五月の関西行

浅野 和三郎

 

 五月は都合によりて名古屋をヌキにしましたので、私は二十四日の朝単身大阪に直行しました。龜井さんは後から来るとの約束でした。

 汽車の中で私はよく原稿を書きますが、この日は少々睡眠不足の気味で頭脳がはっきりせぬところから、『文藝春秋』の六月号を買い求めて、携帯のトランクにもたれながら欠呻あくびまじりにそれを拾い読みしました。いよいよそれにも倦きると、汽車の停車するのを待ちてプラットホームに降り、プラリプラリるきまわったりしました。

 私がそんなに怠けていても汽車の方ではキチンと時間通りに梅田に着いてくれました。私は例によりて臼屋町の龍田氏宅に宿を取りました。

 くる朝は龍田氏宅の二階に転がりて根本氏の『心霊的物理療法』を受けました。根本氏は先月私の紹介で大阪に来り、その独特の療法で古屋女史をはじめ、多数の人達を治療して異常の好成績を挙げた人であります。氏の療法は胃腸病、腎臓病、神経痛、リョウマチス、各種の鼻の病などに特に効能のあるもので、病気の問屋のような古屋女史………赤十字病院も心霊療法家達もすっかり匙を投げたその痼疾こしつをば兎も角も二週間の治療で八分通り治してしまった人なのであります。私も胃腸があまり丈夫でなく、又肩が莫迦ばかに凝っていたので、半分は実験のつもりで躯を氏の治療の前に突き出した次第なのであります。

 胃腸の停滞物と肩の凝りとが刺戟を帯びた温熱のめに一つづつほぐれて行く快感にひたり切って、うっとりとして居る中に突然枕頭に姿を現わしたのが龜井さんでした。

『何時着いたのです?。』

と私が訊ねました。

『あなたより一ト汽車遅れて特急で着きました。――時に、あなたは昨日汽車の中で文藝春秋を読んではいませんか?。』と龜井さんは妙な事を言い出しました。

『読んで居ましたよ………。』

『矢張り当った』

と龜井さんは得意らしく

『昨日あなたはトランクを斜に座席の肱掛に引っかけ、それにれて雑誌を読んで居たでしょう。そしてくたびれて来ると停車時間中にプラットフォームに降りプランプランるきまわったでしょう………。』

『薄気味のるい事を言う人だネ。』

と私はいささかびっくりして

『全くそれに相違ないが、しかしドーしてそんな事が判りました?。』

『実は昨晩試みに自動書記であなたの動静を守護霊に質問して見たのです。そうするとそんな返答が出ました。片仮名でフンケイシンシウとあったが多分文藝春秋の事だろうと推定したのです。』

『イヤ剣呑剣呑! 油断もスキもありゃしない。』

龜井さんの自動書記能力はこれまでもよく承知して居ましたが今回の成績を見て、ますますそれが相当の実用価値を有っていることを知りました。事によると今後この方面で大に開拓の余地があるかも知れません。


 その晩は例の服部時計店大講堂で大阪心霊科学協会の月次講演会がありました。規則の改正、今後の方針その他に就きて斎藤常務理事の報告演説があった後で、私が二時間ばかり心霊研究と日本国体の関係に就きて所信の一端を開陳しました。同じ畑の理解ある人達ばかりの集りなので、私も少々突込んだ所を述べた結果、大分議論に花が咲き、ことに王子製紙の専務堀越さんなどは熱心な敬神家だけあってさかんに鋭鋒を私に向けられました。『かくありてこそ真正の講演会だ。』と私は密かに会心の笑みをたたえました。『大阪心霊科学協会は断じて単なるお座なりの世間並みの会合であってはならない。日本国は物質的にも又精神的にも今や正に一大転換期に直面して居る。この際いかにして新局面を打開すべきかは実に由々しき大問題で、日本国の興廃は懸値なしにその解決の上にかかって居る。若しもこの際一歩をあやまろうものなら日本国の前途は全くもって危ない。日露戦争位の簡単なる仕事なら大体において士気一つでも済むが、今度の難局はそう簡単には片づかない。其所そこに経済戦もあれば思想戦もあり、深刻な対外関係と同時に微妙な対内関係が解決を待っている。いずれも人智人力の打算の範囲を少々超越して居る問題ばかりなので、今や日本国の上下を通じてひたすらに青息長大息あおいろといきの有様だ。ドーしてよいかさっぱり訳が判らず、単なるその日暮らしでお茶を濁して居るというのが事実だ。この際日本国内にありて、人数がすくないが、真に前途に一道の光明を認めて精進しているのは恐らくわが純真な心霊学徒ばかりだ。迷信は大嫌いだが神の実在、霊魂の実在を信じている。理窟りくつも言わんではないが、それよりもむしろ霊界との実地交通を重んずる。若しもこの会で何等かの手がかりを見出し得ないようなら、日本国の何処どこへ行ったところで到底手がかりのつく見込はない。今夜の模様から察すれば大阪心霊科学協会も大部熱が出たようだ。この分ならもって大慶の至りだ………。』

