‘幽界行脚(序説)’ カテゴリーのアーカイブ

22 幽界のヴァムパイア

2010/05/12

 一九一六年八月七日の幽界行にも、ワアド氏は故障なく叔父の家に到着し、同氏の発言でもう一度女の世界を見物する事になり、三人で又此前の公園へ出掛けました。

 途中で狭い町を通ると、とある家から二人の女と一人の男とが出て来ました。其中の一人の女がいきなりレックスの腕を捕えて慣れ慣れしげに、

『今日は……。ねーあなた一緒に散歩しませんか?』

 突然の襲撃に面喰ったレックスは、工合が悪そうに返辞をした。――

『未だあなたには一度も御目にかかった事はない様ですが……。』

『そんな事構うものですか。』彼女はカラカラ笑いながら、『直ぐに仲善しになれますよ。遠慮は損よ。一体貴方はいつ来たんですの?』

 レックスはワアド氏に向って、

 レックス。『いつでしたかね、兄さん。』

 ワアド。『三ヶ月半程前だと思うが。』

 レックス。『もっと長い様にも思えるが矢張りその位でしょうネ。』

 女。『方々見物したいでしょうネ、あなたは……。私はもう二十年も此所に住んでるから、何所も皆知ってますよ。さァいらっしゃい。』

 叔父さんは此時口を出しました。――

『レックス、もう遅いから帰ろうじゃないか。』

『貴方達二人は勝手になさいよ。私しゃ御国の役に立った人にいい事をしてあげたいのさ。ね、レックス中尉さん――あんたは知らないでも、こっちゃチャント御承知なのよ。』

 其女は嘲笑いをしながら、こんな憎まれ口をたたきました。

 叔父さんはレックスをグングン引立てながら『さァ行こう行こう』と此所を離れようとします。やむを得ずレックスは渋々叔父さんについて帰りました。

 家へ帰ると叔父さんは二人に其女の事を話しました。――

『あの女はナ、怖ろしいヴァムパイア連の一人じゃよ。彼奴等は人に憑依いてお話しにならぬ程放縦な生活をして居る悪魔の群でな、幽界へ来た人達を誘っては堕落して居る地上の人間の身体に憑依して腑の抜けた一時の淫楽を味うのじゃ。後からそのためどんなに苦しむかも知らずに居る、世にも憐れな奴等じゃ。あの女の幽体ももう大分稀薄になって居たが、あの様子では遠からず地獄へ落ちるのじゃろう。レックス、お前は先刻もう一人の女に連れられて行く男を見たろうが、若しも御前があんな風に誘われて行こうものなら、今頃は、もうグングンと堕落し始めて居る。ああ危ない処じゃった!』

 なお二三の会話の後、ワアド氏は地上に立帰りました。


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

 

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


3 本書の翻訳

2010/04/20

 私が本書の翻訳紹介を始めましたのは『死後の世界』の翻訳の直後、大正十五年の春のことで、当時私は大阪に客寓の身の上でした。間もなく『心霊科学研究会』が東京に引移ると共に私もこれに伴いて鶴見に移り住み、其所でしばらく翻訳の筆をつづけ、毎月一部分づつ『心霊と人生』誌上に発表して居ました。が、第二十回『地獄行の溜』を終った時に、私の筆はしばらく中絶することになりました。それは私がこの翻訳に飽きた為めではなく、他に緊急の仕事ができて、この翻訳の筆を執って居る遑がなくなった為めでした。私は常にその事が気にかかり『あれは早く完成せんと可かんが……』と思って居ました。何となれば本書の内容がいかにも充実して居り、之を日本の読書界に紹介することは非常に大切な仕事であると信じ切って居たからであります。

 私のこの遺憾は粕川章子女史によりて漸く除かれました。粕川氏は私の文体を精細に調査研究した上で、成るべく同様の措辞文脈を用い、第二十一回以下の翻訳を続けてくれました。これは誠に至難の業で、決して誰にもできる芸当ではないのですが、粕川氏はその豊富なる語学と,自由なる詞藻とを以てして、殆んど遺憾なくこの難事業を完成してくれました。尚お私としてもできる丈筆を加えて文体の一致融合を企てましたから、誰が御覧になっても木に竹を接いだような遺憾は先ずなかろうかと惑じます。今回本書が刊行されるにつき一言その次第を附記して大方の清鑑を仰ぐ次第であります。

     昭和五年秋十月                        .

鶴見の草堂にて      .       

