‘死後の世界’ カテゴリーのアーカイブ

15 幽界の売店

2010/05/05

 越えて四日目の七月七日に、ワアド氏は又もお馴染の住宅を訪れますと、レックスと叔父さんとが居る丈で、外に人影が見えません。理由を訊いて見ますと、陸軍士官は伝令を連戻しに出かけたまま、まだそれに成功せずに居るのだということでした。

 叔父。『近頃幽界へやって来る人数と言ったら大したものじゃが、その大部分は修羅道に陥って居て、死んでからも熾んに格闘をつづけている。その癖が脱けるまでには余程の時日がかかりそうじゃ。』

 レックス。『実は僕も一緒に出掛けて行って、戦争を止めるように戦友を説得してやろうかと思って居るのです。つまり叔父さん達が私に対して行ってくだすったところを、そっくり受売りするつもりなのですがね、ただ叔父さんの言われるには、お前はまだ弱い。そんな真似をすれば自分も戦争熱にかぶれて逆戻りをして了う……。』

 叔父。『そうじゃとも! お前はあぶなくてしょうがない。――尤も、モ些し経てば意志が強固になって救済事業に当れるじゃろう。また是非当らんければならぬ。他人の救済が能るようにならんければ、真実の進歩を遂げたとは言われぬからナ……。』

 斯んな会話の後には、家庭の私事に就きての雑談がはずみ、その日は格別幽界の奇談を聞かずに、ワアド氏は地上へ戻って了いましたが、中間三日を置いた七月十日の晩に、ワアド氏は再び二人を訪問しました。今度は陸軍士官も居ることは居たが、例の伝令救済の為めにすぐ出掛けて了い、後は三人で水入らずの雑話に耽りました。ワアド氏は卓上に大へん精巧な将棋の駒が置いてあるのを見て、先ずその事を話題にのぼらせました

 ワアド。『こいつは印度製の象牙の駒じゃありませんか? 一体何所から斯んなものが来るのです?』

 叔父。『そりャ近頃地上で滅びたものじゃがネ。』

 ワアド。『それはそうでしょうが、何うして斯んなものを手にお入れなすったのです?』

 叔父。『幽界にも商店らしいものがあって、其所へ滅びた品物の幽体が集まって来るのじゃ。商店にもいろいろ専門があって、象牙の駒のある店には、そればかり山のように積んである。とても地上ではお目にかかれないほど豊富なものじゃ。中には一と組すッかり揃わんのもある。つまりその残部が地上に残っているのじゃ。この駒を手に入れた店には、ひとり将棋の駒に限らず、あらゆる種類の象牙細工やら、%其他の骨董品もあって、精巧なのやら醜悪なのやら、さまざま並べてあった。主人というのは地上に居た時分には骨董家じゃったということで、死んで此所へ来て見ると所有主無しの骨董店があったので、そのまま其店に居据わったというのじゃ。主人の話によるといろいろの物品が幽界に出現する状態は頗る奇妙で、何時着くのかは決して判らない。ただいつの間にやら来て居るのだというのじゃ。お前が次回に幽界へ出張して、若し他に格別の用事もなかったら、一つお前を右の骨董店へ連れて行って詳しく説明することにしょう。イヤその主人というのはなかなか気持のよい話相手じゃ。』

 ワアド。『矢張り地上と同様金子を出して買うのですか?』

 叔父。『ナニそうではありません。店の主人に一と組欲しいというと、幾個も幾個も出して見せて気に入ったのを持って行けというのじゃ。その話によると、近い中にまだ幾つも入荷がありそうだということじゃ。この主人などは道楽で店を出して居るのじゃが、中には物品を売るのが面白くて店を張っているものがあるらしい。ともすると顧客を騙くらかして歓んで居る奴もある。其様な連中は折角そうして地獄に入る準備をしているのじゃ。が、私は平生あまり買物をせんので詳しい事は知らぬ。まだ一度もここで金銭を手に入れようとしたことがないので、従って金銭は持っていない……。』

 ワアド。『でも幽界で金銭を手に入れることが能ますか?』

 叔父。『多分能るじゃろう。――他の物品の幽体がある以上貨幣の幽体もある筈じゃ。――そうそう私は一度一人の欲張爺さんが、わざわざ汚らしい家屋に住んで、有っている貨幣をしきりに勘定して歓んでいるところを目撃したことがある。多分その男などはいつまでもそればっかり行りつづけ、最後に幽体が失せると共に地獄へ墜ちて行くであろう。

『私はまだ、一度もこちらで貨幣蒐聚を試みはせぬが、捜せばあちこちに、沢山見つかるだろう。が、ここで記憶せねばならぬは、地上でするように、黄金の壷を溶解して金貨に改鋳するような真似は能ない。霊界と異なってここは純なる形ばかりの境地でないと同時に、地上と異なって本式の物質も無い。――私の説明が判るかナ?』

 ワアド。『イヤよく判ります。――ところで、私は曾てビルマ滞在中、在住の支那人が紙幣や衣服などを神殿で燃して、それを他界の霊魂達に供えるのを目撃したことがありますが、いかがなもので厶いましょう、それが先方に通ずるでしょうか?』

 叔父。『さァある程度までは通ずるじゃろうナ。若し人が充分精神を統一して、死者を思念すれば右の品物はきっと先方に届くに相違ない。が、むろん品物の幽体と霊体とをごっちゃに考えてはならぬ。霊体というものは単に形だけであるから、それはむろん霊界に現われるけれども、ただそれ丈で格別の効能はない。いくらかの慰安にはなるが、それッきりじゃ。

