秋の関西行脚

浅野 和三郎

 印象の消えないうちにと思って帰りの汽車のなかで筆を執ることにしました。

 今回の関西行脚はだいたい大毎幹部に対する龜井氏の心霊実験を骨子として計劃けいかくされた形になりました。最初から同社の西村博士は「社長の本山さんが朝鮮から帰るのを待ってウンと実験をりたいという註文でしたが本山さんがなかなか帰って来ないので、その日取ひどりは容易に決まらず、ようやく二十日過ぎに決りて、十月二十九日午後六時から実験ということに確定しました。そこで私は二十六日の朝鶴見を出発して大阪に直行しましたが、生憎その日はひどい暴風雨ですこぶ欝淘うっとうしい一日を車内に暮しました。大阪の宿は例によりて臼屋町の龍田老宅に取りました。

 翌二十七日の夜は心斎橋の服部時計店大講堂に於ける大阪心霊科学協会の講演会でした。講師及び演題は――。

「最近に於ける私の透視の実験」

「支那の心霊現象扶乩フーチの実験」

「亡児と語る」

 私は六時半頃に会場に行って見ると中尾さんの講演がモー始まっていました。例の謙遜な態度で、造らず飾らず、御自分の体験を物語られる中尾さんのお話にはいつもながら力強いるものが籠って居り、非常に聴衆を動かすところがありました、中尾さんはたしかに現時の大阪がつ第一番の誇りであり、名物であります。大阪の心霊学界はまことに良い人を見つけたものです。

 古屋女史の来着が遅れたので、私が第二席をつとめ約二時間ほど亡児新樹の通信に就て物語りました。実はこれを発表するについては内心すこぶ躊躇ちゅうちょしましたがいかに家庭内部の事柄だとしても、体験を体験としてありのままに発表するのが心霊家としての自分の責務であると考え、今回とうとう思い切って持ち出すことにしました。これに対する毀誉褒貶きよほうへんは私として勿論むろん甘受かんじゅします。

 私のぎに古屋女史が演壇に起たれ、扶乩フーチにつきての実験譚をされました。すると聴衆諸氏が私に向い、しきりに支那の扶乩フーチに関する批判を求められたので、止むことを得ず私は再び登壇し、それが自働書記の一種であること、従ってその価値は内容次第で決まり、支那の紅卍教徒又は日本の大本教徒の如く無批判でこれを盲信することは大々的禁物であること等を述べて置きました。今後においてもますます心霊研究をうした活問題の解決に応用し、迷信の跋扈ばっこ、邪宗の横行を完全に喰いとめたいものです。さもないといつまでも日本国は精神的に百鬼夜行の闇の国たるを免れ得ないでしょう。

 翌二十八日は私は昼頃ちょっと大毎へ立寄って、本山、西村の両人と明日の実験の打合せを済ませた後で単身宝塚方面をぶらつき、その足で御影の上田邸の客となりました。

 二十九日の午後には私は大毎社に詰めかけ、実験の準備に当りました。今度は後で一点の苦情も云えないほど徹底的にりたい覚悟で、西村博士と熟議の結果一般方略を大体左の如く決しました。即ち

(一)実験室には同社三階の婦人室を宛て、卓子、飾棚、額、鏡、電話等一切の無用物を取払うこと。

(二)すべての窓は同社の黒幕で張りつめ、光線を遮断すること。

(三)霊媒を緊縛すると同時に立会人を緊縛し、只司会者(浅野)、縛り役(西村)、蓄音器係(石黒)の三人は縛る代りに各自の胸に光章を附くること

(四)実験中室の灯火を滅し、点検には懐中電灯を用ゆること。

 午後五時頃すっかり準備が整いました。

 午後六時二十分実験に着手しましたが、簡潔を旨とし、左にその要点を表示します。

時日   昭和四年十月二十九日夜

場所   大阪毎日新聞社講堂(婦人室)

霊媒   龜井三郎氏

司会者  浅野和三郎

実験題目 物品浮動発声現象

実験材料 (一)懐中電灯(二)セルロイド人形二個(三)自動車用喇叭ラッパ(四)ゴム人形(五)呼子笛(六)ハーモニカ(七)鈴二個(八)セルロイド製玩具二個(九)目覚し時計(十)発声玩具 (以上大部分に夜光塗料を施してある)他に腕時計一個 (これは臨時に立半氏の所有品を徴発したるもの、龜井氏の右手首にまきつく)

立会人 大毎社長

     どう夫人

     秘書課員

     どう夫人

      庶務部長

      連絡部長

      事業部長理学博士

      整理部長

      どう

      編輯顧問医学博士

      秘書課長

      内国通信部員

      秘書課員

      内国通信部員

      事務部員

      南海鉄道庶務課長

      古屋英学塾長

各人の配置  (左図参照)配置図

 

統制法 西村博士主任となりず立会人(前列の五人)を連鎖的に長縄で椅子に縛りて後列者の出入を防ぎぎに霊媒龜井氏の両手、両脚、首、腹部等を椅子と共に緊縛し、其右手首に腕時計を括りつける。縛られざる三人(浅野、西村、石黒)の胸に光章を附け、もって暗中においてもその所在地を知れるようにす。

 一切の準備を終り、一同座席に就き、消灯を命じたのは午後六時三十分でした。菩音器をかけてから約五分にしてりんが鳴り出し、つづいて呼子笛が鳴り、ハーモニカが鳴り、喇叭ラッパが鳴り、玩具が鳴り、目覚まし時計が鳴りました。最初二十分間許は主として発声現象のみで物品の移動はほとんど起りませんでした。

