‘2010/10/21’ カテゴリーのアーカイブ

10 後記

2010/10/21

 これで幽魂問答はいよいよ終結であります。

 翌十三日になりて病人を見ると、全く元の通りの平々凡々の市治郎に復って了いました。彼は宮崎氏に向い、苦しげに次ぎのような事を述べました。――

『先月来私の病気は追々平癒に赴き、悦んで居りましたところ、一昨日から又々私の知らぬ間に例の武士の幽魂が取り憑いたそうで、今は手も足も痛んで耐り兼ねます。』

 余程痛いと見えまして、彼は顔をしかめ乍ら語るのでした。

『一体人も多いのに、何故私のことばかり斯く苦しい目に逢わせるので厶りましょう。貴下がたは彼を神に祭ると申されたそうに厶りますが、私には左様の心は毛頭も厶りませぬ。寧ろこの体が癒り次第彼様ものの墓を発きて恥をかかせてやりたい位で厶ります……。』

 そう言って、歯がみをして口惜しがりましたが、一応尤もな点もないではありませんでした。

 十三日の昼頃迄には諸事皆片付きました形づきましたので、宮崎氏は七ッ前に帰宅してそれより問答の手控えを取出し、原稿の整理に着手しましたが、翌くる十四日には又使者が来て、病人甚だ痛み強く且つ昨日以来余りに腹を立て過ぎたので疲労甚だしく危き由を告げますので、宮崎氏は久我浦の医師濱地玄央という人と共に岐志浦に赴きました。

 岡崎家には例の三木、吉富の両医師が己に病人の側につめて居りました。両人口を揃えて

『憑物は最早居りますまいが、いかにも大病で厶るから、今一応平癒の御加持をして戴きとう厶る。』

と申しますので、宮崎氏は早速加持を行いましたが、別に怪しき事もなく、ただ病勢がますます募り、危篤に陥るのみでした。

 十四日以後十九日頃迄の病状並に其間に起れる出来事は医師吉富養貞氏の記録が要領を得て居りますから、これをそのまま左に掲げます。――

『爰一両日は病人の痛み殊に強し。よりて桜井の医師美和鶏麿をも招ぎて五六輩の医家種々に心を尽せどもその験なし。十七日の夜には看病人も皆疲れて、前後不覚に眠り、病人の市治郎独りつくねんとして心細きこと限りなく、何れこの度の病気はとても癒るまじと観念し、腸を絞りてありたるに、不図そのまま睡気づき、ウトウトとなりし時、何所よりともなく、いとすずやかなる声にて、市治郎起きよ起きよという声聞ゆ。誰なるかと思いて臥ねたるまま後方を見れば、年齢二十歳余りにて色白く、髪は総髪にて眼光鋭く、身には黒羽二重の袷ようのものを一枚着したる人品卑しからぬ一人の武士佇み居たり。市治郎別に怪しとも思わず、其許は何人にやと問うに、頭を打ち振りて返事はなし。依りて市治郎は床の上に起き上り、右の武士に向いて坐れば、月一ぱいなるぞとの言葉なり。やがて件の武士は市治郎が背後にまわり、乱れたる市治郎の髪を掻き上げ、頭から肩先き、それから腰までも段々に揉み和げつつ、撫でて呉れる心地よさ、総身自ずと汗ばみて、ツイうつらうつらとする程に、又も起きよと言う。眼を開きて見れば、其人行燈の火にて莨を吸み居りしが、つと立ちて、此度は前の方に廻りて胸より腹、それから両腋下までも撫で和ぐることやや久しく、市治郎いよいよ心地よきまま、不図その人の背部を見るに、其所には①の形の紋所附き居たり。其人、長らくの間汝を悩ましたるは甚だ気の毒なり。されどこれにて身体は次第に本復すべしと、述ぶると同時に忽ち煙の如く消え失せたり。ここに市治郎初めて今見し姿が人間にてはなかりし事を悟り、余りに恐ろしくありしかば、妻を喚び起して薬を煖めさせて飲みたる頃、夜はほのぼのと明け亘りぬ。翌十八日の朝市治郎は父傳四郎、医師吉富養貞を呼びて夜中に起りし事を具さに語る。其朝より心地甚だ穏かなり。同人は頭痛が持病にて八月以来これのみは止まざりしに、今朝は洗い上げたるように気分宜しという。養貞脈を診るに、病殆んど平癒し居れり。九月十九日。吉富養貞』

 其後市治郎の病勢は日を追いて軽快に赴き、九月二十九日頃には平常に復し、十月一日には産土神に参籠し、同四日には下僕一人を召し連れて宮崎氏の所へお礼にまいりました。其時宮崎氏はかの『楽』の字の書を取り出して市治郎に見せますと、市治郎は驚嘆し『一昨日は父の不在の為めに私が触状を写そうとしましたが、手が顫えて字が書けませんでした。これは私の手を借りられたこととは言い乍ら、さても見事に書かれたもので厶る』と言うたのでした。

 その後岡崎家には何の凶事も起りませんでしたが、翌天保十一年正月霊前に元旦の供物を捧げることを失念したので、一寸気障りの事がありました。しかし後に改めてお祭りを行い、無事に治まったそうです。

 同年六月に至り、岡崎家では石工に命じて高さ二尺二寸の石碑を造らしめ、碑面には市治郎が見た紋所と『高峰天神』の四文字を刻し、尚お墓石の表には吉富医師の書いた年号と銘とを刻みつけました。又裏面には幽魂の自筆にかかる『七月四日』を刻し、全部落成したのは同年七月四日でありました。

 不思議な事には泉熊太郎の幽魂の予言は悉く皆的中し、七年の内に傳四郎は下浦の大庄屋役、又市治郎は浦庄屋役となり、家族が殖えて二十八人となったそうであります。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第3篇 続幽魂問答(付録 長南年惠物語)」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


2010年10月
« 9月   11月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。