『之に反して幽界の方へは紙幣や衣服の幽体が出現する。むろんそんなものは余り役には立たない。幽界には衣服や食物の真の必要はない。欲しいと思えばいくらでも無代で獲られるからナ。要するに金銭を使って売買することは、単に地上の遺習に過ぎないから、そんな習慣は早く止めるに越したことはない。さもないと地獄の物質主義者の仲間にブチ込まれることになる。――オットお前の帰るべき時刻が来た。イギリスではもう夜明じゃ。あの通り夢見る人々の群が急いで帰る最中ではないか。』

 気がついて見ると成程その通りなので、ワアド氏は急いで其所を辞去しました。


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

 

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


33 地獄脱出

2010/04/17

 一九一四年九月十二日、陸軍士官はワアド氏の肉体を占領して、自動書記の形式でその身上噺の結末をつけました。──

 その中吾輩が学校を出る時節が到着した。又してもあの闇の中にくぐり込むのかと思うと恐ろしくてとても耐らぬ気がしたが、ひるむ心を取り直して思い切って案内を依んだ。

 さてわれわれが地獄から出るのにはあのLさんが往来した楽な道路を取ることは許されない。絶壁の側面についている大難路を登らねばならぬのであるが、それは大ていの骨折りではないのです。

 われわれは休憩所を出てから右に折れ、しばらく巾広き山脈に沿うて進んだ。一方は第六境に導くところの深い谷であり、他方は見上ぐるばかりの絶壁である。闇は今迄よりも一層深く感ぜられたが、恐らくそれは在学中光明に熟れた為めであるらしかった。

 われわれがとある洞穴の前を通りかかった時に醜悪なる大入道がとび出して叫んだ。──

『止れ! 何人も地獄から逃げ出すことは相成らぬ。』

 が、彼が吾輩に手を触れ得る前に守護神がふりむいて十字を切ったので、キャーッ! と言いながら悪臭紛々たる洞穴の中に逃げ込んで了った。

 それからの難行は永久に吾輩の記憶に刻まれて残るに相違ない。登って行くのは殆んど壁立せる断崖であるが脚下の石ころは間断なくずるずると滑り落ち、一尺登って一丈もさがる場合も少くない。

 その間に守護神はいかにも軽そうにフワフワと昇って行かれ、いつも二三歩づつ吾輩の先に立ちて、その躯から放射する光線で道をてらしてくだすった。

 やがて止まれと命ぜられたので、吾輩は欣んでその通りにした。われわれの到着したのは一の狭い平坦地であった。吾輩の両眼は其所でしっかりと繃帯で縛りつけられた。守護神は斯う言われた。──

『汝の弱い信仰では半信仰の境涯の夕陽の光もまだしばらくは痛いであろう……。』

 それから再び前進を続けた。が、とある絶壁に突き当った時にはいよいよ何としても登れない。

すると守護神は斯う言われた。──

『恐るるには及ばぬ。余が助けてこの最後の難関を通過させてつかわす。これでいよいよ汝の長い長い地獄の旅も終りに近づいた。』

 次ぎの瞬間に吾輩は、守護神から手を引いてもらってとうとう絶壁の頂点の平坦地に登りつめて了った。

 が、其所の明るさ、眩しさ! 繃帯をしているにも係らず、その苦痛は実に強烈で、さすがの吾輩も地面の上をごろごろ転がったものだ。それから後の話はあなた方がモー御承知だ。Pさんが来て吾輩をLさんに紹介してくださる………。Lさんの周旋でワアドさんの躯を借りて地上との交通を開く………。意外なことになって了いました。

 これで吾輩の通信事業はいよいよ完結を告げました。吾輩はこれから他の霊魂達と共に幽界へ出動せねばなりません。幽界では国家の為めに生命をささげた軍人達の救済に当るつもりであるが、幸い吾輩は幽界の事情も地獄の状況も充分心得ていますから、相当目覚ましい働きをし得るつもりです。その中には昔の戦友などにも逢えるかも知れません。

 Pさんは又々地獄に降りて救済事業に当られ、僧侶さんはすでに『火の壁』を突きぬけて第五界へと進級され、今又吾輩が幽界に出動することになりましたから、Lさんの所は当分寂しくなる訳です。

 これで皆様におわかれ致します。

死後の世界(大尾)


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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32 第七境まで

2010/04/16

 それから吾輩は守護神に導かれて市外に出た。途中幾つかの町や村を過ぎ、とうとう一つの山脈の麓に達した。吾輩はその山を喘ぎ喘ぎ登って行ったが、登るにつれて道路はますます険阻になった。やっとのことでその頂上に達して見ると、前面のすぐ近いところに休憩所が建ていた。それは今迄の何れよりも大きく、美しく、巍々として高く空中に聳え、そして最高層からは一大光明が赫灼として闇中を照らした。

 しかし最後の一と骨折らずには地獄を脱け出ることは許されなかった。吾輩は俄然一群の乱民に包囲され其所の絶壁から下につき落されんとしたのである。

 が、吾輩もモーこれしきのことでは容易に勇気を失わない。満腔の念力を集注して打ちかかる者どもを右に左に投げつけた。同時に吾輩の守護神が全身から光明を迸らしつつ側に立っていてくださるので、とうとう悪霊どもは恐れ戦きつつ敗走した。