 演壇で喋りながら心の底で私はんな事を考えつつあったのでした。それが一片の見込違いに終らないようにしたいものです。


 翌二十六日の朝は龍田老と二人で京都鹿ヶ谷に引込んで居られる中尾良知さんを訪問しました。今年帝大に入学した令息と二人きりで自炊生活を送っていられるそうで、中尾さんは矢張り中尾さんらしいところがあるなと痛感されました。六月からは毎週水曜日に大阪心霊科学協会のめに、その独特の霊視能力を活用してくださるそうで、斯学の研究者のめには誠に大なる福音というべきであります。機会を見て東京の方にも出掛けられるように固く約束して別れました。

 帰途久しぶりで銀閣寺の庭を見物したり、又伏見稲荷山の一端を見学したりして四時過ぎに大阪に戻りました。六時半からは例の龜井氏の実験会があるので、そこそこに晩餐をしたためて服部時計店に駆けつけました。

 七時までに二十人許の立会人が前後して集まりました。京都からは下村学士などがわざわざ馳せ参じました。それは良いがただ一つ大に私を驚かせたのは日本奇術界のチャンピオンなるTさんが参会したことでした。彼女は某雑誌記者の紹介で是非今夕の実験を見せてもらいたいというのでした。これには私も弱りました。何となれば、うした種類の人が列席した場合には、龜井さんの背後の守護霊が何等なんらの現象をも起してくれない前例のあることを充分承知して居るからです。

 が、この場合無下に謝絶することも面白くなかったばかりでなく『どんなものか一つ試して見よう』という研究心も手伝って、私はT女史の列席を条件附きで承認することにしました。

はたしてうまく行くかドーかは疑問ですが、折角お出でになったものですから龜井さんには絶対に内密で、実験室に入って下さい。若しそれがめに甘く行かなかったら、改めて実験のり直しをしましょう………。』

 七時過ぎに実験室を開いて一同席に就きました。T女史は龜井さんに判らぬように、最後にそっと室の暗い隅に座を占めました。

 それから例の通り一切の順序をんで、灯火を消して蓄音器をかけましたが、不幸にも私の危ぶんだ通りいつまで蓄音器を鳴らしても、かの心霊現象の先駆たる敲音が微塵も起りませんでした。

『念のめにモ一度かけてください。』

駄目とは知りつつ私は蓄音器係の岩田氏をうながして都合十回ほども音譜を廻転させましたが、いつまで経っても心霊現象らしいものは全然起りませんでした。

 到頭とうとう私は実験中止を宣して灯火を点けました。龜井さんは緊縛されこまま深き入神状態に入って居り、少しも四辺の状況を知って居ないようでした。

 私は一同を控室に集めて再実験の宣言をしました。――

『今晩は遺憾ながら失敗に終りましたから、明後日の晩に改めて再実験を行います。んな事は以前に東京で一度あった丈でめったに起らない現象であります。いずれ大至急失敗の原因を調査して御報告いたします。事によると只今すぐに自動書記をやらせて見るかも知れません………。』

 挨拶もそこそこにして私は再び実験室に入って見ると龜井氏は依然として深い入神状態をつづけて居ります。そこで、私はすぐに鉛筆をその手に握らせ、便箋をひらきますと、間もなく鉛筆が動き出して、片仮名で守護霊のモゴールから私に宛てて通信がありました。それを翻訳するとうです。――

『今晩の実験には異分子が六人あった、男三人、女三人である。詳しい事は後でいうが、ある雑誌記者の居るのが困る。明後日の再実験にはよく吟味して断る人は断ってもらいたい。モゴールより浅野。』

 これを要するに龜井氏の守護霊は心霊実験が何等なんらかのダシに使われたり、又霊媒の躯が危険にさらされたりするのを極度に心配しているらしく、めったな事は決してさせない方針を従前から執って居ります。ここがわれわれ心霊実験家として極めて苦心の存する点で、うっかりすると門外漢からいろいろ誤解を招き易いところでありますが、さすがにT女史は自分自身る程度の霊媒能力所有者であるので大へんその辺の呼吸を吞み込み、却ってこちらに同情してくれました。『私などもドーかしますと、さっぱり駄目なことがあって困ります。そんな場合に限り躯がめちゃめちゃに疲れます………。』そんな事を言って居ました。私は固く東京に於ける再会を約してT女史に別れました。


