新樹さん

粕川章子 著

 新樹しんじゅさんというモダンな文学的な感じのする美しい名の持主がれであるかは、本誌の読者に向って事新しく説明の必要は恐らくあるまい。『新樹の通信』其他そのほかで二年この方、父君の筆を通じて仝君どうくんの名は仝人どうじんの間にあまりにも著名な今日である。

 先月号で『妙山さん』を槍玉にあげた自分は此度こたびは『新樹さん』に白羽の矢を立てた。そこで、浅野多慶子さんというと耳新らしいが、仝君どうくんの母君といえば今の浅野さんには神霊道研究のためには虎の巻にも等しい仝夫人どうふじんの事とすぐに合点が行く。母らしい妻らしい其上そのうえ斯道しどうのよき働人として多忙な仝夫人どうふじんの貴重な数時をねだってしまった。

 統一される前に『どうも御迷惑を御願い申して』と口丈は人間並に謙遜に及ぶ。

『いいえ、御安い御用ですが、浅野に何を云われるかと、何だか怖い様な気がいたします。それはそれはやかましい事を申すので……。』

 流石に重い責任を負う身には、愛妻であろうが愛子であろうが少しも容赦なく、試験地獄の憂身うきめを見せ、過重労働を強いる事になるものらしいと感心する。仝時どうじに奥様にも御仝情どうじょう申上げたが、其侭そのまま引下がっては素志の貫徹を欠くので、一切目先めさきの人間愛をヌキにする事にしてしまった。

 合掌瞑目数分の後、夫人の口が動いて『新樹です』と明快な歯切れのよい話振りで語り出された。思いなしか夫人の態度にも軽快な青年の面影がうかがわれた。

 それから父君の御紹介で私は新樹君と初対面の挨拶を交わした。君子や天才が浮世の生活を手早く切り上げてしまう実例は度々見もしききもしては居るものの、未だ口腹の慾望にすら到底満足には打勝てぬ卑俗な我身に比べて、独り世を離れて神の道に勤まれる此感服すべき青年に対し、敬服やら仝情どうじょうやらすこぶるコングラかったセンチメンタルな気分になりそうだったので、自分はつとめて他処行よそいきの気持ちを出して仝君どうくんの他界に於ける活動が現界にどんな好影響を与えて居るかなど、柄にも無い讃辞に自分の気分を紛らしてしまった。

『僕はこちらへ来てから未だ日も浅く、向上も遅く誠に残念、生前もう少し研究して置くのであったと後悔して居ります。』

 新樹君は頗る謙遜して居られた。しかし母君が時として自分の通信の内容に疑いを持たれる事は残念だが、実際自分も時折は通信に不徹底な点が生ずるのが困るとの事であった。

 聴くままを何の疑念なしに信じ得る人はよほど御めでたい人物とくなるほど、ややもすれば混乱し易い霊界通信、疑われる母君も道理であるし、思う通りに通信が出来ぬ時があるのも当然の事と、私は新樹君を慰めながらも今更に正確な顕幽けんゆう通信機の発明が遅いのをもどかしく感じた。ラジオの様にスウィッチを一寸廻せば幽界からあるいは霊界からと思いのままに通信がとれる。うした日は確かに来るに違いない。が、何年後の事であろう?。

 新樹君はこれまで度々たびたび父君の筆を通じてその生活状態を発表されているが、此頃このごろ私は『死者の漫談』で外国の霊生活の一端を紹介して居る関係上、此方面このほうめんから話を進めて行く事とした。

『どういう処に住んでいでですか? 矢張り家がありますか?』『僕は生前あまり建築に趣味を持たなかったので、家といっても極く粗末なバラック式のものですが、三ばかりの洋館に住んでいます。』

『御独りで御暮しと伺っていますが、御家の中でどんな事をなさるのですか?』

『本を読むとか、絵を描くとかです。もっとうした余裕はようやく此頃出来たのですが……。とにかく今までは浮世の執着をとる修行に一心不乱でしたから……。』

『御修行というのは?』

『静座して精神統一をする事です、そして一切を忘れて神に縋りただ向上を祈ります。これは僕がこの世界へ来て一番きに逢った指導役の御爺さんから云いきかされた事です。』

 死んでしまえば浮世の煩を逃れて、好きな道に精進する事も出来そうに思われるが、新樹さんは研究好きの父君の犠牲となって、種々の調査事項になり暇をとられるそうな。それでこの御用がすんで、躯が……否物質を超越した世界故ゆえむしろ心に暇が出来ると、精神統一の修業をされた結果今日では昔から好きな道の彩管さいかんに親しむ気持ちになれた訳なのである。新樹さんはこんな事なら生前からもっと研究しておくのだったと述懐して居られたが、生きて遠地に居られるより彼岸に居られるその方が斯道しどうの第一人者である父君の指導を受け易い事を感じては居られまいか。

