‘(上編)叔父さんの住む霊界’ カテゴリーのアーカイブ

15 幽界の売店

2010/05/05

 越えて四日目の七月七日に、ワアド氏は又もお馴染の住宅を訪れますと、レックスと叔父さんとが居る丈で、外に人影が見えません。理由を訊いて見ますと、陸軍士官は伝令を連戻しに出かけたまま、まだそれに成功せずに居るのだということでした。

 叔父。『近頃幽界へやって来る人数と言ったら大したものじゃが、その大部分は修羅道に陥って居て、死んでからも熾んに格闘をつづけている。その癖が脱けるまでには余程の時日がかかりそうじゃ。』

 レックス。『実は僕も一緒に出掛けて行って、戦争を止めるように戦友を説得してやろうかと思って居るのです。つまり叔父さん達が私に対して行ってくだすったところを、そっくり受売りするつもりなのですがね、ただ叔父さんの言われるには、お前はまだ弱い。そんな真似をすれば自分も戦争熱にかぶれて逆戻りをして了う……。』

 叔父。『そうじゃとも! お前はあぶなくてしょうがない。――尤も、モ些し経てば意志が強固になって救済事業に当れるじゃろう。また是非当らんければならぬ。他人の救済が能るようにならんければ、真実の進歩を遂げたとは言われぬからナ……。』

 斯んな会話の後には、家庭の私事に就きての雑談がはずみ、その日は格別幽界の奇談を聞かずに、ワアド氏は地上へ戻って了いましたが、中間三日を置いた七月十日の晩に、ワアド氏は再び二人を訪問しました。今度は陸軍士官も居ることは居たが、例の伝令救済の為めにすぐ出掛けて了い、後は三人で水入らずの雑話に耽りました。ワアド氏は卓上に大へん精巧な将棋の駒が置いてあるのを見て、先ずその事を話題にのぼらせました

 ワアド。『こいつは印度製の象牙の駒じゃありませんか? 一体何所から斯んなものが来るのです?』

 叔父。『そりャ近頃地上で滅びたものじゃがネ。』

 ワアド。『それはそうでしょうが、何うして斯んなものを手にお入れなすったのです?』

 叔父。『幽界にも商店らしいものがあって、其所へ滅びた品物の幽体が集まって来るのじゃ。商店にもいろいろ専門があって、象牙の駒のある店には、そればかり山のように積んである。とても地上ではお目にかかれないほど豊富なものじゃ。中には一と組すッかり揃わんのもある。つまりその残部が地上に残っているのじゃ。この駒を手に入れた店には、ひとり将棋の駒に限らず、あらゆる種類の象牙細工やら、%其他の骨董品もあって、精巧なのやら醜悪なのやら、さまざま並べてあった。主人というのは地上に居た時分には骨董家じゃったということで、死んで此所へ来て見ると所有主無しの骨董店があったので、そのまま其店に居据わったというのじゃ。主人の話によるといろいろの物品が幽界に出現する状態は頗る奇妙で、何時着くのかは決して判らない。ただいつの間にやら来て居るのだというのじゃ。お前が次回に幽界へ出張して、若し他に格別の用事もなかったら、一つお前を右の骨董店へ連れて行って詳しく説明することにしょう。イヤその主人というのはなかなか気持のよい話相手じゃ。』

 ワアド。『矢張り地上と同様金子を出して買うのですか?』

 叔父。『ナニそうではありません。店の主人に一と組欲しいというと、幾個も幾個も出して見せて気に入ったのを持って行けというのじゃ。その話によると、近い中にまだ幾つも入荷がありそうだということじゃ。この主人などは道楽で店を出して居るのじゃが、中には物品を売るのが面白くて店を張っているものがあるらしい。ともすると顧客を騙くらかして歓んで居る奴もある。其様な連中は折角そうして地獄に入る準備をしているのじゃ。が、私は平生あまり買物をせんので詳しい事は知らぬ。まだ一度もここで金銭を手に入れようとしたことがないので、従って金銭は持っていない……。』

 ワアド。『でも幽界で金銭を手に入れることが能ますか?』

 叔父。『多分能るじゃろう。――他の物品の幽体がある以上貨幣の幽体もある筈じゃ。――そうそう私は一度一人の欲張爺さんが、わざわざ汚らしい家屋に住んで、有っている貨幣をしきりに勘定して歓んでいるところを目撃したことがある。多分その男などはいつまでもそればっかり行りつづけ、最後に幽体が失せると共に地獄へ墜ちて行くであろう。

『私はまだ、一度もこちらで貨幣蒐聚を試みはせぬが、捜せばあちこちに、沢山見つかるだろう。が、ここで記憶せねばならぬは、地上でするように、黄金の壷を溶解して金貨に改鋳するような真似は能ない。霊界と異なってここは純なる形ばかりの境地でないと同時に、地上と異なって本式の物質も無い。――私の説明が判るかナ?』

 ワアド。『イヤよく判ります。――ところで、私は曾てビルマ滞在中、在住の支那人が紙幣や衣服などを神殿で燃して、それを他界の霊魂達に供えるのを目撃したことがありますが、いかがなもので厶いましょう、それが先方に通ずるでしょうか?』

 叔父。『さァある程度までは通ずるじゃろうナ。若し人が充分精神を統一して、死者を思念すれば右の品物はきっと先方に届くに相違ない。が、むろん品物の幽体と霊体とをごっちゃに考えてはならぬ。霊体というものは単に形だけであるから、それはむろん霊界に現われるけれども、ただそれ丈で格別の効能はない。いくらかの慰安にはなるが、それッきりじゃ。

