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5 年惠女の大阪入り

2010/10/27

 監獄署に差出した証明願は空しく却下され、それによりて姉年惠の奇蹟を天下に公表せんとした長南氏の計劃は爰に一頓挫を来しましたが、しかし一且心霊に目覚めたる同氏は、それしきの事でその計劃を放棄しようとはしませんでした。氏は考えました、姉の神懸りは別としても、単に両便不通、絶食絶飲等の生理的現象だけで優に学界の研究材料とするに充分である。それには不取敢姉を帝国大学に提供して見るのが順当であろう――そう思いまして、東京の井上圓了博士などとも相談の上、其手続を執ろうとしたのでしたが、事情ありてその計劃も亦実行されずに過ぎて了いました。長南氏は語りつづけました。――

『私の姉というのは、前にも申上げました通り至って無邪気な、まるで赤児のようなもので、何とでも他の言いなり次第になります。所が、斯んな霊覚者の周囲には、一方に正直な善人も集まりますが、他方には又物の道理の判らない、頑固な有り難連中やら、神をダシに使おうとする宗教策士達やらが兎角集まって来たがるもので、それ等は研究とか実験とかいう事には常に極力不賛成を唱えます。姉の場合に於ても矢張りそうで、取巻連が無邪気な姉を動かして、什うしても東京へ出ることを承諾しないのには弱りました。

『で、私はがっかりして一旦大阪へ引返しましたが、姉の不思議な躯を学問研究の対象としたいという念慮は抑えんとして抑うるに由なく、何とかして素志を貫徹しようと脳漿を絞った結果、とうとう私は伊勢参宮を口実に一と先姉を大阪に呼び寄せ、その上で京都大学に連れ込む計劃を樹てました。

『この計劃は私の思う壷に嵌りました。姉も伊勢参宮は年来の希望でありますし、又周囲のものどもも之に対して不服を唱うべき理由を発見し得ません。とうとう明治三十三年の春、姉は山形を立ち出で梅田の停車場へ姿を現わしたのですが、姉を取巻いて居る三四の頑固連はどうしても其身辺を離れず、御苦労にも大阪まで踉いて来たのには驚きました。

『兎も角も、首尾よく大阪へ出て来るには来ましたが、姉がまだ到着せぬ先から、不思議な神女が来るという風評が私の友人からその友人の、その又友人にも伝わるという有様、私の空堀町の住居は、忽ち病気直しを頼む人やら、伺いを立てる人やらで、朝から晩まで雑沓するようになって了いました。斯うなりましてはなかなか予定通り京都大学へ連れて行く隙とても厶いませんでした。イヤ何うも心霊方面の仕事となると騒ぎが大きくなり勝ちで困ったものです……。』


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第3篇 続幽魂問答(付録 長南年惠物語)」

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。