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5 地理の穿鑿

2010/10/16

宮崎。さて前に戻りて問い申し度し。其許は先刻話されたる博多の津より、直ちに当地に来られしや。

幽魂。博多より当地に来る間には度々川を渡りたり。姪浜という地より此所に来る船ありとききし故に、出船の時刻に遅れじと急ぎたれば、途中の事は目に止まらず。地名とても尋ねざれば委しくは覚えず。

宮崎。博多の津と姪浜との間には家は無かりしか。

幽魂。道の側には無かりしが、遠くには四五軒も見えたり。

 この時山本氏が福岡という地は無かりしやと問いましたが、主人傳四郎及び吉富の両人が、側から、福岡は慶長後の市街なれば、泉氏通行の時には無かりしならんと注意し、その話はそれで止みました。

宮崎。姪浜はいかなる地にて家数は何程ありしや。

幽魂。塩焼きを業とせる貧しき里にて、家数凡そ三十軒ばかりもあらむと見えたり。其所の渡しを過ぎ、少しく来て又渡船に乗りたり。

宮崎。其渡しは川なりしか。

幽魂。イヤイヤ大河に似たる海にて、南北は山々なりしが、渡り終えて上陸せし所より此地まで一里半も二里もあらむと思いたり。

宮崎。その着船せし所より直ちに此地に来られしや。

幽魂。父の此地より唐津に渡らぬ内に到着せねばならぬと思うまま急ぎて直ちに着したり。

宮崎。先達てのお話しに、此地に家は無かりしと申されたり。今は新浦、本浦とて家居多く、又前に新町というもあることなるが、其許の来りし時には半里此方に人家は無かりしにや。

幽魂。此渡しの辺には家無く、前方の山の根には少しありたり。又津場あたりの山の根にも少し家ありて、其所にも小き渡しありたり。

宮崎。この次ぎに芥屋という村あり、御出ありしや。

幽魂。余は行かねども、さぞありしならむ、路ありたり。其辺には諸国の船の入る所ありて便船多き由をききたり。

宮崎。姪浜の渡しより此地迄はいかなる道路を通られしや。

幽魂。渡船より上りて後は山の根を通りしに、上にも下にも少しづつ家居ありたり。小さき渡しを越したる後は吹上の白砂地を通りたり。其吹上の沙原より西南の方を見れば、海を隔てて島の如き所ありて、白砂の州崎つづき、向いの山の尾にも人家数々見え、又此方の山の尾にも、通行せし道路の附近の山の尾にも、家屋少しづつありたり。

宮崎。吹上の州より渡しはなかりしか。

幽魂。渡しはなかりし。されど元は潮の満干せし地と見えたり。

 宮崎氏は爰に附記していう。大渡しというは今の中通なるべし。貝原氏が元禄十六年に著したる、筑前国風土記の中に『二百年前は今津より前原に海通り云々』とあれば、泉氏の此地に来りしは今より凡そ四百年余昔しの事なるべし。又小き渡しは御床と香月との間なる今のサヤという辺りか、さなくばワタ内よりアベヒの間ならむか。又吹上の沙原より西南に方り、海を隔てて島の如き所に白砂州の続きたりといえるは、今の久我浦船浦なるべし云々。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第3篇 続幽魂問答(付録 長南年惠物語)」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。