『之に反して幽界の方へは紙幣や衣服の幽体が出現する。むろんそんなものは余り役には立たない。幽界には衣服や食物の真の必要はない。欲しいと思えばいくらでも無代で獲られるからナ。要するに金銭を使って売買することは、単に地上の遺習に過ぎないから、そんな習慣は早く止めるに越したことはない。さもないと地獄の物質主義者の仲間にブチ込まれることになる。――オットお前の帰るべき時刻が来た。イギリスではもう夜明じゃ。あの通り夢見る人々の群が急いで帰る最中ではないか。』

 気がついて見ると成程その通りなので、ワアド氏は急いで其所を辞去しました。


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

 

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


33 通信部の解散

2010/02/23

 つづいて一九一四年九月十四日の夜にもワアド氏は霊界の叔父さんを訪れました。叔父さんはモリィを相手に甚だ寂びしげな様子をして居ましたが、やがて叔父さんの方から言葉を切りました。──

 叔父。「この通信事業もいよいよ今日で一と先ず中止じゃ。私を扶けてくれた通信部隊も解散せられ、私一人だけが元の古巣に取り残されている。お前もその中東洋方面に出掛けることになるが、見聞をひろめることが能きて何より結構じゃ。旅行に就ての心配は一切無用、お前は安全に緬甸に到着する。

『こんな事情で、私は当分お前に面白い通信をやれないが、しかし月曜毎に必らず霊界へ来てもらいたい。一たん霊界の扉が開かれた以上、それが鎖まらぬように気をつけねばならぬ。その中私の方から必らず又新らしい通信を送ることにする。その通信の性質はまだちょっと判らぬが……。

『まァ行るだけの仕事をしっかり行るがよい。霊界から集めたいろいろの材料を適宜に分類して行けば可なり完備した霊界の物語が出来上るであろう。

『地獄、幽界、半信仰の境、信仰ありて実務の伴わざる境、それから実務と信仰との一致せる境──すべてに亙りて私の方から一と通り通信を起ってある。もッと上の界のことは私にも判らない。が、その中第五界の生活に関しては私は多少材料を手に入れ得る自信を有って居る。

『くれぐれも受合って置くが私の将来は活動と努力との連続である。最後の大審判の喇叭が鳴るまで常世の逸眠に耽るものと私のことを考えてくれては迷惑である。私は飽までもお前達と同様に活きた人間として向上の途を辿るが、ただ私はお前達と異って肉体の桎梏からは永久に脱却して居る。最早苦痛もなく、飲食慾もなく、又睡眠さえも不要である。全然日常の俗務俗情から離れて、心地よき環境に起臥し、自己の興味を感ずる一切の問題につきて充分の討究をつづけることが能きる。私には地上の何人にも期待し難き便宜と余裕とが与えられて居る。私は夢にもこの好機会を無益の懶眠に空費し、役にも立たぬ讃美歌三昧にひたり切るつもりはない。私は飽まで他の救済に尽瘁する。そうすることによりて一階又一階と次第に高きに就き、一日又一日と新たなる朋を作り、新たなる真理に接して、自己完成の素地を築いて行くつもりである。

『私はすでにある程度まで幸福である、満足である。物質界から脱れ得て真にうれしい。が、まだまだ絶対幸福の境涯に達して居らぬことはもちろんである。

「円満具足の境涯は前途尚お遼遠である。それに達する為めには一意専念、幾代かにわたりて精進力行、新たなる経験を積み、新たなる真理に目覚めて不断の向上を図って行かねばならぬ。

『それ故に、いつも私を仕事と娯楽とに忙殺されつつあるものと思ってもらえば間違はない。私のいわゆる仕事というのは一歩一歩私を向上せしむる信仰の道である。又いわゆる娯楽というのは地上の人達が仕事と考えている建築学その他である。

『ここに私は地上の人達……、私の挨拶を受け容れてくださる方々に謹んで敬意を表する。お前には毎週一度づつ必らず来て貰いたい。当分これでおさらばじゃ。この通信事業に従事してくれたKさんその他に対しては特にここでお礼を述べて置きます。』

 ワアド。『お乞暇をする前にちょっと伺いますが、目下Pさんやら、Aさんやら、又陸軍士官さんやらは、何うなすっておいでです?』

 叔父。『陸軍士官はモーしばらく練習を積んでから幽界に出動し、地上からぞろぞろ入って来る新参の霊魂達の救済に当ることになっている。イヤ血気盛りのものが急に勝手のわからぬ境涯へ投げ込まれたのであるから、それ等は大に救済の必要がある。しかし心配するには及ばぬ。救済の手は霊界からいくらでも延びる………。

『Pさんは又もや地獄の方へ手伝いに出掛けて行った。Aさんのみは私が昔居った学校で不相変簡単な日課を頭痛鉢巻で勉強している。』

 ワアド。『叔父さんは只今昔と仰ッしゃいましたが、地上の時間で数えるとあなたがお歿なりになってからたッた九ヶ月にしかなりません。』

 叔父。『全くナ………。が、霊界では、時間は仕事の分量で数えて、時日では数えない。それ故厳格にいえば、霊界に時間はないことになる。尤も地上に居ったとて、今年のように多忙な年は例年よりも長く感ずるに相違ない。今年の大晦日になると、お前はじめ世界中の人々は、こんな長い年はないなどと世迷言を言うじゃろう。しかし今日はこれで別れる。』

 ワアド氏は叔父さんに暇を告げて地上に戻りました。

 その後もワアド氏は約束通りしばしば霊界旅行を試み、その都度常に快感を以て迎えられましたが、しかし格別重要なる問題には触れず、単に家族への伝言とか、浮世噺とかを交換する位のものでした。叔父さんはその間も何やらしきりに深く研究を重ねつつあった模様でしたが、ワアド氏には何事も漏らしてはくれませんでした。

