関西心霊行脚

――龜井霊媒の離れ業――

浅野 和三郎

 いつも独りぼッちの私の関西の旅行に今度は珍らしくも一人の道連れがあった。しかも心霊行脚には誂向きの道連れなのですから私としては有卦うけに入らざるを得なかった次第です。

 その道連れというのは霊媒の龜井三郎さんでした。

『何にツ龜井三郎……、そんな名前の霊媒はまだ聞いたことがないが……。』

 性急な皆さんはすぐ不審の眉をひそめらるるでしょうが、まァしばらく待ってください。近い内に適当な準備を整え、適当な立会人を選定して、秩序的に実験の成績を世界の心霊学界に発表する段取にしますから……。それまでは只一人のすぐれたる物理的心霊現象の若い霊媒だと心得ていただきたいのです。


 私は、六月十九日の午前八時横浜停車場で龜井さんと行き逢いました。そして八時九分発の二三等急行を捕えて西に向いました。客車の内部なかいてもいないが、又混み合っても居らずはなした窓から涼しい風のまともに吹き込む初夏の旅心地は雑談にも、読書にも又仮寝うたたねにもわるくはないというべきでした。

『昨夜は二時頃まで興に乗って実験をしたものですから少し睡不足ねぶそくの気味ですよ。いくらか汽車の中で取りかえしたいものです。』

 龜井さんは持前のおちついた調子でこんな事をいいながら、若い血汐の通った、がッしりしたからだを坐席に横たえたりしました。私は私で、スートケースを坐席の肱掛に斜に立てかけて、臨時間に合わせの安楽椅子をこしらえ、それにもたれ読書を試みようとしました。が、二人連れの旅には矢張り談話はなしがはずみ勝ちで、どちらの予期も大部分はずれてしまいました。

 そろそろ汽車の旅にきが来た午後三時過ぎわれわれは名古屋に下車しました。出迎でむかえの水野さんに連れられて東外堀町のK学士邸に入り、一浴して煤煙と汗とを洗い落し、青葉をしてそそぎ入る涼風に旅の疲れをいやしましたが、七時からは龜井さんの実験が始まるというので、かねてK学士から通知してあった有志約八名ほど来会しました。数学者、教育者、宗教家、弁護士等多くは洋行がえりの中京粒選りの紳士ばかりで、第一回の心霊実験の立会者として申分のない人達でした。


 私が極めて簡単に実験に関する挨拶をしました。――

『皆さまに龜井三郎氏を御紹介致します。同君は本来文筆の人で職業霊媒ではありませんが、今から十余年前、同君がまだホンの少年の際から次第にこの方面の能力を発揮したのだそうです。んでも同君の実兄は薬剤士であったそうで、職業柄薬物療法と催眠療法との比較研究を試みた時、同君を引張り出して実験材料にした。それが動機を為したのだということです。私の観る所によれば龜井さんの能力は物理的心霊現象の作成に向いて居るようで、欧米諸国に現われるような諸現象は大部分同君によりて現われます。たとえば喇叭ラッパが空中に浮揚して行う所の直接対話現象、楽器其他そのほかが空中に浮揚しつつ演奏する現象、緊縛状態に於ける脱衣又は脱縄現象、幽霊の手首の出現、透視、読心等の諸現象をはじめ、従来世界の心霊学界に余り類例のない諸現象もしきりに起ります。中でも特筆すべきは灰写真――これは燃焼した手紙の灰から写真を撮る現象です。又あかるい卓子上にコップを置き、短時間の統一で見事にそのコップを透過せしめるような離れ業もある。其際そのさいコップにも卓子にもいささかの痕跡を止めないで、コップはポタリと卓下に落ちます。其他そのほかまだまだ沢山ありますが、私目身もその全部を実験するに至りません。来月頃から機会を見て、信用ある数人の識者の立会の下に一つ一つ実験の上、正確な記録を作製する予定で居ります。いうまでもなく心霊実験というものは生命懸いのちがけの神聖な仕事で、断じて観せ物式の軽率な取扱いはできません。立会人の人数もせいぜい十人まで、ず五人位が一番適当なところでしょう。――今晩の実験はホンの予備的のもので、言わば龜井さんを皆さまに御紹介するめの小手しらべに過ぎません。今晩の実験を見て、それがすべてだと思われることは大々的禁物です。すくなくとも今後両三年にわたりての厳密な連続的実験の成績にかんがみて最後の結論を下すようにお願いします。それではこれからボツボツ何か龜井さんにお願いすることに致しましょうか……。』