浅野和三郎識


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


2 幽界居住者の序文

2010/04/19

 著者の亡弟レックス中尉は兄の手を借りて幽界から本書の序文を書いて居りますが、霊魂が書物の序文を書くということそれ自身が破天荒であるばかりでなく、その言辞が条理兼ね具わり、非常に面白いと思われますから、序でに之れを訳出して御覧に入れることに致します――

『世間の人はわれわれ戦死者を一時は認めます。よく死んでくれたと言ってくれます。が、それッきりわれわれのことを忘れ去ります。永くわれわれを悼み、われわれを記憶して、人知れず悲歎の涙に暮るるものはホンの少数の人に過ぎません。多くの人は皆各自の間に争闘をこれ事とし、地上の悩みがさきの世界大戦ではまだ足りないかの面持をして居ります。彼等はわれわれに「勇敢なる戦死者」という名称を与え、この文句をダシに使って自己の野心と意見とを押し売りする為めの材料に用います。

『が、われわれを悼むものも、又われわれを忘れ去る者も、何れも誤って居ります。われわれは正義と真理と自由とを生かすが為めに死にました。少くとも私は母国の自由の為めに死にました。死んで、そして生きて居ります。死後の生命は実にわれわれに与えられたる最大の報酬であります。地上の人がドー気張って見ても死後の生命丈はわれわれから奪うことは能きません。この新事実を発見したわれわれが後に残せる地上の人達に早く知らせたく熱望するのは何の不思議もありますまい。人を畏縮せしむるものは「死」ではありません。「死に対する恐怖」であります。死の恐怖を去れ、さすれば地上の生活は生き甲斐のあるものとなります。イヤ単にそれ丈に止まりません。地上の生活は他のそれぞれの世界に跨るところの無限の生命のただ一つの連鎖たるに過ぎません。

『われわれを悼む人達に向っては私は斯う申し上げたい――死はむしろわれわれの解放者であってわれわれの拘束者ではない。片々たる現世の労苦と悩みとより眼にもとまらぬ早業で切り離してくれるのは死で、われわれはこれに感謝の意を表して居るのであると。

『死後の世界を諸君の住める世界に比すれば、肌ざわりよき初夏の真昼と暗澹たる霜月の夜とを比較するが如きものであります。が、われわれの世界とても矢張りその前途に横われる未来の世界の影に過ぎません。若し私に何等かの恐怖がありとすれば、それは遠き未来に於てモ一度地上に引き戻され、人間の肉体に宿るべく命ぜらるることであります。あなた方は生死の別れのつらいことを仰ッしゃるでしょう。然り、別れはつらいに相違ない。けれどもあなた方のお児達とて遠く母国を後にして海外の何所かに移り住まるることがあるでしょう。あなた方は地上ならば手紙が届くが、死んだものは手紙をくれぬと仰ッしゃられるかも知れません。ところがわれわれは毎日手紙を送るどころかお訪ねもいたします。あなた方の所謂夢――われわれはその夢にあなた方を訪れるのです。あなた方さえお望みなら尚おいくらでもわれわれの通信を受取る方法があるでしょう。

『われわれはあなた方と違って自由の身の上ですから御歓びください。われわれの一番の暴君はモーほろびました。われわれを奴隷にするものは肉体です。われわれは最早パンの為めに汗水垂らしてイヤな仕事をする必要がなくなりました。何人もわれわれの仕事を奪ったり、又われわれに過重の仕事を負わせたりすることは能きません。われわれは空飛ぶ小鳥よりも自由です。何となれば、鳥でも日毎に食を求め、人を恐れてビクビクしているではありませんか。

『が、これ等の何れよりも難有いのは霊魂の最大仇敵たる、肉慾の煩いから免れ得たことです。地上の生活中の尤もよきものは残り、尤も悪きものは去り、そしてそのかわりに遥かにすぐれたる幾多の楽みが与えられて居ります。然らばあなた方がモ一度地上に戻れとわれわれに望まるるのはいささか利己的ではありませんか。あなた方は地上をさほどに結構な愉快なところと思召されますか。それほどそれが幸福に充ち、平和に充ちて居りますか。否、若し私に一人の憎い憎い人がありとすれば、その人が永久地上に住むことを祈るほど深き呪いはないのです。

『神がわれわれの地上生活を短縮してくだすったことは何よりの恩恵であります。われわれは地上の生活の取るに足らぬを知るにはあれだけの経験で沢山です。ですからわれわれの為めには少しも悼んでくださいますな。若し是非そうしたいと思召すなら、無事に兵火の巷をくぐりぬけ、母国に帰りてその高き理想の空しく破壊され、その青春の血汐の涸れ果てたことを発見して失望の淵に沈む人達の為めに哀悼の意を表して下さい。