 が、ワアド氏がその戦歿せる愛弟の為めに叔父さんの援助を乞わねばならぬ重大時期がやがて到着しました。その援助は快く与えられ、それが動機となって、幽界の事情は手に取る如く明瞭に探窮さるることになりました。──が、それは後日の問題で、叔父さんによりて為されたる霊界生活の物語は一と先ずここで完結となるのであります。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


32 戦端開始

2010/02/22

 一九一四年九月五日に現われた叔父さんからの通信。──

『私達は能る丈迅速にこの通信事業を完結すべき必要に迫られている。お前の病気の為めに時日を空費したことは殘念であるが、その間に幽界の方面が多少秩序を回復したのはせめてもの心やりじゃ。──と言って幽界は当分まだ混沌状態を脱しない。その反動が霊界の方面までもひびいて来ている。

『いうまでもなく戦争の為めに殪れたものの大部分は血気盛りの若者であるから、その落ちつく先きは皆幽界じゃ。目下幽界に入って来る霊魂の数は雲霞の如く、しかも大抵急死を遂げて居るので、何れも皆憎悪の念に燃ゆるものばかり、そのものすごい状態は実に想像に余りある。多くの者は自分の死の自覚さえもなく、周囲の状況が変化して居るのを見て、負傷の為めに一時頭脳が狂って居るのだ、位に考えている。

『が、霊界がこの戦争の為めに受くる影響は直接ではない。新たに死んだ人達を救うべく、力量のある者がそれぞれ召集令を受けて幽界の方面に出動することがこちらの仕事じゃ。すでに無数の義勇軍は幽界へ向けて進発した。目下はその大部分が霊界の上の二境からのみ選抜されているが、やがて私達の境涯からも出て行くに相違ない。

『私などはまだまだこの種の任務を遂行する力量に欠しいが、しかし召集令さえ下ったら無論出掛けて行かねばならぬ。しかし斯んな平和な生活を送った後で再び幽界の戦禍の中に埋もれるのは余り感心したこととも思われない。

『が、戦争の話はこれきりにして置くとしよう。私達は全力を挙げてこの通信を遂行せねばならぬ。お前の方でも多分能るだけ迅速にその発表に着手することと思う。むろん今すぐにとも行くまいが、しかしその中時期が到来するに相違ない。』

 叔父さんからの右の通信の中に、召集令さえかかったら無論幽界へ出掛けて行くとありますが、その召集令は約二年の後にかかりました。一九一六年五月初旬、ワアド氏の実弟レックス中尉が戦死を遂げると共に、ワアド氏は直ちに霊界の叔父さんを訪問して右の事実を物語りました。叔父さんは直ちに奮起して幽界に赴き、爾来百方レックスを助けて更に精細無比の幽界探検を遂行することになるのでありますが、それは別巻に纒められて心ある人士の讃歎の的となって居ります。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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31 欧州の戦雲

2010/02/21

 叔父さんからの半歳以上に亙ってつづけられた霊界通信もいよいよ一段落をつけるべき時期が徐ろに近づきました。他でもない、それは主として欧州全土に亙りて、かの有史以来類例のない大戦乱が勃発せんとしつつあったからで、それが人間界はもとより遠く霊界の奥までも大影響を及ぼすことになったのであります。

 一九一四年七月二十七日の夜、ワアド氏は例によりて叔父さんの学校を訪れ、不取敢戦争の事について質問を発しました。

 ワアド。『叔父さん、あなたは最近欧州に起ったこの暗雲がやがて戦争に導くものとお考えで厶いますか? 何やら頗る険悪の模様が見えますが……。』

 叔父。『何うも戦争になりそうじゃ。私は余り地上との密接な関係を有って居ないから詳しいことは判らぬが、霊界での風説によると、目下幽界の方は純然たる混沌状態に陥り、あらゆる悪霊どもが到るところに殺到して、死力をつくして戦争熱を煽っているそうじゃ。

『霊界の方面はすべてそれ等の動揺の外に超然として鳴りを鎮めて居るものの、しかしわれわれは変な予感に充たされている。多分これから数日の内に和戦何れとも決定するであろう。が、私は予言は絶対にせぬ。私はそんな能力を有っているとは思わない。

『兎に角私達の通信事業も急激に中止に近づきつつあるが、又中止した方が宜しい。若しも戦争が始まれば、私を扶けてこの霊界通信をしてくれている人達も一時解散せねばなるまい。おのおの皆自分の任務を有って居るからナ。

『それから又お前の健康状態が、ドーも面白くない。来週になっても回復せぬようなら、躯がすっかりよくなるまで当分霊界出張を見合わせるがよい。健康の時には霊界旅行は少しも躯を損ねる患はないが、病気の時には全精力を挙げて病気と闘わねばならぬ。何れにしても、お前が剣橋で講義をやる一ヶ月間は自動書記を試みる訳にも行くまい。

『従って今晩は陸軍士官との会見も取り止めて置く。一つはお前の健康が永い滞在を許さぬし、又一つにはあの方が戦争の為めに昂奮し切っているし、ドーも面白くない。あの方は昔所属であった連隊に復帰して出征すると云って手がつけられないので、衆でいろいろ緩めて居るところじゃ。むろん私達はこの有益な通信事業を永久に放棄しようとは決して思わないが、当分の中あの士官は役に立ちそうもない。後になれば大へん見込のある人物じゃが、目下のところでは、まるで虎が血汐の香を嗅ぎつけたような塩梅じゃ。何れにしても、あの陸軍士官の異常な挙動なり、又幽界方面風評なりから綜合して、もしか飛んでもない大事になりはせぬかと私は大へん懸念している。