 光りは吾輩に取りでも非常な苦痛を与えたが、歯をくいしばってそれを耐えた。そしてよろめきながら漸く休憩所の玄関まで辿りつくと、内部から扉が開いて、誰やらが親切に吾輩の手を取りて引き入れてくれた。戸外には尚お敗走した乱民の叫喚の声がかすかにきこえた。

 その時何所やらで吾輩の守護神が言われた。──

『わが児よ、余はしばらく姿だけ隠して居るが、いつもすぐ傍について居るから安心しているがよい……。』

 それから吾輩は其所の親切な天使達に導かれて薄暗い室に入って休息したが、光明が強くて眼が開けられないので、それが何んな風采の人達なのかはさっぱり判らなかった。

 間もなく吾輩は其所の病院に入られて一種の手術を受けた。それは吾輩の汚れた躯から邪悪分子を除去する為めであった。その手術がすむと、驚いたことには吾輩の躯はめちゃめちゃに縮少して小ッぽけな赤ん坊の大きさになって了っていた! それからだんだん体格を築き上げて行って、間もなく学校へ通学し得るところまで発達した。その学校で御目にかかったのがPさんで、吾輩は大変御面倒をかけたものです。当時学校中の最不良少年は吾輩であったが、それでもPさんはどこまでも吾輩を見棄ててはくださらなかった。

 Pさんは学校を退かれるにのぞみ、是非後について上の世界に昇って来るようにとしきりに勧められたので、吾輩もとうとうその覚悟をきめましたが、後の物語りは次回に申上げます。──

 ワアド氏は早くその先をききたかったが、止むを得ず別れをつげて地上の肉体に戻りました。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

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31 死後の生活の有無

2010/04/15

 一九一四年九月七日の霊夢に、ワアド氏は陸軍士官と会ってその物語の続きを聞きました。陸軍士官はその際例の調子で次ぎの如くに語ったのであります。──

 

 

 地獄の第六境の都会をぶらついている中に、吾輩は一の学術協会らしい建物を見つけた。内部をのぞいて見ると、其所には何やらしきりに討論が行われて居た。討論の議題は『死後の生活の有無』というのでした。

 一人の弁士は左の如く論じ立てた。──

『人間が死後尚お生存するということに就きては其所に何等の確拠がない。成程或る人々は斯う論ずる。──われわれは一旦死んだ。然るに今尚おかく生きているのであるから、死後生命が存続することの証左であると。が、これは論理的でない。われわれは今尚お生きている。故にわれわれは初めから死なないのである。われわれは皆重い病気に罹った。病気から回復して見ると、あたりがこんなどんよりと曇った世界に一変して居た。──単にそれ丈である。』

『それだから』と他の一人が言葉を挿んだ『われわれは死んで地獄に居るに相違ない。』

『以ての外の御議論です。』と最初の弁士が叫んだ。『われわれは病気以前と同様気持よく此所に暮している。私は地獄の存在などは毫も信じない。よし一歩を譲りて地獄が存在するとしても、此所が地獄であり得ないと云うことには諸君も賛成されるに相違ない。牧師たちはわれわれに告げます。地獄は永久の呵責の場所で、虫も死する能わず、火も消ゆることがないと。然るにそのような模様は味塵も此所にないではないか。成る程下らない心配、下らない仕事が連日引きつづくので退屈ではあります。けれどもそれは地上生活に於ても常に見出すところである。われわれは所謂天国の悦楽をここに見出し難いと同時に、所謂永久呪われたる者の苦痛も見出し得ない。この点がわれわれの死んでいないことの最も有力なる証左である。若し死後の生活などと云うものがあるならば、それは地上の生活と全然相違しているべき筈である。此所の生活はわれわれの若かりし時の生活とは相違しているに相違ないが、肉体をはなれた霊魂の生活としては余りに具体的であり、実質的である。諸君、われわれは死後生命の存続を証明すべき何等有力なる確証をもたぬという私の動議に御賛成を願います。』

 それに続いて其反対論が出た。が、それは随分つまらない議論で、至極平凡な論理を辿り、自分達は確に一旦死んでいる。現在の住所が何所であるかは不明だが、多分煉獄であろうなどと述べた。すると清教徒達はそれに大反対で煉獄などというのは旧教の囈語だと反駁し、議場は相当に混乱状態に陥った。

 やがて次ぎの弁士が起ち上って一の名論? を吐いた。──

『私は自分の死んだことをよく知って居ります。そして現在われわれの送りつつある生活をただ一場の夢と考えるものであります。人間の頭脳なるものは、生命がつきたと称せらるる後に於ても、暫時活動を持続する。しかし最早肉体を完全に統御する力はなく、其期間に於て一種の夢を見るのである。従ってその状態は永久続くものとは思えない。われわれが地上にいる時でも、随分長い夢を見ることがあった。夢の中に幾日、幾週を経過したように考えた。しかし、覚めて見るとたった五分間ばかりの仮睡に過ぎなかった。斯く述べると諸君は言うであろう。──それならわれわれは単に頭脳の生み出した一の幻影に過ぎないかと。──その通りです。ここには都会もなく、議場もなく、あるものはただ自分丈であります。私はただ夢を見ている丈であります。幾何もなくして私の頭脳は消耗し、同時に夢も亦消えるでありましょう。御覧なさい、現在われわれは地上に居った時と全然同様な仕事を器械人形の如くただ何回も繰り返して居るに過ぎません。死後の生命なるものはただ死しつつある頭脳の一場の夢に過ぎません。しかし斯んなことを述べるのは、つまり自己の空想の産物に向って説法をすることなのであるから甚だつまらない。私はモー止めます。』

