‘(上編)叔父さんの住む霊界’ カテゴリーのアーカイブ

28 霊界の動物 (上)

2010/02/14

 ワアド氏の霊界旅行はこの前後からますますはっきりしたものになり、途中の光景までもよく記憶に残るようになって来ました。六月一日の夜の霊夢などもその一つであります。

 同氏は先ず自分の寝て居る躯の上にまいあがる。天井を突きぬけて戸外に出たらしいのに依然として寝室が見える。

 その中室は漸く霧の裡に消え去って、自分は濛々たる雲霧の中を前へ前へと渦捲きつつ上る。道中はなかなか長い。──やがて霧の海がそれぞれの形を執り始める。最初は妙な恰好のものばかりで、あるものは城郭の如く、あるものは絶壁の如く、或は龍、或は魔、つづいて市街やら、尖塔やら、円屋根やらがニョキニョキ現われる。

 つづいてそれも亦消散し、濃霧の晴れあがると共に脚底には宏大なる山河が眼もはるかに現われる。最初眼に入ったのが峨々たる連山と不毛の昿野、そして其前方には際涯もない一面の黒い壁。

 ワアド氏の躯が右の黒壁から遠ざかると共に、山河の景色に柔か味が次第に加わって来て、森が見える、草原が見える。終に日頃おなじみの、あの夕陽につつまれた風光明媚の田園が見える。

 そこで精神を叔父の校舎にそそぐと共に、俄かに速度が加わって、殆んど一瞬の間にその身は早くも叔父さんの室に入って居たのでした。

 二人の間には間もなく例の問答が開始されました。──

 ワアド。『今日は動物のことに就いて伺いたいと存じます。一体鳥などは生前ただ餌をあさることを仕事にしていますが、霊界へ来てからは何をして居るのです? 仕事がなくて困るだろうと思いますが……。』

 叔父。『さァ大ていの動物は幽界に居る時にはしきりにまだ餌をあさって居る。が、しまいには少しづつ呆れてくるようじゃ。いくら食っても食ってもすべてが影見たいなもので甘しくも何ともない。又別に食う必要もない。この理窟が判って来ると大ていの動物は霊界の方へ移って来る。ただドーも肉食動物の方はいつまで経ってもこの道理がさっぱりのみ込めないようじゃ。そして永久に捕えることのできぬ兎や鹿の後を追いかけながら、いつまでもいつまでも幽界に居残る……。』

 ワアド。『人間の中にも捕えることのできない動物をつかまえようとする狩猟狂が居りはしませんか?』

 叔父。『そりャ居ります。しかしこいつもしまいには莫迦莫迦しくなって廃して了うらしい。尤も生前猟夫であったものは幽界へ来るとあべこべに動物から追いかけられる。』

 ワアド。『それは又どういう訳です?』

 叔父。『幽界で第一の武器は意志より外にない。動物を撃退するのにも意志の力で撃退するのじゃ。ところが猟夫などというものはただ武器にばかり依る癖がついている。鉄砲を持たない猟夫ほど動物と邂逅したときに意久地のないものはない。所があいにく幽界では猟夫は生前自分が殺した動物ときっと邂逅す仕掛けに出来上っている……。

『ところで霊界に来る動物じゃが、彼等が霊界に来るのはつまり食慾以外に何かの興味を有つようになった故じゃ。しかし永い間の癖は容易にぬけきれないもので、モリィなどもときどき骨が欲しくなるようじゃ。丁度私がときどき烟管がこいしくなるようなものでナ……。』

 そう言って居る中にもモリィは安楽椅子の下からとび出して来て、なつかしそうに尾を振りながら旧主人のところへ近づきました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


27 公園の道草

2010/02/13

 五月十八日の夜の霊夢の形式はいつもとはやや趣を異にし、ワアド氏は自分の肉体が寝台の中に熟睡して居るのをはっきり認めたのでした。そうする中に室はだんだん遠ざかりてもやもやなものになり、一時は何も彼も霧の海の中に鎖されて了いましたが、やがてその霧が次第次第に形態を為し、忽ち日頃見覚えのある霊界の山河がありありと眼前に展開しました。

 見よ其所には和かな夕陽の光につつまれた風光絶佳の田園が眼もはるかに広がって居るではないか。空中から降り立って、青草の敷きつめた崗の上から瞰下ろせば彼方の低地には叔父さんの住む市街が現われ、校舎の屋根も一つ一つに数えられる。ワアド氏はそちらを指して歩みを運びました。

 同氏の通過したのは見事な森の中で、周囲には小鳥が面白そうに囀って居ました。やがてかの立像やら彫刻物やらの建ち並べる公園に近づくと附近の花壇からはえも言われぬ芳香が鼻を打ちました。

 その附近には沢山の霊魂達がぞろぞろ往来して居ましたが、何れもワアド氏の姿を物珍らしそうに凝視するのでした。同氏の様子には何所やら異ったところがあったからでしょう。──と、二人の若者が足を停めてワアド氏に言葉をかけました。

『あなたさまは何誰です? 死んだお方で厶いますか? ドーも何所やら霊界のものとは勝手が異いますがね。──けれども若し死んで居ないとすればドーして斯んな所へお出でになったのです?』

