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63、昔の忠僕

2010/08/17

 私がある日海岸で遊んで居りますと、指導役のお爺さんが例の長い杖を突きながら彼方からトボトボと歩いて来られました。何うした風の吹きまわしか、その日は大へん御機嫌がよいらしく、老顔に微笑を湛えて斯う言われるのでした。――

『今日は思い掛けない人を連れて来るが、誰であるか一つ当てて見るがよい……。』

『そんなこと、私にはできはしませぬ……できる筈がございませぬ。』

『コレコレ、汝は何の為めに多年精神統一の修行をしたのじゃ。統一というものは斯うした場合に使うものじゃ……。』

『左様でございますか。ではちょっとお待ち下さいませ……。』

 私は立ちながら眼を瞑って見ると、間もなく眼の底に頭髪の真白な、痩せた老人の姿がありありと映って来ました。

『八十歳位の年寄でございますが、私には見覚がありませぬ……。』

『今に判る……。ちょっと待って居るがよい。』

 お爺さんはいとも気軽にスーッと巌山をめぐって姿を消して了いました。

 しばらくするとお爺さんは私が先刻霊眼で見た一人の老人を連れて再びそこへ現われました。

『何うじゃ実物を視てもまだ判らんかナ。――これは汝のお馴染の爺や……数間の爺やじゃ……。』

 そう言われた時の私の頭脳の中には、旧い旧い記憶が電光のように閃きました。――

『まァお前は爺やであったか! そう言えば成るほど昔の面影が残っています。――第一その小鼻の側の黒子……それが何より確かな目標です……。』

『姫さま、俺は今日のようにうれしい事はござりませぬ。』と数間の爺やは砂上に手をついてうれし涙に咽びながら『夙から姫さまに逢わせてもらいたいと神様に御祈願をこめていたのでござりますが、霊界の掟としてなかなかお許しが降りず、とうとう今日までかかって了いましたのじゃ。しかしお目にかかって見ればいつに変らぬお若さ……俺はこれで本望でござりまする……。』

 考えて見れば、私達の対面は随分久しぶりの対面でございました。現世で別れた切り、かれこれ二百年近くにもなっているのでございますから……。数間の爺やのことは、ツイうっかりしてまだ一度もお風評を致しませんでしたが、これは、むかし鎌倉の実家に仕えていた老僕なのでございます。私が三浦へ嫁いだ頃は五十歳位でもあったでしょうが、夙に女房に先立たれ、独身で立ち働いている、至って忠実な親爺さんでした。三浦へも所中泊りがけで訪ねてまいり、よく私の愛馬の手入れなどをしてくれたものでございます。そうそう私が現世の見納めに若月を庭前へ曳かせた時、その手綱を執っていたのも、矢張りこの老人なのでございました。

 だんだんきいて見ると、爺やが死んだのは、私よりもざっと二十年ばかり後だということでございました。『俺は生涯病気という病気はなく、丁度樹木が自然と立枯れするように、安らかに現世にお暇を告げました。身分こそ賎しいが、後生は至って良かった方でござります……。』そんなことを申して居りました。

 こんな善良な人間でございますから、こちらの世界へ移って来てからも至って大平無事、丁度現世でまめまめしく主人に仕えたように、こちらでは後生大事に神様に仕え、そして偶には神様に連れられて、現世で縁故の深かった人達の許へも尋ねて行くとのことでございました。

『この間御両親様にもお目にかからせて戴きましたが、イヤその時は欣んでよいのやら、又は悲しんでよいのやら……現世の気持とは又格別でござりました……。』

 爺やの口からはそう言った物語がいくつもいくつも出ました。最後に爺やは斯んなことを言い出しました。

『俺はこちらでまだ三浦の殿様に一度もお目にかかりませぬが、今日は姫さまのお手引きで、早速日頃の望を協えさせて戴く訳にはまいりますまいか。』

『さァ……。』

 私がいささか躊躇って居りますと、指導役のお爺さんが直ちに側から引きとって言われました。――

『それはいと易いことじゃが、わざわざこちらから出掛けずとも、先方からこちらへ来て貰うことに致そう。そうすれば爺やも久しぶりで御夫婦お揃いの場面が見られるというものじゃ。まさか夫婦が揃っても、以前のように人間臭い執着を起しもしまいと思うが、どうじゃその点は請合ってくれるかナ?』

『お爺さまモー大丈夫でございますとも……。』

 とうとう良人の方からこの海の修行場へ訪ねて来ることになって了いました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。