 龜井さんがその晩ず試みたのは透視の実験――これは闇中で自由に数字を差替えるように工夫した木製の小箱を透視したのですが、龜井さんとしてはむしろ鶏を割くに牛刀を用ゆる格で二回とも極めて無雑作に的中しました。龜井さんは笑いながら、

『これはむしろ透視能力の養成に使う道具で、極めて初歩のものですよ。しかし調子がわるいとこれでも十度が十度ともかならず的中するとは限りません。――さてこのぎには何を致しましょうか』

少し考えて『一つ細引ほそびきと椅子を出してください』

 そう言った声は極めて低く、極めて落付おちついては居たが、よく注意して観るとモー平生の本人とは違って、よほどの凄味が眉宇びうの間に漂っていました。

 間もなく二丈余の細引と椅子とがぎの十畳の間に持ち出され、予備海軍士官の某氏と高工の某教授とがもに手を下してず龜井さんの両手首をギリギリに緊縛し、それから首、胸部、腹部、両脚等を一つ一つに固い結目を作りて、椅子ぐるみしッかりと縛り上げました。掛値なしに全く身動きのできぬ状態です。無論縄の最末端には糊附きの紙片で封印を施しました。

 立会人一同の厳密な点検を経た上で、すべての電灯が同時に消されました。

 俄然として高い敲昔ラップ――丁度扇で膝を叩くような音響が龜井霊媒の身辺から連続的に起り、同時に椅子のきしめく音が、ギイギイとこれもほとんど続けざまに響きました。

 五分、七分、一同は片唾かたづを吞んで闇の裡に控えました。

 すッかり入神状態トランスに入ったとおぼしき龜井さんの口を使って何者かがしきりに号令をかけて居る様子です。

『引け引け……しっかり……それでよしよし……』

 音調が低く、早く、すッかりは聴きとれません。が、ドー考えてもる一人の指揮者が多くの補助霊に向って指図を与えつつあるものとしか思われませんでした。昨年私がロンドンの心霊大学で霊媒のルーイスを実験した場合にもほぼんな現象が起ったことを記憶して居ります。

 と、それまで聞えた敲音ラップも、きしめきも、号令も、一時にぱッたり止んだと思う瞬間、ドサリと龜井さんの躯が畳の上に倒れました。

 この種の実験は私としてもその晩が最初ですので、いささか躊躇ちゅうちょしましたが、やがて私は守護霊に向って呼びかけました。――

『実験は終ったでしょうな? 若し灯火をけてよいなら敲音を三度ほど立てて下さい!』

『パタ! パタ! パタ!』

たちまち三回の敲音が闇の中から聞えました。

 電灯を捻って見ると龜井さんが昏睡状態において畳の上に倒れて居るのが真先まっさきに目につきました。つづいて椅子を点検すると、縄の結び目も、封印も元のままそッくりそのまま残って居ることが判りました。

 極めてあざやかな縄脱なわぬけの現象だッたのです。

 消灯から点灯までの時間は正に十二分間でした。


 くる二十日の午後には平田院で中西女史の交霊実験があり、夜は夜で、同寺院の本堂で心霊講演会が催され、私と龜井さんとの講演がありました。そろそろ暑気の募りかけた時節にしては少々り沢山の気味で、お蔭で私どもはへとへとに疲れましたが、うした会合の世話人さんや聴衆さん達のくたびれ方は又一倍であったろうとむしろそれがお気の毒に感じられたことでした。