『イヤ私はまた死んでは居ませんよ。』とワアド氏が答えました。『ただ何うしたことやら私は叔父が歿なってからちょいちょい霊界へ出掛けて来まして、いろんな事柄を見たり聞いたりして帰ることに致して居ります。』

『こいつァドーも奇妙だ!』とその中の一人が言いました。『私も生きて居る時にそんな芸当がやれるとよかった。』

 他の一人もつづいて、

『あなたは単に此所ばかりでなく、他の方面とも往来をなさるのですか?』

『イヤなかなかそうもまいりません。けれども他の方面に行って居る方でも、私の叔父が適当と思えば呼んで来て私に紹介してくれますので、お蔭様で地獄の状況だの、幽界の事情だのがちょいちょい判ってまいりました。』

『何んてあなたは間のいい方でしょう!』と最初言葉をかけた、身材の高い方のが申しました。『私達などは死んで居るくせに地獄の事などは一切無我夢中で暮して居ります。いくらか私達に判って居るのは幽界の事情ぐらいのものです。後生です、しばらくこの泉水のほとりに腰でもかけて、其方面の話をきかせてください。』

 たッての懇望もだし難く、ワアド氏は二人の側に腰をおろして陸軍士官からきかされた地獄の状況を物語ろうとして居りますと、突然彼方から叔父さんが大急ぎでやって来て、大分不興らしい顔容をしてワアド氏をたしなめました。──

『これこれお前は斯んなところで道草などを喰っていてくれては困るじゃないか! 陸軍士官も私もせっかくお前の来るのを待って居るのに……。』

 二人はかわるがわるワアド氏の為めに弁解し、道草を喰わしたのは自分達の過失であると散々詑びました。

『それはよく判って居ます』と叔父さんは答えました。『もちろんあなた方に格別悪意があった訳ではないにきまって居ますが、ただそれ等の事をききたいなら私の所へお出でなさるがよい。甥の任務は地上に生きて居る人達に当方の状況を知らせるのが目的で、何にも死んで霊界へ来て居るあなた方に説教する為めではありません。』

『御尤さまで………。イヤ何んとも飛んだ不調法をして相済みません。』

 二人は恐縮の態でさんざん謝りました。

 そのまま二人と分れてワアド氏は叔父さんに連れられて例の校舎に入って行きますと、果して其所には例の陸軍士官が氏の来るのを待ち受けて居りました。彼はワアド氏と固く握手しながら斯う言いました。──

『ワアドさん、ちとお気をつけなさらんと、霊界の方が面白くなって帰る気がしなくなりますぜ……。』

 それから陸軍士官は帰幽後の面白い実験譚のつづきを語り出したのでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


26 無理な注文

2010/02/12

 叔父さんの病院視察談が終った時に、ワアド氏は引きつづいて新らしい質問を発しました。

 ワアド、『人間は兎角疑ぐりぶかいもので、いくら死後の世界の噺などをしてやっても容易に信用してくれません。それには私が霊界で会見したPさん其他の身元証明書と云ったようなものを発表したらよかろうかと考えますが、御意見はいかがで厶ります?』

 叔父。『それはよほど考えものじゃと思うナ。中には発表して差支ないのもあるが、又発表しては可かんのもある。Pさんなどのは発表のできない方じゃ。いつまでも地上と接触を保って通信をつづけるということはPさんには寧ろ迷惑な話で、幾分か御当人の修行の邪魔になる。

『又Pさんは生前相当に名の売れている方じゃったから、若しあの方の通信を全部公表するとなると、世間には随分詮議立ての好きな口八釜家が多いから、試験の目的でお前のところへいろいろの問題を担ぎ込むものが沢山現われるに相違ない。その際若しPさんがそれ等の問題に答えることを承諾したとなるとそれこそ大変で、すぐその後からゾロゾロ他の質問者が現われる。そうなるとPさんは間断なく質問者に附きまわされ通しで、霊界に居るとはただ名ばかり、まるきり地上の俗務にかかり切りになって居らねばなるまい。地上の束縛から一時も早く脱却したいと希望して居るものが、あべこべに地上の人間に縛られてはとてもヤリ切れない。その時若しPさんが、モーこの上質問には応じないとでも言おうものなら、世間は直ちに詐術であったと囃し立てるに相違ない。──

「これ等の通信はP氏より発するものと自称される。しかし彼の生時に関する、これしきの簡単なる質問にも答え得ないところを見れば頗る眉唾物と言わねばなるまい……。」

 まァ大概こんなことを言われるものと覚悟してよかりそうじゃ。

『大体われわれ霊界の居住者にありては、主として霊界に関する通信を送ることが眼目で、それをしたからとて少しも進歩の妨害にはならない。ところが再び地上に逆戻りして、以前の地上生活の温習をやるというのは全くお門違いで、そんなことは到底正しい霊魂の承認し得る限りでない。世間の人々にこの事が判らんので甚だ困る。

