一つ身の上をみて戴きたいのですが………』と氏の前へ座ると、『御年は何歳! 成程それでは五黄の亥ですな。御名は………』それから裁決が下されるのだ。

『あなたはまずその四分六をやめなければ駄目です』といわれる。『せめて五分五分におなりなさい!』

 これは男性的女性的である度合であると解った。だがその人はただ叱られに来たのではない。未来の運命が知りたいのだ。

『自活をなさる運命ですか、それとも近い将来に家庭の人となる様に思われますか』私は横槍を入れる。

『それは勿論家庭に入るべきものですよ………、年頃は五十位のデップリと肥った口髯のある、事業家から御縁談があったら、お考えなさるがよろしい。』

 中尾氏の優秀な守護霊から宿命の神秘を悟るのはこの時と思ったので、私は重ねて質問に及ぶ、

『その縁談ならうまく行くだろうという程度のものですか、それともこの方の運命は其方そちらにあるのだという事なのでしょうか。』守護神さんはさぞやかましやの婆さんだと思われた事であろう。けれども御返答はなかなか要領がよかった。一寸躊躇ちゅうちょされた後、

『左様です、それが御運と思います』といわれた。

 どうもこの守護霊さんは男らしい女は好かれぬ様に感じたので、懇談会上で中尾氏の意見を尋ねると『どうも女大学式の方がよいらしいですね』と笑われていた。

 いよいよ自分の番になった。一生の運は自分の守護霊と直接談判する事になっているから、もっと手近の事について伺いを立てる、どの道金のある様な貌をしたとて始まらないから、虚飾を廃して金の欲しい事をいさぎよく白状に及ぶ

『実は六月末に二百円だけ返して貰う筈の貸金が一文も入らないのですが、此度このたびはとれますまいか??』

 中尾氏の神様は人情味に富んで居られるか、この慾張った質問に対し格別御叱りもなく『半分は取れよう』と有難ありがた御答おこたえが出た。ヤレたすかったと思ったもつかの間矢張り、いささか御小言めいたおおせが出る。

『お金の心配とはちと心霊家に不似合ふにあいではありませんか』

 この守護霊さん世才せさいけたお方と見え、御話しがなかなか婉曲えんきょくだ。

『自分のためにはあまり金を苦にしては居りませんが、子児の将来を考えるために………』子児はダシに使われた体だが、それでも相手は隠す事の出来ない人間である。私に満更まんざら誠意が無くもなかったと見られたか、御親切にも此処ここで小児の将来なるものを観察されたものの如くう云われた。

『あなたの子児にはその人自身の福運というものが自然とそなわって居るから、そんなに末々の心配は要らない』

 其処そこで中尾氏の鑑定によると自分は前世にウンと借財をしたため、今生にどうしても財をさんしてこれを返す形になるのだとの事、しかし三度の御飯丈は保証して下さったので一安心をする。おかげで貧乏を苦にすまいという決心が強められた。

 後からうした霊言の出た時の御感想をうかがったが、金の問題の時は『半分は戻る』と耳に聞えたとの事、子児の将来はある幻影が眼に現われたる事。眼、耳、口と三方面が連鎖的に働くの霊感には斯道しどうに志すものの羨望に足る確実性が考えしめられる。

 穿鑿せんさく家の自分が探り出した実例をなお二つ三つあげて見と、目下中学四年に在学の甥が来春高等学校の受験をする事につき透視の結果は来春は危ないが、翌年は必ず及第するから一高を志してよろしいとの事で、これはず校門をしおしおと落第でもしたかの様に出て行く男子の姿が見えたが、その翌年はと見ると此度こたびは教室で幸福そうに学事にいそしんで居る有様が現われた。『私には一体霊媒の素質があるのだと思ってよろしいのですか』といった時、『ありますとも、けれども今の様に行くのは無理ですな、今にどうにかなりましょうよ』と希望を授けて下さる。私が繁忙はんぼうな境涯である事は留守宅を見られたから(女が家に居ない様なら、外ではたらいて居るから)で、霊媒素質は何か人と対座して霊媒的な事をやっている処が見えたそうな。此頃このごろ霊界の友人連に大分通信を怠って居る自分は『それは過去の場面ではなかったでしょうか』と先覚者に対し極めて無遠慮な事を申上げたが、少しもご立腹無く、『いや私が将来はと考えた時に見えたのだから、確かに未来です。』

