‘死後の世界’ カテゴリーのアーカイブ

27 守護の天使との邂逅 (上)

2010/04/08

 その時闇を通して強く明かに何やらきき慣れぬ不思議な音声がひびいて来た。それは何所やら喇叭を連想させるような一種の諧調を帯びたものであった。耳をすますと斯うきこえる。──

『わが児よ、余は汝が一歩一歩余に近づきつつあるをうれしく思うぞ。多くの歳月汝は余に遠ざかるべくつとめていた。されど余はしばしも汝を見棄てる事なく、何時か汝の心が再び神に向う日のあるべきをひたすらに祈っていた。──ただ余の姿を汝に見せるのはまだ早きに過ぎる。余の全身より迸り出る光明はあまりに強く、とても現在の汝の眼には耐えられそうにもない。』

『ああ天使さま!』と吾輩は叫んだ。『私が神の御前にまかり出ることが出来ないのは、神の御光の強過ぎる為めで厶いましょうか?』

『その通りじゃ。何人も直に神の御光の前に出ることは能きぬ。されど何事にも屈せず撓まず飽まで前進をつづけて行かねばならぬ。余の声をしるべに進め! 進むに連れて余の姿は次第に汝の眼に映るであろう。』

 そうする中に休憩所の天使の一人が室内に歩み入り、吾輩の手を取りて入口とは別の扉を開けて戸外に連れ出してくれた。ふと気がつくと、遥か遥か遠い所にささやかな一点の星のような光が見え、次ぎの声が其所から発するように感ぜられた。──

『余に従え! 導いてやるぞ。』

 吾輩は些しの疑惑もなしに闇の中をばとぼとぼとその光を目当に進んで行った。すると守護神──これは後で判ったのですが──は間断なく慰撫奨励の言葉をかけてくださった。路は嶮阻な絶壁のような所についていて、吾輩は何回躓き倒れ、何回足を踏み滑らしたか知れないが、それでも次第に上へ上へと登って行った。丁度路の半に達したと思われる所に、とある洞穴があってその中から一団の霊魂どもがあらわれて、吾輩めがけて突撃して来た。そいつ等は下方の壑間に吾輩を突き落そうとするのである。──が、忽然として救助の為めに近づいて来たのはかの道しるべの光であった。それを見ると襲いかかった悪霊どもは悲鳴を挙げて一目散に逃げ去った。

 最早心配なしと認めた時に吾輩の守護神はいつしか原の位置に帰って居られたが、その為めに吾輩もほッと一と息ついたのであった。何故かというに、吾輩の躯も敵ほどではなかったが、光に射られていくらか火傷をして居たのであるから………。

 その中に道はとある大きな瀑布の所へさしかかった。地上のそれとは異って、地獄の瀑布はインキのように真黒で、薄汚ないどろどろの泡沫が浮いている。そしてその附近の道はツルツル滑って事の外危険である。──が、何人かが人工的にそこいらに足場を附け、しかもひッきりなしに手入して居るらしい模様なのである。吾輩はその時まで成るべく口を噤んで居たが、とうとう思い切って守護神に訊ねて見た。──

『一たいここの道路を誰が普請するので厶いますか? 何うしてこんなに手がとどいているのでしょう?』

 すると守護神は遠方からこれに答えた。──

『それは地獄の中に休憩所を設けて居らるる天使達が義侠的にした仕事じゃ。ここの道路は地獄の第四部と第五部とをつなぐものでこれを完全に護るのが彼等の重大なる任務の一つじゃ。下の境涯に居る霊魂どもは隊伍を組んで、飽までもこの道路を壊しにかかって居るから油断などは少しもできない……』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


26 地獄の新聞紙

2010/04/07

 われわれ二人は連立って、成るべく目立たぬように市を通過した。折々のんだくれ連が酒亭から街路へ跳び出して来る。中には知らん顔をしているのもあるが、中には又一緒になって騒ごうと、しつくこく自分達を引ッ張るのもある。又たまには、われわれの周囲に輪を作って踊り狂うやつもある。一番手古摺ったのは四人連の乱暴者で、同伴の婦人をとつかまえて、厭がるのを無理に連れて行こうとしやがった。吾輩は後を追いかけて、忽ちその中の二人をなぐり倒してやると、他の二人はびッくりして女を放り出して逃げた。序に言って置くが吾輩の連れの女の名はエーダというのである。

 だんだん歩いて行くと、ある所では一群の盗人が一軒の家に押入ろうとして居た。又とある人ごみの市場を通ると、其所では一人の男がしきりに大道演説をやって居た。何を喋っているのかと思って足を停めて聞いて見れば、地獄から天国までの鉄道を施設するのでこれから会社を起す計画だというのであった。