『さすがにお前はよくわれわれを諒解し、又われわれを信用して、役にもたたぬ、下らぬ質問をかけるようなことはせぬ。お前は生前全く未知であった人達の霊魂と霊界で会合し、それ等の人達の口から直接その生死年月日やら生前の閲歴やらをきかされて居る上に、Aさんからは一家の私事に関するMさんへの伝言さえも依まれた。最初それは何のことやらお前にも判らぬことであったが、Mさんに逢ってその事を話して見ると初めて要領が得られ、確かにあれはAさんの霊魂に相違ないということが判然証明されたのである。こんな次第で、注文が無理でない限り私はPさんに依んで、いくらでも証明を与えるようにしてあげるが、ただあの方の経歴に関する一切を公表してくれとはドーしても依み難い。兎も角もその事はモ一度よく考えて、Kさんとも相談してからにして貰いたい。大体これで事情はよく判ったと思うが……。』

 ワアド、『よく判りましたが、ただドーも残念です。若しPさんがこれに賛成して、何んな質問に対しても徹底的に答えてくださるということになれば、それッきりで人々を悩ます人生の大問題──死後個性が存続するや否やということが立派に解決されて了いますのに……。』

 叔父。『イヤそんな必要は全くないと思う。頑冥不霊な人物は何をしてやっても到底駄目じゃ。けれども物の道理の判る人物には、死後の生命の存続を証明すべき材料がすでに十二分に送られて居る。私達の送った通信だけでも充分じゃ。中には多大の犠牲を払ってまでも、懐疑論者征服の為めに全力を挙げた篤志の霊魂さえもあった。霊界に居住するものの進歩を阻害することなどは頓とお構なしに、ひッきりなしに無理な注文ばかりするのは、人間の方でも些ときき判けが無さすぎるではなかろうか?

『イヤ実際のことをいうと、死後の生命の存続を信ずるものは世の中に案外多数なのじゃ。しかし信じない人間は何をして見せても──縦令屍骸の中から起き上って見せても矢張信じはせぬのじゃ。

『この問題はこれだけにして置いて、お前はモー帰らぬばならぬ。』

 次ぎの瞬間にワアド氏は全く意識を失って了いました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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25 霊界の病院 (下)

2010/02/11

『私達は更に第三室に入って見ると、一人の催眠術者が手術をやっている最中で、一人の男性患者に向ってしきりに按手法を施して居るところであった。

『術者は私達を見るとすぐに挨拶した。そして手術中の患者の病状を説明してくれたが、その患者は生前ひどい怪我をした記憶が容易に除れないのだということであった。尚お彼は附け加えた。──

「この患者に対して私はモー久しい間催眠術を施して居りますがなかなか捗々しくまいりません。しかしその中たしかに回復します。」

『其所を出て私達は今度は割合に小さな室に入って行ったが、内部には一人の婦人患者が寝椅子に横わって居た。同行の博士が説明した。──

「これは実に不思議な患者で、死後何時までも生前の記憶が強く残って居るのには驚き入ります。彼女は生前片輪で歩行が能ないものと固く思い込んで居たのです。機質的には何等の故障もないのに右の錯覚が強まると共にとうとう現在見るような跛者になりました。若しも彼女の病気が肉体的のものであったなら躯が失せると同時に病気も消失したでありましょうが、彼女の疾患は純然たる精神的のものでありましたので死んでからも依然として跛者のままに残って居るのです。大体彼女は生来一種の変態心理の所有者で、片輪者を見ると妙に快感を覚えたといいます。その癖その他の点では別に変ったところもなく、性質が兇悪であるというようなところもありません。斯んな患者はめったに私達の境涯へはまいりません。地獄へ行ったら多分この種の患者が多いことと存じます。」

「この患者には何んな手術を施すので厶いますか?」

「主として磁気療法並に暗示療法の二つであります。私達はもちろん肉体の欠陥が霊体に移るものでないことを極力説明してやります。大ていの霊魂はそれを会得しますが、ただこの婦人の精神は非常に曇って居るので容易にそれが呑み込めません。しかしいかに頑固な疾患でも霊界の手術を受ければやがて平癒します。手術よりも、その後で受けねばならぬ教育の方が遥に時間を要するように見受けられます。」

『私達はそれからいくつもいくつも室々を巡覧し、教授達の講義なども傍聴した。最後に私は同行の博士に訊いて見た。──

「ドーも地上の病院で見るように外科手術を行っているのを見掛けませんが、あんなものの必要はないのですか?」

「外科手術の必要はありません。霊界では最早あんな不器用な真似は致しません。勿論地上では多少その必要があります。肉体というものの性質上それは致し方がありません。ただドーも必要以上に外科手術を濫用する傾向があります。霊体となると余程微妙な方法を要し、矢鱈に切開したり、切断したりしても駄目です。地上の外科手術室に幾分か類似したものは地獄に行くと見られます。」

『病院の説明はざッとこの辺でとどめて置くことにしよう。詳しく述べると大変な時間がかかる。兎に角霊界の病院では宗教的の勤行がなかなか大切な役目を有って居ることを最後に附け加えて置くにとどめる。

『私は病院の境内で博士と袂を分ち、それからここへ戻って来たのじゃ……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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25 霊界の病院 (上)

2010/02/10

 これは一九一四年五月四日の夜に起った霊夢の記事で、霊界に於ける精神病患者の取扱方に就きてくわしく書いてあります。心霊療法でもやろうという人達の参考になりそうなところを紹介することに致します。