 そう言って彼は陰気な顔つきをして坐についた。

 満場どッと笑い崩れた。

 その時吾輩が飛び出して叫んだ。

『諸君、私は御当地を通過するただ一介の旅客にすぎません。けれ共若し諸君が私の言葉を信じて下さるならば、私は死後生命の存続することを証明し、天国の有無は兎に角、地獄は確に存在し、そして此処が地獄の一部分であることを立証してあげることが能きまず。此所よりももっと下層に行けば人々はいかにも地獄にふさわしい呵責を受けて居ります。一度私が死んでからの波瀾に富んだ閲歴をおききになって貰いましょうか?』

 が、皆まで言終らぬ中に満場総立ちになって呶鳴り出し、その中の数人は城壁の塔から吾輩を放り出すぞと威嚇した。仕方がないから吾輩はよい加減に見切りをつけて建物を立ち出ると、一人の男が吾輩の後に追いすがって言った。──

『イヤあなたが只今仰ッしゃった事は皆道理に協っています。あなたは地獄の各地を通過して、最後にここを脱出さるるお方に相違ありません。ついては私のことを同行しては戴けますまいか?』

 吾輩がそれに答える前に彼の守護神が姿を現わして言った。──

『わが児よ、余は汝を導いて、愛する友の歓んで助けを与える美しき境涯に入らしめるであろう。余は汝の胸に救助を求める精神の宿るまで、止むことを得ず差控えて居たが、今こそ再び立ちかえりて汝の将来を導くであろう。』

 右の人物と天使とは相連れ立ちて何所かへ行って了った。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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30 第六境 (下)

2010/04/13

 吾輩は呆れて一瞬間牧師の顔を凝視した。──

『それならあなたは何うして此所へお出になって居るのです?』

『イヤわたくしは何やら妙なことで爰へ来たのじゃ。私は病気にかかり、やがて意識を失った。その間に頗る不思議な、そして気味のわるい夢を見せられたが、勿論ここに取り立てて述べる丈の価値はない。夢は五臓の疲れに過ぎんからナ………。やがて回復して見るといつの間にか私は此所へ来て居る。しかし妻は来て居ません。人に訊いて見たが誰もくわしい事を知って居るものがない。その中この教区の前任者が不思議なことでプイと行方不明になったので、私がその代りに教区を預ることになって、今日に及んで居るのじゃ。何人も前任者は死んだものとして居るが、兎に角この土地の生活状態には何やら不可解な点が多い。ここでは誰も死ぬものがない。従って葬式の必要もない。ただ人の知らぬ間に躯が消滅するのじゃナ。多分衛生当事者がひそかに屍体を処分するものかと思うが、そんなことはわたくしの職務外のことじゃから深く訊きただしもしません。何分私の受持っている教区は市の中央部にあるので、朝から晩までかかり切りにかかって居ても間に合わぬ位多忙でナ………。』

『あなたはこちらで結婚でもなさいましたか?』

『無論しました。元の妻は私の病中にてっきり死んだものとしか思われないから、私は何の躊躇するところもなく再婚しました。もちろん私はモー老人で別に結婚はせずともよいのじゃが、しかし妻が居てくれんと教区の事務遂行に関して大へん差支が生ずる。慾をいえば今度の妻がモ少し手腕があってくれればと思うが、まあしかし人間は大ていのところであきらめるのが肝要でナ……。』

『して見ると、あなたは現在地獄に堕ちて居らるる事にまだお気がつかれないのですか?』

『これこれあなたは飛んでもないことを仰ッしゃる!』

 仕方がないから吾輩はここが地獄の一部分であること、又死後吾輩がいろいろの苦い経験をなめたことを物語ってやった。彼は極めて冷かに吾輩の話をきいて居たがやがて口を挿んだ。──

『イヤもうそれで沢山沢山!、 私がもし尋常の人間であったならこのまま黙っては済まされないところじゃが、身分が身分じゃから、ただこれだけあなたに言って聞かせる。──外でもない、それは私があなたの話を全部信用しないということじゃ。今日は飛んでもない人に逢って時間を浪費してしもうた! あなたは嘘つきか、それともあなたの人相から察して、余程の悪漢かに相違ない。一刻も早くこの市から立ち去って下さい。慈悲忍辱の身として私からは告発はせぬ事にするが、若しこれが他の人であったら決してあなた見たいな人物を容赦せぬにきまって居る………。』

 彼は吾輩をうッちやらかして置いて、やがて近づいた二人の婦人に吾輩のことべラべラ説明し始めた。吾輩もこんな所に永居は無用と早速寺院から飛出して了った。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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30 第六境 (中)

2010/04/12

 モーこんなものの見物にはウンザリしたので吾輩は守護神の所に立返り、それに導かれて市街の中央部をさして出掛けた。すると、其所には煉瓦造りのゴシックまがいの碌でもない寺院があったので試みにこれに入って見た。

 丁度内部では祈祷が始まって居る最中で、でッぷり肥った一人の僧がねばねばした偽善者声を出して何か喋っているので先ず吾輩の癇癪にさわった。お祈りの文句などはただべらべらと器械的にのべるのみで、熱は少しもない。すべてがただ形式一遍、喋る方も聴く方もお互にお茶を濁しているに過ぎない。