 死の前後の体験とか、感想とか、その当時と現在との比較とか、霊が向上し行く経験とか、新樹さんに突き込んで御訊おききしたい問題は数々あったのだが、どうも私自身が未だ解脱し切れぬためか、死という問題に触れる事が何となく御気の毒に思われて、実質のありそうな質問はどうしても喉元にふさがってしまう。仕方なく極く卑近な雑談を交える事にしてしまった。

『好きな絵を御描きになる時に、紙とか筆とか絵具とかの入用品はどうして手に御入れになりますか。』

 首を心持ち傾けた後、新樹さんは答えられた。

な考えた途端に其処そこにありますよ。どういう訳か、何でも欲しいと思うと出て来ます。手廻りの道具でも、本でも……。』

 ず絵の問題から片を附けて行く事にした。

『それでは赤を塗ろうと思うと赤色が其処そこにあり、青で彩ろうと考えると又青色があるといった工合ぐあいですね?』

『そうです………。』

『それでは絵が出来てしまってから、残りの絵具や汚れた皿や筆等はどうなりますか?』

『そうですねな消えてしまうのでしょう、気にした事がありません。』

『じゃ御使いになる度毎に筆でも絵具でもみんな新品という事になりますね?』

 新樹さんはこの質問を肯定された。欲しいものが何時でも得られる、そしていつも申分のない新品とは………これが極楽境でなくて何であろう? 現世で不自由をめて居る人達の幸福感は此時このとき富者としてく人を断然リードする事疑いなしである。

 使い残りの不用品は消失しても、出来上った絵は其侭そのまま後に残るとの事、しかし気に入らぬ場合にはそれもまた煙の如く姿を消すとの話、家の中の廃物を整理する時間と努力はもう要らない世界なのだ。

 此度こたびは本について問答をする。

『本は読みたいと思う本が手に入ります。』

『どういう手続きで………?』

『これもただういう本が読みたいと思う途端に其処そこに出て来るのですが………。』

『本には矢張り文字がありますか?』

『さあ』と新樹さんが一寸考えて居られたので、父君が助太刀をされる。

『字を読もうと思うと字が見え、さもなければただ心で読むのではないか?』

其通そのとおりです。御父さん。』

 つまり『何という本を読みたい』と云うのではなく、新樹さんが『うした本は無いかしら?』と思うと注文通りの内容の本が提供されるので、本の名前等には全然無関係という訳だ。活字を見たいと思えば活字が頁面にあり、又字に無関心の時はどんな方法か残念ながらくわしい事は聴き損ねたが文字ヌキの観念のみで行く特種の本を所謂いわゆる霊読するものらしい。

 読書の達者な人が書物を通読する時には必ずしも一字一句に拘泥して居りはしない。一頁繰った途端に次頁の全体から受ける印象というか其紙面そのしめんに一ぱいに拡がった数百の活字全部がほとんど仝時どうじに眼底に映じ、一気にその頁面の語る処を会得してしまう場合が多い。れなどは観念ばかりで行く死後の世界での読む力にどっか似通った点は無いものであろうか。本は読みたいが、時間と金の無い事を嘆きつつある人はこの福音によって大に希望に燃ゆべしである。

 この時私は新樹さんが洋服を着て居られるという事を思い出したので

『あなたはいつも洋服を御めしだそうですが?』とうかがうと、

『そうです、一番着工合がいいものですから。』とっしゃる。

『それで、ワイシャツとか其他そのほかの下着もチャンと着て居られるのですか?』

『エエみんな揃えています。』

『誠に不躾な事を伺いますが、その御めしを換えられるとか、脱がれるとか、云い換えれば裸体におなりになる事はありませんか?』

『水に入って泳ぐ時等は着物はありませんから、矢張り脱ぐ事もあるのでしょうが、着るの脱ぐのという感じはありません。いつの間にか裸になり、いつの間にかチャンと着て居るのですから………垢なんてものは附かないのか御湯に入るという事もないので、いつも着たままです。』