 聴衆の多くは天国などがあってたまるものかと罵っていたが、それでも中には、多愛もなく其口車にのってこれに応募する連中も居た。

 ある所には又一つの新聞社があった。折から丁度朝刊が発行されたところなので、念の為めに一枚買い取って眼を通して見ると、先ず次ぎのような標題が目についた。──

△二人の宣教使の捕縛。──これは他の地方から入り込んだ間諜の動静を書いた記事で、平和の攪乱者としてきびしく弾劾してあった。

△地獄の新入者。──これは死んで地獄に送られた人々の名簿で、特に知名の人達につきてはその会見記事が掲載してあった。

△徳義の失敗。──これはエスモンドという作者の新作劇で、近頃大評判であるとの紹介記事。

 其外競馬だの、新会社の設立だの、駈落だのの記事が掲載されていた。

 いよいよ市を出脱けるとエーダは急に心細がり出した。

『まァ何んて寂びしいところでしょう!』彼女は戦慄して『わたし怖いわ! 戻りましょうよ。』

『莫迦な!』と吾輩が叫んだ。『こんな所で兜を脱ぐようなことでどうなります! 一緒にお出なさい。アレ彼所に光明が見えるじゃないか!』

 休憩所から漏れる一点の光明はいくらかエーダの元気を引き立てるべく見えた。

『ホンに何んてきれいな星でしょう! わたし死んでからただの一度も星を見た事がありませんワ。』

彼女は慄えながらいうのであった。『早くあすこまで行きましょうヨ。』

 われわれは一歩一歩にそれに近づいたが、やがてその光が烈しくなると彼女は又もためらい出した。

『アラ痛くてたまらないワ! 近寄れば近寄るほど痛くなるワ。』

『なんの下らない。これ位の我慢ができなくて何うなります! 吾輩などはまだまだ百層倍もつらい目に逢って来ている。あの光のお蔭で躯の塵埃が少しづつ除れて行のだ。難有い話だ……。』

 吾輩が一生懸命慰め励ましたので彼女もやっと気をとり直し、とうとう休憩所の入口まで辿りついた。

 その光の為めにわれわれは一時盲目になったが、しかし親切な天使達の手に握られて無事に室内に導かれた。

 それから彼女と引き離され、吾輩だけただ一人その建物の中で一番暗い室に入れられた。後で査べて見ると、この室の暗いのは窓が開け放たれ、其所から戸外の闇が海の浪のように、ドンドンそそぎ込むからであった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


25 出直し

2010/04/06

 一九一四年六月二十九日の夜、ワアド氏は地界から一気呵成に霊界に飛躍し、其所で叔父さんと陸軍士官とに逢いました。例によって陸軍士官は地獄めぐりの話のつづきをはじめました。──

 吾輩はあの休憩所で何をして暮らしていたか、余りはッきりした記憶がありません。何せ光が莫迦に強いので、其所に居た間殆んど盲人も同様でした。が、そのお蔭で幾らか心の安息を得た。地獄の他の建物と異って、あそこに入っていると妙に平和と希望とが胸に湧き出るのです。

 あそこでは又 、誰だか知りませんが、ひッきりなしに吾輩に向って心を慰めるような結構な談話をして力をつけてくれるものがあった。お蔭で、すさみ切った吾輩の精神も次第に落付いてくると同時に、何ともいえぬ気持のよい讃美歌──従来地獄できかされた調子はずれのガラクタ音とまるで種類のちがったホンモノの讃美歌が、吾輩の心の塵を洗い落してくれたのであった。

 最後に吾輩を案内してくれた天使が斯う言われるのであった。──

『あなたの身も心もモー大へん恢復しかけて来たから、モ一度下の邪淫境に立戻って仲間の一人を説得してこちらへ連れて来ねばなりません。そうすればあなたが前年突きはなした大事な大事な御方に逢われることになる………。』

 この逆戻りが規則であって見れば致方がない。吾輩は再びあの邪淫の市に降って行ったのであるが、お恥かしい話だが、こんなイヤに明るい休憩所に居るよりか、暗い邪淫境の方が当時の吾輩には余ッぽど気持よく感ぜられたのであった。

 が、あちらへ行っていざ自分の味方を一人見つけようとしてみると、その困難なのには今更ながら愕かされた。散々さがしまわった後で、やっと地獄の生活に厭気がさして来た一人の女にめぐり逢った。

『なぜあなたはこんな境涯から逃げ出そうとはなさらないのです?』と吾輩は彼女を口説きはじめた。『あなたの様子を見るにたしかにここの生活が厭になっている。ここにはただの一つも真の快楽というものがない。いずれも皆空虚な影法師である。いかに淫事に耽って見たところでそれで何物が得られます?──一時も早くこんな下らない境涯から脱出してもッと気のきいた所へ行こうではありませんか! 吾輩が案内役をつとめますから、あなたは後から跟いてお出でなさい。道連れがあったらそんなに心細いこともないでしょう。』

『でもネー、そんなことをして何の役に立ちますの? と彼女はなかなか吾輩の言葉に従おうとしない。『あなたも御存じのとおりここは地獄でしょう。地獄の虫は永久に死ぬることなく地獄の火は永久に消ゆることなしというじゃありませんか。無駄ですから止めましょうよ………。』

『地獄の火が消えようが消えまいがわれわれがここから脱け出されないという方はない……。』

『でもネー、わたしたちは永久に呪われた身の上じゃ厶いませんか。生きている時分にわたし達は死後の世界のあることを夢にも知らず、地獄のあることなどは尚更存じませんでしたワ。兎角浮世は太く短かく。そんなことばかり考えていましたワ。今になってはその間違がよく判りました。矢張り正しい道を踏んで居ればよかったと思われてなりません。死んですべてが消え失せて了うなら結構で厶います。が、なかなかそうじゃないのですもの………。矢張りお説教できかされたとおり、ちゃんと地獄がこのとおり立派にあって、其所へ自分が入れられているのですもの………。しかし何も彼もモー駄目です。今更死にたいだって死なれはしません。』

『イヤ地獄があることはそりャ事実に相違ないが』と吾輩躍起となって説いた。『坊さん達のいうように、それが決して永久なものでも何でもない。イヤ地獄そのものは永久に存在するかも知れないが、何人も永久その中に留まる必要はない。吾輩が何よりの証人です。今こそ吾輩斯んなところに来ているが、その以前には地獄のずッと低い境涯へ堕ちていたのです。一たん地獄の底まで降りたものが、爰まで登って来たのだから確かなものです。』

