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2 野干か生霊か

2010/10/01

 宮崎氏が迎の船で岡崎家へ行ったのは八月二十四日の午後でした。主人から委細の病状を聴き、それは恐らく野干などの所為ではあるまいかとの鑑定を下しました。が、発病以来病人の看護をしていた相撲取の長吉という男はそれに反対でした。『狐なら躯のどこかに塊物がありそうなものだが、いかに撫でて見てもそんなものは見当りません。事によると女の生霊かも知れませぬ……。』そんな事をいうのでした。

 そうする中にも、病人が今にも死にそうだ、との注進があったので、宮崎氏をはじめ、一同連れ立ちて急いで病室に入りましたが、それは母屋の対側なる役宅の奥の一間でした。

 其所には医師の三木という人が、先刻からしきりに病人に与うべき薬法を考えて居ました。彼は宮崎氏に向って言いました。『拙者は野干の仕業かと思います。しかじかの薬を飲ませましたが、病人は些しも否まず皆飲みました。ドーも何物が崇っているのか、拙者にはとんと見当がつきませぬ……。』いかにも当惑の体でした。

『兎も角も拙者の修法を施して見ましょう。』

 そう言って宮崎氏は携え来れる官服を着し、二筋の白羽の矢を手に持ち、又一振の長剣を病人の弟信太郎に持たせ、病人の枕辺に近づきてお祓を唱え、加持の修法に取掛りました。数人の医師、家族の人々、その他親類縁者等取りまぜ三十人許り列坐してこれを見物しました。

 お祓及び祝詞の神文を唱うる中に、次第に病人の状態が変って来ました。彼は自然自然と頭を上げ、又両手を膝の上にキチンと載せました。死に瀕せる大病人が斯んな真似をするのですから宮崎氏をはじめ、何人も、これはてっきり怪物の所為に相違あるまいという念慮をいよいよ強めたのでした。

 加持はいよいよ進みました。宮崎氏が十種の神宝の古語を誦しつつ、白羽の矢もて病人の肉身を剌す法を行いましたが、不思議な事には更に何の手答もありません。『八握剣!』と唱えてその矢を病人の胸元に擬したる時には、さすがに後方にのけぞりかけましたが、忽ち持ち直し、屹と威儀を整えたる状態はなかなか以て病人らしくは見えませんでした。

 宮崎氏は一心不乱に、法を替え改めてさまざまに加持して見たが、何の甲斐もない様子を見て今度はかの弟信太郎に持たせてある長剣を抜放ちて、病人の真向に切りつけんとしました。愕くかと思いの外、病人は衣服の膝の辺をつまみ上げてしっかと坐り、たまたま傍に有り合わせた煙管と鉄製の火入とを左右の手に掻いつかみ、宮崎氏の振りかざした長剣の切先きを、明星のような眼光で身構して睨みつけました。此方が長剣を左に振れば右に見つめ、右に引けば左に付け、その間秋毫もまじろがす、片時も油断せず、さながら一騎当千の猛士の態度も斯くやと思わるるばかり、その場に居合わせたる多数の人々も面色土の如く、ワナワナと総身に胴慄を起したのでした。

 かくて宮崎氏は長剣を高く振り上げつつ、声高らかに呪文を唱え、エイヤオウ! と叫びの声をかけますと、病人は初めて右の神文をきき分けたものか、それとも加持にて切りつけられたと思ったものか、忽ち手に持てる火入も煙管も其処に放り出して二尺ほど飛びじさり、謹んで平伏しました。その時久しく梳らざりし乱髪がバラバラと胸や肩を埋めたので一層物凄かったといいます。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。