9 霊遷しの式
2010/10/20この時作次郎霊璽を収むべき白木の箱を持来り、又杜氏は海水で浄めた注連を運び入れ、何れも机上に並べました。幽魂の物語りはまだ尽きませぬが、夜半も余程過ぎましたので、いよいよ霊遷しの式を執行することに衆議一決しました。
宮崎。御箱も出来、その外の用意も調いたれば霊遷しの式法に取りかかるで厶ろう。
山本神職は三方に神酒や神饌を載せて恭しく運び入れますと、病人の市治郎は忽ち威儀を正し三尺ばかりしざりて一礼しました。病人の左右には宮崎、山本の両氏が祭服をつけて坐に着き、三四十人の人々は程よき所に陣取りました。
幽魂。さてさて時を得て願望悉く成就し、此上の悦ばしさは厶らぬ……。
病人は机上に安置されたる霊璽の前に拝伏し、涙を流し乍ら箱の内部を熟視してしみじみとした調子でかく述べるのでした。
宮崎。尚お御心に残ることあらば、何事にても申置かれよ。兎も角も計らい申さむ。
幽魂。イヤ別に心残しの儀も厶らぬ……。
作治郎。今後当家に凶事の兆もあらば、必らず誨え下されよ。
幽魂。当家に代々不具者の生れたるは、わが怒りに触れての事なれば、今後はさる類の事は決してなかるべし。その外些末の不幸災厄は免れぬかも知れねど、そは世の常の事なれば、深く思い煩うにも及ばじ。尚お以後この家に変事もあらば、我力の及ぶ限りは必らず守護に当るものと心得られよ。
傳四郎。毎年七月四日には宮崎、山本御両人の御苦労を願い、一家近縁の者共を集めて貴殿のお祭祀を営むことに致したし。
幽魂。そは願うてもなき儀、何分御法の通りに依み入る。さて更めて申すまでもなけれど、わが霊魂の鎮まる場所設定の件は、何卒世間に包み、別して公辺の御厄介にならぬよう取計らい下さるべし。
そう言って拝伏したまましばらく頭を上げませんでした。乃で燈火を消して霊遷りの式を終り、拍手を打つと同時に病人の躯は左の方に静かに転ぶ音がしました。再び微かに点燈し、箱の釘を緊めさせてから式の通り送り出し、仮りに設けたる場所にそれを鎮めました。
浅野和三郎著
底本:「心霊文庫第3篇 続幽魂問答(付録 長南年惠物語)」
心霊科学研究会
1930(昭和5)年06月20日発行
※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。
※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。
※ ルビ付き版はこちらです。
入力: いさお