『まず今晩はこれで帰るがよい。よく気をつけて、能るだけ早く達者な躯になることじゃ。お前が緬甸に出発するまでには是非ともこの書物を形付けて了いたい……。』

 で、ワアド氏は直ちに地上に戻ったのですが、その時の霊界旅行にはめっきり疲労を覚えたそうであります。

 越えて八月三日ワアド氏は講義の為めに剣橋に赴きましたが、叔父からのかねての注意のとおり其所で急性の肋膜炎にかかり、八月一ぱいそれに悩まされました。従ってその期間霊夢も自動書記も全く休業で、九月五日に至り、初めてK氏の宅で自動書記を試みたのでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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30 幽界見物 (四)

2010/02/20

 するとその時カアリィが突然叫びました。──

『あら! 彼所に一軒家がありますね。誰の住居なのでしょう?』

 そう言われて見ると果して小ざッぱりした家が路傍にあって、前面には小さい庭があり、裏へると更に大きな庭園が附いて居ました。

 叔父。『こりャ近頃壊された何所かの家屋の幽体じゃ。斯んなのは余り長くはここに残るまい。無生物の幽体はとかく永続せぬからナ……。但だ何人かがそれに住んでいると奇妙に保存期限が長くなるものじゃ。兎に角内部へ入って見ることにしよう。』

『まァ!』とカアリィは家の内部を見た時に、『道具が一切揃って居るじゃありませんか!』

 叔父。『幽界にしてはこりャ寧ろ珍らしい現象じゃ。多分火災でも起して什器一切が家と一緒に焼けたのかも知れない。イヤ確かにそうじゃ。その証拠には額面だけが欠けて居る。所々壁に白い痕がついて、額面をさげた紐までそっくり残って居るではないか。多分火災と知って誰かがナイフで紐を切り、一ばん目ぼしい絵だけ運び出したものに相違ない。しかし余り沢山の品物を持ち出す隙はなかったと見える。』

 そう言って叔父さんは食堂であったらしい一室の炉辺に据えられた安楽椅子に腰をおろした。

『兎に角こいつァ住心地のよい家じゃ』と彼は言葉をつづけた。『質素ではあるが、なかなか岩畳に出来て居る。私が若しも幽界に居るものなら、早速こいつを占領するのじゃが……。』

 カアリィ。『ちょっと庭園へ降りて見ましょうか?』

 ワアド。『降りて見てもよい……。』

 夫婦が食堂の扉を開けて、低い階段を降りて庭園へ出ると、間もなく叔父さんが小型の皮鞄を肩にしてそれにつづきました。

 カアリィ。『お父さま、その鞄は何で厶いますか?』

 叔父。『ナニ室に置いてあったのじゃ。何が入って居るか一つ開けて見てやろう。』

 そう言って彼は鞄を地面に降して蓋を開けましたが、忽ち一冊の書物を抽き出して喜色を満面に湛え、

『カアリィ、これを覧なさい! 斯んなものが入って居たとは実に奇妙じゃ!』

 カアリィ。『あら! それはお父さまの昔お書きになった建築学の御本では厶いませんか!』

 叔父。『そうじゃ! 道理でこの家には大変新式の工夫が施してあると思った。この家の所有者は余程理会のよい人物であったに相違ない。』

 叔父さんはこの家の主人が自著の愛読者であったことを発見してうれしくて耐らぬ様子でした。傍でそれを見て居たワアド氏は、人間界でも霊界でも格別人情にかわりがないのを知って、つくづく感心したのでした。

 と、突然カアリィが叫びました。──

『わたし大へんにくたびれましたワ。早く帰って寝ます。』

 ワアド氏はびッくりして不安の面持をして叔父さんの方を見ましたが、叔父さんは一向平気なもので、

『あ! お前はくたびれましたか。それなら早くお帰りなさい。その中又出てくるがよい。お前が来る時は私はいつでもここまで出掛けて来ます。』

 やがてカアリィは二人と別れて立ち去りましたが、忽ち幽界の壁のようなものに遮られてその姿を失いました。叔父さんはワアド氏に向って言いました。──

『お前はカアリィがくたびれたときいた時に大へん気を揉んだようじゃが、あんなことは何んでもない。肉体の方でその幽体を呼んで居るまでのことじゃ。生きて居る人の幽体が肉体に入る時の気分は寝つく時の気分にそっくりじゃ。──イヤしかしお前もモー戻らんければなるまい。先刻は地上から出掛けるものばかりであったが、今度は皆急いで地上に戻る連中ばかりじゃ。』

 成るほど夢見る人の群は元来た方向へ立帰るものばかりで、歩調がだんだん迅くなり、ワアド氏の父も失望の色を浮べて急いで側を通過して行きました。

 やがて人数は次第に減り、幽界の居住者の中には苦き涙をながしつつ、地上に帰り行くいとしき人達に別れを告ぐるものも見受けられました。

『さァお前も良い加減に戻るがよい。』

 叔父さんに促されてワアド氏も其所を立ち去ると見て、後は前後不覚になりました。

 翌朝ワアド氏は昨晩あったことをカアリィに訊ねて見ると、彼女は幽界に於ける会見の大部分を記憶はしていましたが、しかし彼女はそれを単なる一場の夢としか考えて居ませんでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

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※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

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30 幽界見物 (三)

