彼岸に到るまで(上)

彼岸に到るまで(下)

石龜 勢輔

 

 四月十四日ず会見の大様を聞こうと思って長男(精司)を招霊しました。長女(君代)の幽界に出たのは約一ヶ月前であったので、間もなく会見が行われた事と思って居ましたが、そのままにして置きましたので、招霊を待ち焦れて居たとの事でした。

 彼は語りました。

 ず祖父母を会わせました。お二人共大喜びで、お婆さんはお爺さんに対し、先立っためにアナタに大難儀をかけて相済みませんとわるると、お爺さんはお前が亡くなっても子供は皆大きくした。この世界で再び相逢う事が出来たのは何よりうれしい云々………この時は姉も幽界に出ましたけれども、一番最後であり、此所ここに連れて来る事が出来ないので、この時はお二人け逢わせました。

 其後そのごしばらくして姉もようやく修養が出来もやも晴れたのでお二人をともなうて姉の処に行きました。もっともお二人は一所に居らるるのでは無いので、ず祖母をともなうて祖父の処に行き、更に相伴いて姉の所に行きました。お爺さんは姉の大きくなった事を始めて知り、お婆さんは始めて姉さんを見られたのです、私は側で見て居って涙がこぼれました。これが幽界であるが故に何でもないようですけれども、若し地上において何十年振りで夫妻再会し、始めて嫁を見、孫を見たのであったならドンナに楽しい事だろうと思いました。僕はアトにお弟共のある事を申しますと、祖母は『其等それらのものも見たいけれども今は望み得ない事であるが、二人の孫を見て満足です。地上で一家揃って生活した事が、此処ここに来て又これを繰返繰返くりかえす事が出来るというのは何という幸福であろうと大に喜ばれました。

 実際幽界の生活は、地上と比べて円満さが違うようです。肉体は誰でも何処どこかに欠点があるけれども、此処ここでは肉体がなく精神のみであるから非常に美しいのです。お婆さんは地上に居られた時も非常に立派な方であったようです。そして母さんを今此処ここに招ぶワケには行きませんけれど、何となく母さんを好いて居らるるようです。お爺さんは母さんを悪くは思うて居られないようですけれども、伯母さんが可愛いので……娘の方は嫁より可愛いのは人情でしょう……其等それらの執着から此処ここに出られるのが遅れたのです。姉さんは死ぬ少し前はよい人になったけれども、ヒネクレ根性があり、ミンナを困らせたような人であったので出遅れたのだろうと思います。が、兎に角幼くて死んだので今は地上の事は忘れて居るが如く、したがって執着が無いのですから、今少し修業すればお婆さんと一所に居る事が出来るようになる事と思います。今は皆楽しくして居りますから、父さんも母さんも安心して下さい。僕も実にうれしさにえません。幽界からの第一通信を送る事が出来たのみならず、修業が出来たような心地がするのです。云々

ちなみに母の四十余年も暗黒界に居ったのは、尿毒症で頭脳を冒されて転帰しため自覚し得ず居たのだろうと思う

 長男から一般状況を聞いてから、更に二日を経て母を招霊して見ました。母は其時そのときの状況を左の如く語りました。――

(前略)お前のお父さんにも、精司にも君代にも会いました。ホントウにお蔭です。孫というものを始めて見、お父さんにも久し振りで御目にかかりました。お父さんに、子供を残して先に逝き御難儀をかけて済まなかったと御詫おわびを申した処お前が好んで先立った訳で無い、随分難儀はしたけれども、今はその難儀を捨ててお前と逢う事の出来るのは皆精司のお蔭だと非常に喜んで居られました。君代もよくワカって私になづいてくれます。お祖父さんよりも私の方になづき、いろいろ可愛い事を申しました。しかし今はまだ一所に側に居る事は出来ません。大して間が無いだろうとは思うが、今少し修業が積まないと明るさが違うのです。

 お父さんとはドーしても別々に居らねばなりません。男と女とは隔てて置かるるのですが、何時迄いつまでもというのではなく修業が積めば一所に居らるるようです。

 幽界は地上とことなり信仰が第一です。お互に修業し合うので、ソレが積む人は早くあかるい所に行き得るのです。君代にも一生懸命にすすめて居り、今は大変よい処まで来て居ますから、やがては一所に居る事が出来ると思う。君代の死んだのは十歳の時であったので、ソレデ精司が来ての話ではヤハリ十歳位の気持だという事であったけれども、ソレハ永く暗い処に居ためで、明るい処に来ると相応に発達するようです。身体は小く十歳位であるけれども、思想が発達して来ます今はなかなかしっかりして居ます。

