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52、瀑布の白龍

2010/08/06

 たった一人で、そんな山奥の瀑壷の辺に暮すことになって、さびしくはなかったかと仰っしゃるか……。ちっともさびしいだの、気味がわるいだのということはございませぬ。そんな気持に襲われるのは死んでから間のない、何も判らぬ時分のこと、少しこちらで修行がつんでまいりますと、自分の身辺はいつも神様の有難い御力に衛られているような感じがして、何所に行っても安心して居られるのでございます。しかも今度の私の修行場は、山の修行場よりも一段格の高い浄地で、そこには大そうお立派な一体の龍神様が鎮まって居られたのでした。

 ある時私が一心に統一の修行をして居りますと、誰か背後の方で私の名を呼ぶものがあるのです。『指導役のお爺さんかしら……。』そう思って不図振りかえて見ると、そこには六十前後と見ゆる、すぐれて品位のよい、凛々しいお顔の、白衣の老人が黒っぽい靴を穿いて佇んでいました。私は一と目見て、これはきっと貴い神さまだとさとり、丁寧に御挨拶を致しました。それがつまりこの瀑布の白龍さまなのでございました。

『俺は古くからこの瀑布を預かっている老人の龍神じゃが、此度縁あって汝を手元に預かることになって甚だ歓ばしい。一度汝に逢って置こうと思って、今日はわざわざ老人の姿に化けて出現てまいった。人間と談話をするのに龍体ではちと対照が悪いのでな……。』

 そう言って私の顔を見て微笑れました。私はこんな立派な神様が時々姿を現わして親切に教えてくださるかと思うと、忝ないやら、心強いやら、自ずと涙がにじみ出ました。――

『これからは何卒よしなに御指導くださいますよう……。』

『俺の力量に及ぶことなら何なりと申出るがよい。すでに龍宮界からも、そなたの為めによく取計らえとのお指図じゃ。遠慮なく訊きたいことを訊いてもらいたい。』

 親身になっていろいろとやさしく言われますので、私の方でもすっかり安心して、勿体ないとは思いつつも、いつしか懇意な叔父さまとでも対座しているような、打解けた気分になって了いました。

『あの大そう無躾なことを伺いますが、あなた様はよほど永くここにお住居でございますか。』

『さァ人間界の年数に直したら何年位になろうかな……。』と老龍神はにこにこし乍ら『少く見積っても三万年位にはなるであろうかな。』

『三万年!』と私はびっくりして、『その間には随分いろいろの変った事件が起ったでございましょう……。』

『もともとこちらの世界のことであるから、さまで変った事件も起らぬ。最初ここへ参った時に蒼黒かった俺の躯がいつの間にか白く変った位のものじゃ。その中俺の真実の姿を汝に見せて上げるとしよう……。』

『それは何時でございましょうか。只今すぐに拝まして戴きとう存じまするが……。』

『イヤすぐという訳にはまいらぬ。汝の修行がもう少し積んで、これならばと思われる時に見せるとしよう。』

 その時はそんな対話をした丈でお分れしましたが、私としては一時も早くこの瀑布の龍神様の本体を拝みたいばかりに、それからというものは、一心不乱に精神統一の修行をつづけました。又場所が場所丈に、近頃の統一状態は以前よりもずっと深く、ずっと混りなくなったように自分にも感じられました。

 それからどれ位経った時でございましょうか、ある日俄かに私の眼の前に、一道の光明がさながら洪水のように、どっと押し寄せてまいりました。一たんは、はっと愕きましたが、それが何かのお通報であろうと気がついて心を落ちつけますと、つづいて瀑布の方向に当って、耳がつぶれるばかりの異様の物音がひびきます。

 私は直ちに統一を止めて、急いで瀧壷の上に走り出て見ますと、果してそこには一体の白龍……爛々と輝く両眼、すっくと突き出された二本の大きな角、銀をあざむく鱗、鋒を植えたような沢山の牙……胴の周囲は二尺位、身長は三間余り……そう言った大きな、神々しいお姿が、どっと落ち来る飛沫を全身に浴びつつ、いかにも悠々たる態度で、巌角を伝わって、上へ上へと攀じ登って行かれる……。

 眼のあたり、斯うした荘厳無比の光景に接した私は、感極りて言葉も出でず、覚えず両手を合わせて、その場に立ち尽したことでございました。

 私は前にも幾度か龍体を目撃して居りますが、この時ほど間近く見、この時ほど立派なお姿を拝んだことはございませぬ。その時の光景はとても私の拙い言葉で尽すことはできませぬ。何卒然るべくお察しをお願いします……。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。