『マァそれなら地獄の中にも他にいろいろ変ったところがありますの? わたしそんなこと些っとも知らなかったワ。』

『ある段じゃないです。下にもあれば上にもある。これから大に上に登って行くのです。』

 彼女はじッと吾輩を見つめながら、

『ドーもあなたの仰ッしゃることは事実らしいワ。しかし随分不思議な話ね………』

『まァいいから一緒にお出でなさい。』

『お伴しましょうか。失策ったところで目さきのかわる丈が儲けものだワ。斯う毎日同一事ばかりくりかえしているのでは気が滅入ってしようがありャしない……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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24 新たなる救の綱 (下)

2010/04/05

 次第次第に右の光は強さを加え、自分達の足元がほのぼのと明るくなって来た。辿り行く道は甚だ狭いが、大へんによく人の足で踏みならされていた。

『誰が斯んなにこの道を踏みつけたのです?』

と吾輩が訊いた。

『これは地獄に堕ちている霊魂達を救い出すべく、あちこち往来する天使達が踏みつけたのじゃ。実は地上の暦で数えつくせぬ永の歳月、天使達は救済の為めにここまで降りて来ている。キリストの地上に現われるずッと以前から引きつづいての骨折じゃがナ………。』

『そうしますと死後の世界は耶蘇紀元の開ける前からこんな組織になっていたのでございますか?』

『そうじゃとも。が、その時分には地獄に堕ちる霊魂の数が現在よりも遥かに多数であった。大体に於て人間が死ぬる時に無智であればあるほど、その人の精神的方面が発達していない。精神的方面が発達していなければいないほどその人の幽界生活は永びき、そして兎角地獄に堕ち易い傾きがある。しかし人類発達の歴史に於て、智的方面の進歩が、ともすれは精神的方面の進歩を阻害するような場合も起らんではない。そんな際には早晩文化の頽廃を来す虞がある。

『例えばギリシア、ローマの文明がそれじゃった。あの時代には理性が勝ち過ぎて精神方面の発達がそれに伴わなかった。故にその頃の地獄には神を信ぜず、来世を信ぜざる人間の霊魂が充満していた。その古代文明が没落すると共に、一時文運の進歩は遅れたる観があった。が、しかし西欧の人士はその間に於て却って精神方面の発達を遂げることができた。事によると同様の災厄がモ一度人類を襲うべき必要に迫られて居るかも知れぬと思う。──が、神は飽までも慈悲の眼を垂れ玉い、又われわれとても霊界から新たなる心霊の光を人心の奥に植えつけるべくつとめ、あんな災厄の再び降らぬように力をつくしている。

『人類の初期、いわゆる原始時代にありては、殆んど一切の死者の霊魂の落ちつく先きは幽界と地獄とに限っていたものである。それは精神的に発達したものが少かった為めである。』

『それは少々不公平ではないでしょうか?』と吾輩が言葉を挿んだ。『無智なものが無智であるのは当然ではないでしょうか?』

『イヤ決して不公平ではない。それはただ大自然の法則の発露に過ぎない。一生の間ただ戦闘その他の残忍な仕事に従事していたものは、死後に於ても長い期間に亙りて同様の行動を執るにきまっている。死んでよほどの歳月を経過せねばなかなか翻然として昨非を悟るというところまで進み得るものではない。

『死後の霊魂に取りて最大の誘惑は憑依作用である。よくこの誘惑に堪え得たものは、恐らく幽界生活中に次第に心霊の発達を遂げ、やがて霊界に向って向上の進路を辿るであろう。ところが原始民族というものは兎角死後人体に憑依したがる傾向が甚だ強い。その当然の結果として地獄に堕落ちる。』

『そういたしますと、人間は生前の行為によりて審判かれるのですか? それとも又死後の行動によりて行先地を決められるのですか?』

『それは一概にも行かぬであろう。老齢に達してから死ぬものはその幽体が消耗しているので幽界生活を送るべき余裕がない。従って生前の罪によりて地獄の何所かへ送られる。青年時代若くは中年時代に死ぬるものは、之に反してその幽体がまだ消耗せずに居るのみならず、同時にその性格も充分発達し切って居らぬ。地上に出現して憑依現象を起すのは多くはこの種の霊魂で、つまりそうすることによりて生前為足りなかった自分の慾望を満足しようとするのである。憑依現象中でこの種のものが一ばん資質が宜くない。』

『イヤお蔭さまでよく判りました。』と吾輩が叫んだ。『私などは酒と色と、それから復讐心との為めに、生きている人間の躯によく憑依いたものですが、最後のヤツが一番罪が深く、そのお蔭で私は地獄のドン底まで堕されて了いました……。』

『全くその通りじゃ。──一たいある人間の生活状態と、死後そのものの犯し易い罪悪との間にはなかなか密接な関係がある。淫慾の熾んなものが死後に於て人体に憑依するのは、主にその淫慾の満足を求むる為めで、従ってそんな人物は最後に地獄の邪淫境に送られる。──おおいつの間にやらモー休憩所へついて居る……。』

 そう言われて見ると、成程われわれのすぐ面前には質素な、しかし岩畳な一つの建物があった。入口の扉はきわめて狭く、窓はただの一つも附いていない。ただ扉の上に小ッぽけな口が開いて居て、遠方からわれわれを導いてくれた光明はつまりそこから放射されていたのであった。

 天使がコツコツ扉をたたいて案内を求めると同時に内部から扉が開いて、それからパッと迸り出づる光の洪水! 天使は吾輩の手を執って引張り込んでくれたらしかったが、吾輩は眼がすっかり眩んで了っているので何が何やら周囲の状況が少しも判らなかった。ただ背後で扉の鎖まる音がドシンと響いた丈であった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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24 新たなる救の綱 (上)