2010/02/19

 いくらか夢見る人達の往来が杜絶たときにワアド氏は叔父さんの方を振り向いて訊ねました。──

『一たいこの幽界では地上と同じように場所が存在するのでしょうか?』

 叔父。『ある程度までは存在する。お前が現に見るとおり、幽界の景色は物質世界の景色と、ある点まで相関的に出来て居る。例えば現在われわれはロンドン附近に居るから、それで斯んなに沢山の群衆が居るのじゃ。が、それはある程度のもので、われわれの幽体は必らずしも地上に於るが如く時空の束縛を受けず、幽界の一部分から他の部分に移るのに殆んど時間を要しない。又幽界の山河が全然地上の山河の模写、合わせかがみという訳でもない。幽界の山河は言わば沢山の層から成って居る。同一地方でも、それぞれの年代に応じてそれぞれ異った光景を呈する。例えばロンドンにしても、曾て歴史以前に一大森林であったばかりでなく、ずっと大古には海水で蔽われていたことさえもあった。』

 ワアド『そう言えば只今見るこの景色も現在のロンドンの景色と同一では厶いませんナ。』

 叔父。『無論同一ではない。が、この景色とても余り旧いものではない。──ちょっと其所へ来た人を覧るがよい。』

 ワアド氏は一と目見てびッくりして叫びました。──

『あッカアリィじゃありませんか! 不思議なことがあればあるものですね。家内中が皆幽界へ引越して来ている!』

 叔父。『別に引越した訳でもないが、斯うして毎晩幽界へ出張するものは実際なかなか少くない。人によってはのべつ幕なしにこっちへ入り浸りのものもある。その癖眼が覚めた時に、そんな連中に限ってケロリとして何事も記憶して居ない。彼等に取りて幽界生活と地上生活とは全然切り離されたもので、睡っている時は地上を忘れ、覚めている時は幽界を忘れ、甚だしいのになると、幽界へ来て居る間にまるきり自分が地上の人間であることを記憶せぬ呑気者も居る。斯んな連中は死んでも死んだとは気がつかず、何時まで経っても睡気を催さないのが不思議だと思っている。が、大ていの幽界居住者は多少地上生活の記憶を有って居て、逢いたく思う地上の友を捜すべく、わざわざこの辺まで出掛けて来る。又生きて居る人間の方でも、夢で見た幽界の経験を曲りなりにも少しは記憶して居る。ただ極端に物質かぶれのした人間となると、幽体がその肉体から離れ得ないので、死ぬるまで殆んど一度も此所へ出掛けて来ないのもないではない。就中食慾と飲酒慾との強い者は自分の幽体を自分の肉体にくくりつけて居る。──が、談話はこれ位にして置いて、ちょっとカアリィに会ってやろう。しきりに私の事をさがしている………。』

 叔父さんは通行者の群を突き抜けて、直ちにカアリィに近づきましたが、彼女は安楽椅子に腰をおろせる生前の父の幻影を描きつつ、キョロキョロ四辺を見まわして居るのでした。彼女の身に纒えるは、きわめて単純な型の純白の長い衣裳で、平生地上で着て居るものとはすっかり仕立方が異って居ました。

 やがて父の姿を認めると彼女は心からうれしそうに跳んで行きました。

 カアリィ。『お父さましばらくで厶いましたこと! お変りは厶いませんか?』

 叔父。『しばらくじゃったのう。お前はよく今晩ここへ来てくれた。私は至極元気じゃから安心して居てもらいたい。それはそうとお前は私達の送っている霊界通信を見て何う考えて居るナ?』

 彼女の顔にはありありと当惑の色が漲りました。

 カアリィ。『霊界通信で厶いますか? わたし何も存じませんが……。』

 叔父。『これこれお前はよく知っている筈じゃ。お前は半分寝呆けて居る。早く眼を覚ますがよい。お前の良人の躯を借りて送って居る、あの通信のことじゃないか! お前の良人もここに来て居る。』

 父からそう注意されて彼女は初めて良人の居ることに気がつきました。無論ワアド氏の方では最初から知り切って居たのですが、成るべく父親との会見の時期を永びかせたいばかりに、わざと遠慮して控えて居たのでした。

 カアリィ。『まァ! あなたは何をしていらっしゃるのです、斯んな所で………。』

 ワアド。『しッかりせんかい! 私はいつもの通り月曜の晩の霊界旅行をして居るのですよ。そして叔父さんに連れられて、お前途が幽界へ出掛けて来る実況を見物に来たのだがね、覚めた時に私とここで逢ったことをよく記憶して居てもらいますよ。』

 叔父。「そいつァ些と無理じゃろう。記憶して居るとしても、せいぜい私と逢ったこと位のものじゃろう。私の幻覚に引張られて来たのじゃから………。それはそうとカアリィ、お前はモー霊界通信のことを想い出したじゃろうナ。』

 カアリィ。『何やらそんなことがあったように思いますが、まるで夢のようで厶いますわ。──お父さまは近頃御無事で厶いますか? 大へん何うもしばらくで………。』

 叔父。『私かい。私は至極無事じゃよ。生きて居る時に私は今のように気分のよい事は殆んど一度もなかった。お前が何をくれると言っても、私は二度とお前達の住んで居る、あの息づまった、阿呆らしい、影見たいな地上へだけは戻る気がせぬ。その中お前達の世界から私の所へ懐かしい親友が二三人やって来そうじゃ……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


30 幽界見物 (二)

2010/02/18

『この連中が何の夢を見て居るか、よく注意して見るがよい。』

 そう叔父さんに注意されたので、ワアド氏は早速一人の婦人の状態を注視しました。

 右の婦人の前面には一人の小児の幻影が漂って居ましたが、それが先きへ先きへと逃げるので婦人わさめざめと泣きながら何所までも追いかけました。と、俄かに小児の真の幽体が現われ、同時に先きの幻影はめちゃめちゃに壊れました。母親は歓喜の声をあげて両手を拡げてわが愛児の幽体をかき抱き、その場にベタベタと坐り込んで、何やら物を言うさまは地上で行るのと少しの変りもありません。右の小児は凡そ六歳ばかりの男の児なのでした。

