二月の関西行

浅野 和三郎

 

 大阪の講演やら実験やらにのぞむべく私は二十一日の朝鶴見をたって西に向いました。今月は時日が許さぬので名古屋へは立寄らぬことにしました。

 今度の実験にも不相変あいかわらず龜井さんを連れて行きましたが考えて見ると随分この実験には力瘤を入れたものです。去年の六月初めて大阪へ同行して、今日から見ればいささか幼稚な縄抜け、皿吸上げ、透視などの実験を行ったのをきっかけに、爾来じらいほとんど毎月欠かさず出張し、今度で総計七度大阪へ往ったり来たりした訳で、実験回数はすくなくとも十六七回に上りましょう。一回の立会人が平均二十人と見て、大阪のみですくなくとも三百人の方々に実験をお目にかけた訳です。大大阪の人々に比して九牛の一毛にも当りませんが、しかしいずれも社会的に粒選りの方々ばかりですから、その影響は相当深刻で、一般人士の頭脳に心霊現象というものがいかに確実性を有っているかを刻み込ませるにはもって充分のように考えられないでもありません。もちろんそれ丈で心霊家の能事のうじが終ったのでも何でもなく、今後において開拓すべき方面は更に一層広く深くつ大切でありますが、それにむかうまでの段取としてはもって申分がない成績だッたと考えて宜しいようであります。この意味において龜井さんの仕事は丁度幕末において浦賀湾頭に現われたペルリ提督の黒船見たいな役割を帯びて居たかと思われます。

 着阪後の私は相当多忙な時日を送りました。ず二十二日の午後一時からは古屋女史英学塾で、二時間ほど心霊問題に関する一場の講話を試みました。十六七歳から二十歳前後の純真そのもののような女生徒さん百人ばかりを前に置いて、チョークを手にして教壇に立っての講演は、私に取りて近頃実に珍らしい経験で、全く心の底から愉快に感じました。私としてはこの可憐な人達に成るべく心霊研究に関する概念を歪みなしに与えたいという老婆心………イヤ老爺心が手伝って、少々盛り沢山に喋り立てましたが、皆さんが側目わきめもふらず全精神を打ち込んで傾聴してくだすったことは誠に張合いのある心地がしました。

『心霊問題は矢張り先入主せんにゅうしゅのない新時代の士女にきかせるに限る………。』私はつくづくそう感じたことでした。

 古屋女史はその日全生徒に私の講話に対する感想を書くべく命じましたが、二三日後にそれが出来たからとてわざわざそのうちの数篇を送り届けてくれました。非常に興味深く感じましたので、中から所々抄出して見ます。――

   感 想         専二    田遠亀代

 黒縁の奥深い眼鏡をかけ、その上近代人にまれえら髯をちょっとばかり垂れ、それがお話と調和してなかなかユーモアがある。それにあのドッシリした体躯、顔、風采が心霊のお話しを価値づける……

 この顔にして心霊学研究者なり、心霊学研究者にしてこの顔というものはあたかも先生の如し!

 これが私の最初の直感的な先生に対する印象である。

 幽霊が出る……ナニそんなものが……。今の文化の時代に! 幽霊の方がかえってこの世の急激な変化に驚いて腰を抜かしてしまうワ、それは一種の幻像だ、狂人の芸語たわごとだ、と鼻の尖端さきで蹴とばしていた私……

 それだのに、考えると自分ながらおかしくなる。昨日の先生のお話しには深く深く魅せられて、自分というものが、すっかり心霊談の中へ吸い込まれ、消化されてしまった……。

 お伽噺や感想……ぱっと笑ってそれっきり忘れてしまうようなものとは性質が違うだけ、お話が進行するにつれ、私はいよいよ乗気になり、自分が霊界を彷徨さまようているような気がした。

 この世の中でこの心霊というものほど絶大な威力のあるものは他になかろうと、私は全く頭を下げ、手をつき平伏してしまった。こんな事を言っても先生はお許し下さるだろう。心霊の力は本当に超モダンだ……。

 あの服部時計店での、あの万年青おもとの引寄せ、あれが私の疑惑を一掃した。霊は永遠に生きて向上の途を辿りつつあることが私には明瞭に判った。同時に人間は物質的肉体のみではない、幽霊体というものが人間の大部分だという事も解った、できる事なら先生の所へお弟子入りをするんだがなァと私の大脳は心霊の話が非常に気に入ったらしい。お話の止められるのは厭だ厭だと言いつづけて居た。ねがわくば卒業迄に先生の連続講演を受けたい……。

   どう         専三    宮本文子

 浅野先生が二十二日に御講演をして下さるというので、好奇心も手伝って、どんなにお待ちしたことだろう。先生には一度去年の暮に、服部時計店の二階で心霊講演会がありました時に、ミセス古屋が御病気で入院していらしたので、代理として出席し、お目にかかったことがありますので、尚更なおさらお待ちして居りました。心霊……ただ崇高な、私達とはあまりにもかけ離れた、何やら遠い未知の世界のように考えて居たものが、先生のお話を伺って、それがどんなに近いものか、又いかに私達に取りて重大な関係を有しているものであるかが肝に銘じて諒解されました。