2010/04/04

『私にはあなた様が真の天使であらせらるることがよく判ります。』と吾輩は言いかけた。『ついてはここから連れ出して戴けますまいか? モーモーうんざりです、こんな境涯は………。』

『真心からそう思うなら救ってあげぬではないが……。』

『もちろん真心からで厶います!』

『それならあなたは爰に跪いて神様に祈祷なさるがよかろう。祈祷の文句を忘れていると可けないからわたしが一緒についてあげる………。』

 吾輩はあたりを見まわすと、広場にはいつしか又沢山の人だかりなのでちょっときまりが悪かった。が、又思いかえして言わるるままに地に跪き、天使の後について祈祷をささげた。

 それがすむと天使は叫んだ。──

『それでよい。さァ一緒に出かけましょう。今後他から何と誘惑されても決してそれに惑わされては可けませんぞ。』

 われわれは急いで市を通過したが、途中で多少の妨害に逢わぬではなかった。われわれが街端に来た時である、二人の男が矢庭に前面に立ち塞って叫んだ。──

『コレコレ汝達は一たい何所へ逃げ出すつもりだ?』

『そなた方の知ったことではない。』と天使は凛々たる声で、

『そなたはそなた、こちらはこちら………。』

『ところがそうは行かない。』と先方が叫んだ。『それを査べるのが俺達の仕事だ。汝見たいな資質のよくないシロモノがちょいちょい俺達の仲間を誘拐して困るのだ。汝達の囈語然たる説教にはモーうんざりした。余計な世話を焼かないで、その男を俺達の手に渡してしまえ。そうしないと後悔することができるぞ。』

 吾輩の保護者は片手を高く頭上にさしあげて儼然として叫んだ。──

『邪魔すな! 汝呪われたる亡者ども!』

 すると二人は勢一ぱいの大声で叫び出した。──

間諜間諜だ! みんなここへ集まって来い!』

 またたくひまに群集が八方から馳せ集まって威嚇的の態度を執り出した。

 が、私の保護者はきッと身構して、片手をさし上げながら精神をこめて言い放った。──

『邪魔すな! 最高の神の御名に於て去れ!』

 そして何の恐るる気色もなくずかずか前進されるので吾輩もその後につづいた。群衆はなだれを打って後退った。口だけには強がり文句を並べているが、手出しをするものは一人もない。強烈なる意思の前には反抗う力は失せて了うものらしい。

 が、いよいよ大丈夫といささか気をゆるめた瞬間に、一人の女が群衆の中からイキナリ跳び出して来て、吾輩の首玉にしがみついた。見ればそいつは生前吾輩が堕落させた女で、飽まで吾輩を自分のものにする気らしいのである。さすがの吾輩もこれには大にヘコたれていると、天使が近づいて女の両腕をつかまえて首からもぎはなしてくれたので、女は悲鳴を学げて群衆の裡へと逃げ込んだ。

 入れ代って今度は最初の二人が吾輩の喉笛へとびついて来た。今度は吾輩も大に勇気を鼓して其奴達を地面に投げつけたが、起き上って又とびつく。持てあましているところへ、又も天使の助け船………。天使の方では先方の腕に軽くちょっと指で触れるだけであるが、触れられた個所がたちまち火傷見たいに腫れ上るのだから耐らない。キーキー叫んで逃げて了う。

 それッきり乱民どもは遠く逃げ去って近寄らなくなったので、われわれは無事にその場を通過した。間もなくさしかかったのはだだっぴろい田舎道………。尤も田舎道と云ったところで、木もなければ草もなく、花もなければ鳥も居ないガラン堂の小砂利原、ただ家がないのが田舎くさいという丈で、田舎らしい気分は少しもなき殺風景きわまる地方なのである。しばらく其処を辿って行くと、遥かのかなたに星の光のようなものが微かに見え出した。

 吾輩がびッくりして訊ねた。──

『ありャどなたか他の天使なので厶いますか?』

『そうではない。』と天使が答えた。『あれは救済の為めに地獄に往来する天使達の休憩所から漏るる光で、われわれは今彼所を指して行くのじゃ。しばらく彼所で休憩して力をつけて置けば、地獄の残る部分が楽に通過されるであろう。彼所が下の境涯と上の境涯との境目なのじゃ。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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23 愛慾の市 (下)

2010/04/03

 いうまでもなくこの境涯の主なる仕事は酒と女とであって、必らずしも残忍性を帯びてはしない。むろん稀には残忍な行為もまじる。色情の結果しばしば喧嘩などもしかねない。しかし余りに残酷な行為をやると、治安妨害者としてコリンス市から放逐されて憎悪の市へと送りとどけられる。無論一度や二度の突発的の喧嘩位では追放処分にならないが、それがだんだん常習性を帯びて来ると、快楽主義の市民は決してそれを黙過しなくなる。

 コリンス市で奨励されることは暴飲、暴食、利慾並に淫欲──就中淫慾はその中の花形で、ありとあらゆる形式の不倫行為が極度に奨励されるのである。

 コリンス市の女という女は皆売笑婦の類で、いかなる娯楽機関もその中心は皆女である。が、吾輩はここいらで黒幕を引くとしよう。言わずに置くところは想像してもらいたい。ただ一言ここにことわって置きたいことは、われわれが何をやっても頓と満足を得られぬことである。燃ゆるような慾望はありながら、それを満足すべき方法は絶対に無い。

 兎に角吾輩は一時コリンス市の風潮にすっかりかぶれて了った。それは幾らか恩人の忠告を忘れた故ではあるものの、主として吾輩に好きな下地があったからである。斯んな生活は甚だ下らないものには相違ないが、しかし地獄の底の方で体験した恐怖の後ではなかなか棄て難い趣があったのである。

