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57、有難い親心

2010/08/11

 それから訊ねらるるままに、私は母に向って、帰幽後こちらの世界で見聞したくさぐさの物語を致しましたが、いつも一室に閉じこもって、単調なその日その日を送って居る母にとりては、一々びっくりすることのみ多いらしいのでした。最後に私が、最近瀧の龍神さんの本体を拝ましていただいた話を致しますと、母の愕きは頂点に達しました。

『私はこちらの世界へ来て居りながら、ただの一度もまだ龍神さんの御本体を拝ましていただいたことがない。今日はあなたを訪れた紀念に、是非こちらの龍神さまにお目通りをしたい。あなたから篤とお依みしてくださらぬか……。』

 これには私もいささか当惑して了いました。果して瀧の龍神さんが快く母の依みを諾いてくださるか何うか、私にもまったく見当がとれないのでした。

『とも角も、私から折入ってお願いして見ることにいたしましょう。しばらくお待ちくださいませ……。』

 私は単身瀑壷の側を通って上のお宮に詣で、母の願望をかなえさせてくださるようお依みしました。

 瀧の龍神さんはいつものように老人の姿でお現われになり、微笑を浮べて斯う言われるのでした。――

『汝達の談話はよう俺にも聴えて居ました。人間の母子の情愛と申すものは、大てい皆ああしたものらしく、俺達の世界のようになかなかあっさりはして居らんな。それで汝の母人は、今日爰へ来た序に俺の本体を見物して、それを土産に持って帰りたいということのようであるが、これは少々困った註文じゃ。俺の方で勿体ぶる訳ではないが、汝の母人の修行の程度では、俺がいかに見せたいと思ってもまだとてもまともに俺の姿を見ることはできぬのじゃ……。が、折角の依みとあって見れば何とか便宜を図って上げずばなるまい。兎も角も母人を瀑壷のところへ連れてまいるがよかろう……。』

 私は早速修行場から母を瀑壷の辺に連れ出しました。そして二人で、両手を合せて一心に祈願をこめて居りますと、やがてどっと逆落しに落ち来る瀧の飛沫の中に、二間位の白い女性の龍神の優さしい姿が現われて、巌角を伝ってすーッと上方に消え去りました。

『あれは俺の子供の一人じゃが……。』

 そう言われて、驚いて振りかえると、瀧の龍神さんが、いつもの老人の姿で、にこにこしながら、私達の背後に来て、佇んで居られるのでした。

 私は厚く今日のお礼をのべて母を引き合わせました。龍神さんはいとど優さしく、いろいろと母を労わってくださいましたので、母もすっかり安心して、丁度現世でするように私の身の上を懇々とお依みするのでした。

『不束な娘でございますが、何うぞ今後とも宜しゅうお導きくださいますよう……。さぞ何かとお世話が焼けることでございましょう……。』

『イヤあなたは良いお子さんを有たれて、大へんにお幸福じゃ。』龍神さんというよりもむしろ人間らしい挨拶ぶり。『近頃は大分修行も積まれてもう一と息というところじゃ。人間には執着が強いので、それを棄てるのがなかなかの苦労、ここまで来るのには決して生やさしい事ではない……。』

『これから先きは娘は何ういう風になるのでございますか。まだ他にもいろいろ修行があるのでございましょうか?』

『イヤそろそろ修行に一段落つくところじゃ。本人が生前大へんに気に入った海辺があるので、これからそこへ落付かせることになって居る……。』

『左様でございますか。どんなに本人にとりまして満足なことでございましょう。』と母は自分のことよりも、私の前途につきて心を遣ってくれるのでした。『それについては、私があまりたびたび訪ねるのは、却って修行の邪魔になりましょうから、成るべく自分の住所を離れずに、ただ折々の消息をきいて楽しむことに致しましょう。その内折を見てこの娘の良人なりと訪ねさせていただき度うございます。そうすれば修行をするにも何んなに張合いがあることでございましょう……。』

『イヤそれはもうしばらく待ってもらいたい。』と瀧の龍神さんはあわて気味に母を制しました。『あの人にはあの人としての仕事があり、めいめい為ることが異います。良人を招ぶのは海辺の修行場へ移ってからのことじゃ……。』

『矢張りそんな訳のものでございますか……。私どもにはこちらの世界のことがまだよくのみ込めないので、ときどき飛んだ失策をいたします。何分神様の方で宜しきように……。』

『その点は何うぞ安心なさるように……。ではこれでお別れします。』

 瀧の龍神さんがプイと姿を消し、それと入れ代りに母の指導役のお爺さんが早速姿を現わしましたので、母は名残惜しげに、それでも大して泪も見せず、間もなく別れを告げて帰り行きました。

『矢張り生みの母は有難い……。』

 見送る私の眼からはこらえこらえた溜涙が一度に瀧のように流れました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。