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51、第三の修行場

2010/08/05

 私の山の修行は随分長くつづきましたが、やがて又この修行場にも別れを告ぐべき時節がまいりました。

『汝の修行もここで一段落ついたようじゃ。これから別の修行場へ連れてまいる……。』

 或る日指導役のお爺さんからそう言い渡されましたが、実をいうと私の方でも近頃はそろそろ山に倦が来きて、どこぞ別のところへ移って見たいような気分がして居たのでございました。私は二つ返事でお爺さんの言葉に従いました。

 引越しは例によって至極お手軽でございました。私が自身で持参したのはただ母の形見の守刀だけで、いざ出発と決った瞬間に、今まで住んで居た小屋も、器具類もすぅっと消え失せ、その跡には早くも青々とした蘇苔が隙間なく蒸して居るのでした。何があっけないと申して、斯んなあっけない仕事はめったにあるものでなく、相当幽界の生活に慣れた私でさえ、いささか物足りなさを感じない訳にもまいりませんでした。

 が、お爺さんの方では、何処に風が吹くと言った面持で、振り向きもせず、ずんずん先きへ立って歩るき出されましたので、私も黙ってその後に跟いてまいりますと、いつしか道が下り坂になり、くねくねした九十九折をあちらへ繞り、こちらへ廻っている中に、何所ともなくすざまじい水音が響いてまいりました。

『お爺さま、あれは瀑布の音でございますか?』

『そうじゃ。今度の修行場はあの瀑布のすぐ傍にあるのじゃ。』

『まあ瀑布の修行場……。どんなに結構なところでございましょう。私も、何所か水のある所で修行したいような気分になって居りました。』

『それだから今度の瀑布の修行場となったのじゃ。汝も知る通り、こちらの世界の掟にはめったに無理なところはない……。』

 そう話合っている中に、いつしか私達は飛沫を立てて流るる、二間ばかりの渓流のほとりに立っていました。右も左も削ったような高い崖、そこら中には見上げるような常盤木が茂って居り、いかにもしっとりと気分の落ちついた場所でした。

 不図気がついて見ると、下方を流るる渓流の上手は十間余りの懸崕になって居り、そこに巾さが二三間ぐらいの大きな瀑布が、ゴーッとばかりすさまじい音を立てて、木の葉がくれに白布を懸けて居りました。

 私はどこに一点の申分なき、四辺の清浄な景色に見惚れて、覚えず感歎の声を放ちましたが、しかしとりわけ私を驚かせたのは、瀑壷から四五間ほど隔てた、とある平坦な崖地の上に、私が先刻まで住んでいた、あの白木造りの小屋がいつの間にか移されて居たことでした。

『まあ斯んなところに……。』

 私は呆れてそう叫びましたが、しかしお爺さんは例によってそんな事は当然だと言った風情で、ニコリともせず斯う言われるのでした。――

『これから汝はここでみっしり修行するのじゃ。俺はこれで帰る……。』

 言うが早いか、お爺さんの白衣の姿はぷいと烟のように消えて、私はただひとりポッネンと、この閑寂な景色の中に取り残されました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。