 その後だんだん調査を遂げて見ると、地獄にはこのコリンス市の外にも愛慾専門の市は沢山あった。吾輩が実地探検した丈でも、パリ見たいな所、ロンドン見たいな所はたしかにあった。無論コリンスといい、又その他の市といい、愛慾のみが決してその全部ではない。いろいろのところがきれぎれになって地獄の他の部分、又は霊界のずッと上層に出現しているのである。

 しばらく彷徨いてから吾輩は口ンドンの一部らしい所へ迷い込んだ。其所には種々の盗人どもが巣を食っていて、お互に物品の窃みッくらをしていたが、不思議なことには隣人の物品を窃み取ることに成功すると、その物品は忽ち塵芥に化するのである。斯んなところを見るにつけても吾輩はしみじみこの空虚な世界が厭になって来た。ここでは何をやっても真の満足を得ることがなく、真の人生の目的らしいものはまるきり影も形もない。

 が、地獄の中で初めてこの境涯から教会らしいものの設備がある。その司会者というのは地上に居た時分に怪しげな一つの宗派を起した男で、最初の内はなかなか上手に愚民をたぶらかし、散々うまい露を吸ったものだか、やがてその陋劣な目的と邪淫の行為とが次第に世間にひろまりホンの少数の難有連を残してはさっぱり無勢力になったという経歴の男なのであった。

 死後この境涯に置かれてから、彼は生前と同一筆法を用い、コケ嚇しの詭弁や人騒がせの予言を以て人気取策を講じ、盗人、山師、泡沫会社の製造人、その他いろいろの無頼漢などを糾合することに成功した。それ等の中には吾輩の昔の知人なども混っていて大へん吾輩の来たことを歓迎してくれた。──イヤしかしその教会の説教と云ったら実に変挺なまがいもので、神を涜し、神を傷けるようなことばかり、そのくせ、説教者自身は故意にそうしようとするのではなく、自分ではせいぜい正しい事を述べるつもりであるのだが、行っている中にいつしか脱線するらしいのであった。その教会で歌っている讃美歌などときては実に猥褻きわまる俗謡に過ぎなかった。

 聞くにつけ、見るにつけ、吾輩はますますこの境涯に愛想をつかして了って、一時も早く斯んなところから逃げ出したくてしょうがなくなった。そうする中に、ある日吾輩がパリの広場を通行していると、沢山の群衆が一人の人物を取り囲んで熾んに悪罵嘲笑を浴せているのを見出した。よくよく見ると右の人物は躯から後光が射して、たしかに天使の一人に相違ない。で、吾輩は嘲り笑う群衆の中に混ってその説教に耳を傾けた。彼は熱心に神の恩沢を説き、かかる邪悪な、そして空虚な生活のつまらないこと、一時も早く悔いあらためて、この暗黒界を脱出し、光明の世界を求めねばならぬことを説明した。

 するとこの時群衆の中から呶鳴り出したものがあった。──

『莫迦なことを吐しやがれ、この嘘つき坊主奴ッ! 俺達は嘘つきの玄人だい。汝達にだまくらかされてたまるかい。汝が講釈をたたいているヤソ教では、一たん地獄に堕ちたものは永久に救われないと教えているじゃないか。今更悔い改めたところで間に合うものかい! 下らないことを吐しやがるな。』

 すると又他の一人が叫んだ。──

『汝はこの辺にいる他の坊主どもより看板が一まい上だ。汝の姿は天使見たいだが、こいつァ俺達からお賽銭をまきあげる魂胆に相違ない。ツイ先達も一人の奴が出て来やがって、金子を出しャ救いの綱がかかるなどとお坐なりを並べ、莫迦者から散々大金を絞りあげて置いて姿をくらましやがった。ヤイ汝達の手にはモー乗らないわい………。』

 この男の言っているところは事実には相違なかった。吾輩も実際そんな詐欺師に逢ったことがある。が、ニセ物とホン物との区別は吾輩には一と目見ればよく判った。ここにいるのは正真正銘の天使に相違ないので、吾輩は群衆の四散するのを待って早速その傍に歩み寄った。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


23 愛慾の市 (上)

2010/04/02

 吾輩は自分を救ってくれた恩人に分れて、思いきって愛慾の市の城門をくぐると、其所には一人の女が、薄気味わるい面相の門番をつかまえてふざけ散らしていた。その女もむろん碌な縹緻の所有者ではない。元はこれでも美しかったのかも知れないが、今では悪徳の皺が深く深く刻みこまれているので、一と目見てもぞッとするほどであった。

 それからしばらく市内を歩るいて見たが、頓と要領を得られないので、吾輩はギリシャ風の服装をしている一人の男に行き逢ったのを幸い、呼びとめて質問を開始した。──

『モシモシこれは何という市です?』

 彼はけげんな顔をして吾輩を見つめていたが、やがて答えた。──

『一体お前さんは何所から来なすッた? いかな野蛮人でもコリンスを知らないものがあろうかい! あの有名なコリンス湾も其所に見えてるじゃないか!』

 そう言って彼は薄汚ない溝池見たいなものを指すのであった。

 吾輩はこれをきいて呆れ返ってしまった。──

『君達はあんな溝見たいなものを風光明媚なコリンス湾と見立てて歓んでいるのかね? 冗談じゃない……。』

『そう云えばホンに些とさっぱりはしていないようだね、理窟はちっとも判らないが……。近頃は天気などもドーも何時もどんよりしている………。』

『オイオイいい加減に廃してくれ。ここは地獄だ。地獄だから斯んなに汚ならしい………。』

『出鱈目を言って呉ては困るよ。』と相手の男は吾輩の言葉を遮って叫んだ。『吾々が不老長壽の秘伝を発見したものだから神々がお腹立になって斯んなにこの市を汚なくしたのだ。お前さんは知るまいが、吾々は何時まで経っても死にッこなしだ。私などは何千年生きているのかとても勘定などは能きはしない。が、余んまり長命も考えもので、死ねるものなら死んで見たいような気にも時々はなるよ。いつもいつも同一事ばかりくり返していると面白味がさッぱりないからナ……。』