 今まで人間は現世界限りのものと思っていた私の人生観、それが根底から変ってしまったような気がする。たとえ愛する人が死んでも私はあまりに悲しむまい。又たとえ自分が死んでも私は決して寂びしくは思うまい……

 霊は私達人間に願いがあるから出て来るのだ。おそろしがって逃げたりしてはいけない、と先生は仰っしゃったが、やっぱり私は夜になると、あの心霊写真を想い出して恐くてたまらない。恐いと思う丈私にはこの問題がまだはっきり判って居ないのであろう。私の頭の中は不思議という言葉で一ぱいで、自分で自分の心が判らない……

    どう         専二    笹川光子

 それこそ私が一ばん期待して居たお話である。「あの小父さん何を言い出すかナ」私達の好奇心は大へんに大きかったものであった。

 私は一人の弟を失った。たった六才を最後として死んでしまった。私はこの弟にまだ強い愛着をもっている。さびしい愛着だ。幽明さかいを異にして呼んでもわめいても弟は帰って来ないんだもの……。今でも何故なぜ死んだんだろうと苦しむこともある。それは『死』とはどんなものかという事がはっきり判らなかっためでもある。ところが今度講演をきいて、私は一種んともいえぬ安心した気持にさせられている。近代の心霊研究は、キリスト教よりも、仏教よりも、あらゆる宗教よりもはるかに効果があることを私は痛感して居る。何故なぜなら私には死というものが最早そう恐ろしいものでも又悲しいものでもない事になったから………

 そんなに共鳴はしてもしかし私はまだ幾分疑っている。

 幽霊の指紋がとれるなんて、死人が話しかけるなんて、ドーしてそんな事ができるのだろう。何がんだかさっぱり判らないところがある。私は半分現代科学を信じ、半分霊の存在を信じている。そして、一方が現わるれば一方が掻き消し、絶えず両方が頭脳の中で闘っているらしい。これ以上の事はより以上の奥の方の事を見た上でなければとても決定しそうもない……。

 まだ外にも抜き出したい文字が沢山ありますが、しばらく割愛することにします。

 純真な少女の白紙の頭にしみた感想! 後天的の理窟りくつやドグマに汚れて居ない浄玻璃じょうはり面に映じた印象! 私はこれを読んで全く近年にない歓びに充たされました。

 私の講演最中に突然龜井さんも英語塾へ遊びに来ました。機会を捕える事に妙を得ている古屋女史はなんのただ帰しましょう。早速龜井さんを講壇に引張り出して透視の実験を試みさせました。

 古屋さんの指名で一人の生徒がその名紙の裏に片仮名でる言葉を書いて、厚い西洋封筒に封じ込み、それを封蝋で留めました。龜井さんは瞑目一二分の後、例の茶目くさいさい筆法で透視した言葉を黒板に一つずつ下から上に逆に書きました。読み下すと、それは

『マリコチン』

 という文字でした。封筒を破って名紙の裏を見るとそれには『マリコチャン』とありました。つまり『』の字1字丈落ちた訳で却って一同の感歎の的となりました。因みにマリコチャンとは古屋女史の愛猫の呼称なのです。

 古屋英学塾を辞したのはモー五時頃でしたので私達はその足で直ちに服部時計店に赴きました。同六時から龜井さんの実験があるからで、その主題に『直接朗読現象』というのでした。これは立会人中の誰かが隠れて書いた文字を龜井さんの守護霊が空中から朗読するという現象で、つまり『直接談話現象』の一変態であります。束京ではすでに一二度実験済みのものなのですが、大阪での試みは今回が最初でした。

 私が簡単な挨拶をして居る中に立会人達の顔も揃ったのでいよいよ七時頃から実験室に入りました。緊縛、消灯、蓄音器、例によりて例の如く行われましたが現象発現の前提たる敲音ラップの起り方が遅いのでいささか懸念されました。音譜が二た廻りほどした時にようやく敲音が起った。私は『今晩は余り成績が良好でないかも知れない。』と心に思いました。

 当夜の実験では珍らしくも守護霊が龜井氏の口を使ってしきりに言葉を発しました。『亀……龜井の実験は一日に一回にして……。今日は昼一度行ったので龜井が疲れている……。』真先まっさきにんな苦情が出ました。午後古屋英学塾での透視の実験が幾らか躯にこたえているものと見えます。そこで私も苦笑しながら『このぎから気をつけましょう。今日はのっぴきならぬ破目に陥ったので……。』と答えざるを得ませんでした。

 それでも時刻が移るに連れて相当強力な現象が起りました。玩具類の大跳躍につづいて卓子の浮揚が起り、それから腕時計抜き取り、赤光線下の洗面器浮揚等が型の如く行われ、今日の実験の主題たる直接朗読現象もず申分なく行われました。一つは『良い天気ですネ。』という文句、それは喇叭ラッパを通じ、空中から明瞭に放送されました。モー一つは『産業の合理化。』という文句、これは少々理窟りくつっぽい漢語なので、外国系の龜井さんの守護霊には意味がよく判らないようでしたが、兎も角も片仮名を一つ一つ拾い読みして、自分でも可笑しいと見えてアハハハハハと高い笑声を発し、一同を歓ばせました。

