71、神馬

 鎮座祭が済んでから私は一たん海の修行場に引き上げました。それは小桜神社の祭神として実際の仕事にかかる前にまだ何やら心の準備が要ると考えましたからで……。

 で、私は一生懸命深い統一に入り、過去の一切の羈絆を断ち切ることによりて、一層自由自在な神通力を恵まれるよう、心から神様に祈願しました。それは時間にすれば恐らく漸く一刻位の短かい統一であったと思いますが、心が引緊っている故か、私とすれば前後にない位のすぐれて深い統一状態に入ったのでございました。畏れ多くも私として、天照大御神様、又皇孫命様の尊い御神姿を拝し奉ったのは実にその時が最初でございました。他にいろいろ申上げたいこともありますが、それは主に私一人に関係した霊界の秘事に属しますので、しばらく控えさせて戴くことに致しましょう。

 ただ一つここで御披露して置きたいと思いますことは、神馬の件で……。つまり不図した動機から小桜神社に神馬が一頭新たに飼われることになったのでございます。その経緯は斯うなのでございます。

 私が深い統一から覚めた時に、思いも寄らず最前からそこに控えて待っていたのは、数間の爺やでございました。爺やは今日の鎮座祭の慶びを述べた後で、突然斯んなことを言い出しました。――

『姫さまが今回神社にお入りなされるにつけては、是非神馬が一頭欲しいと思いまするが……。』

『ナニ神馬?』と私はびっくりしまして『そなたは又何うしてそんな事を言い出すのじゃ……。』

『実は姫様がお可愛がりになった、あの若月……あれがこちらの世界に来て居るのでござります。私は何回かあの若月に逢って居りますので……。』

『若月なら私も一度こちらで逢いました……。』

『もうお逢いなされましたか……何んとお早いことで……。が、それなら尚更のことでござります。是非あの若月を小桜神社の神馬に出世させておやり下さいませ。若月がどんなに歓ぶか知れませぬ。又苟且にも一つの神社に一頭の神馬もないとあっては何となく引立ちませんでナ……。』

『そんな勝手な事が、できるかしら……。』

『できても、できなくても一応神様に談判して戴きます。これ位の願いが許されないとあっては、俺にも料簡がござります……。』

 数間の爺やの権幕と言ったら大へんなものでした。

 そこでとうとう私から指導役のお爺さんにお話しすると、意外にも産土の神様の方ではすでにその手筈が整って居り、神社の横手に小屋も立派に出来て居るとの事でございました。それと知った時の数間の爺やの得意さと言ったらありませんでした。

『ソーれお見なされ姫様、他のことにかけては姫様がお偉いか知れぬが、馬の事にかけては矢張りこの爺やの方が一枚役者が上でござる……。』

 間もなく私は海の修行場を引き上げて、永久に神社の方に引き移りましたが、それと殆んど同時に馬も数間の爺やに曳かれて、頭を打振り打振り歓び勇んで私の所に現われました。それからずっと今日まで馬は私の手元に元気よく暮して居りますが、ただこちらでは馬がいつも神社の境内につながれて居る訳ではなく、どこに行って居っても、私が呼べばすぐ現て来るだけでございます。さびしい時は私はよく馬を相手に遊びますが、馬の方でもあの大きな舌を持って来て私の顔を舐めたりします。それはまことに可愛らしいものでございまして……。

 それから馬の呼名でございますが、私は予ての念願どおり、若月を改めて、こちらでは鈴懸と呼ぶことに致しました。私が神社に落ちついてから、真先きに訪ねてくれたのは父だの、母だの、良人だのでございましたが、私は何は措いても先ずこの鈴懸を紹介しました。その際誰よりも感慨深そうに見えたのは矢張り良人でございました。良人はしきりに馬の鼻面を撫でてやりながら『汝もとうとう出世して鈴懸になったか。イヤ結構結構! 俺はもう呼名について反対はせんぞ……。』そう言って、私の方を顧みて、意味ありげな微笑を漏したことでございました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。