 吾輩は先刻恩人からきかされたことを想い出して、

『それほど厭なら何故ここから逃げ出さないのです? 吾輩と一緒にもッと気持のよい境涯へ行こうじゃないか?』

『ウフフフ。』と彼は笑い出した。『お前さんは余ほどの田舎者だネ。さもなけりャそんな莫迦気た考を起す筈がない。此所を出るが最後生命が亡くなる。世の中は矢張生命あっての物種だ。私だッて本当はまだ死にたくはない………。』

『でも君はモー夙くに死んでいるじゃないか! 一遍死ねば二度と死ぬる心配はない。』

『死んでいるものがドーして斯う生きていられるかい。莫迦莫迦しい! お前さんは狂人だネ。黙っていないと衆から石でも打ッつけられるぜ………。』 

 そう言って彼はプイと去んて了った。仕方がないから吾輩は独りで往来をぶらぶら歩るいて行ったが、この辺の建物の大半は朽廃して了って不潔をきわめ、元の面影なぞはさっぱり残っていない。生前吾輩もしばしば廃墟のようなものを目撃したことがあるが、地獄の廃墟は一種それと趣を異にせるところがあった。何所やら妙にむさくるしく、頽廃気分が濃厚で、雅趣風韻と云ったようなものが味塵もない。例えば場末の大名邸を改造して地獄宿か酩酒屋でも開業したと云った塩梅式なのである。

 吾輩が斯んな感想に耽っている間に、それまでガランとして人ッ子一人通らなかった街路が俄かに飲んだくれの浮かれ男女で一ぱいになって来た。そいつらがわッしょいわッしょい此方へ押し寄せて来て、いつの間にやら吾輩もその中にまきこまれて了った。

 オヤッと驚く間もなく、二人の女が左右から吾輩の首玉にしがみつくと、一人の男がいきなりコップをつきつけて葡萄酒らしいものをなみなみと注いで口元にもって来た。何にしろ斯んな御親切は当時の吾輩に取りて真に所謂空谷の跫音、久しい間ただつらい思い、苦しいことのやりつづけで、酒と女とには渇えきっている最中なのだから、むろん悪るい気持のしそうな筈がない。とうとう勧めらるるままに一ぱい振舞酒を飲んで了った。

 すると忽ち四辺にはどッと歓呼喝采の声が破裂した。──

『やァ飲んだ飲んだ! 仲間が一人殖えたぞ殖えたぞ!』

 飲んだ酒はむろん美くも何ともない。酢っぱいような、苦いような、随分変梃な味である。そして飲めば飲むほどますます渇を覚える。吾輩はヤケ糞になって矢鱈にそれを飲んだが、さっぱり陶然として酔った気持にはなれなかった。ただ酔ったつもりになってめちゃくちゃに騒ぎ散らすだけのことであった。それからつづいて起った莫迦莫迦しいその場の光景、これは到底お話しするがものはない。ただ想像に任せて置きます……。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


22 救いの曙光

2010/04/01

 この章の前半は一九一四年六月十三日に出た自動書記、又後半は同二十二日の夜の霊界訪問の記事であります。心の光と闇との深刻な意義がよくここに味われます。

 さて吾輩は病院でひどい目に逢わされてから、ますます斯んな境涯から早く脱け出したくてしょうがなくなった。乃で吾輩は磊石だらけの地面に跪いて一心不乱に祈祷をささげた。と、最後に救いの綱が漸くかかったが、しかしその手つづきは全然自分の予想とは異っていた。

 吾輩が最初認めたのは一点の光……。然り、それは正真正銘のまことの神の御光であった。あのイヤに赤黒い、毒々しい地獄の火とはまるきり種類の異った、白い、涼しい、冴えわたった天上の光なのであった。そのなつかしい光が次第次第に自分の方に近づいて来る……。

 不図気がついて見ると、それはただの光ではなく、一人の人の躯から放散される光明であることが判った。こりャきッと天使だ!──そう思うと同時に覚えず両手を前方につき出して、心からの祈祷をささげた。

 が、天使の姿が歩一歩自分に接近する毎に自分は激しい疼痛を感じて来た。清き光がキューッとばかり吾輩の魂の内部までつき透る……。とても痛くてたまらない。とうとう吾輩はわれを忘れて悲鳴を挙げた。──

『待………待ってください! 熱ッ! 熱ッ!』

 するとたちまち銀の喇叭の音に似た朗々たる言葉がひびいて来た。──

『汝の切なる願いを容れ、福音を伝えんために出て参ったものじゃ。すべての進歩には苦痛が伴う。汝とてもそのとおり、汝の魂をつつめる罪悪の汚れを焼き祓うための苦しみをのがるることはできぬ。地獄にとどまる時は永久の苦悩、之に反して天使の後に随う時は一時の苦悩、そして一歩一歩に向上の路を辿りて、やがては永遠の光の世界に出ぬけることができる………。』

『お伴をさせていただきます。』と吾輩はうれし涙に咽んだ。『近頃の私は痛い目には慣れッこになって居ります。何卒御導きください。私の身に及ぶかぎりの事は何なりともいたします………。』