 叔父。『私は先刻霊界の精神病院の一つを見学して来たのじゃが……。』

 ワアド。『病院で厶います? 私は又霊界では病苦に悩むものはないものと思って居りましたが……』

 叔父。『そりャ病苦に悩むというようなことはない。しかし精神の曇っている患者は霊界にもある。それが手術を要するのじゃ。つまり霊界の病人は悉く精神病患者の一種であると思えばよいのじゃ。

『病院に私を案内していろいろ説明してくれたのは、地上に居った時代に精神病学の大家として有名な某博士であった。

『病院は大へん美しい環境に置かれ、一歩その境内に入るといかにも平和な、のんびりした空気が漂うて居た。私がその事を同行の博士にのべると、博士は斯う言うのじゃ。──

「全くそうです。閑静な、人の心を和ぐる環境は一切の精神病患者を取扱うに欠くべからざる第一の要件です。」

『病院を囲める庭園にはいくつもいくつも広い芝生が造られてあり、所々に森が出来て居る。そして何所へ行ってもさらさらと流るる水の音がかすかに聞え、樹々の隙間からは何時も消えざる夕陽の光に染められた水面がちょいちょいのぞく。沢山の患者達は森をくぐったり、芝生をそぞろあるいたり、又湖面にボートを浮べて遊んだりして居る。

『しばらく美事な並木道を進んで行くと、やがて病院の建物が見え出して来た。それは文芸復興期式の建物で、正面には外橡が設けてあり、周囲は悉く天鳶絨のような芝生と花壇とで囲まれて居た。芝生には沢山の噴水やらさまざまの彫像やらがあった。

「不図気がつくと其所には一人の婦人が低い床几に腰をおろして竪琴を弾いていた。男女の患者達はこの周囲に寝椅子を持って来て、それに横わりながら熱心に耳を傾けるのであった。

『やがて私達は建物の内部に歩み入った。此所には学校のような設備があって、患者の大部分はそれに出席せねばならぬ規定になっている。尚お他に音楽堂がある、劇場がある、各宗派附属の礼拝堂がある、美術展覧会場がある。

『同行の博士はいろいろ私に説明してくれた。──

「この病院の重もなる目的の一つは能るだけ患者の精神を他に転換させることであります。患者の大部分は非常に利己的で、少くとも自分中心の連中ばかり、大てい信仰上の事柄や過度の悲みなどから狂気になっています。彼等の性質の陰欝な個所を駆除するのには健全な、人の心を和ぐる性質の娯楽が一番です。又手術としては主として暗示と催眠術と動物磁気とを用います。一つその実地を御覧なさい。」

『私達はそれから治療室のようなところへ入って行ったが、其所では二人の医師が一人の婦人患者に向って熱心に磁気療法を施して居た。患者は灰白色の衣服をつけ、腰部を一条の帯で括って居たがそれがこの病院の患者達の正規の服装なのである。患者が寝台の上に横わって居ると、医者の一人はその背後に立って片手を軽くその前額に当て、他の一人は患者の脚下に立って、これは手を触れずに居る。何方も凝乎と患者の顔を見つめて全精神をこめて居るらしく、私達が入って行っても側目さえふらなかった。

『気をつけて見ると二人の医師の躯からは微かな一種の光線が迸り出で、それが患者の頭部に集中しているのであった。

『そこを出て他の一室に入って見ると、ここでは煩悶の為めにしきりにのたうちまわってい一人の男患者を一人の女子がヴァイオリンで慰めつつあった。私は同行の博士に言った。──

「ドーも病院の方が私達の所よりも男女の交際が自由のようですナ。」

「実際はそうでもありません。男と女との間には殆んど交際などはありませんが、ただ治療上双方から助け合うことが必要なのです。殊に磁気療法を行るのには術者と被術者とが異性である方が良好なる効果を奏することが、実験上確かめられたのです。」


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

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24 大学の組織

2010/02/09

 越えて四月二十七日の夜ワアド氏は再び叔父さんをその霊界の書斎に訪れました。

叔父。『今日は私自身の生活に就いてモ些しお前に説明して置きたいと思うが……。』

 ワアド。『是非お願いいたします。久しい間そちらの話を伺いませんでしたね。』

 叔父。『イヤ話は成るべく多数の人のをきいて置くに限る。たッた一人の千篇一律な物語を繰り返してきいたところで仕方がない。

『今日の私の話はこの大学の内部の組織に関することにしたいと思う。霊界では沢山の学科に分れて居って、いろいろの学会が設けられている。学問の種類は大体に於て四つに分れる。第一部は霊性の発達を研究する。第二部は不幸なものの救済法を研究する。第三部は地上生活中に興味を感じた問題に就きて新発見を成就しようとする。第四部は霊界で発見した新事実を人間界に伝えることの研究をやる。

『霊界にあるすべての学会のことを説明して居た日には時間がつぶれて仕方がないから、そんな話は後日に譲り、上に挙げた四種類の学科についてざッと説明し、その後ですべての代表として私の学校の実状でも述べるとしよう。