 かれの説教の中で耳にとまった文句の二三を少し紹介すると斯うだ。──

『親愛なる兄弟姉妹諸氏、あなた方は私を扶けてこの大都市の裡に何等悪徳の影もひそまぬように力をつくしていただかねばなりません。若し裏面に於て何等かの不倫の行為に耽っているものがあらば、その真相を徹底的にあぱき出すことが必要であります。たとえそれがあなた方の親友であり、又親族でありましても容赦なく弾劾することがあなた方の責務であります。若しあなた方が此の大事業に一臂の力を添えられようと思召さるるなら何時でも私の所にお出でになり、疑わしいと思わるるところを御遠慮なくわたくしに密告していただきます。悪事の跋扈横行ほど恐ろしいものはないのですから、常にそれを※葉の中に刈り取ることの工夫が肝要であります。私は常にあなた方の味方であります。悪徳駆除の為めには如何なる手段も選びません。

『ここに一例を申上げて置きます。あなた方の御友人の某夫人が近頃寺院に参拝しない。ドーもその方がある紳士と姦通の疑がある。──そんな場合にはあなた方はその方に同情するふりをするのです。そうして成るべくその人をおびき出して自白させるのです。同時に彼女の良人には私かに警告をあたえ、就中私まで一切の事情を報告していただくのです。』

 斯んな調子でしばらく論じたて、最後に斯く結論した。──

『兎にも角にも罪悪の証拠充分なりと見ればそんな社会の公敵に対して何等の慈悲恩恵を施すべきでありません。一時も早くかの城壁の塔より永久返ることのない大奈落に突き落すべきであります。──就きましては明日皆様と一堂に会して大宴会を催し、その際寺院改良に宛つべき資金の調達を試みたいと存じます。何卒公共の為めに皆様の御出席を希望いたします。』

 飛んだ説教もあったものだ。吾輩が寺院を出ようとすると、聴衆がひそかに斯んなことを語り合って居た。──

『牧師さんはいつもいつも寺院改良の為めだと云って資金の募集をやるが、一体あの金子は何うするのでしょうナ?』

『そりャむろん自分の懐中に捩じこむのでさ。少なくともその大部分を……』

『私もそう思いますね………。しかしあの金子を何んに使うのでしょうナ?』

『二重生活をすると金子がかかりますよ。──御承知の通りあの人には妻君の外に囲い者がありますからネ。』

 吾輩はそれだけしか聴かなかった。が、翌日の大宴会というものには是非出席して見ようと決心した。で翌日は都合をつけて、少し早目に寺院に出掛けて行って見ると、大会堂には牧師が控え、其の周囲には彼を崇拝する婦人の一団が早やぎッしり集まって居た。牧師が何にか一と言しゃべれば、何れも先を争そってそれに調子を合せ、そして隙間を見計らって誰かの告口をする。中には随分口にするにも耐えないような悪口も混って居た。

 漸くのことで、吾輩はある機会を見付けて牧師に話しかけた。──

『牧師さん、私は折入って一つの簡単な問題についてお訊ねしたいのですが、一たいあなたさまはキリスト教を心から御信仰なさいますか? それとも博学な高僧達の多くと同じくそれをただ一篇の神話と御考えになられますか? つまり神、天国、地獄などというものが果してあるものかな

いものか、御腹蔵のないところを伺いとう厶います。』

 彼は両手を組み合せ、例のねばねばした句調で答えた。──

『そりャ信仰という言葉の意味次第であります。牧師というものには大責任がありますから、めったに心弱きものを躓かせるような事は言われません。』

 いろいろと言を左右に托して逃げを張ったが、吾輩が追窮して止まないので、とうとう彼は本音を吐いた。──

『イヤ個人としていうならば、わたくしはキリストの物語を一つの神話………甚だ美しき一篇の神話と考えます。聖ポールをはじめ、古代のキリスト教徒は恐らく皆そう考えたに相違ありません。キリストの事蹟は一大真理を教えたところの一つの象徴であります。丁度エジプト人がオリシス神の死と復活とを説くようなもので、教育のあるエジプト人がオリシス神の実在を信じていたとはドーしても思えない。あれは単なる一つの寓言に過ぎません。不幸にも無智無学の徒はこれ等の寓言を字義通りに信仰し、中世時代に及んで、それが一般の信仰となって了った。近頃になってから、われわれは次第に真理に眼覚め、迷信の滓の中から脱却しつつある。──が、もちろんわれわれは大きな声で此等の事実を一般人にきかせることは能きません。若しもそんなことでもしようものなら恐らく牧師の職を棒にふることになるかも知れません……。』

『そうしますと、若しもキリスト教義の全体が単なる寓言に過ぎないとすれば、教会の必要は何所に厶いましょうか?』

『そりャ大々的に必要があります。本来教会というものは偉大なる道徳的勢力の源泉であるべきで、今後は恐らく一切の迷信的分子から脱却することになりましょう。が、現在ではまだそうするのは早過ぎます。大多数の民衆の為めには取るにも足らぬ寓言比喩をも政策上使用せねばなりません。』

『では天国、地獄、神などは実際は存在せぬと御考えですか?』

『その点に関しては私は明答を避けたい。或る人々にとりては、神の観念を有することが必要である。さもないと道徳的法則を遵守せぬことになりますからナ。が、私一個の私見としては、必ずしも神はないものと断定もせぬが、又神を必要欠くべからざるものとも考えない。私はこの世界がいくつかの法則で司配され、就中道徳的法則が何より貴いものであるように思います。道徳的法則を破るものは早晩その法則によって懲戒を受けますから、必ずしも万能の創造者が必要とは認められない。──いやしかし私はこんな事を一般民衆には公言する訳ではありません………。』