 精司は実にやさしい子で、加之しかのみならずあの位の年で普通なら人を導くなどの事が出来ない筈なのに、私などよりズーッと上の方に居る、見上げた子だと思う、孫でも位が上なので此方こちらから敬意を表しくなります。ソシテ何となく威があり、私などに比べると遙に自由自在の様に見えます。

 自分も歩かずに行かれます。お父さんに逢うには私の方から行く方がよい。ソレけ自由になった様に思います。ドウもこの世界は段々になって居る様に思わるる、段々というのもドウカ知らぬがソー言わなければ話が分らぬ。お父さんや君代を訪ねる時は下に来るようです。上に行く程明るい、少しづつ明るく何段にもなって居る様に思われます。今自分の居る処は夕方よりは明るいが昼中よりは暗い、室は八畳一間です、思う存分飾って居ます。今は信仰第一なので、余技は試みて居りません。その内に歌でも詠むか、花かお茶でもと思うて居ります云々。

 同じ夜長女を招霊しました。彼女は大様左の如く語りました。

 此間このあいだ皆さんに御目にかかりました。其前そのまえ精ちゃんからお婆さんやお爺さんも居らるる事を聞いて居ましたが、御目にかかる事が出来たのです。最早御心配ないように願います。此節このせつは修養がイヤでなくなり、お婆さんからもく聞かされ、一生懸命でやって居りますから喜んで下さい。今少しでお婆さんと一所に居る事が出来るようになると思います。何時迄いつまでも子供では無いのですから………ソシテよくお婆さんの教訓を守って居りますから、御心配ないように願います。御爺さんにも御目にかかりましたが何ともおっしゃりませんでした。皆さんが私の処に来て下さったのです。私の居る処はまだソンナに明るくないので、私一人では行く事は出来ませんので皆さんが来て下さったのです。丁度水にたとえると澄んだ処と濁った処という具合のようです。其処そこに居るものからは奇麗だと思って居ますけれども、精ちゃんやお婆さんが私の処に来られると濁水に浸って居るようで長く居る事が出来無いとわれます。今一つ上に行くとお婆さんと一所に居る事が出来るようです。私は小学校二年をやったけで病気になり、三年にはならなかったのですが、お婆さんと一所になったら何でも教えて戴けると思うて居ます、今では唱歌などは馬鹿馬鹿しいのでソンナものは歌いません。一生懸命にお念仏を唱えて居ます。家には私一人しか居ませんけれども淋しくもありません。お父さんう心配しないで下さい。安心して下さい云々。

ちなみに拙妻の守護霊にりて、彼女が今幽界に出たばかりの時、髪は振りみだれ、呆然として手を組み喪心そうしん状態で天を眺めて居る様子可哀相で見るに忍びずとわれ、右の状況が拙妻にも感応せられたので直ちに拙妻の肉体に長男を招霊し右の趣を通じ早速おもむかしめたのでしたが、何分八歳の時見たのみなる弟が二十二歳の体躯を現わしたのでその弟なるを信ぜず。依りて少時の姿を示してようやく納得せしめたる由、其後そのご招霊したる時は弟の言に依りて安心したる旨語り居りたるも、家もなく野原の一椅子により唱歌を唱え居る事を申し処在が無いめ頭髪を結ったり解いたりして居るなど語り至極呑気な様子ゆえ信仰を強要し度々たびたび精司をして説得せしめつつあったのであります。この言によりますと祖母も時々おもむいて教訓を与えつつあったものと見えます。

 父の招霊の結果も大同小異、余に対ししきりに暗黒界から呼び覚されたる厚意を謝し、つ彼が生前最も愛撫して居った精司の導きを感謝して居りました。信仰の方は少し不熱心の様子で、一生懸命やって居るとは言うて居るけれども、極めて安楽な処であるから急いで向上するに及ばずといい、又は眠るのでもない。又寒いのでもないけれども時には布団を敷いて横臥するなど申し、散歩は時々試み、つ四周に多くの家宅もあり、人々も居るけれども、別に交際もせずなど申して居ました。矢張り地上に居った時の性格の如く、いずれかと思えば律義一方酔生夢死といった方で、一生懸命になって向上しようなどの様子は見えず、やはり母の一言の如く信仰に余り熱心ならず、気が向けば位の処らしく思われます。


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第7巻7号

発行: 心霊科学研究会 1930(昭和5)年7月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力: いさお