6 霊水忽ち壜中に湧く

 長南氏は息をもつかず談話を続けました。――

『当時空堀町の私の寓居は二階建で、階上には両便所も附属して居ました。私はこの二階を姉の居室と定め、第一にその両便所を密封して了いました。姉が翌年帰国するまで一年有余の間、両便所がそっくり密封のまま残ったことは申すまでも厶いません。そして病気の治療其他姉に関する一切の仕事は皆この二階で執行されました。

『私は姉が什麼ことをして病気を治すか、一と通り其実況を述べて置きたいと思います。先ず驚かれるのは其感応の強烈なことで、患者が玄関に入ったか入らぬ時にモー二階の姉の肉体に当人の病気が感応するのです。その際姉に病気治療を頼む人々は薬瓶なり、ビール壜なり各自思い思いに空壜を携えて来るのですが、姉はこの空壜を十本でも二十本でも一つに固めて御三方の上に載せて神前に供えます。無論壜には栓を施したままで、一々依頼者の姓名が書きつけてあります。

『姉が神前に跪坐して祈願する時間は通例十分間内外です。すると右の密閉されたる十本なり二十本なりの壜の中にパッ! と霊水が同時同刻に一ぱいになる――それが赤いのやら、青いのやら黄いのやら、樺色なのやら、疾病に応じてそれぞれ色合いが違います。イヤ実況を見て居りますと、まるで手品のようで、ただただ不思議と感歎するより外に致し方が厶いません。一通り貴下方にも其実況をお目に掛けたいものでした……。』

『全く残念なことをしました』と、私は答えました。『ブラバッキィ夫人などの記録を読むと、それに類似の奇蹟的事実がいろいろ書いてありますが、不幸にしてまだ一度も実地を目撃したことが厶いません。――それはそうと其神授の霊水は病気にはよく効ましたか?』

『イヤその効験と言ったら誠に顕著なもので、什麼病気でもズンズン治りました。――尤も神から不治と鑑定された人、又試しに一つ行らして見ようなどとした者の壜には霊水が授からないのは不思議でした。十本か二十本の中には其様なのが一本位は混るようでした。斯んな塩梅で、壜の数は何本までという制限はなかったように思われますが、私の知って居る所では、一時に空壜がズラリ四十本ほどお三方の上に並んだのがレコードで厶いました。あの調子で考えると百本でも二百本でも一時にぱっと霊水が入ったろうと思われます。

『兎に角この通りの騒ぎですから、約束の伊勢参宮だけは済ませましたが、なかなか以て姉を京都大学に連れて行く遑が厶いません。こりゃ手取早く寧ろ一応此事実を新聞紙に掲載さした方がよいかも知れぬと私は思いました。幸い当時大阪朝日の社会部長を勤めて居る渡邊霞亭君とは懇意であるから、此人に依んで実験に立会って貰い、正確な記事を書いて貰おうと思いまして、私は自身新聞社に出頭し同氏に面会してその快諾を得たのでした。然るに実験の当日に至りまして霞亭氏に差支が出で、代理として角田浩々歌客及び他に一名の記者が大朝社から特派されました。

『当日の光景は尚おはっきりと私の眼底に残って居ります。御神前――と言っても床の間に天照大御神のお掛軸が掛って居る丈の簡単なものですが、其所には御三方に載せた約二十本の空壜が供えてあり、姉は其前に拝跪して頻りに祈願を籠めて居る。次ぎの間には前記二名の新聞記者を始めとし、十数名の友人知己が様子いかにと眸を凝らして居る……。と、約十分の時刻が経過したと思わるる途端に、今迄三方の上に並列してあった不景気きわまる空壜が、さっと虹でも現われたように、千紫万紅とりどりの麗わしい色彩に急変しました。各種の霊水が壜中に充満したのであります。――この実験の模様は当時の大朝紙上に数日間続き物として連載されましたから、関西の読者の中には記憶されて居る方が少くないと存じます。尤も例の新聞記者の常として自分の腑に落ちない事があると出鱈目な臆説やら、籔から棒式の邪推を振り廻すのが常で、大朝の記事にも随分下らぬ個所が多いようでした。何んでも胃袋の中にゴム管を通して胃液か何んかを壜の中に入れるのだろうなどと書いてあったように記憶します……。』

『そいつは随分滑稽ですな。当時の大朝のお持合わせは厶いませんか?』

『生憎紛失して了いました。たしか三十三年の八月頃かと記憶しますから、何所かでお捜しを願います。――所で、右の大朝の記事が原因で、大阪に於て又々姉の身辺に裁判沙汰が持ち上り、飛んだ大騒ぎをやりました。あんな無邪気な姉が一生に三度までも訴訟問題に引掛ったのですから愕きます。尤も其お蔭で心霊現象に対する証拠物件が豊富となり、今日貴下方が姉の記事を作成されるには何れ丈便利だか知れません。一面から見れば私どもは貴下方の心霊研究会の為めに二十幾年も前からせっせと材料を蒐集して居たと観れば観られぬことも厶いませんな。イヤドーも御苦労な話でハハハハ……。』

『イヤ全く其局に当った方々の御苦労はお察し致します。――時にその裁判沙汰というのは什麼して起ったので厶いますか?』


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第3篇 続幽魂問答(付録 長南年惠物語)」

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。