『けれども』と吾輩が彼の雄弁を遮って言った。『何にも神を万能の専制君主と見做す必要はないでしょう。神は一切を見通すところの賢明なる審判者であって、あなたの所謂法則なるものはつまり神から発するもの、神が整理さるるものではないでしょうか?』

『それはそうかも知れない。しかし淡泊にいうと、天国だの地獄だのというものはあれは皆嘘です。各人の受る賞罰は、つまり疾病の有無、又は社会の待遇等によりてきまるもので、決して天国だの地獄だのがあって賞罰を与えるのではない。私の地位としては死後の生活がないと公言することを憚るが、しかし実はあんなことは到底信じられない。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


29 睡眠者

2010/04/11

 われわれはしばらく歩いて行く中に、やがて一つの洞穴に達した。見ればその内部には沢山の熟睡者がいた。試みにそれを呼び覚まそうとして見たが、とても起きる模様がない。

 この一事は少なからず吾輩を愕かした。今までの所では、地獄に住む者でただの一人も睡って居るものを見掛けたためしがない。──躯がないから従って睡眠の必要はないのである。

 で、不審の余りその理由を守護神に質問して見た。モーこの時には自分と先方との距離はソー遠くもなかったのである。

 守護神は悲しげに斯う答えた。──

『わが児よ、これ等は生時に於て死後の生命の存続を飽までも頑強に否定すべくつとめた人々の霊魂なのじゃ。何れも意思の強固なものばかりで、若しも信仰の念さえあったなら、相当に世を益し人を助けることが出来たであったろうに、ただその点だけ魂の入れどころが違って居たばかりに、人を惑わし、同時に自分自身も死後自己催眠式に昏睡状態に陥って了ったのじゃ。この睡りは容易には覚めない。彼等は幾代幾十代となく斯うして睡っているであろう。その間に器量から云えば、彼等よりも遥に劣り、中には地獄の底まで沈んだものでも前非を悔いてずんずん彼等を追い越して向上して行くであろう。』

『こりャ実に恐ろしい御話です。呼び覚ます方法はないものでしょうか?』

『多大の年代を経過すれば自然とその呪の力は弱って来る。その時天使達が降りて来て何彼と骨を折ってくだされば、彼等の長い長い夢も初めて覚めるであろう。』

 その中われわれは断崖絶壁ばかり打ちつづける地方に到着した。しばらく崖の下を彷うて居ると、行手に一条の狭い、ツルツルした階段が見え出した。──と、丁度その時唐突に一人の男が空中から舞い下って来てすぐ自分達の前に墜落した。が、その人はそのままとび起きて闇の中にのがれ、何所ともなく行方を失なってしまった。

『あれは一体何者で御座いますか?』と吾輩がびッくりして訊ねた。

『あれは上の第六境で、規律を破った為めに追放されたものじゃ。第六境の居住者は大変風儀品格を尊重する人達で、若しもその禁を犯して彼等の怒りを買えば、忽ち追放処分を受ける。第六境の居住者の最大欠点は、自己ばかりが飽まで正しいものと思いつめることで、しきりに自己の隣人を批判して讒謗誹毀を逞うする事が好きじゃ。いや然しモー彼所に休憩所の光りが見え出した。いかなる種類の人間が第六境に住んで居るかは汝自身で査べるがよかろう。』

 われわれはそれで話を切り上げ前面の長い長い階段を一歩一歩に登りかけたが、イヤその苦しさと云ったらなかった。しかし灯台の光りは次第次第に強くわれわれの前途を照した。無論その光は身にしみて痛いには相違なかったが、ここぞと覚悟をきめてとうとう天使達の設置してある休憩所まで辿りついて了った。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


30 第六境 (上)

2010/04/11

 これは一九一四年九月五日に現れた陸軍士官からの自動書記式通信であります。


 さてわれわれはしばらく右の休憩所で一と息入れてから再び前進を続けた。四辺は相かわらず霧の海、その中を右へ右へと取って行くと、間もなく一大都市の灰色の影がチラチラ霧の裡に見え出した。大絶壁に臨める側には高い城壁が築いてあったが先刻一人の男が第五境へ突き落されたのは、右の城壁に築いてある塔の一つからなのであった。

 市街の家屋は大部分近代風のもので、ロンドンの郊外の多くに見受けらるるように、上品振ってはいるが然しまるきり雅趣に乏しいものであった。が、街路は割合に立派で、掃除もよく行届いていた。地獄で清潔らしくなるのは此所から始まるのであった。

 不図吾輩はここに劇場のあることに気がついた。入ってよいかと守護神に訊ねたところが、よいと云われるので早速入った。但し守護神の方では戸外に待って居られた。幸い入口の所に一人の男が居たので吾輩は早速それに言葉をかけたが、先方はジロジロ吾輩の顔を見ながら言った。

