1 事件の発端

 今を距ること約九十年の昔、天保十年七月四日の事――ここに筑前国志摩郡伎志浦の酒造家で庄屋を勤むる者に岡崎傳四郎というものが居ましたが、その長男の市治郎なる青年が、この日の午後四時頃突然重い瘧疾に襲われた。話はそれから始まるのです。

 無論同家では最初はただの病気と思い、百方医療に手をつくしましたが、幾日経っても少しも効験がない。そして八月に入るに及びてますます重態となり、躯が餓鬼のように痩せ衰えてしまった。これは大変というので各所の神仏に修法祈祷を依んで見たが矢張り少しのきき目もない。やがて八月二十四日の午時から病人は変梃な身振り手真似を始め、さながら発狂者のようになって来た。『こいつァいよいよ常の疾病のみではあるまい。それなら宮崎さんに依んで一応加持をやって戴こう』とうとうそういう話になりました。宮崎さんというのは加賀守大門のことで、同地方で有名な神道の修法家なのであります。

 一体この岡崎家は不思議な崇りのある家で代々不具者が生れる。しかも奇妙に七月四日という日が同家に取りて不吉な日で、傳四郎の先代も亦、今度の市治郎と同じく七月四日に突然大病にかかって死んだのでした。お負けにその発病状態までが二人とも全然符節を合するが如しというのだから、いよいよ以てきき棄てならないのでした。

 ドーも同家の元の屋敷跡がクセ物らしいのです。その屋敷には夜な夜な怪異があって住み難いというので,先年今の所に引越し、元の屋敷跡には怪異鎮めの観音堂を建て、それを普門庵と呼んでいたのでしたが、市治郎も又先代もその普門庵へ行った時に急に病みついたというのです。

 七月四日……先祖代々の崇り……屋敷跡の普門庵……変挺な身ぶり手真似……いよいよ不可思議現象の道具立がすっかり揃って来たのであります。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。