 ワアド。『死んだわが児と夢で逢って居るので厶いますね。可哀そうに……。』

 叔父。『それが済んだら今度は此方のを見るがよい。』

 再び叔父さんに促されてワアド氏は眼を他方に転ずると、そこには三十歳前後の男子が眼を見張りて人の来るのを待っているらしい様子、やがて一人の若い女が近づいてまいりました。

『一たいこの連中は何で厶いますか?』とワアド氏は訊ねました。『二人とも生きて居る人間ではありませんか?』

 叔父。『この二人が何んであるかは私にも判らない。しかしこの男と女とが深い因縁者であることは確かなものじゃ。二人は地上ではまだ会わずにただ幽界だけで会っている。二人が果して地上で会えるものかドーかは判らぬが、是非こんなのは会わしてやりたいものじゃ。──そちらにも一対の男女が居る。』

 ワアド氏は眼を転じて言われた方向を見ますと、爰にも若い男女がうれしそうに双方から歩み寄りましたが、ただ女の附近には一人の老人の幻影がフワフワ漂うて居るのです。

 ワアド。『あの老人は、あれはたしかに猶太人らしいが、何の為めに女に附き纒って居るので厶いましょう?』

 叔父。『あの老人は金子の力であの女子と結婚したのじゃ。若い男は女の実際の恋人であったが、猶太人と結婚するにつけて女の方から拒絶して了った。』

 まだ外にもいろいろの人達がその辺を通過しました。が、一ばんワアド氏を驚かしたのは同氏の父が突如としてこの夢の世界に現われたことでした。

 ワアド。『やあ、あれは自家の父です! 斯んなところへ来て一体何をして居るのでしょう?』

 叔父。『お前のお父さんじゃとて爰へ来るのに何の不思議はあるまい。他の人々と同様現に夢を見て居る最中なのじゃ。事によるとお前の居ることに気がつくかも知れない。』

 が、先方は一心に誰かをさがして居る様子で振り向きもしません。すぐ傍を通過する時に気をつけて見るとワアド氏の祖父の幻影が父の前面に漂うて居るのでした。

 ワアド。『父はお祖父さんのことを考えて居るのですね。いかがでしょう、何所かで会えるでしょうか?』

 叔父。『まず駄目じゃろうナ。お前のお祖父さんは実務と信仰との伴わない境涯で納まりかえって居るから、めったにここまで出掛けて来はしまいよ。』

 ワアド氏の父は間もなく群衆の間に消え去って了いました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


30 幽界見物 (一)

2010/02/17

 ワアド氏は忽ち強い力量につかまれて、グイと虚空に捲きあげられたと思う間もなく、早や自分の寝室に戻って居ました。平常ならばそれッきり無意識状態に陥るのですが、この時は何やら勝手がちがい、今までよりも遥かに実質ある躯で包まれたような気がしました。その癖自分の肉体は依然として寝台の中で眠って居るのでした。

 と、すぐ背後に叔父さんの声がするので振り返って見ますと、果して叔父さんが来てはいましたが、ただいつも見慣れた叔父さんの姿ではなく、大変老けて居るのが目立ちました。霊界に居る時の叔父さんは地上に居た時よりもずッと若々しくなって居た。ところが今見る叔父さんは達者らしくはあるが、しかし格別若くもない。他のいろいろの点に於てもちょいちょい異ってはいるが、さて何所とつかまえどころもないのでした。

 叔父さんはほほえみながら説明しました。──

『実はこれが私の本当の幽体ではない。私の幽体は、前にも言ったとおり、死んで間もなく分解して了った。仕方がないから私はフワフワ飛びまわって居る幽界の物質をかき集めて一時間に合わせの躯を造りあげたのじゃ。これでも生前の姿を想い出して成るべく似たものにしたつもりじゃ。──どりャ一緒に出掛けよう。』

 そう言って叔父さんはワアド氏の手を執り、虚空を突破して、やがて暗くもなく、又明るくもない、一種夢のような世界に来て足を停めたのでした。

『ここが幽界の夢幻境じゃ。その中夢を見て居る地上の連中がボツボツやって来るじゃろう。』

 ワアド氏はしきりに四周を見廻わしましたが、何時まで経っても、附近の景色はぼんやりと灰色の霧にとざされて判然しない。そして山だの、谷だの、城だの、森だの、湖水だのの所在だけが辛うじて見えるに過ぎない。

 ワアド。『随分ぼんやりした所で厶いますね。いつも此所は斯うなのですか?』

 叔父。『イヤ此所が決してぼんやりして居る訳ではない。お前の眼が霊界の明りに熟れっこになって了ったので、ここで調子が取れないのじゃ。明るいところを知らないものには斯んな所でもなかなか美しく見える。

『一たいこの夢幻境というのは物質界と非物質界との中間地帯で、何方の居住者に取りても、いくらか非実体的な、物足りない感じを与える。夢幻境を組織する所の原質も非常に変化性を帯びて居て、其所に出入するものの意志次第、気分次第で勝手にいろいろの形態を取る。永遠不朽の形は皆霊界の方に移り、ここに在る形は極度に気まぐれな、一時的のものばかりじゃ。──イヤしかし向うを見るがよい。地上からのお客さん達が少し見え出した。』

 成る程そういう間にも霊魂の群が此方をさして漂うて来る。後から後から矢継早にさっさと側を素通りにして行く。中には群を為さずに一人二人位でバラバラになって来るのもある。