 翌二十一日の朝私達は疲れ気味の躯を更に汽車で大阪に運びました。先々月発会式を挙げた『大阪心霊科学協会』の方々が首を長くしてわれわれの来着を待って居られるからです。


 二十一日夜の露之天神社務所に於ける講演会は満場ハチ切れるほどの盛会でした。従ってからだがうだるほどの暑さでした。兎も角も結構な次第と言うべきでしょう。

 講演は例によって私の漫談じみた一席、その晩は主として龜井さんの霊能につきての講釈でつぶしてしまい、残りの時間にホンの申訳ばかり幽明交通の原理と言ったような事を喋りました。それから龜井さんの講演があり、つづいて某氏の読心術その他の実験講演があり、十時過ぎになって散会しました。

『そろそろ心霊問題に火の手が挙りかけましたネ。当然の事ながら結構なことです……』

『イヤ何事も時節でしょうナ。優れた霊媒が現われさえすれば下らない議論は自然起らなくなります……。』

 そう言った対話があちこちに聞えました。


 二十二日の晩にはわれわれの泊って居る曾根崎某旅館の奥座敷に約十人の紳士達が会合しました。これは午後八時からもよおさるる龜井さんの実験に立会うめで、中には万障裡に寸閑すんかを求めて来会された方々もありました。

 透視と脱縄の実験は名古屋に於ける時とほぼ同様ですからここには繰り返して述べません。ただこの日は右の二つの実験の外に器物吸上げの奇現象がありました。

 器物吸上すいあげの現象とは私が今回こしらえた新熟語ですが、右の器物は金盥かなだらいでも、皿でも、お盆でも、ブリキの缶でも、何でもかまいません。只その重量は、龜井さんの言葉によれば二貫目までが止まりのようです。龜井さんは拳固げんこをそれ等の器物の上に載せ、ちょっとその上に手巾ハンケチを掛けて光線を遮る丈のことをします。

 この日試みたのは宿屋から徴発した一枚の西洋皿の吸上げでした。ぐッと拳を皿に押しつけて念力を籠めること一二分にして皿はバタバタバタと、丁度イキの良い魚が俎上にはねるような格好になります。龜井さんが更にグッと総身に力をこめると、見よ皿は拳固に吸い附いたまま卓上約五寸の高さに達して一分間ほど其所そこに停止しました。

 私の数回の実験によれば、西洋皿の吸上げは一番困難らしく時間もかかり、高さも五寸位にしか達しませんが、金盥かなだらいだの、お盆だのになると、らく一尺位吸い上げられます。

 くる二十三日の晩にも龜井さんは別な人達の立会の下に実験を行われました。一体んな大がかりの実験を二日もつづけることは大禁物なのですが、滞在時日の関係から無理ヤリにやって貰ったような次第で、龜井さんにははなはだお気の毒でした。これを最初の最後にしたいものです。

 この晩の実験は大体前晩のと似ていましたが、ただ前晩にはからだ全体を縄の外に引き抜いたに反し、今回は躯は縛られたままで、着て居る繻絆じゅばんのみをすぽりと脱き去ったのが相違している点でした。これに要した時間は約七分でした。


 講演二回、実験三回、これ丈が今回の関西心霊行脚のプログラムだったので、翌二十四日は南海電車でちょっと堺の大浜に行って汐湯に汗をながし、夕刻には御影のU氏邸に入って青畳の上に転がり、いささか連日の疲労をいやしました。

 書けばまだ他にいろいろの話がありますが、暑さのみぎり長談議は書く者にも読む者にも大禁物と心得て、今回はこれで筆をきます。  (四、七、一、鶴見にて)


底本: 雑誌 「心霊と人生」   第6巻8号

発行: 心霊科学研究会 1929(昭和4)年8月1日

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

入力: いさお