心霊実験者としての大切な要素

浅野和三郎

 

△心霊実験と言っても日本の学界や一般社会にはまだ一向ピンと頭脳あたまに来ないかも知れないが、本誌の会員読者諸氏の間にだけはよく諒解される筈である。何となれば近頃本誌の紙面の少からぬ部分がそうした記事で占領されているから………。

△一体実験と名のつくものは在来の世の中にも沢山ある。物理化学の実験、生理解剖の実験、その他数えつくすべくもない。が、他の諸実験と心霊実験との間には一の顕著なる相違点が存在する。外でもない他の実験の対象が多くは皆無生物せいぜいモルモット位であるに反し心霊実験の対象が人並はずれて鋭敏なる思想感情の所有者生きた霊媒であることである。この相違点を無視するところから心霊実験に当るものが時とすれば飛んだ失敗を演ずる。

△さきに英国心霊研究協会の審査部長としてその名を鳴らしたデイングウォール教授は心霊実験に関してんなことを言っている。『無経験なものには心霊現象を正確に観測することが非常に容易であるらしく思えるかも知れない。ところが実験においてこれほど困難な仕事はない。心霊実験には是非とも練磨されたる観測力、絶対の公平無私、並に事実を精確に記述する能力――この三つが必要である云々。』これは一と通り要領を得て居るが、私の観る所によればこの三つの要素だけではまだ足りない。モ一つ極めて重大な要素を具えて居なければ彼は決して完全な心霊実験家とは言われない。他にあらず、それは理解ある同情である。

△近代心霊研究の歴史をひもといて見ればそのしか所以ゆえんはなはだ明瞭であると思う。実験家として異常の成績を挙げた人々、例えば、マイヤース、ホジソン、クルックス、クローフォード、ジェレー、マリアット夫人、ムーア海軍中将などという連中はことごとくその選に入るところの研究者であった。彼等には精緻な観察力があった、公平無私の態度と絶対的の忠実とがあったが、彼等には更に大切な同情的理解があった。霊媒はどこまでも一の人格であって、単なる器械ではない。これを無視する者に何でろくな成績が挙げられやう!

△米国近代の名霊媒パイパー夫人の娘オールタはこの事に関してはなはだ面白い事を書いて居る。『私の母が幾多の名士達によりて実験されて居る最中に私はアベコベにそれ等の人達の気分性格を実験することに興味をった。久しからずして私にはこの立会人として成功するか、又成功せぬかという事がほとんど間違なく予知されるようになった。私はつくづく斯く痛感した――霊媒の人格に反対なる人格の所有者は心霊研究から早く手を引くに限るその人が研究をつづくれば続くるほど自分自身の貴重なる時を浪費し同時に霊媒の時を浪費する。』と。

△彼女は右に述べた。『反対』の意義につきてく説明して居る。『正確なる定義は下し難いが、私が反対なる人格の所有者というのは要するに何となく気分の合わぬ人、何となく虫の好かぬ人物の意味に過ぎない。双方でいかに好意をささげて、中間の隔壁を撤廃しようとつとめてもドーしてもうまく行かない実例は日常生活においても間断なく経験される所である。進物の交換もやるであろう、時候の挨拶もやるであろうが、両者の交際は其所そこでドカンと行詰ってしまい、胸の底に何とも言い知れぬひややかさが残る。心霊実験者は斯うした気分が霊媒との間に存在することを自覚した瞬間に到底碌な成績は挙げられないと最初から覚悟すべきである。』

△私自身も最近数年にわたりていろいろの霊媒にいてしきりに実験を行ってるが、立会人として理解ある同情の極度に必要なことをつくづく痛感するようになった。最初経験のとぼしかった時には『あれは学界に重きを為して行く男だから見せて置くが良かろう』だの『あれは潜在意識説の受売うけうりばかりやっている男だからこれでウンととっちめてくれよう』だのという不純な動機から矢鱈な人物を引張って来て心霊実験に立会わせた。が、そんな場合に限って美事に失敗する。平生へいせい私一人の前で実験すれば立派な成績を挙げる霊媒が皆目かいもくだいなしになって何もできないことになる。いかに口惜くおしがってもドーにもなしようがない。

△幾度か苦い経験をめた結果、近頃の私は一向あせらなくなった。私はく考える。『心霊問題に縁のない者はドーせ駄目なのだ。何事にも好きと嫌いとはまぬがれない。甘党の士を引張って来て辛党の仲間に引入れようとしてもそれは到底無理な注文だ。政党だって二つにわかれ、電気だって陰陽にわかれて居る。互に相反するものが負けず劣らずあいたたかうところに差別界の生命があるのだろう。われわれ心霊論者は心霊問題を取扱うべき資格のある者だけを糾合きゅうごうしさえすればそれでよい。縁なき衆生はがたしと喝破した釈迦は矢張り苦労人だった……』ざっとそんなつもりで居る。

△不思議なもので近頃はノンキな私にも実験室にいどんだ丈でドーやらまえもってその成績の良否をたいてい感識し得るようになった。成績の良好である場合には実験室の空気が何やら温かで、そして陽気である。これに反して成績の劣悪である場合にはその空気が何となく冷たく、何となく陰気である。私はひそかに苦笑している『心霊実験家というものはまるで船乗り渡世のようなものだ。お天気模様で一喜一憂している』

△兎に角心霊実験に大切な要素が理解ある同情であることには疑いないが、これは軽信又は贔屓の引き倒しなどとは全然訳が違う。理解ある同情と厳正なる批判とは立派に両立する。で、心霊実験家はその出発点についていかに懐疑的態度を執っても少しも差支さしつかえない。学術的研究は常に懐疑から始まるので、心霊研究だって決してその選に漏れない。例えば物理的心霊現象と暗黒とが切り離せないというなら、実験家は暗黒裡の詐術さじゅつを絶対的に防止すべき手段方法を百方講ずるがよい。現に亀井霊媒の場合などにも細引きで縛り、鉄鎖で縛り、革紐で縛り、また六尺棒にくくりつけたりした。が、霊媒の肉体に危害を及ぼさなかった限り、少しも有力なる現象の発生を妨げはしなかった。

△ところが冷たい反感冷たい異分子の存在する場合となるとその時ばかりは如何いかんとも施すにすべがなかった。丁度ちょうど水と油とが到底とうていまじらないようなもので其所そこに単なる睨み合いが起る。不幸にして中西霊媒にも、亀井霊媒にも、又その他の霊媒にもそうした心苦しき場面が過去において二度づつ展開された。私は縦令たとえどんな代価を払っても今後再びあんな目に逢いたくはない。と思っている。

△思うに日本の眠れる学界にもやがて心霊現象の実験会が頻繁ひんぱんに開催さるる日が来るであろう。イヤ今日でもすでにそうした兆候がほの見えないでもない。私は心からそれを歓迎すると同時に、心霊実験の対象たる霊媒が極度敏感な一の生きものであることをくれぐれも承知して貰いたく思う。無情冷酷おけに無智な先入主を抱いてこの神聖な仕事に取りかかられては助からない。  (五、三、四)


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第7巻4号

発行: 心霊科学研究会 1930(昭和5)年4月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

入力: いさお