‘2010/08/07’ カテゴリーのアーカイブ

53、雨の龍神

2010/08/07

 瀑布の修行場では、私が実際瀑布にかかったかと仰っしゃるか……。かかりは致しませぬ。私はただ瀑布の音に溶け込むようにして、心を鎮めて坐って居たまでで、そうすると何ともいえぬ無我の境に誘れて行き、雑念などは少しもきざしませぬ。肉体のある者には水に打たれるのも或は結構でございましょうが、私どもにはあまりその効能がないようで……。又指導役のお爺さんも『瀑布にはかからんでも、その気分になればそれでよい……。』とのお言葉でございました

 或の日私が統一の修行に疲れて、瀑壷の所へ出てぼんやり水を眺めて居りますと、ここの龍神様が、又もや例の白衣姿で、白木の長い杖をつきながら、ひょっくり私の傍へお現われになりました。

『丁度よい機会であるから、汝を上の山へ連れて行って、一つ大へんに面白いものを見せて上げようと思うが……。』

『面白いものと言ってそれは何でございますか?』

『自分について来れば判る。汝は折角修行の為めにここへ寄越されているのであるから、この際できる丈何彼を見聞して置くがよいであろう……。』

 もとより拒むべき筋合のものでございませぬから、私は早速身支度してこの親切な、老いたる龍神さんの後について出掛けることになりました。

 瀑布の右手にくねくねと附いている狭い山道、私達はそれをば上へ上へと登って行きました。見るとその辺は老木がぎっしり茂っている、ごくごく淋しい深山で、そして不思議に山彦のよく響く処でございました。漸く山林地帯を出抜けると、そこは最う山の頂辺で、芝草が一面に生えて居り、相当に見晴しのきくところでございました。

『実は今日ここで汝に雨降りの実況を見せるつもりなのじゃ。と申して別に俺が直接にやるのではない。雨には雨の受持がある……。』

 そう言って瀑布のお爺さんは、眼を閉じてちょっと黙祷をなさいましたが、間もなくゴーッという音がして、それがあちこちの山々にこだまして、ややしばらく音が止みませんでした。

 と見ると、向うに一人の若い男子の姿が現われました。年の頃は三十許、身には丸味がかった袖の浅黄の衣服を着け、そして膝の辺でくくった、矢張り浅黄色の袴を穿き、足は草履に足袋と言った、甚だ身軽な扮装でした。頭髪は茶筌に結っていました。

『これは雨の龍神さんが化けて来たのに相違ない……。』一と目見た時に私はすぐそう感づきました。不思議なもので、いつ覚えたともなく、その頃の私にはそれ位の見わけがつくのでした。

 お爺さんは言葉少なに私をこの若者に引き合わせた上で、

『今日は御苦労であるが、俺のところの修行者に一つ雨を降らせる実況を見せて貰いたいのじゃが……。』

『承知致しました。』

 若者は快く引き受け、直ちにその準備にかかりました。尤も準備と言っても別にそううるさい手続のあるのでも何でもございませぬ。ただ上の神界に真心こめて祈願する丈で、その祈願が叶えば神界から雨を賜わることのようでございます。つまり自然界の仕事は幾段にも奥があり、いかに係りの龍神さんでも、御自分の力のみで勝手に雨を降らしたり、風を起したりはできないようでございます。

 それはさて措き、年の若い雨の龍神さんは、瀑布の龍神さんと一緒になって、口の中で何か唱えごとをしながら、ややしばらく祈願をこめていましたが、それが終ると同時に、ぷいとその姿を消しました。

『あれは今龍体に戻ったのじゃ。』とお爺さんが説明してくれました。『龍体に戻らぬと仕事が出来ぬのでな……。その中直に始まるであろうから、しばらくここで待つがよい。』

 そんなことを言っている中にも、何やら通信があるらしく、お爺さんはしきりに首肯いて居られます。

『何か差支でも起きたのでございますか?』

『いやそうではない。実は神界から、雨を降らせるに就いては、同時に雷の方も見せてやれとのお達しが参ったのじゃ。それで今その手筈をしているところで……。』

『まあ雷でございますか……。是非それも見せて戴き度うございます……。』


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


2010年8月
« 7月   9月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。