彼岸の石龜勢輔氏

憑虚生(浅野和三郎)

 

 石龜勢輔氏は先般来シバシバ本誌に寄稿されました。曰く『逝く人への死の宣示』曰く『彼岸に到るまで』――いずれも真剣味のこもった文字で、その内容は恐らく皆さまの記憶にあらたまるものがあるであろうと存じます。

 ところが意外にも此等これらの文字を書いた当の石龜さん御自身がこの八月五日早くも死の彼岸へ旅立たれたのですから驚き入るのであります。就中石龜氏の死によりて大きな衝動を与えられたものの一人は私でしょう。何となれば石龜氏の死に先立つ数日の間、図らずも私は同氏と起居寝食を共にすべき運命の下に置かれたからです。

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 人間の集散離合、人生の波瀾はらん曲折きょくせつは全くもって予算が立ちません。私が初めて石龜氏と相見たのはやッと一二年前のことであります。それまでの石龜氏は主として注射と指圧で疾病を治すことに全力を挙げて居られたようでしたが、元来研究のめには他の一切を犠牲にして顧みない気質の人だッたので、一度心霊事実にぶつかると同時に、氏の心霊熱は常に百度以下に降ることは絶対になくなりました。特に昨年同氏の息精司氏が帰幽されてからの熱心さは又格別でした。最初は精司氏の魂を中西霊媒に招びて問答を重ねているだけでしたが、後には令閨れいけいを霊媒として一層幽界との密接なる連絡を講ずることになりました。

 近来の石龜氏はほとんど万事を放擲して心霊問題に没頭すると言った風でした。

『昨夜は徹夜で、せがれその他の人達の招霊を試みました………』よくそんな風評を耳にしました。

 んな次第で石龜氏の姿は所中『東京心霊科学協会』の事務所に現われ、同時に私との交渉も近来めッきり頻繁となりました。

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 が、七月の下旬石龜氏が奥上州の法師温泉に行かれたことが導火線となり、ここにはしなくも一の悲しい、しかもはなはだ意外千万な最終の場面を展開させる事になりました。

『石龜さんも行って居られますから、あなたも是非お出掛けください』大の法師温泉ビイキのO女史はしきりに私にすすめるのでした『場所は三国峠の半腹ですこし不便ですがあの温泉の品質といったら格別です。殊にお嬢さまの病後の静養にはあんな理想的なところはありません……』

 最初私は首をひねって居ましたが、どんな所か一つ行って見てもよいという気分にうッかりなったのが、彼岸に旅立つ石龜氏と私との関係をる程度密接ならしむる機縁でありました。

 人間の生涯には何所にどんな引ッかかりが出来るか全く以て判ったものではありません。

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 私達の家族とO女史と四人づれで法師の温泉に着いたのは七月二十七日の午後四時頃でした。雨で道路破損のめ、猿ヶ京から温泉までの二里強の山道を徒歩でテクテク歩かされたのは余り楽でもありませんでした。『達者なものには何んでもないが石龜さんはさぞ困られたでしょうネ………』私達は途中でそんな風評をしました。石龜さんは十数年来悪性の胃病……胃潰瘍に悩まされて居られる身なのです。

 それでも石龜さんは案外元気らしい顔で歓んで私達を迎えてくれました。『ここは毎日雨ばかりで実に退屈しました。午後になって降らないのは今日だけです。』『胃の具合はいかがですか』『不相変あいかわらず痛みはしますが、別に気にもかけません、永い間の癖になっていますから………』

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 最初私達の室と石龜さんの室とは隣り合っていました。従って朝から晩までよく話込みました。『茶が入りましたから入らッしゃい』『お風呂へ入りませんか』何とか口実を設けて往来しました。殊に晩餐となるときまり切って私達は卓を共にしました。『モー 一ついかがですか?』私はよく杯をすすめましたが、石龜さんは定量の三杯を飲みおわると、断然酒杯を伏せて決して私の誘惑には応じませんでした。

 そのうち雨漏りのめ石龜氏は別室に移られ、同時にその時分からその胃痛が加わり加減なので共同晩餐は自然消滅に帰しました。私達家族はいささかさびしい気分で雨の音をききつつ晩餐をしたためるのでした。

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 二十七日以来毎日降りつづいた雨が三日になってようやく上るのを待ち、私達は急ぎ法師を出て帰途に就きました。石龜氏の胃は一日頃からだんだん痛みを加えるようでしたが、しかしこれ位の事は決して珍らしくないと御自分も多寡をくくり又多年石龜氏の病状にしたしまれたO女史もむしろ楽観して居られましたのでよもや氏がたッた二日の後にこの病気のめに斃れることがあろうなどとは全く想像だもいたしませんでしだ。

『お大事に………お見送りもせず、ここで失礼します………』石龜さんが床の中から頭を曲げてそう挨拶された光景は今もありありと私の眼に残っています。

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 八月五日は暑い日で太陽がカンカン照って居ました。

 私は午後五時頃東京から自宅に戻って洋服をきかえました。それから妻は門口へ出て、涼を入れている様子でしたが、五時二十頃急に激しい胃痛を感じたと言って、女中に床を敷かせて、そのまま晩飯も食わず寝てしまいました。熱は一時は三十九度に近かったようです。

 石龜氏が最後の気息を引きとったのは丁度その時刻だッたことが後で確かめられました。お霊界からの通信によると妻の胃痛は石龜さんの胃痛の感応だったという事です。

『あんな痛みを感じたことは今までにただの一度もございません……』妻は翌朝そう申して居ました。(五、八、十三)


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第7巻9号

発行: 心霊科学研究会 1930(昭和5)年9月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力: いさお