軽井沢行

――空中演奏現象の封切り――

浅野 和三郎

 軽井沢の沓掛に別荘をって居る名古屋の黒川学士から、一つ同地のグリーン・ホテルで心霊の講演並に実験を行ってはもらわれまいか、との下相談を受けたのは七月の下旬でした。軽井沢ということが暑さに喘ぐ私達の気分を幾分かそそり気味で、それなら出掛けても良いということを返事してしまった。

 二三回手紙の往復を重ねて居るうちにとうとう日取りは八月十九日という事に決まり、ぎのような印刷物が黒川さんの手でホテル滞在者はもとより、軽井沢附近に暑を避けている数百の人達に配られました。

 右のビラに書いてあるところには何等の誇張も虚偽もないと思われますがう麗々と並べ立てられて見るとわれわれ当事者にはいささか肩が凝るように感じられないでもありませんでした。もっとも私の講演などはただ有りのままの事実と理論とを口から出まかせに述べるだけであるから、別段苦にもなりませんが、いつもうした場合に気骨の折れるのは実験です。

 それでも粕川さんの方は、幾分気が楽です。自分自身としても半信半疑で、自分のやるのは入神講演のホンの標本に過ぎない、何所までが憑霊現象で、何所までが潜在意識の発動か、その辺はさッぱり見当がつきません、と前置きして着手する仕事ですから、当人の責任はよほど軽い訳です。又入神講演というものの本来の性質から言っても真面目なる心霊実験の一項目たるには余りに散漫な嫌があり、欧米諸国でもこれは主として軽い意味に使われて居るようであります。

 そこへ行くと龜井三郎氏の物理的心霊実験はまことに真剣そのもの、緊張そのものであります。正確か、不正確か、成功か、失敗か、一か、ばちか、の結果は立どころに相場づけられます。しかも在来の経験からいうと、うまく行った場合には格別の事もないが、もしも何等かの源因げんいんから一度でも不成績に終ると、悪口、罵詈ばり、嘲笑、軽侮の鯨波を挙げられるのだからやり切れないのであります。ですから今度の軽井沢行なども、他目よそめには面白そうに思われるか知れませんが、当事者たるわれわれの身になって見るとドーしてドーしてそれどころの話ではありません。九十何度の炎暑を犯して幾度か往来を重ね、実験用の材料を蒐め、又八月十二日の晩などには折からの雷雨を犯して某所に会し暗闇の中で『空中演奏』の下実験を施行したりしたのでした。『これならず大丈夫………』そうはらをきめるまでには霊媒の龜井さんだッて、又龜井さんを預かる私だって掛値なしに躯が痩せ、たまには『飛んだことを引受けてしまった』と愚痴の一つや二つは口から漏らされたような次第です。

 およそ世の中で割りの悪いものの大関はあるいは心霊実験かも知れません。


 八月十八日の午後には私達はすでに沓掛の停車場に着いていました。秋草の咲き乱るる広々とした野原、みどりの松の生え茂れる高い、低い幾重かの山脈、その間にあちこちに点在する尖った屋根、白い窓、勾配のある道路を疾駆する自動車、薄い洋装の涼しげな少女達の姿……、矢張りここは山間の避暑地に相違ないナ、という感じを強烈に与えました。

 いささか意外であったのはグリーン・ホテルが停車場から頗る遠いことで、それは千ヶ瀧に近い、南面せる大丘陵の半腹に建てられて居ました。従ってホテルのヴェランダからの眺望はまことに素晴らしいものであったが、只講演の会場として人を集めるには少々超越気味が勝ちすぎはせぬかと感ぜられる位でした。

『一里もある山坂を登ってまで心霊問題につき当って見ようという意気込の方が多い日本国なら頼もしいが……。事によると、今度の催しは人員の上では失敗かも知れませんね。』『その代り、きッと粒選りの方ばかりが集りますよ。現時の日本国としてはむしろその方が望ましいかも知れませんよ。』

『そんなことは一切成り行きに任せるとして、兎に角ここの空気のひやりと澄み切っているのは有難い、日本の心霊党も夏期はこんな所で落付いて研究でもして見たいものだ……』

