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50、銀杏の精

2010/08/04

 一と通り野原の妖精見物を済ませますと、指導役のお爺さんは、私に向って言われました。――

『この辺に見掛ける妖精達は概して皆年齢の若いものばかり、性質も無邪気で、一向多愛もないが、同じ妖精でも、五百年、千年と功労経たものになると、なかなか思慮分別もあり、うっかりするとヘタな人間は敵わぬことになる。例えばあの鎌倉八幡宮の社頭の大銀杏の精――あれなどはよほど老成なものじゃ……。』

『お爺さま、あの大銀杏ならば私も生前によく存じて居ります。何うぞこれからあそこへお連れ下さいませ……。一度その大銀杏の精と申すのに逢って置き度うございます。』

『承知致した。すぐ出掛けると致そう……。』

 どこを何う通過したか、途中は少しも判りませぬが、私達は忽ちあの懐かしい鎌倉八幡宮の社前に着きました。巾の広い石段、丹塗の楼門、群がる鳩の群、それからあの大きな瘤だらけの銀杏の老木……チラとこちらから覗いた光景は、昔とさしたる相違もないように見受けられました。

 私達は一応参拝を済ませてから、直ちに目的の銀杏の樹に近寄りますと、早くもそれと気づいたか、白茶色の衣裳をつけた一人の妖精が木蔭から歩み出で、私達に近づきました。身の丈は七八寸、肩には例の透明な羽根をはやして居りましたが、しかしよくよく見れば顔は七十余りの老人の顔で、そして手に一条の杖をついて居りました。私は一と目見て、これが銀杏の精だと感づきました。

『今日はわざわざこれなる女性を連れて来ました。』と指導役のお爺さんは老妖精に挨拶しました。『御手数でも、何かと教えてあげてください……。』

『ようこそ御出でくだされた。』と老妖精は笑顔で私を迎えてくれました。『そなたは気づかなかったであろうが、実はそなたがまだ可愛らしい少女姿でこの八幡宮へ御詣りなされた当時から、俺はようそなたを存じて居る……。人間の世界と申すものは瞬く間に移り変れど、俺などは幾年経っても元のままじゃ……。』

 枯れた、落附いた調子でそう言って、老いたる妖精はつくづくと私の顔を打ちまもるのでございました。私も何やら昔馴染の老人にでもめぐり逢ったような気がして、懐かしさが胸にこみ上げて来るのでした。

 老妖精は一層しんみりとした調子で、談話をつづけました。

『実を申すと俺はこの八幡宮よりももっと古く、元はここからさして遠くもない、とある山中に住んで居たのじゃ。然るにある年八幡宮がこの鶴岡に勧請されるにつけ、その神木として、俺が数ある銀杏の中から選び出され、ここに移し植えられることになったのじゃ。それから数えてももうずいぶんの星霜が積ったであろう。一たん神木となってからは、勿体なくもこの通り幹の周囲に注連縄が張りまわされ、誰一人手さえ触れようとせぬ。中には八幡宮を拝むと同時に俺に向って手を合わせて拝むものさえもある……。これと申すも皆神様の御加護、お蔭で他所の銀杏とは異なり、何年経てど枝も枯れず、幹も朽ちず、日本国中で無類の神木として、今もこの通り栄えて居るような次第じゃ。』

『長い歳月の間には随分いろいろの事を御覧になられたでございましょう……。』

『それは覧ました……。そなたも知らるる通り、この鎌倉と申すところは、幾度となく激しい合戦の巷となり、時にはこの銀杏の下で、御神前をも憚らぬ一人の無法者が、時の将軍に対して刃傷沙汰に及んだ事もある……。そうした場合、人間というものはさてさて惨いことをするものじゃと、俺はどんなに歎いたことであろう……。』

『でもよくこの銀杏の樹に暴行を加えるものがなかったものでございます……。』

『それは神木である御蔭じゃ。俺の外にこの銀杏には神様の御眷族が多数附いて居られる。若しいささかでもこれに暴行を加えようものなら、立所に神罰が降るであろう。ここで非命に斃れた、かの実朝公なども、今はこの樹に憑って、守護に当って居られる……。イヤ丁度良い機会じゃ。そなたも一応それ等の方々にお目にかかるがよいであろう。何れも爰にお揃いになって居られる……。』

 そう言われて驚いて振り返って見ると、甲冑を附けた武将達だの、高級の天狗様だのが、数人樹の下に佇みて、笑顔で私達の様子を見守って居られましたが、中でも強く私の眼を惹いたのは、世にも気高い、若々しい実朝公のお姿でした……。


 さなきだに不思議な妖精界の探検に、こんな意外の景物までも添えられ、心から驚き入ることのみ多かった故か、その日の私はいつに無く疲労を覚え、夢見心地でやっと修行場へ引き上げたことでございました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。