 夢の中にここへ出掛けて来る地上の霊魂の外に、折々本物の幽界居住者も混って居ましたが、一と目見れば両者の区別はすぐ判るのでした。両者の一ばん著しい相違点は、地上に生きているものの霊魂に限り何れも背後に光の糸を引張って居ることで、それ等の糸は物質で出来た糸とは異って、いかに混っても縺れるということがない。平気で他の糸をつきぬけて行くのでした。

 モ一つ奇妙な特徴は彼等の多くが皆眼をつぶって、夢遊病者のように自分の前に両手を突き出して歩いて居ることでした。尤も中にはそんなのばかりもなく、両眼をかッと見開き、キョロキョロ誰かを捜す風情のもありました。時には又至極呑気な顔をして不思議な景色の中をうろつきながら、折ふし足をとどめて凝乎と景色に見とれるような連中も居ました。

 実にそれは雑駁をきわめた群衆で、男あり、女あり、老人あり、小供あり、又動物さえも居るのでした。一頭の猟犬などは兎の影を見つけると同時に韋駄天の如くにその後を追いかけました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


29 幽界と霊界

2010/02/16

 六月十五日、月曜の夜の霊夢もなかなか奇抜で且つ有意義なものでした。

 ワアド氏は例によりて無限の空間を通過し、地上の山川がやがて霊界のそれに移り行くのをありありと認めました。

 会見の場所はいつもの叔父さんの室でした。

 ワアド。『幽界の居住者と霊界のそれとの間には一たいいかなる区別がありますか? はっきりしたところを伺い度う厶いますが……。』

 叔父。『アーお前の問いの意味はよく判っている。──幽界ではわれわれはある程度迄物質的で、言わば一のきわめて稀薄なる物質的肉体を有って居るのじゃ。むろんそれは地上の、あの粗末な原子などとは段ちがいに精妙霊活な極微分子の集りじゃが、しかし矢張り一の物質には相違ない。地上の物質界と幽界との関係は先ず固形体と瓦斯体との関係のようなものじゃ。

『右の幽体は大へんに稀薄霊妙なものであるから、従って無論善悪ともに精神の司配を受け易い。これは独り人間の幽体に限らず、家屋でも風景でも皆その通りじゃ。

『然るに霊界となるとモー物質は徹頭徹尾存在せぬ。われわれの霊魂を包むものはただわれわれの「形」だけじゃ。現在お前の眼に映ずる風景なり、建物なりも曾て地上に存在したものの「形」に過ぎない。

『従って地上の霊視能力を有つものに姿を見せようと思えばわれわれは通例臨時に一の幽体を以てわれわれを包まねばならぬ。同様に普通人の肉眼に姿を見せるには、臨時に物質的肉体を造り上げ、所謂かの物質化現象というやつを起さねばならない。ここで一つ注意して置くが世間の霊視能力者の中には私達の居住する第六界まで透視し得るものもある。お前などもその一人じゃ。──が、大概の霊視能力者にはこれが能きない。能きるにしてもわれわれの姿を幽体で包んだ時の方が良好な成績が挙げられる。』

 ワアド。『夢を見る時に私達は幽界に行くのですか? それとも霊界の方ですか? それとも又あちこち往来するのですか?』

 叔父。『イヤ夢ほど種類の多いものはない。或る夢は単に人間の頭脳の産物に過ぎない。昼間考えたととを夜中にこね返したり、又根も葉もない空中楼閣を勝手に築き上げたりする。大体物質的に出来上った人間は斯んな性質の夢を見たがるが、それは甚だ下らない。決してそんな夢を買いかぶっては可けない。

『ところが、夢を見たように考えて居ながら、その実幽界へ入って行くものが案外沢山ある。中には霊界まで入って行くものもないではない。お前などもその極めて少数なものの一人じゃが、それができるのはお前が霊媒的素質を有って居るという丈ではない。それより肝要なのは私が霊界へお前を呼ぶことじゃ。大概の人にはこの特権がない。よし霊界へ来るものがあっても、お前のようにはっきりした記憶をもたらして帰るものは殆んど全く無い。それが能きるのは私達がお前を助けるからじゃ。──尤も霊界の経験は専ら霊魂の作用に属することなので、幽界の経験よりも一層明瞭に心に浸み込み易くはある。幽界というものは地上の物質界と一層類似して居る関係上、幽体と肉体とが結合した時にごッちゃになって訳が判らなくなる。兎角人間の頭脳は幽界の諸現象を物理的に説明しようとするので却って失策るが、霊界の事になると、余り飛び離れ過ぎて、最初から匙を投げて了って説明を試みようとしない。

『で、大概の人間は睡眠中に幽界旅行をやるものと思えばよい。そんな場合に幽体は半分寝呆けた恰好をして幽界の縁をぶらぶろうろつきまわる。が、躯と結びつけられて居るので、ドーも接触する幽界の状況が本当には身に浸み込まぬらしい。

『余りに物質かぶれのしたものの幽体は往々肉体から脱け切れない。脱けるにしても余り遠方までは出掛け得ない。

『しかし斯んな理窟を並べて居るよりも、実地に幽界へ出掛けて行って地上から出掛けて来るお客様に逢った方が面白かろう。』

 ワアド。『是非見物に行きとう厶いますね。』

 叔父。『それなら早速出掛けることにしよう。が、幽界へ行くのには私の姿を幽体で包む必要がある。』

 ワアド。『あなたはそれで宜しいでしょうが、私は何う致しましょう? 私も幽体が入用ではないでしょうか?』

 叔父。『むろん入用じゃ。一たいお前は幽体を何所へ置いて来たのじゃ?』

 ワアド。『私には判りませんナ。私の躯と一緒ではないでしょうか?』

 叔父。『こんなことは守護神さまに訊ねるに限る。』

 そう言いも終らず、一条の光線が叔父さんの背後に現われ、それがだんだん強くなって眼も眩まんばかり、やがてお馴致の光明赫灼たる天使の姿になりました。

 銀の喇叭に似たる冴えた音声がやがてひびきました。──

『地上に戻って汝の幽体を携えてまいれ!』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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28 霊界の動物 (下)