『霊性の発達の研究──これは私の現に行りつつあることであるから、一ばん後へして他の三種類の説明から始める。

『不幸なものの救済──これは地獄に堕ちて居る霊魂の救済法を研究するのと、地上の人類を正道に導くことの研究、との二種類に分れる。

『新発見の研究──その中に属するのは美術、建築、医療、音楽、その他に就きて科学的法則を究めんとするいろいろの学会である。私などは文芸復興期の建築学会に入っているが、これは文芸復興期の精神を尊重しながら之に新思想を取り入れんとする団体なのである。

『新事実を人間界に伝える研究──これは第三部の研究に伴う必然の仕事で、立派な発明が霊界で出来上ると、何人もそれを人間に普及してやりたくなる。尤も中にはすっかりこの仕事に懲りて了って一向冷淡な連中もないではない。霊界の方でも人間の指導に関しては随分苦い経験を嘗めさせられて居る。いかに優れた霊界の思想でも之を人間の心にうつして見ると、すっかり匂がぬけて了って、うっかりするとポンチ化することが少くない。更に呆れるのはその発明が有効に使われずに、まるきり飛んでもないことに悪用されることである。美術に関するものは大抵前者の運命を辿るものが多く、之に反して科学的機械的の発明は人間の方に印象を与え易いかわりに悪用される虞がある。

『斯んな次第で霊界にはその発明を絶対に人類に漏らすまいとする霊魂が居る。第三部の学会では斯んな規則を設けて居る。──「本会の会員はその発明を人類若くは第四部に属する学会に漏らすことを禁ず。」──随分八釜しい規則じゃろうがナ。

『しかしすべての学会が悉くそうではない。少しは其所に例外も設けてある。が、兎に角人類との交渉は第四部に属する学会の仕事に属し、諸種の医学会などというものは一ばん第四部に多い。』

 ワアド。『するとあなた方が人類に霊感を起させるには是非とも一の学会に入会する必要があるのですか? 個人としてそうすることが能きないのですか?』

 叔父。『能る事は能るが、しかし個人事業ではうまく行かない。小さくとも矢張り一の学会に属する方が便利じゃ。

『さてこれから少し私の入っている大学のことを話そう。幹部は学長が一人、学長の下に次長が一人、別に評議会があってそれを助ける。』

 ワアド。『大へんドーもフリィメーズン団の組織に似て居るようで厶いますナ。』

 叔父。『私はそんなことは知らないが、事によったらそうかも知れない。──さて学生であるが、それは三部に分れる。第一部が済むと第二部に上り、第二部が済むと第三部に進級する。すべて霊能の高下によりてきめられる。

『評議員会はこの第三部から選抜したもので組織される。更にいろいろの役員が、評議員の中から学長によりて選抜される。』

 ワアド。『ますますドーもフリィメーズン団そッくりで厶います。三部に分れるところなどは余程不思議です。』

 叔父。『そうかも知れない。フリィメーズンの組織なども恐らく霊界から出たものであろうが、これは極めて自然的な施設で、地上の大学でも第一年、二年、三年と分れ、別に研究生を置いてあるではないか。』

 ワアド。『あなた方にも矢張り試験のようなものが厶いますか?』

 叔父。『試験はありません。受持の教授がこれでよいと認めると上級へ昇してくれるのじゃ。進級するときはいくらか儀式のようなものがある。学級の区別はもちろん霊界の他の区別とは別問題じゃ。第三年級に昇ったとて半信仰のものは依然として半信仰の境に居る。』

 ワアド。『あなたは何学級に居られます?』

 叔父。『私かい? 私はまだ最下級じゃよ。しかしすぐ次ぎの級へ進むと思う。──それはそうとお前はモー帰らねばならない。』

 ワアド。『モー帰るのですか? 私はホンの短時間しか爰に居りませんが……。』

 叔父。『それでも帰るのじゃ。』

 ワアド氏は何やら旋風にでもまき込まれたように大空に吹きあげられ、四顧暗澹たる中をグルグル大きな円を描きつつ廻転したように覚えたのでしたが、その渦巻がだんだん小さくなるに従って次第に知覚を失って了いました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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23 霊界からの伝言

2010/02/08

 叔父の言葉が杜絶たときにワアド氏は訊ねました。──

『叔父さん、この次ぎには何所へお連れくださいます?』

 叔父。『私の書斎へ連れて行ってお前をAさんに紹介しようと思うのじゃ。何んでもAさんはお前の躯を借りてMさんに通信したいことがあるというのじゃ。それが済むと今度は例の陸軍士官の話をきかねばならない。いよいよ地獄の実地経験譚をするそうナ……。』

 ワアド。『しかし叔父さん、私は霊界へ来て随分永居をしたようです。そろそろ自分の躯へ戻らないとカアリィが眼を覚まして私の気絶して居るところを見つけでもしますと大変です。』

 叔父。『ナニそんな心配は一切無用じゃ。お前は長時間霊界へ来て居るように考えているかも知れないが、地上の時間と霊界の時間との間には何等実際の関係はない。地上の時間にすれば、お前が躯を脱けてからまだやっと三十分間にしかならない。ゆっくり間に合うようにかえしてあげるから安心して居るが可い。』

 二人は大学の門を出ると右に折れ、とある拱をくぐって階段を登って行きました。それから一つの室に入りましたが、それは普通の大学の校舎によく見るのと同じようなもので、ただ暖炉の設備のないだけが異っていました。