『イヤ実際に私は幸福であります。又私達の中で一意向上の進路を辿るものは皆幸福であります。「恐怖の王」――死の通過と同時に一切の恐怖は消え失せ、われわれは安心して暮しています。われわれの前には金色の広い光の路が眼もはるかに拡がり、その両側にはすぐれて麗わしき不朽の花が咲き乱れ、そして一歩足を転ずる毎に前よりもはるかに美しき光景が展開して行きます。進めば進むだけ人生の暗い森が遠ざかり、やがて幾もなくして世上生活の記憶はただ一場の朦朧たる悪夢と消えて了うでしょう。勿論現在のわれわれの歓びは全きものではありません。理想は常に遠き未来に残されます。が、少しも恐るる所なくわれわれは前進をつづけ、時々足を停めて地上に向ってわれわれの通信を送るだけであります。いつでもお出でください。友として歓迎致します。地上に於て点火されたる愛はここでは一層明るく燃えますが、之れに反して憎みの念は次第に消え去ります。われわれは地上でわれわれの仕事を果しました。今はここで仕事をやりつつあります。何卒諸君は現在のわれわれをよく理解して、いつも地上に居った時の旧阿蒙であると考えてはくださいますな。何卒われわれの自由をお歓びください。そしていずれ再会の折までは、あなた方はあなた方の胸に宿る信仰の光の後を追って行ってください。その光は死の門があなた方の後に固く鎖された時にいよいよ赫灼たる光輝を放つでありましょう。』


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

 

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


1  本書の著者

2010/04/18

 本書の前篇『死後の世界』を読まれた方には、本書の著者ジエ・エス・エム・ワアド氏がいかなる霊能の所有者であるか、又本書がいかなる題目を取扱ったものであるか、等の事柄は大体お判りになって居られる筈ですから、すべて爰にはごく簡単に紹介して置きます。で、まだ御一読されない方は、是非この際『死後の世界』をも併せ読まるることを切望に堪えませぬ。『死後の世界』と『幽界行脚』とはたしかに近代心霊学界の双璧で、正確なる事実と同時に文学的の興味をも兼ね備え、世界中でやや立ち遅れの気味ある本邦の学徒を啓発すべき無比の好著としての価値が充分であります。

 一昨昭和三年秋ロンドン滞在中に私は二度ほどワアド氏と会談しました。氏は当時四十八歳の血気盛り、すらりとした痩ぎすの人物で、一見鋭い理性と優れた霊分の所有者であることが判りました。曾てビルマに居住したことがある丈東洋方面の事柄にはなかなか深き理解を有して居り、近頃はしきりに仏教や仙道の奥儀を究めつつあるようで、従ってその霊覚もずッと奥深く進んだ模様でした。『近頃研究して居ることはドーも人間界の文字に書き現わすことが困難で弱って居ます……。』しきりにそんな事を言って居ました。

 本書の原名は『サバルターン・イン・スピリット・ランド』と題してあります。ワアド氏がその独特の霊魂遊離能力を活用し、一九一六年四月欧州大戦で戦死を遂げたその実弟レックス中尉を幽界に訪問して蒐輯した材料を整理し、一巻の書物にしたものですから、その描く所微に入り、細に亘り、殆んど現実世界の探検記でも読むような感があります。この点本著者の独壇場で断然他の追随を許さぬ点であります。

 著者はその序文に斯くのべて居ります。――『大体に於て既成宗教は人類の口から発せらるる最も痛切な質疑――死後われわれは何所に行くか? という問に対して何等の解答を与えて居ない。われわれは暗黒より出でて暗黒に帰る。何所より来り、何所に行くか殆んど判らないというのが実際の事実であります。既成宗教にして人間の痛切なるこの質疑に応うることができない以上、宗教家以外のものがこの要望に当るより外致方がありますまい。われわれは既に科学的眼光を以て自然の秘密を発きました。これと同一筆法で死の最大秘密を発こうではありませんか。この仕事は既に着手されて居ります。日毎に真面目なる研究者の数は加わり、日毎に新らしき発見が現われつつあります。若し宗教者流がこの大事業に参加協力する事を拒むならば、遺憾ながら真理に目覚めたるわれわれのみで勇往邁進しようではありませんか。』以て本書の著者の熾んなる意気込みを窺うべきであります。


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)

浅野和三郎・粕川章子 共

 

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


2017年12月
« 11月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。