2010/02/15

 モリィが来たので二人の動物談には一層油が乗って来ました。

 叔父。『ドーも動物は地上に居た時よりも霊界へ来てからの方が余程人間になついて来るようじゃ。兎に角理解がずっとよくなって、物質上の娯楽の不足をさほどに感じなくなる。

『お前も知っているとおり、霊界ではお互の思想がただ見ただけでよく判るが、動物に対してもその気味がある。ただ動物は人間ほどはっきり物事を考える力が欠しい悲しさに、思想の形がごちゃごちゃになり易い。むろん其能力が次第に向上はして来るが……。

『しかし動物の思想はせいぜい上等な部類でも極めて簡単ではある。今モリィはある事を考えて居るのじゃが、一つ試みにそれを当てて見るがいい。』

 ワアド。『私に判ますかしら……。』

 ワアド氏は一心不乱にモリィを見つめましたが、最初の間は何も判りませんでした。

 ワアド。『ドーも何も見えませんナ。格別何も考えては居ないと思いますが……。』

 叔父。『イヤ犬にしては大へん真面目に考え込んでいる。それが判っているから私がお前にきいて見たのじゃ。お前はまだ練習をせぬから判らないのも無理はないが、モ一度試して見るが可い。頭脳の内部から一切の雑念を棄てて了ってモリィのみを考えつめるのじゃ。お前の視力をモリィの鼻の尖端に集めて……。』

 ワアド。『鼻の尖端ですか……。』

 ワアド氏は覚えず噴飯して了いましたが、兎も角も叔父さんの命令どおりそうやって見ました。すると忽ち室全体が消え失せてモリィの姿までが見えなくなり、その代りに一種の光線が現われて、やがて一つの絵になりました。

 よくよくその絵を凝視すると、ワアド夫人のカアリィがボートを漕いで、モリィは舳先に坐って居る。やがてボートは艇庫から河面にすべり出て、白色の運動服を着たカアリィがしきりに橈を操る。他には誰も乗って居ない。

 しばらくしてその光景が一変した。今度はモリィもカアリィもボートから上陸って河岸の公園に休んでいる。カアリィが紅茶をすする間にモリィは地面に腹這になって投げ与えられた一片の菓子を噛っている。

 すると突然叔父さんが言葉を挿みました。──

『ドーじゃ今度はモリィの考えて居ることが判ったじゃろうが……。』

 ワアド。『よく判りました。が、その事が何うして叔父さんにお判りになります?』

 叔父。『私にはお前の思想もモリィの思想もどちらもよく見えているのじゃ。霊界のものは他人の胸中を洞察ことが皆上手じゃ。

『兎に角こんな塩梅で動物が人間と一緒に住んで居れば居るほどだんだん能力が発達して来る。只今モリィが考えて居たことなども可なり複雑ったものではないか。大ていの動物はせいぜい元仕えた主人の顔を想い出す位のものじゃ。

『悧巧な動物が死後何の辺まで人間と共に向上し得るものかはまだ私にも判らない。しかし霊界の方が地上よりも動物に取りて発達の見込が多いことだけは明瞭じゃと思う。むろん動物は地上に居る時でもある程度読心術式に人間の思想を汲みとることができぬではない。しかし怒っているとか、可愛がっているとか、ごく大ざッぱなことのみに限られて居り、しかも大ていの場合には人間の無意識の挙動に助けられている。

『今晩の話はこの辺でとめて置きたいと思うが、どこかにモ些し説明を要する個所があるならむろん幾らでも質問して差支ない。』

 ワアド。『では序でに伺いますが、私と叔父さんとは今いかなる方法で思想の交換を行って居るので厶います? 外観ではあたりまえに談話を交えて居るように見えますが……。』

 叔父。『むろん精神感応じゃ。人間は談話の習慣を有っているのですぐに思想を言葉に飜訳するが、決して私達は実際に言語を交えて居る訳ではない。試みにお前がフランス人とでも通信をやって見ればすぐ判る。フランス人の耳にはフランス語で聞え、お前の耳には英語できこえる。

『われわれが地上界へ降りて霊媒の躯を借りて通信する時にわれわれは初めて実際の言葉を使用する必要が起ってくる。その際速成式に外国語を覚える方法もあって、余り六ヶ敷い仕事ではないが、その説明は他日にゆずることに致そう。

『われわれはお互の思想を感識することができると同時に今度は之を形にかえることも能きる。その原則は何ちらも同一で、ともに読心術に関係したものじゃが、判り易い為めに後者を霊視の方に附属させ、前者を読心術の方に附属させるのがよかりそうじゃ。通信をやるには何ちらを使用してもかまわないが、しかし人間には読心術の方が幾らか容易しい。

『所が、動物となるとドーも霊視法にかぎるようじゃ。これは動物が地上生活中に談話をしたことがなかった故じゃと思う。しかし言うまでもなく、此等二つの方法はときどきごっちゃになってはっきりした区別がない。例えばお前が陸軍士官の物語をきいて居る時に、その言葉が耳に入ると同時にその実況が眼に映るようなものじゃ。』

 この説明が終ってからワアド氏は陸軍士官に会ってその閲歴をきかされたのですが、それは別にまとめてあります。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。