 新樹さんが好きな水泳をされる話から思い附いたので、

『もう一つ遠慮のない処で伺いたいのですが、現在の御躯に内臓等はあると御感じになりますか?』

 躯といっても勿論それは水泳をするとか家の中で絵を描くとか、手とか足とかを使う場合に一時的に出来上ったかたちを指すもので、新樹さんが一の霊として活動され、静思される場合には特に形という観念を離れた存在である事を記憶しなければならぬ。新樹さんも此点このてんに一寸疑念をはさまれたかの如く見えたので父君共々質問の要点を説明したのであった。

 肉体的生活の執着から離れた仝君どうくんにこの質問は定めし御迷惑であったろう、一寸考えて居られた。私は重ねて、

『例えば心臓があれば鼓動がし、肺があれば呼吸をするという様な工合ぐあいです。』

『イヤ内臓はありませんよ。』

 私達生身のものでも全く健康な場合には五臓六腑の存在を意識しないのが通例である。ましてこんなものには用のない仮の躯の内部が若しガランドウであったとしても不思議はない筈だ。そうした躯はどんなに軽やかで心持ちのよい事であろう等と考えずには居られなかった。

 それからうした雑談の中に新樹さんの居られる世界には月も太陽も無いが、絶えずよい工合ぐあいに明るい事、雨や風は吹かぬ事、気候はいつも暑からず寒からず理想的だとの事、地面は現界と格段のちがいはなく花等は非常に豊富である事、そして一度めしに摘み取って花を水に挿して置いて見た処、いつ迄も生々として居たが、もう萎れる頃ではないかと思った時その花が急に生気を失ってしまった話などが出た。これ等は最近『死者の漫談』中に出て来た、外国の霊界通信にそっくり其侭そのままだと云える。新樹さんの身辺物語りは初耳ではないが、直接に其口そのくちから拝聴したのは此度こたびが初めてなのである。

 新樹さんの御話の中に少しも他の人の事が出て来ないので、どういう人々に逢われるかを御尋ねして見た。

『僕は祖父や祖母には時々逢いますが、どういうものか其他そのほかの人々にはあまりあいません。』

『御母様の御守護神さんは、よく御宅を御訪問なさる様ですが?』

『エエその方は見えますが………。』

 父君が此時このとき注文を出された。

『ジャ、今此処ここで近所に人が住んで居るか一つ偵察して御覧。御前の外に人がいない訳もなかろうから。』

 新樹さんはしばらく沈黙した後、

『見えましたよ、御父さん。日本造りの家があって其前そのまえに三十ばかりの男がボンヤリ立っていましたよ。黒っぽい着物を着ていました。』

『御前の家の近くか? それとも相当離れた処だろうか?』

『距離は僕には解りません。ただ眼に映るんですから………。其家そのは日本造りです、ガッチリしては居ますが、何だか僕にはこちらの世界の家はしっかりとして居る様に見えても、急にがらがらと毀れて来るのではないかという様な不安さが見えるので、中でユサユサと揺って見た事がありましたよ。しかんともありませんでした。ちっとも動きませんでしたよ。』

 書いて見ればすぐこれ丈の話しだが、実際に話を交していると可成かなりな時間がかかるもので、始めからもう一時間はとうに過ぎてしまっている。もうそろそろ新樹さんに御別おわかれをしなくてはと考えていると、

『僕は矢張り家の事が気にかかりますよ』とっしゃる。

 其時そのとき母君の閉ぢられた両眼から熱いしずくがポタリと落ちたのを見逃さなかった。自分の眼頭も何だかボーッと霞がかかって来たのであった。

 時計はもう夜の九時になろうとして居る。まだ多慶子夫人の霊眼を司配しはいされる古代のある女性の出御を期待した私は残念ながらこれで新樹さんとは御別おわかれをしなければならなかった。

 後から夫人の御話によると新樹さんが見つけられた三十男の姿はその心眼にアリアリと映じたとの事。その日本家屋もまたハッキリ見えたと云われて居った。


底本;「心霊と人生」 

発行: 心霊科学研究会


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※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

入力: いさお


雑誌「心霊と人生」より

 

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