 私はこんなに判然とかつこころよく質問に答えて貰った事は始めてで非常に嬉く感じた。当っても当らなくてもいい、私は霊能者として中尾教授の虚心きょしん坦懐たんかいな態度に共鳴した。

『私は見たまま、聞くまま、わされるままをいうので、私自身は道具に過ぎない、その事件に何の関係はないから、結果は気にしません』といわれる中尾教授の心境に達して始めて氏に見る正確な霊感も伝える事が出来るのだ。

 一体中尾氏をう自由に操縦する人格はどうした人かと好奇心が動かざるを得ない、氏自身はあまり気にしては居られぬ様子で、これまでれが尋ねても逃げてわぬとおっしゃる。しかし万という数にも上る人間の意志を相手にして猛烈に練習をされた浅野会長の吐胆を笑って蹴とばしてしまう訳には行くまいと、急に協会理事の責任を感じて尻押し役となって、中尾氏を虐めにかかった。

 白麻の詰襟つめえりを着た浅野氏が正面から真四角に詰め寄られる。

『これまで度々たびたび御話おはなしは致して居りますが、今日は改めて一つお願いしたい事があるのです。是非ぜひこれは聞いていただきたい』

 相変らず、ニヤニヤと歯をムキ出してトボケた様な『何ですか』の返辞が既に折もあったなら逃げ様という工合ぐあいだ。

『実は貴殿がどういう御方であるかという事は、他で偵察も致しました。しかし改めて御近附おちかづきになりたいと思いますので、御伺おうかがいする次第ですが、あなたは中尾さんに御血縁のある方ですか』

 この時中尾氏の表情はとても逃げられないから、諦めたといった按排あんばいであった。

『縁者ではありませんが、この親爺の無慾むよくな処が気に入ったので使っています。慾が出れば何時いつでも離れてしまいます』

何時頃いつごろ同処どこすまわれた方ですか』

『それはちとお答えが出来かねますな』

『徳川時代と見ますが如何いかですか』

『まあそんな処ですな、アハハ――』

 となかなか内兜は見透されぬといった調子だ。憑依中の話振はなしぶりや態度から推しても其頃そのころの浪速に住んだ商人といった感がある。

 とにかくこんな押問答の結果、この守護霊が中尾氏に呼ばれた時にかかって来て、人から質問を受けると、それを金比羅こんぴら系の神々にそれぞれ専門に依って御神託をうので、その結果が氏の身体に印象される段取りとなる事が明瞭となった。

 鉢巻を取った中尾氏は、顔の汗をふきふき、こんな苦しい目にうた事はないといわれる。逃げるに逃げられず、其上そのうえすっかりかみしもを着せられた様なそれはそれは窮窟きゅうくつな感がしたとの事、大暑の折柄おりから御気の毒な次第であった。何にしても御賽銭を投げ御祈祷を上げて、きかれるかきかれぬか解らぬ願い事をするのが関の山の神霊から直接指導を受けられるというのだ、中尾さんは電話機でその守護霊何某なにがしその機のオペレーターであり伝令使であるのだ。その何某なにがしも中尾さんの如く脱俗の士であるから余計な事や曖昧な事は一際ヌキで質問の主眼に関して白とか黒とかイエスあるいはノーの宣言をされる、これは一面霊眼霊耳の瞬間的性質から来る処があるかもしれないが、中尾氏に向って漠然たる質問を出す事は、矢張りばくとした答えを予期しなければならない事を知っておくべしである。神様が人間の御機嫌を伺う必要がないから人間の方から切に求めて始めて神秘は漏らされるのだ、『求めよさらば与えられん』は何処どこにもおなじ真理である。


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第7巻第9号

発行: 心霊科学研究会 1930(昭和5)年9月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力: いさお