 ワアド。『妙なことを伺いますが、あなた方も矢張り室の掃除などをなさいますか。若しするなら下僕が居ないとお困りで厶いましょう。』

 叔父。『霊界には塵芥もなければ又人工的の暖房装置もない。縦令寒いと思うことがあっても暖炉は使われない。それは霊界の寒暖が無論精神的のものであって物質的のものではないからじゃ。従ってここには下男の必要はない。掃除をすべき塵芥もなければ、調理すべき食物もない。お負けにわれわれは眠りもしない。一切の雑務雑用はわれわれの肉体と共に皆消滅して了っとる。──オオAさんがお出でじゃ。お前に紹介してあげる。』

 ワアド氏は極めてちっぱけな少年が入って来たのを見てびッくりしました。但しその肩には成人の頭だけがのッかって居るのです。尤も一寸法師のように頭部だけ不釣合に大きいのではなく、ただ髭が生えたり、ませた顔容をしたりして居るのでした。顔は赤味がかった丸顔で、鼻は末端の所が少々厚ぼッたく、頭髪は茶褐色を帯び、躯は不恰好なほどでもないが余程肥満して居る方でした。

 ワアド氏は初対面ではあるが、かねて叔父を通じてこの人の風評をきいて居たので、双方心置きなく話し込みました。

『実は』とAさんが言いました。『少々Mに伝言したいことがありますので、是非あなたにお目にかかりたいとLさんまで申入れて置いたのですが……』

『イヤお易い御用で』とワアド氏も愛想よく『私にできることなら何んなことでも致します。それはそうと一つ霊界に於けるあなたの御近況を伺おうでは厶いませんか?』

『ぼつぼつ行って居ますが何うも進歩が遅いので弱って居ます。御承知の通り生前私は精神的方面のことをそッちのけにして、物質的の享楽にばかり一生懸命耽って居たものです。それからいろいろの婦人関係──あんな事もあまり効益にもなっていませんでしたね。』

 斯んな軽口をたたいた後でAはワアド氏にある一の秘密の要件を依んだのですが、むろんそれは徳義上内容を発表することは能きません。用談が済むとAは直ちに二人に分れを告げて辞し去りました。

 Aの姿が消えると同時にワアド氏は叔父さんに向って言いました。──

『Aさんは顔だけ成人で躯はまるで小供で厶いますね。これは精神的方面を全然閑却して居た故でしょう。』

 叔父。『そうじゃ。──既にお前に説明してきかせてあるとおりわれわれの霊体は次第次第に発達するものじゃ。若しそれを地上生活中に発達させて置かないと霊界へ来てから発達させねばならない。』

 ワアド。『そうしますと、私は霊界へ来る時には矢張り私は霊体で来るのでしょうか?』

 叔父。『むろんそうじゃ。』

 ワアド。『そうしますと私の大さは何んなもので厶います? 非常に小さいのですか?』

 叔父。『イヤなかなか発達して居るよ。すッかり成人びて丁年ぐらいの大さになって居るよ。先ずそこいらが丁度いい所じゃろうナ。概して霊体の発達は肉体の発達よりも遅いもので、ドーかするとまるきり発達せぬのもあるナ。──オー陸軍士官が見えた。舞台が変って今度は地獄の物語じゃ……。』

 この陸軍士官の物語は別に纒めて発表されて居ります。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


22 音楽と戯曲 (下)

2010/02/07

 ワアド。『甚だつかぬことを伺うようですが、霊界で芝居をする時に女形は何うなさいます? 私はまだこちらでただの一人も婦人を見かけませんが……。』

 叔父。『婦人かい? 婦人などは沢山居る……。』

 そう言って叔父さんはワアド氏を一室に導きましたが、成程其所には沢山の婦人達が居てしきりに合唱の稽古をして居ました。唄い方はいかにも上手で、しかも何れも高尚優雅な美人ばかり揃っていましたが、いかなる理由か叔父さんはワアド氏を急き立てて川縁の公園のような所へ連れ出して了いました。

 叔父。『あの通り霊界にも婦人は沢山居る。しかしわれわれの境涯では男女の交際は余り許されていない。ごく最初の間などは男と女とは殆んど全く隔離されて居る。地上で有って居た性の観念──能るだけ早くそれを除き去るのが望ましいのじゃ。地上にありては性交は正しくあり又必要でもある。しかし霊界では最早全然その必要がない。一心同体はここでは禁物じゃ。さもないと精神的進歩が肉感的慾情の為めに煩わされることになる。──が、いよいよ地の匂いのする情慾が跡方もなく除き去られた暁には、男女の霊魂は再び引き寄せらるることになる。陰陽の和合は宇宙の原則である。但し地上で肉体を以てしたことが、霊界に於ては精神的のものに変って来る。われわれが向上すればするほど両性はますます接近する。そして窮極に於て一人の男子と一人の女子との間に一の神秘なる魂の結合が成立する。それが真の精神的結合で、地上の結婚はつまりその象徴である。二つの魂の完全なる融合──一方が他方の一部となってしかもその個性を失わぬ理想の完成、これはまだ私にさえすっかりは判らないからお前には尚更そうであろう。しかし地上の結婚中の一ばん優秀なものから推定すれば大概見当がつくであろう。

