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64、主従三人

2010/08/18

 間もなく良人の姿がすーッと浪打際に現われました。服装その他は不相変でございますが、しばらく見ぬ間に幾らか修行が積んだのか、何所となく身に貫禄がついて居りました。

『近頃は大へんに御無沙汰を致しました。いつも御機嫌で何より結構でございます……。』

『お互にこちらでは別に風邪も引かんのでナ、アハハハハハ。そなたも近頃は大そう若返ったようじゃ……。』

 二三問答を交して居る中に、数間の爺やもそこへ現われ、私の良人と久しぶりの対面を遂げました。その時の爺やの歓びは又格別、『お二人で斯うしてお揃いの所を見ると、まるで元の現世へ戻ったような気が致しまする……。』そんなこと言って洟をすするのでした。

 そうする中にも、何人がどう世話して下すったのやら、砂の上には折畳みの床几が三つほど据えつけられてありました。しかもその中の二つは間近く向き合い、他の一脚は少し下って背後の方へ……。何う見たって私達三人の為めに特別に設けてくれたとしか思えない恰好なのでございます。

『どりャ遠慮なく頂戴ちょうだい致そうか。』良人もひどく気を良くしてその一つに腰を降ろしました。

『こちらへ来てから床几に腰をかけるのはこれが初めてじゃが、なかなか悪るい気持は致さんな……。』

 然るべく床几に腰を降ろした主従三人は、それからそれへと際限もなく水入らずの昔語りに耽りましたが、何にしろ現世から幽界へかけての長い歳月の間に、積り積った話の種でございますから、いくら語っても語っても容易に尽きる模様は見えないのでした。その間には随分泣くことも、又笑うこともありましたが、ただ有難いことに、以前良人と会った時のような、あの現世らしい、変な気持だけは、最早殆んど起らないまでに心がきれいになっていました。私は平気で良人の手を握っても見ました。

『随分軽いお手でございますね。』

『イヤ斯うカサカサして居てはさっぱりじゃ。こんな張子細工では今更同棲してもはじまるまい。』

 私達夫婦の間にはそんな戯談が口をついて出るところまであっさりした気分が湧いて居ました。爺やの方では一層枯れ切ったもので、ただもううれしくて耐らぬと言った面持で、黙って私達の様子を打ち守っているのでした。

 ただ一つ良人にとりての禁物は三崎の話でした。あちらに見ゆる遠景が丁度油壷の附近に似て居りますので、うっかり話頭が籠城時代の事に向いますと、良人の様子が急に沈んで、さも口惜しいと言ったような表情を浮べるのでした。『これは良けない……。』私は急いで話を他に外らしたことでございました。

 困ったのは、この時良人も爺やもなかなか帰ろうとしないことで、現世でいうなら二人が二三日私の修行場に滞在するようなことになりました。尤も、それはただ気持だけの話でございます。こちらには昼も夜もないのですから、現世のようにとても幾日とはっきり数える訳には行かないのでございます。その辺がどうも話が大へんにしにくい点でございまして……。


 海の修行場の話はこれで切り上げますが、兎に角この修行場は私にとりて最後の仕上げの場所で、そして私はこの時に神様から修行終了の仰せを戴いたのでございます。同時に現世の方ではすでに私の為めに一つの神社が建立されて居り、私は間もなくこの修行場からその神社の方へと引移ることになったのでございます。

 それに就きての経緯は何れ改めてこの次ぎに申上げることに致しましょう。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。