『宜しい導いてつかわす。離れたままで余の後に跟いて来るがよい。光は闇を照らす。されど闇は光を包み得ない………。』

 吾輩は遠く離れて光の所有者の後に扈従した。途はだんだん爪先あがりになって、石だらけの山腹を上へ上へとのぼりつめると遂に一草一木の影もなき山頂に達した。山の彼方を見れば、其所には測茫たる一大沼沢が横わり、その中央部を横断して、ところどころとぎれ勝ちに細い細い一筋の路が見え隠れに延びている。四辺には濃霧が立ちこめ、ただ件の道路の上が多少晴れ上がっているばかり………。

 光の主はこの心許なき通路をば先きへ先きへと進んで行った。吾輩はその身辺から放射する光の痛さにたえかねて、ずっと後れて行くのであるが、しかしそのお蔭で足元だけははっきり照らされるのであった。

 と、俄かに闇の中から兇悪無惨な大怪物が朦朧と現われ出でた。『こいつは憎悪の化現だナ。』──吾輩は本能的にそう直感したのであるが、そいつがわれわれの通路を遮って叫んだ。──

『一度地獄の門をくぐったものが逃げ出すことは相成らぬ。元来た道へ引き返せッ! それをしないと沼の中へ投げ込むぞ!』

 けれども光の主は落付き払ってこれに答えた。──

『妨げすナ。汝はこの徽章が判らぬか!』

 そう言って片手に高く十字架をかかげた。すると悪魔はジリジリと後退って、とうとう道路から追い立てられ、沼の上をあちこちうろつきまわった。

 が、光の主が通り過ぎたと見ると、怪物はたちまち吾輩の方向に突進して来てわれわれ二人の連絡を断ち切った。

 恐怖のあまり吾輩は後ろを向いて逃げ出したが、光の主が引きかえして来たので、怪物は又もや沼の上へと遁げ去った。

 その時吾輩は初めて光の主から自分の手を握られたが、イヤその時の痛かったこと! まるで活きている火の凝塊見たいに感ぜられた。そのくせ後で査べて見ると、この光の主というのは霊界の上層からわざわざ地獄に降りて来て救済事業に従事している殊勝な人間の霊魂に過ぎないのであった。

 が、しばらく過ぎると吾輩の躯から邪悪分子が次第に燃えつくし、それと同時に痛みが少しづつ和らいで行った。

 とうとう無事に沼沢の境を通り過ぎ、とある一大都市の門前に出た。

『これがいわゆる愛慾の市じゃ』と吾輩の案内者が説明してくれた。『地獄に堕ちて愛慾の奴隷となっているものは悉くここに集まっている。金銭慾、飲食慾、性慾、そんなものがこの市で巾をきかせている。汝はこの都市を通過して一切の誘導に打ち勝たねばならぬ。若しそれに負けるが最後、汝は少くともしばしの間この境涯にとどまらねばならぬ。之に反して若しも首尾よく誘惑に打ち勝てばすらすらと上の境涯に昇り得る。但し上の境涯にのぼるにつけては、自分だけでは済まない。他に誰かを一人助け出すべき義務がある。──イヤ余はここで汝と分れる。憎悪の市から人を救うだけが余の任務なのじゃ……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


21 地獄の病院 (下)

2010/03/31

 この長物語をきいて吾輩はニニィに向って訊ねた。──

『君は、ジューの事をあんなひどい目に逢わせて気の毒には思わんかね?』

『気の毒? 何が気の毒なものですか! あれ位の事をしてやるのは当り前だワ。──しかし何んぼ何んでもこの解剖室に置かれるのは真平ですワ。』

 吾輩は今度は若い医者に向って言った。

『それにしてもあなたはこの女を苦しめて何が愉快なのです? そりャこの女は今は随分醜いことは醜い。犯した罪悪の為めにさっぱり標緻が駄目になっている。──しかしこれでも矢張り女です。個人として何にもあなたに損害を与えた訳ではないじゃありませんか。なぜこんなひどい目に逢わせるのです?』

『それでは』と医者が答えた。『この女の代りに君を解剖してあげるかナ。』

『吾輩は御免蒙る! それにしても君は解剖するのが愉快なのかね?』

『愉快なのかッって? 些っとも愉快じゃないさ。そりャ最初は他の苦しがるのを見ると一種の悪魔的快楽を感ぜぬではなかった。自分がつまらない時に他人をつまらなくしてやるのは何となく気が晴れるものでね……。しかし、しばらく行っているとそんな虚欺の楽みはだんだん厭になる。現在のわれわれは格別面白くも可笑しくもなく、ただ器械的に解剖をやっている。自分の手にかける犠牲者に対して可哀相だの、気の毒だのという観念は少しも起らない。われわれは死ぬるずッと以前から、そんなしゃれた感情を振り落して了っている。のみならず爰に居るもので憐憫に値するものは一人もない。何れも皆われわれ同様残忍性を帯びたものばかりだ。兎に角地獄という所は何をして見ても甚だ面白くない空虚な所だ。ここでは時間のつぶしようが全くない。イヤ時間そのものさえも無いのだから始末に行けない………。』

 そう言い了って、彼はプイとあちらを向いて、グザと解剖刀をば婦人の胸部に突き立てた。

 吾輩は覚えず顔をそむけてその室から出ようとすると、忽ち三四人の学者どもが吾輩を引ッつかまえた

『今逃げ出した奴のかわりに此奴で間にあわせて置こうじゃないか。』

 そう彼等の一人が叫ぶのである。

『冗談言っちゃ困る!』

 吾輩は呶鳴りながら生命がけで反抗して見たが、とうとう無理無体に解剖台の上に引摺りあげ、しっかりと紐で括しつけられて了った。それから解剖刀で躯の所々方々を抉りまわされたその痛さ! イヤとてもお話の限りでありません。