『右の霊的結婚と云ったようなものは、われわれよりもずっとずっと上の境涯に於て起るので、恐らくそれは第五界……、事によるとそれよりもッと上の界の事かも知れない。少くともわれわれの住む第六界に起らないことだけは確かである。兎も角もわれわれは進むに連れてだんだん共同生活を営むことになる。最初は同性のものとの共同生活にとどまるが、やがて異性のものとの共同生活となって来る。又われわれが精神的に結婚するのは必らずしも地上で結婚したものに限るということはない。われわれはわれわれの不足を補充する真の他の半分の魂と結婚するのである。』

 ワアド。『だんだん伺って見ると霊界の生活は大へん地上の生活と類似して居るようで厶いますナ。』

 叔父『似て居ってしかも異って居る。大体地上生活中の最理想的な部類に近い。ここには疾病もなければ罪悪もない。災厄もなければ苦痛もない。それ等は皆地獄の入口に振り落して了ってある。霊界に残って居るのは過去の罪悪に対する悔みの念、悲みの念である。しかし地上で言うような罪悪はモーここへは入らない。

『われわれにも知識の不足はある。従って完全なる満足、完全なる安息はとても急に見出すことは能きない。われわれにはまだ進歩の余地が多い。しかしながら故意に神意に反抗せんとするが如き念慮はモー跡方もなく消え失せている。

『醜きもの、悪しきもの、卑しきもの、正しからぬもの──それ等は霊界には生存を許されない。従っていかにすぐれた娯楽でも、罪悪の基礎の上に築かれたものは全くここに見出すことができない。同時に物質的娯楽も、物質的肉体のないわれわれには行りたいにも行りようがない……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


22 音楽と戯曲 (上)

2010/02/06

『さてこの次ぎは音楽学校に連れて行くことにしようかナ。』

 叔父さんはそう言ってワアド氏をそちらの方面に案内して行きました。

 其所には作曲に耽るもの、弾奏を試みるもの、唱歌を学ぶもの……。皆熱心な音楽家が集まって居て、大音楽堂らしいものも出来て居ました。

 ワアド。『音楽堂が設けてある位なら、他の演芸機関ももちろん設けてあるでしょうナ?』

 叔父。『そりャあるとも! 霊界には劇場でも何でもある。──が、ここでは悪徳謳歌の嫌あるものは演らないことにしてある。そんなものは皆地獄の方へもって行って了う。霊界の芝居は地上で出来た尤も優れ、尤も高尚な作品と、それから特にこちらで出来た傑作とを演るだけで、少し下らない作物であると、縦令それが品質の悪いものでなくとも地獄のどこかへ持って行って了う。──と言って無論私たちのいる境涯にも最上等の霊的神品というほどのものはない。そんなのは高尚すぎてわれわれに判らぬからじゃ。それ等は私たちよりもずッと上の境涯で演じられる。』

 ワアド。沙翁の戯曲などはあれは何うで厶います? 随分すぐれて善い個所もありますが、時とすると思い切って野卑で不道徳な個所もございますね。』

 叔父。『そんな厭らしい部分は皆改作してあります。しかも沙翁自身が霊界で筆を執って改作したのじゃ。それゆえ霊界の沙翁物には下らない部分がすっかり失せ、そのかわりに詩趣風韻の饒なる文字が置きかえられてある。それがしッくり原文に当てはまっているばかりでなく、原作で生硬難解であった個所が、しばしば意義深長なる大文字に化している。』

 ワアド。『すると沙翁が矢張りあの脚本の作者であって、一部の文芸批評家がいうようにベーコンではなかったので厶いますか?』

 叔父。『無論ベーコンではない。さりとて又沙翁自身でもない。あれは皆一群の霊魂達のインスピレーションによって書かれたのじゃ。沙翁の作物の中で下らない個所だけが当人の自作である。作者が霊界からの高尚な思想をとらえることが能きないで、自身で勝手に穴を埋めて行ったのじゃね……。

『先刻私は霊界の劇場では悪徳謳歌の嫌あるものは許されないと述べたが、むろんそれは悪徳の為めに悪徳を描くのが悪いので、悪徳の恐ろしい結果を示すが為めに仕組まれたものは少しも差支ない。で、沙翁の「オセロ」などは始終霊界で演られている。ただ野卑な文句だけは皆削ってある。あの脚本はずいぶん惨酷な材料を取扱ってはあるが、しかし大へん有益な教訓を含んでいるので結構なのじゃ。──と云って何にも私達があんな簡単きわまる教訓がありがたいので芝居見物に出掛ける訳では少しもない。ただ地上に出現した最大傑作の一つを眼の前で演じて貰えるのが興味をひくからに過ぎない。要するにわれわれの芝居見物は娯楽が眼目じゃ。』

 ワアド。『ダンテの神曲なども矢張りあれを単なる空想の産物と見做すのは間違で厶いましょうか?』

 叔父。『間違じゃとも! あれはダンテが恍惚状態に於て接したところの真実の啓示に相違ない。ただあれには本人の詩的空想だの、又先入的宗教思想だのが相当多量に加味されて居る。恐らくダンテはかれの恍惚状態から普通の覚醒状態に戻った当座ははっきり真相を掴んで居たのであろうが、いよいよ筆を執りて詩句を練って居る時に錯誤たのじゃと思う。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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21 霊界の美術と建築