『私はまだあなたのことを何誰からも紹介されて居ませんが……。』

『箆棒奴ッ!』吾輩が叫んだ。『こんなところで紹介もへちまもあるもんか!』

『これこれあなたは飛んでもない乱暴な言葉をおききなさる。それでは紳士の体面を傷つけます……。』

 先方はいやに取澄まして居る。仕方がないから吾輩もおとなしく謝って、何んな芝居がここで興行されているかを訊ねた。

『演劇 は市民の風儀を乱さぬ限り何んなものでも興行しています。但し野鄙なもの、不道徳なものは絶対に興行しません。これはひとり演劇に限らず、音楽その他も皆その通りです。』

『イヤ──』と吾輩は叫んだ。『風儀をかれこれ八釜しく言う所は、地獄の中で此処ばかりだ!』

 相手の男は苦い顔をした。──

『ドーもあなたは口のきき方が乱暴で困ります。この世に地獄などと云うものはありません。あっても此所ではありません。』

『下らんことを仰ッしゃるナ。この界隈は皆地獄の領分の中です。立派に地獄に居るくせに、居ないふりをすることはおよしなさい。吾輩は憚りながら地獄の玄人だ。そんな甘い手にはのりませんよ。』

『モシモシ』と彼が言った。「あなたは一たい何地の方で、何所からお出なすったのです?』

 仕方がないから吾輩は簡単に自分の身上を物語った。すると先方は次第次第に吾輩から遠ざかり、やがて吾輩の言葉を遮って叫んだ。──

『それだけ伺えばモー沢山です。あなたは大法螺吹きか、それともよほどの悪漢です。あなたが何と言ってもここは地獄ではありません。多分私達は地上の何所かに居るでしょう。何れにしても従来私は悪漢と交際ったことがないから今更それを始める必要はないです。これで私はあなたに分れますが、序に好意上一片の忠言をあなたに呈して置きます。──外でもないそれはあなたがここで下らない話を何人にもなさらぬことです。さもないとあなたはあの城壁の塔から下界へ投げ込まれますぞ!』

 そう言って相手の男はプイと何所かへ行って了った。

 乃で吾輩はとも角も劇場に入った。内部では丁度一の喜歌劇を演って居ましたが、イヤその下らなさ加減ときたら正に天下一品、音楽は地獄の他の部分ほど乱調子でもないが、しかし随分貧弱なもので、俗曲中の最劣等なものに属した。脚本の筋などときてはまるきり零、全体が平凡で、陳腐で、無味乾燥で、たった一と幕見てうんざりして了った。他の見物人だって矢張り弱り切っているらしかったが、それでも彼等は忍耐して臀を据えていた。

 其所を出かけてその次ぎに一つ二つ音楽会をのぞいて見たが、その下らないことは芝居と同様、とても聴かれたものではなかった。早速又逃げ出して今度は絵画展覧会を覗いて見た。モー大概相場は判って居るので、最初から格別の期待もせぬから、従って失望もしなかった。が、子供の楽書にちょっと毛の生えた位のシロモノばかりを沢山寄せ集めて悪く気取った建物の内部に仰々しく陳列してあった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

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28 第五部の唯物主義者

2010/04/10

 さて吾輩は又も守護神に導かれて、橋を渡って対岸の哨所に入った。が、爰ではちょっと足を停めた丈で、再び濃霧の立ちこめた闇の戸外に歩みを運んだ。

 しばらく一つの大きな汚ない河流の岸を歩いて行くと、やがて一大都会に到着した。これは世にも陰鬱極まる所で、見渡す限り烟突ばかり、製造所やら倉庫やらがゴチャゴチャと建ち並んで、その間には塵埃だらけの市街が従横に連なって居る。何所を見てもむさくるしく、埃くさく、そして工場の内外には職工がゾロゾロ往来している。吾輩は足を停めて職工の一人に訊ねた。──

『一体君達はここで何をして居る?』

『工業さ、無論……。』

『製造した品物は何うするかね?』

『売るのだね無論……。しかし妙なことには、幾ら売っても売っても其品物は皆製造所へ戻って来やがる。斯んなに沢山倉庫ばかり並んで居るのはその為めだ。爰ではひッきりなしに倉庫を建てて居なけりャ追ッつきャしない。邪魔でしょうがないから一生懸命に売り飛ばして居るんだが、それでもいつのまにやら一つ残らず品物が戻って来やがる。』

『焼いて了ったらよかろう。』と吾輩が注意した。

『焼いて了えッて………。そりャ無論焼いて居る。一遍に大きな倉庫の十棟も焼くのだが、しかし矢張り駄目だね。すぐに全部がニョキニョキと戻って来る。こいつばかりはしょうがない……。』

『それなら何故製造を中止しないのかね?』

『ところがそれが能きなら。不思議な力が爰に働いていて、どーしてもひッきりなしに働いて働いて働き抜かなければならなくできている。休日などはまるでない。莫迦莫迦しい話だが、これも性分だから何とも仕方がない。生きている時分だってこちとらは労働以外に何にも考えたことなんかありャしなかった。のべつ幕なしに糞骨折って働いたものだ。その報酬がこれだ。せっせと同一仕事を繰返し繰返し繰返しして、一年、二年、五年、十年、百年………。何時までも休みッこなしだ。』