 が、そうされながらも吾輩は油断なく逃げ出すべき機会を狙いつめて居た。

 間もなくその機会が到来した。二人の医者の間に何かの事から喧嘩が開始された。天の与えと吾輩は台から跳び降り、一心不乱に神様に祈願しながら玄関さして駆け出した。

 一人二人は吾輩を引きとめにかかったが、こんな事件はここでは所中あり勝ちの事と見えて、多くは素知らぬ風を装おうて手出しをしない。とうとう吾輩は戸外へ駆け出し、それから又も荒涼たる原野を生命かぎり根かぎり逃げることになった。

 が、しばらくしても、別に追手のかかる模様も見えないので、やがて歩調をゆるめ、病院に於ける吾輩の経験を回想して見ることにした。

 吾輩が当時痛感したことの一つは、地獄の住民が甚しく共同性、団結性に欠けていることであった。しばしの間は仲よくしていても、それが決して永続しない。例えば吾輩の逃げ出した際などでも、若し医者達が、どこまでも一致して吾輩を捕えにかかったなら到底逃げ了せる望はないのである。ところが一たん逃げられると、そんなことはすっかり忘れて了って、やがて相互の間に喧嘩を始める。現に吾輩が病院に居る間にも一人の医者がその同僚からつかまえられて解剖台に載せられていた。

 ある一つの目的に向って義勇的に協同一致する観念の絶無なこと──これはたしかに地獄の特色の一つである。

 イヤ今日の話はこれで一段落として置きます。左様なら。──

 語り了って陸軍士官は室外に歩み出ましたので、ワアド氏も叔父さんに暇乞いをして地上の肉体に戻ることになったのでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


21 地獄の病院 (中)

2010/03/30

 『わたしの方では』と解剖台の女は言葉をつづけた。『むろんあのジューが所持金の殆んど全部を銀行に預けてあることをチャーンと承知して居ます。けど、もともと復讐をしてやりたいのがこっちの肚ですからガストンにはそうは言いません………。』

『ガストンて、君の情夫の名前かね?』

『当り前だワ。』と彼女は済ましたもので、『ガストンにはジューがどこかに金子を隠してあるように言いきかせてあります。「お前さん何を愚図愚図しているの! さッさと白状させておやんなさいよ!」そうわたしが言ってジューの眼の前で散々拳固を振りまわして見せてやりましたの。

『そうすると衆が寄ってたかって猿轡を外し、同時に一人の男が短刀をジューの喉元に突きつけました。

 「こらッ早く金子の所在地を白状しろ!」

とガストンがはげしく叫びます。

 「金子は残らず銀行に預けてあります。家にはホンの二百フランしかありません。下座敷の箪笥の一番上の抽出しに入って居ます……。」

とジューが本音を吐きます。

 「この嘘つき奴ッ! 家の何所かに二万五千フラン隠してあるくせに!」

とわたしが叫びます。

 「これこれ、お前はニニィじゃないか?」

とジューがびッくりする。

 「当り前さ。」とわたしが答える。「今夜はいつかの讐を取りに来たのだからね、愚図愚図言わないで早く金子を吐き出しておしまいよ。そうしないと後で後悔することができるよ。」

 「飛……飛んでもない奴に見込まれた………。」

『ジューの爺さん、何やらくどくど文句を並べかけたので、わたしはイキナリ、爪先で先方の顔をガリッとひッかいて、

 「済まなかったわネ」

と言ってやりましたの。痛がってジューがわめき立てようとしましたので、ガストンが早速又その口を猿轡で塞いぢまいました。

 「ドーも箆棒に隙つぶしをしちゃった。」とガストンが言いました。「その炭火をここへ持って来い!」

『仲間の数人とわたしとで爺さんをつかまえて、爺さんの素足を炭火の中に焚ると、他の二三人がしきりにそれを吹き起す。……間もなく炭火は紫の火焔を立ててポッポと燃え出して来ました。

『爺さん苦しまぎれに一生懸命躯を捩りましたが、もちろん声は出はしません。そうするとガストンが、

 「ここいらでモ一度吟味するかナ。」

と言いますから、両足を火の中から引ッ張り出してやりましたが、両足ともこんがりと狐色に焦げていましたワ。口から猿轡を脱して置いてガストンが叫びました。──

 「金子を出せ! 早くせんと宥さんぞ!」

 爺さん蚊の鳴くような声で、

 「金子が若しここに置いてあるならすぐに出します。金子さえあったら、こ……こんなひどい目にも逢わずに済んだであろうに………。勘………勘忍しておくれ………。」

『しかしガストンはそれをきいてますますむかッぱらを立て、手荒らく猿轡を爺さんにかませて置いて、

 「こいつの言うことは真実かしら……。」

とわたしに訊くのです。

 「嘘ですよ!」

とわたしが叫ぶ。

 「そンならモ一度火にくべろ!」

『再び火焙りの刑が始まりました。が、俄かに見張りの男が室内にかけ込んで来てけたたましく叫び立てる。──

 「早く早く! 警察から手がまわった!」

『さァ大変だというので、一人は扉を開けて逃げる。一人は窓から跳び出す。一人は雨を伝って降りる。──けどわたしはガストンの腕を押えて言いましたの。──

 「莫迦だねお前さんは! こんなものを生かして置くとすぐ犯人が判るじゃないの!」

 「全くだ!」

『そう言ってガストンは振りかえってジューの喉笛をただ一刀にひっきりました。

『わたし達はその場は首尾よく逃げのびましたが、それから間もなくガストンはある晩酔ったはずみにわたしのことをナイフで刺し殺したんです。それからだんだん順序を踏んで、御覧のとおり只今はこんなところでこんなひどい目に逢わされているので厶いますの………。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。