2010/02/05

 叔父。『これからモ少し他の方面のことをお前に紹介してあげよう。』と叔父は言葉をつづけました。『霊界にはいろいろの美術が栄え、又科学も発達して居るが、むろんその標準は地上よりもはるかに高い。先ず絵画から紹介することにしよう。』

 二人は極度に荘厳な、文芸復興期風の建物の前に立ちましたが、それは従来未だ曾て地上に出現した例のないものでした。

 叔父。『この建物は私と共同経営を行っているフランス人が設計したものじゃ。斯んな精巧をきわめたものはとても地上に建てることは能きないので、霊界に建てる事になったのじゃ。無論人間流に鋸や鉋を使って造ったものではない。それは思想そのままの形、換言すれば彼自身の精神の原料で造ったものなのじゃ。その点はモ些し先きへ行ってから詳しく説明することにしよう。』

 二人は建物の内部へ歩み入りましたが、それは地上の所謂展覧会に相当するもので、ただその配列法が地上のよりは遥かに行届いて居りました。

 ワアド。『絵画展覧会がある位なら、もちろん博物館などもございましょうナ?』

 叔父。『ないこともないがお前の期待するほど沢山はない。霊界では古代の物品を成るべく元の建物の中に蔵めることにしてある。例えばエジプトの椅子ならエジプトの宮殿に据えつけ、又宝石類ならそのもとの所有者又は製作人の身に帯けさせるの類じゃ。

『霊界で造った美術品は通常その製作者の所有になるが、ただ一部の美術品は最初からそれを公開する目的で製作にかかる。それ等がツマリ博物館に蔵まるのじゃ。又古代の物品で、品物は壊れたがそれを蔵ってあった建物がまだ地上に残存して居るのがある。そんな場合には右の品物を陳列する為めの小博物館が霊界に設けられる。

『とも角もよくこれ等の絵を観るがよい。斯んな高邁な思想はとても地上の美術家の頭脳にはうつらんので霊界に置いてあるのじゃ。が、それは寧ろ例外で霊界の美術家の大部分は自分の思想を地上の美術家に伝えようとして骨を折っている。』

 叔父さんからそう言われてワアド氏は絵画の方に注意を向けることになりましたが、成る程地上のものとは全く選を異にし、何とも名状し得ないところが沢山ありました。第一色彩がとび離れて美しく、しかもそれがすてきによく調和が取れて居て、お負けにその中から一種の光線が放散するのでした。又描かれた人物の容貌態度は画面から脱け出たように活々して居り、遠近のけじめもくっきりとして実景そのまま、若しそれ空気の色の出し方などの巧妙さ加減ときては真にふるいつきたいくらい。題材も亦きわめて豊富で、風景、肖像、劇画等何でも揃っている。──が、就中尤も興味ある傑作は、他に適当な用語がないから、しばらく『情の高鳴り』とでもいうべきものを取扱ったものでした。

 例えば其所に『神の愛』と題した一つの傑作がありました。ただ見る一人の天使──それが実に威あって猛からず、正義と同時に慈悲をつつめる、世にも驚くべき表情を湛えて、足下の人類の群を凝乎と見つめて居ました。ここに不可思議なるは右の人類の表現法で、それは二種類に描き分けられて居ました。即ち甲は肉体に包まれた地上の人々、乙は肉体を棄てた幽界の人々で、その間の区別がいかにもくッきりとして居り、しかも一人一人の容貌が、生きて居る人と同様にそれぞれ特色を有って居るのでした。

 が、何が美しいと云っても、この絵画の中で真に驚くべきは中心の大天使で、いかにも『神の愛』という標題にふさわしき空気がその一点一劃の中に瀰漫しきっているように見えるのでした。

 二人はしばらくそれを見物してからやがて会場を辞し、とある公園を通過して、他の展覧会へと入りました。

 叔父。『ここは彫刻の展覧会場じゃ。絵画や建築と同じく、大ていの連中は地上の人間に自分の思想を吹き込むようにして居るが、一部のものはそんなことをせずに自分の作品を此所へ陳列する……。』

 ワアド。『これ等の人物像は真実の大理石で出来て居るのですか? 何所から斯んなものを持って来るのでしょう?』

 叔父。『イヤ前にも言うとおり霊界では自分の精神の原料ですべてを造るのじゃ。大理石であろうが、青銅であろうが望み通りのものが勝手に出来る。早い話がこの銀像でも、製作者が銀が一番適当であると考えたので、この通り銀像になったのじゃ。』

 これ等の神品ばかり蒐めてある展覧会を幾つも幾つも見物してから最後に入って行ったのは一の公園でありました。それが又彫刻物の陳列の為めに設けられたもので、林間に巧みに配置された紀念碑類、細径の奥に沸々と珠玉を湧かす噴泉の数々、遠き眺め、なめらかな草原、千態万状の草、木、花、さては水の流れ、何ともはや美事なもので、就中水の巧みな応用ときては素的なもので、それが全体の風致を幾段も引き立たせて居りました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。