‘2010/08/10’ カテゴリーのアーカイブ

56、つきせぬ物語り

2010/08/10

 逢った上は心行くまましんみりと語り合おうと待ち構えていたのですが、さていよいよ斯うして母と膝を突き合わせて見ると、ひたぶるに胸が迫るばかりで、思って居ることの十が一も言葉に出でず、ともすれば泣きたくなって仕方がないのでした。

『こんなことでは余りにみっともない。今日は面白く語り合わねばならぬ……。』

 私は一生懸命、成るべく涙を見せぬように努めましたが、それは母の方でも同様で、そっと涙を拭いては笑顔でかれこれと談話をつづけるのでした。

『あなたはこちらでどんな境地を通って来たのですか?』母は真先きにそう訊ねました。『最初からここではないようにきいて居りますが……。』

『私はこちらで修行場が三度ほどかわりました。最初は岩屋の修行場、そこはなかなか永うございました。その次ぎが山の修行場、その時代に龍宮界その他いろいろの珍らしい所へ連れて行かれ、又良人をはじめ多くの人達にも逢わせていただきました。現在この瀧の修行場へ移ってからはまだ幾らにもなりませぬ……。』

『あなたはまあ何という結構な事ばかりして来られたことでしょう!!』と母は心から感心しました。『この母などは岩屋の修行だの、山の修行だのと、そんな変ったことはただの一つもして来はしませぬ。まして龍宮界などと言っては夢にだって見たこともない……。あなたはたしかに特別の御用を有って生れた人に相違ない……。私の指導役の神さまもそんなことを言って居られました……。』

『まさかそうでもございますまいが……。』

『イヤたしかにそうです。いつか時節が来たら、あなたにはきっと何ぞ大事のお仕事が授けられますよ。何うぞそのつもりで、今後もしっかり修行に精を出してください。母などは、他の多くの人達と同じく、こちらに参ってから、産土神様のお手元で、ある一室を宛てがわれ、そこで静かに修行をつづけているだけなのです……。』

『父上とは御一緒ではございませんか。』

『一緒ではありませぬ。現世に居た時分は、夫婦は同じ場所に行かれるものかと考えて居りましたが、こちらへ来て見ると同棲などは思いも寄りませぬ。魂の関係とやらで、良人は良人、妻は妻と、チャーンと区別がついているのです。もっとも私達の境涯でも逢おうと思えばいつでも逢われ、対話をしようと思えばいつでも対話はできますが……。斯んなことをいうとあなたから笑われるか知れませぬが、私は一度指導役の神様に向い、あまり心細いから、せめて良人とだけは一緒に住まわせて戴きたいと、お願いしたことがあるのです。それでも神様は何うあっても私の願いをおきき入れになってくださらないので、その時の私の力落しと云ったらなかったものです。私は今でも時々はいつの時代になったら、夫婦、親子、兄弟が昔のように楽しく同居することができるのかしらと思われてなりませぬ。あなたにはそんなことがないのですか?』

『ないでもございませぬが、近頃統一が深くなった為めか、だんだんそうした考えが薄らいでまいりました。相当に修行が積んだら、一緒に棲むとか、棲まないとか申すことは、さして苦労にならないようになって了うのではないでしょうか。龍宮界の上の神様達の御様子を見ても、いつも夫婦親子が同棲して居られることはないようでございます。それぞれ御用が異うので、平生は別々になってお働きになり、偶にしか御一緒になって、お寛ぎ遊ばすことがないと申します……。』

『神様でも矢張りそうなのでございますかね……。そうして見るとこの母などはまだ現世の執着が多分に残っている訳で、これからはあなたにあやかり、余り愚痴は申さぬことに気をつけましょう。今日は本当によいことを伺いました。あなたがそんなにまで修行が出来たのを見ると、私は心からうれしい……。』

 そう言いながらも母の眼には、涙が一っぱい溜って居るのでした。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


2010年8月
« 7月   9月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。