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61、海の修行場

2010/08/15

 前にも申上げた通り、私が瀧の修行場に居りました期間は割合に短かく、又これと言って珍らしい話もありませぬ。私は大体彼所でただ統一の修行ばかりやっていたのでございますから……。

 瀧の修行時代がどれ位つづいたかと仰っしゃるか……。さァ自分にはさっぱりその見当がつきませぬが、指導役のお爺さんのお話では、あれでも現世の三十年位には当るであろうとの事でございました。三十年と申すと現世ではなかなか長い歳月でございますが、こちらでは時を量る標準が無い故か、一向それほどにも感じないのでございまして……。

 それはそうと、私の瀧の修行場生活もやがて終りを告ぐべき時がめぐってまいりました。ある日私が御神前で深い深い統一に入って居りますと、ひょっくり瀧の龍神さんが、例の白衣姿ですぐ間近くお現われになり、斯う仰せられるのでございました。――

『そなたの統一もその辺まで進めば先ず大丈夫、大概の仕事に差支えることもあるまい。従ってそなたがこの上ここに居る必要もなくなった訳……ではこれでお別れじゃ……。』

 言いも終らず、プイと姿をお消しになり、そしてそれと入れ代りに私の指導役のお爺さんが、いつの間にやら例の長い杖をついて入口に立って居られました。

 私はびっくりして訊ねました。――

『お爺さま、これから何所ぞへお引越でございますか?』

『そうじゃ……今度の修行場はきっと汝の気に入るぞ……。すぐ出掛けるとしよう……。』

 不相変あっさりしたものでございます。しかし、私の方でも近頃はいくらかこちらの世界の生活に慣れてまいりましたので、格別驚きも、怪しみもせず、ただ母の紀念の守刀を身につけた丈で、心静かに坐を起ちました。

 が、それにつづいて起った局面の急転回には、さすがの私も少し呆れない訳にはまいりませんでした。お暇乞いの為めに私が瀧の龍神さんの祠堂に向って合掌瞑目したのはホンの一瞬間、さて眼を開けると、もうそこはすでに瀧の修行場でも何でもなく、一望千里の大海原を前にした、素晴らしく見晴らしのよい大きな巌の頂点に、私とお爺さんと並んで立っていたのでした。

『ここが今度の汝の修行場じゃ。何うじゃ気に入ったであろうが……。』

 びっくりした私が御返答をしようとする間もあらせず、お爺さんの姿が又々烟のように側から消えて無くなって了いました。

 重ね重ねの早業に、私は開いた口が容易に塞がりませんでしたが、漸く気を落ちつけて四辺の景色を見廻わした時に、私は三たび驚かされて了いました。何故かと申すに、巌の上から見渡す一帯の景色が、どう見ても昔馴染の三浦の西海岸に何所やら似通って居るのでございますから……。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。