 翌二十七日の晩には江間式道場へ出かけました。江間式会員に対して龜井さんの実験をたのまれたからです。

 ここでも私は非常に困った破目に陥りました。何となれば一回の立会人を普通せいぜい二十五人迄と規定してあるのに、希望者がめちゃめちゃに多く、午後七時までに七十人も集まってしまったからであります。

 窮余きゅうよの策として私は一回の実験を前後に分割し、途中で立会人の入れ替えをする事にしました。守護霊のモゴールさんも不精無精にそれに賛意を表してくれました。

 が、この日の成績は案外に良好で、目覚ましい現象がそれからそれへと続出し、就中なかんずく後半の活躍は近来の傑作で、二貫二百五十もんめの卓子が二三百もんめの品物を載せたまま天井にくっつくところまで上昇したり、紙製の喇叭ラッパが縦横に飛んで、大きな声で談話を交換したり、最後にあざやかな縄抜きを行ったりして大満足を与えました。

 空中談話の際に私は昨日の失敗した服部時計店の実験に関していろいろ参考になる事をモゴールからききました。又私達の間にはんな問答も交換されました。――

『T女史の背後に控えているのは西洋人の霊魂か?。』

『ノー!。』

『では印度人か?。』

『ノー!。』

『そんなら何人です?。』

『日本人の霊です………。』

 龜井さんの直接談話現象はその自動書記と同じく、そろそろ実用期に入りつつあるようです。


 翌くれば二十八日、私は大毎の本山社長を訪ねたが不在で逢えず、西村博士も会議中で駄目、止むなく南海の池沢氏を訪ねていろいろ打合せをした上日暮服部時計店に同行しました。今晩は前々夜の失敗した実験のやり直しをするめです。

 奇術家のT女史はすでに東京に戻ったのでその一行はもちろん不参、某雑誌記者も自から出席を遠慮されたので、この日の参會者は割合に少数でした。下村学士がわざわざ京都くんだりから二度のお勤めをしてくだすったのをはじめ、列席の方々には司会者としてはなはだお気の毒な思いをしましたが、しかし研究的見地から観れば今回の失敗ははなはだ有意義なものでした。

 心霊現象の製造元は霊媒よりか寧ろ霊媒の背後に控えて居る守護霊に存る!――この事が今回の実験で極めて有力に裏書きされました。平生機械ばかり取扱っている物質学者などはこの間の機微がしっくり腑に落ちないばかりにドーも心霊実験に臨む資格が無くて困ったものです。

 この日の龜井霊媒は昨日の江間式道場に於ける長実験がよほど躯にこたえたものと見え、平常よりはやや疲労の色が見えました。『今日は正午過ぎまで頭が上りませんでしたよ。』そんな事を言って居ました。が、いよいよ実験となると案外に強力な現象を見せてくれました。夜光液を塗った玩具類がイヤ飛ぶこと飛ぶこと! ガラガラだの、毬だのは、幾十回となく室内狭しと跳躍しました。卓子も浮揚しました。笛もベルも喇叭ラッパさかんに鳴りました。赤ランプも再々点火されて霊媒の躯を照らしました。

 が、この夜の現象の白眉は点検後に行われた鮮かな襦袢じゅばんヌキでした。特に念入りに八重十文字に縛られて居る縄目の下から汗でぐっしょりになっている白の肌襦袢をスポリと脱ぎ取って立会人某氏の肩の辺に投げつけたのであります。

『イヤひどい汗です。まるで絞るようです………』

何人もこれには疑議を挿むの余地を発見しませんでした。

 終結に近づいた時に私は直接談話を請求しましたが、意外な返答が霊媒の口を使って与えられました。――

『コ………今晩はモゴールが居ない………直……接……談……話はできない………。その代りに縄ヌキをやる………。』

 霊視能力者には龜井氏の背後に数人の霊魂の姿が見えますが右の返答はる程度までこれに裏書きするものでありました。兎も角も私は縄ヌキ現象をもって今晩の実験の打ちどめとすることに決心し、蓄音器を鳴らすと同時に、立会人一同に手拍子を五度鳴らすことを請求しました。

『用意! ワン! ツ! スリイ! フォア! ファイヴ!! 終りッ!。』

言い終る同時に私は直ちに懐中電灯を点けて見るとあれほど厳重に椅子に縛りつけてあったにも係らず、霊媒の躯はきれいに縄と椅子から離れ、しかも霊媒は左に、椅子は右に、両者の間は約二間許も隔って居ました。いつもの事ながらこの人の近来の縄ヌケは見事だと感ぜられました。


翌二十九日には四十日ぶりで東に戻る横浜の根本氏と同行して日暮鶴見に帰りました。(五、五、三十一)


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第6巻8号

発行: 心霊科学研究会 1929(昭和4)年8月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

入力: いさお