『君達は生きてる時分にはただ物質のことばかり考えて居たに相違ない。そのせいで地獄に来ても同じような事をさせられるのだ。』

『何に地獄だッて! 地獄だの、極楽だのというものがこの世にあって耐るかい!』

『それなら此所は何所だと思うのかね?』

『知るもんか、そんなことを……。又知りたくもねえや。此所には寺院はありャ僧侶もある。お前見たいな阿呆に話しをする時間はねえ。どりゃ仕事に取りかかろう。』

そう言ってその男は工場へ入って行った。

 吾輩はやがて大きな広場に来たが、そこには寺院が三個もあった。一つは英国々教、一つは羅馬旧教、他の一つは反英国々教の所属であった。吾輩は先ず英国々教派の寺院に入って見た。一人の僧侶がしきりに説教を試みて居たが、随分面白くない説教で、要点は主として他宗の排斥と寄附金の募集とであったが、それを社会の改良だの、下層社会の救済だのという問題にむすび付けて長々と述べ立てるのであった。

 会衆はと見るとか説教などに頓着して居るものは殆んどない。隣席の者をつかまえて、喋々と他人の悪口を並べるのもあれば、近所に来ている人の衣服の批評を試みるのもある。其他商売上の相談をやるもの、議論をやるもの等種々雑多で、僧侶の声などは殆んど聞きとれない。

 余りに莫迦らしいので、吾輩は其所を出て他の二つの寺院へ入って見たが、何れも似たり寄ったりで、面白くもなんともなかった。

 次ぎに吾輩の出掛けたのは市の中で売店ばかり並んでいる一区劃であったが、全体の状況は少しも製造場と変ってはしなかった。人々が買物に来ることは来るものの、支払った金子は皆その買主に戻り、又売った品物は皆その売主に戻って行くのであった。

 余りに不思議なので吾輩はとある商店の主人に向って訊いた。──

『あなたの売る品物は何所から来るのです? 製造所から仕入れて来るのですか?』

『いやこれらの品物は皆私と一緒に此所へ附いて来たのです。何れも皆私が死んだ時に店に置いてあった品物ばかりですが、そいつがどうしてもこの店から離れません。見るのもモーうんざりしますがね。』

『それなら商売をやめたらいいでしょうに。』

『冗談言ちゃ可けません。商売をやめたら仕事がなくなってしまいます。私は子供の時分から品物を売って一生暮して来た人間ですからね………。』

 彼は吾輩を極端な没分暁漢と見絞って、プイと先方を向いてしまった。そして一人の婦人に新らしい帽子を売りつけたが、むろん其帽子は右の婦人が店を出て三分と経たない中にチャンと自分の店へ舞い戻って居た。

 その次ぎに吾輩は市会議事堂へ入って見た。そこでは議員達がしきりに市の改良策に就いて火花を散らして論戦して居たが、いくら喋々と議論したところで、いずれその結果は詰らないに決っているので間もなく又其所を出てしまった。

 とうとう市街を通り抜けて郊外に出たが、不相変それは一望がらんとした荒地で、廃物ばかりが山のように積まれ、草などはただの一本も生えていなかった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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27 守護の天使との邂逅 (下)

2010/04/09

 吾輩がつづいて訊ねた。──

『そんな悪るい事をするのは真の悪魔なのですか、それとも普通の人間の霊魂なのですか?』

『それは普通の人間の霊魂なのじゃ。彼等は地上の悪漢同様自分達の仲間が彼等をはなれて正義の途に就くことを嫌うのじゃ。汝の今述べたような真の悪魔などというものは、地獄の最下層以外にはめったに居るものではない。地獄の上層に居るのは先ず大てい人間の霊魂であると思えば間違はない。』

『それなら自殺した者は何所に居るので厶いますか?』

『そんなものは大てい地獄の第三部、憎悪の境涯に行って居るが、たまに第四部に居るのがあるかも知れん。又幽界に居る時分に、其罪を償って了って地獄に墜ちずに済む者も少なくない。』

『それはそうと天使様、何やら光明がだんだん強く、行先が明るくなってまいりました。これは何うしたので厶います?』

『われわれはだんだん光明の地域に近づきつつあるのじゃ。のみならず休憩所の天使達が、われわれの近づくのを知って、われわれの為めに神に祈願をこめてくださるのじゃ。光というものは実は信念そのものである。故にわれわれの為めに祈りをささげてくれるものがあれば、その信念が光となってわれわれを導いてくださる。』

 次第次第に光は強さを加え、しまいにはまぶしくてしょうがなくなった。が、幸にも吾輩の人格にこびりついた最劣悪部はすでに燃えつくして了ったものと見え、この前よりも痛みを感ずることが少なかった。

 間もなくわれわれは休憩所に辿りつき、その入口の階段を登りつめて扉の前に立った。守護神は手さえかける模様もなくするすると扉を突き抜けて内部へ入ったが、しばしの後扉は内部から開かれ、吾輩も誰かに導かれて室内に歩み入った。

 言うまでもなく室内は極度に光線がつよいので、吾輩は一時すっかり盲目となって了ったが、それでも慣れるにつれて次第に勝手が判って来た。きけばここに駐在する天使達の任務というのは、一つには例の瀑布の附近の道路の破壊されるのを防ぎ、又一つには第五部の居住者がうっかり道に踏み迷い、第四部の方に落ちて来るのを監視する為めでもあった。

 ここで一言附け加えて置きたいのは、第五部の住民から排斥されたものが、時とすればその境界線にある絶壁から第四部に突き落されることである。第五部は大体に於て大変に格式を重んずる所で、規則違反者と見れば、決して容赦しない。この休憩所はそんな目に逢う連中をも能るだけ救うことにしているのである。

 尚おこの休憩所の前面にはインキ色の真黒な川が流れているが、その川にかかっている橋梁の警備も亦この休憩所の天使達の手で引受けているのであった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

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※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。