 兎に角私達はすこぶる良い気持になって、一浴して下界の汗を洗ったり、食卓で冷たいビールの杯を挙げたり、月の雫にしッとりとせる庭前をぶらついたり、黒川氏の別荘を訪ねたりして十二時近くなって寝床に退きました。


 会場は三階の食堂を臨時に形づけてそれに当てられました。開会は午後の二時半。

 聴衆は予想の通り頗る少数でしたが、しかし非常に真面目な方々ばかりの集りであったことは近来にない愉快なことでした。一々その姓名をききもしませんでしたが、私の旧同窓であった菊地法学士(駒次)徳富蘆花未亡人愛子氏、箱根土地の専務堤氏夫妻、名古屋の永田仙三郎氏等々の方々が目につきました。

 主催者黒川氏の挨拶につづいて、私が起って約一時間半ばかり日本国の精神的難局打開につきて一場の講話を試みました。つづいて例の粕川さんの入神講演トランスピーチがあり、最後に龜井さんの体験談『私は面白いからんな事をやって来たので、それが心霊科学上どんな理窟になるのか、自分にはさッぱり判りません。私はこの春科学画報に載せてあった浅野さんの欧米に於ける実験記事を読み、あれ位のことなら自分にもできるという自信がありましたので、浅野さんにお会いして私の実験をお目にかけたのでした。もちろんんな事は調子もの、気分の問題で、いつでも機械的に人のもとめに応じ得るという訳にはまいりません……』例の低い調子で作らず、てらわず、あっさりとやってのけましたので、心ある人達に多大の感動を与えたようでした。

 霊術家というと例の薬九層倍式の自家宣伝を行るものとほぼ相場がきまっている現在の日本においてたしかに一服の清涼剤たるを失わぬようであります。


 実験は午後八時からというので私達は昼のうちもうその準備に忙殺されました。厳密なる心霊実験を施行するに当り、何より肝要なのは完全な実験室の設備のあることで、電灯、窓帷まどかけ、扉等がうまい具合に出来ていないとときどき飛んだ故障に出会います。幸いグリーン・ホテルの二階の一室は点検の結果此等これらの点に関してほぼ遺憾なきを確かめ得たのは僥倖ぎょうこうというべきでした。室の広さは約十五六畳敷位の西洋間で、すッかり他の室と隔離され、小人数の実験には全く誂向きにできていました。

 その夜の実験の立会人は左記の人達でした。

荒川郁藏氏、堤夫人、徳富愛子氏、黒川耕作氏、同夫人、永田仙三郎氏、汲田平太郎氏

 これに私達を加えて合計十人、真面目な心霊実験にはまことに理想どおりの人員でした。

 私達はず三階の貴賓室に集まり、其所そこで私が今夜の、実験に関する簡単な心得をのべました。要点をあぐれば、

(一)実験の題目は『空中演奏』とあるが、それはつまり数種の楽器が人力以外の作用で空中に舞い上り、それぞれ声音を発する現象であること。

(二)楽器の或物には夜光性の塗料を施してあるからその所在が闇の中でもよく判ること。

(三)龜井氏の手足、及び胴体は立会人の手で充分遺憾なきように椅子に緊縛し、封印を施すべきこと。

(四)実験開始後は室の出入を厳禁すること。

(五)現象の発生を促進すべく蓄音器をかけること。

(六)実験中拍手、談話、唱歌、喝采等はむしろ歓迎すること。

等、等でした。貴賓室で待合せ中、今晩の景品として私は龜井さんに二回ほど透視の実験を求めましたが、むろんそれは見事に的中しました。かくて私達がぞろぞろ二階の実験室に繰り込んだのは正に午後九時でした。

 龜井氏の縛り方には黒川氏、永田氏等が主としてこれに当り、例によりて両手、胸部、両脚等を長い細引でくくり、結目には封印を施しました。なおその上に頑丈な一条の鉄鎖をその首に捲きつけて両端を鍵で止め、そしての鎖を椅子と結合せしめたのですから、人間の縛り方としては恐らく水も漏らさぬ厳重なものでした。

 龜井氏の前方約二尺の卓上にはいろいろの楽器類(自動車用の喇叭ラッパ、鈴、鳴物入りの玩具、警笛等)が置かれ、お別に備えつけたのは一個の懐中電灯――これは心霊作用で室内の各所でときどき発光せしむるめなのです。又野生の秋草及び松ぼッくり等も可なり多量に卓の一隅に積んで置きました。