 やがてそれ等の現象が鎮まると共に、龜井氏の喉頭を通じて、守護霊から私へ通信がありました。――

灯火あかり………時計とけいが………灯火あかり………」

 これは腕時計がはずれたから灯火をけて点検せよとの通報であると認められました。私は念のめに

「灯火をつけてよいなら敲音ラップを三つ立てて下さい」と註文すると、直ちに敲音ラップが三回ほど明瞭にきかれました。そこで私はかねてポケットに用意してある懐中電灯をけ西村博士そのほか一名に点検を命じました。

 その結果ぎの諸点があきらかになりました。――

(一)霊媒の緊縛状態に何等の異状なき事。

(二)実験前霊媒の右手首に括りつけてあった腕時計がいつの間にか輪のまますっぽりとけて卓上に載せてあったこと。

(三)立会人(前列五名)の緊縛状態にも何等の異状なきこと。

(四)霊媒が深き昏睡状態にちて汗ばんで居ること。

 腕時計はその場で所有者たる立半氏に戻されました。点検終了の報告をてから私は懐中電灯を消しました。するとほとんどその瞬間から敲音が続出し、そしてそれまで卓上に載せてあった懐中電灯、人形、喇叭ラッパ、セルロイドの玩具等が次第に猛しい活動を起し、霊媒の身辺からすくなくも二間の距離に達する空間をば憐光を放ちつつ急速に旋廻し、上下し、跳躍しました。就中なかんずく最も目覚ましい飛行を試みたのは衣裳を附けた二個のセルロイド人形で、る時はほとんど不動の姿勢で空中に停止するかと見れば、る時は丁度飛行機のようにうなりを立てて立会人の頭上に迫り、その際はわれわれの頭髪が少し乱るる位空気に動揺を感じました。自動車の喇叭ラッパがけたたましい音を立てつつ空中飛行を行るのもまた相当深い印象を与えました。

 一たん床上に落下した玩具類が、ピョコンと弾かれた様に空中に浮揚した場合も何回かにのぼりました。

 うした現象が三十分以上にわたりましたので私は龜井氏の守護霊に向い、活動中止を求めました。――

「今晩はなかなか見覚ましい現象を起してくれて、皆さまも大へんに御満足のように認めます。そろそろこの辺で今晩の実験を終ることにしましょう……」

 同時に私は蓄音器係にも中止を命じましたが、守護霊の方ではまだ余力があるものと見え、なおしばらくハーモニカや喇叭ラッパを鳴らし、室内がすっかり鎮静に帰したのはそれから約十分の後でした。

 例によりて私は敲音を信号に使い、守護霊から点灯差支なしの報告を受けてから懐中電灯をけました。

 龜井氏の緊縛状態は最初のとおり何等の異状を認めなかったが、只その位置は一尺ばかり右側前方に移り、又その方向も九十度近く右に転換して居ました。

 浮動した玩具並に楽器類は、霊媒の前後左右一二間の距離に床上に散乱して居りました。

 昏睡せる龜井氏の体から縄を切り離し、ベンチの上に横臥させるのを待ちて、木下博士が脈搏を測りました。「脈搏は丁度百、しっかりしたものです」との報告でした。

 今回の大毎の実験は左の諸点において注目すべきであります。――

(一)実験室が大毎の講堂であること。

(二)実験室の装置一切が大毎の手で行われたこと。

(三)霊媒並に立会人の統制が完全に行われたこと。

(四)立会人のほとんど全部が大毎の幹部より成立し、従って厳正中立的態度が最後まで保持されたこと。

本年七月以降龜井氏の実験を重ぬることこれで十有五度に上りますが、今回の大毎の実験をもっていよいよ一切の疑惑が徹底的に一掃された。と考えて宜しいようです。


 翌三十日の午後六時からは大阪の会員に対する龜井氏の実験会が例の服部時計店の三階の応接間で行われました。会するもの十七八名、その中には大毎の西村博士外三名の同社記者も居りました。実験の模様はほぼ前夜と同様でしたが、只緊縛のままで霊媒がその襦袢じゅばんを脱して上田夫人の膝に載せたこと、又床上約一丈二尺の天井につるした玩具二個(いずれも夜光塗料附き)の中一個が見事に引き離され、そのままで空中飛行を試みたことがその晩の特殊現象でした。

 翌三十一日の夜には龜井氏の実験が名古屋の八重小学校の理科実験室で行われました。これも大体は同様性質のものでしたが、ただここにも二つの新らしい試みがありました。その一は黒川学士の考案で龜井氏を棒縛りにしたこと、その二は自動車用の喇叭ラッパを捕鼠器に入れ、その上を半紙で貼りつめたことでした。前者は単なる縛り方の新工夫に過ぎませんが、後者は非常に意義深長なる考案でした。何となればそうした装置の下に喇叭ラッパを鳴すという事は人力では到底不可能な仕事だからであります。

 ところが実験開始後約二十分を経過したと思わるる頃右の喇叭ラッパがブーブーと見事三声ほど鳴りました。しかも後で点検したところによると、貼紙はりがみには何の損傷も附いて居ませんでした。


 翌十一月一日の午後には霊媒中西女史の実験又其夜は有志家の坐談会で龜井氏も又私も相当にくたびれました。ただ時候が最上の秋日和であったお蔭でさしたる故障にも際会せず、翌くる二日の夕方には、無事にあづまの空に戻りついていました。(四、十一、二)


秋の関西行脚

底本;「心霊と人生」 第6巻12号

発行日; 1929(昭和4)年12月1日

発行所: 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を太字表記にそれぞれ置き換えました。

入力: いさお


雑誌「心霊と人生」より

   

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