 しかし当夜の実験で一番人々を歎ばせたのは赤灯が独り手にいて、まともに緊縛されたる霊媒の姿を照らし出したことでした。点灯時間の最も永かったのは一分間位で、それが数回繰りかえされました。お点灯の最中に夜光液を塗った玩具のガラガラが霊媒の背後で前後左右に跳躍をつづけました。これでは絶対的に詐術の疑いの起りようがありません。公開的心霊実験としてこれなどは恐らく申分のないところでしょう。

 翌二十三日の日曜は日本晴れの好天気でまるで四月頃の気分でした。私は朝の十時頃から龍田老を道案内として浜寺へ出掛けました。その附近に住む大阪工業大学の中尾良智氏を訪問するめなのです。

 中尾さんが透視の名人であり、又名利に淡き人格者である事はすでに万人周知の事実であります。日本の心霊界はこの人の存在のめにどれ丈値価づけられて居るか知れません。黙々としててらわず、争わず、その恵まれたる能力を悩める人達に向って無条件で提供し、何の求むる所もない。う行かなければ全く面白くありません。所謂いわゆる世の霊術家連がややもすれば大言壮語、罵詈ばり中傷、射利売名、偏狭自大の弊に陥り勝ちなのに比して正に天地の相違であります。『若し事情が許すなら、中尾さんのような方に専心斯学のめに奮闘して貰いたいものだが……。』私は道々そんな事を考えざるを得ませんでした。

 かねて噂にはきいて居ましたが、行って見ると成るほど中尾さんのお住居は隨分お粗末なものでした。住宅のお粗末さにかけては私もあえて人後に落ちない方ですが中尾さんは更にその上手でした。何も彼も一切無頓着というのが氏の生活のすべてでした。

 この日は求むる人達に全部開放されている日曜日とあって、十人許の来訪者が上り口の一間にぎっしりつめかけて居ました。そして中尾さんは例の手拭で目隠しをしてしきりに霊示を仰いで居ましたが、一見した瞬間に私は『こりァ中尾さんのヤリ方はロンドンのヴァウト・ピータースそっくりだナ。』と思いました。ピータースも同じく霊視能力者で、そして同じく鉢巻をする人なのです。

 中尾さんの霊覚については他日適当の機会を見て研究をつづけるとして、その日の私はただ久濶きゅうかつをのべて雑話をまじえ、昼餐の御馳走に預って良い気持になって辞去した丈でした。

 帰途羽衣の松の隣りに居られる本山大毎社長を訪れたが生憎散歩に出られた後なので、しばらく附近の白砂青松の間を漫歩して大阪に引き上げ、午後六時から又も服部時計店に出かけました。心霊講演会に臨むめです。

 不相変あいかわらずこの日も相当の盛会でした。ず池澤さんの挨拶につづいて多くの会員諸氏の体験談、告白談がありましたが、いずれも興味深くつ参考資料として価値多きものでありました。就中なかんづく御自分の疾病中慈母の霊魂から介抱された某夫人の実話、印度滞在中ヨーガ僧の植物発芽、コップの水の沸騰、その他の諸現象に接した某氏の実験談等は充分記録にとどむべき価値がありました。そんな話をきくにつけても私ははなはだ心強く思いました。『矢張り日本国に心霊事実が無いのではない。ただそれが埋もれているだけだ。ほぢくり出せば材料はいくらでもあるらしい……。』

 最後に私がちて幽霊の状態とその居住者に関する一講和を試みましたが、時間が足りないので充分の所説を尽すことができませんでした。心霊問題とか、信仰問題とかはドーも一般的講演よりもむしろ一人対一人の問答式の方が勝手がよかりそうで、この点何とか工夫の必要があると痛感されました。

 翌二十四日の晩にも龜井さんの第二回の実験がありました。大体において成績は前夜よりもよほど良好でしたが、ただビール壜に五十銭銀貨を入れる実験は遺憾ながら不成功に終りました。私一人の時には龜井さんはいろいろ破天荒の仕事をし、その結果ビール壜の問題も提出された次第でありましたが、こんな離れ業はドーも公開の席ではまだ実現が困難なようです。ここに心霊実験の悩みがありますが、翻って考うればこれが人生の相なのかも知れません。嘘だ、誠だ、出来る、出来ない……そんな事を言ってただ争いながら、ホンの少しづつ進んで行くところに人生の妙味が存するのかとも思われます。決定的の勝利は他のすべての仕事に許されないが如く心霊問題にも許されそうもありません。

 大阪に於ける二月の私の仕事はこれで終ったので、翌二十五日の朝私は急いで大阪を発足し東に戻りました(五、二、二七)


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第6巻8号

発行: 心霊科学研究会 1929(昭和4)年8月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

入力: いさお