これは守護霊にたのんで立会人達へのお土産として、それぞれ膝の上に配って貰おうという魂胆なのです。


 一切の準備を終えて消灯したのは九時二十三分。

 蓄音器係の粕川さんが一つの音譜をかけるとほとんど同時に、早くも敲音が頻発し、そして卓上に置いてある鳴物入りの玩具がずガチャガチャ音を立てつつ空中を舞い始めました。それには一面に夜光液が塗ってあるので闇の中でも極めて鮮明に青く光り、まるで遠い空で煙火が上っているような感じを与えました。

 これにつづいて自動車用の喇叭ラッパが室内の各方面を飛んでるいてぶーッぶーッとけたたましい音を立て始めた。この喇叭ラッパの口元にも夜光液が塗ってあるので、青い輪がキラリキラリとその所在地を示して居ります。

 ほとんど同時に他のいろいろの楽器もガチャガチャピューピューチリンチリンと活動を始めましたので、実験室内の賑かさと言ったら非常なものです。又懐中電灯が時々あちこちでピカピカ光る。

「イヤー素的だ! 素的だ!」

「見事見事!」

「パチパチパチパチ!」

 私達一同の喝采やら拍手やらもこれに加わり一層の景気をつけました。

 が、そうした声音の外にもわれわれは一つのいささか無気味な物音……丁度人間の足音らしいものの混っているのを感知せずには居られませんでした。

 燐光をたよりに闇の中をすかして見ると何やら三つ四つ、黒い人影らしい存在物が躍り狂っているらしいのです。が、それは有りと見れば有るが如く、無いと見れば無きが如く、足音らしい音響がはたしてそれ等から発して居るのかドーかは遂に突きとめることができませんでした。

 龜井さんの身辺からは軽いいびきがひッきりなしに響いて来る。

 うした現象が約二十六分にわたりてつづいた頃に一同の膝又はその前面に何やら落ちるものがある。

「アラッ! 私の膝に一本の草花が落ちました!――守護霊さん、どうも難有ありがとう………。」

「私の膝にも今何かが触ったようです。――んだこいつは松ぼっくりだ………。」

 闇の中で一としきりんな言葉がかわされる。

 そうするうちにだんだん楽器類の活動が鎮まり、これで今夜の現象が終ったのかと見て居ると、突然高い敲音に混りてドシン! ミシリ! バタリ! と言ったような大々的騒音が起り、それが二三分にわたりました人々は闇の中で皆眼を円くしました。中には恐らく顔の色を変えたものもあったでしょう。

 と、一切の声音が一時にバッタリ止んでしまい、針の落つる音でもききとれる位の静けさに返りました。「これで実験は終ったものと認めます」と私は闇の中に向って叫びました。「若しもそうであるなら合図として三遍敲音を立ててください。」

「パタ! パタ! パタ!」

と実験終了の合図が闇中から起りました。

 直ちに灯火を点けて見ると、卓上に置いてあった諸種の楽器、草花、松ぼっくり、懐中電灯等が床の上のあちこちに撒き散らされ、卓子そのものさえひッくりかえされて居りました。

 又龜井霊媒はと見ると、全身を括った細引縄、その首をしめた鉄鎖等から美事にけ出し、畳の上に昏睡状態で横臥して居ました。

 つまりその晩の実験は空中演奏という予定であったが、景物として縄抜けの現象まで実行されてしまったのでした。

 縄の結目につけた封印、鉄鎖にかけた錠前等が依然として原状を保持して居たことはいつもの通りで、今更ことわる必要もない位です。

 損害はほとんどなくただセルロイド製の玩具の柄が二寸ばかり折れていました。それを見ても振りまわし方の猛烈なことがよく察せられ、私のめにはよい記念物が一つ出来た訳です。


 沓掛滞在中突発的の神懸現象やら、又ゆくゆく大成すべき霊媒現象の萌芽やらが少しばかりありましたが、都合でその発表は後まわしにいたします。 (四、八、二六)


底本: 雑誌 「心霊と人生」  第6巻10号

発行日; 1929(昭和4)年10月1日

発行所: 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を太字表記にそれぞれ置き換えました。

入力: いさお


雑誌「心霊と人生」より

   

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