69、鎮座祭
そうする中にいよいよ鎮座祭の日がまいりました。
『現界の方では今日はえらいお祭騒ぎじゃ。』と指導役のお爺さんが説ききかせてくださいました。『地元の里はいうまでもなく、三里五里の近郷近在からも大へんな人出で、あの狭い海岸が身動きのできぬ有様じゃ。往来には掛茶屋やら、屋台店やらが大分できて居る……。が、それは地上の人間界のことで、こちらの世界は至って静謐なものじゃ。俺一人でそなたをあのお宮へ案内すればそれで事が済むので……。まァこれまでの修行場の引越しと格別の相違もない……。』
そう言ってお爺さんは一向に取済ましたものでしたが、私としては、それでは何やら少し心細いように感じられてならないのでした。
『あのお爺さま、』私はとうとう切り出しました。『私一人では何やら心許のうございますから、お差支なくば私の守護霊さまに一緒に来て戴きたいのでございますが……。』
『それは差支ない。そなたを爰まで仕上げるのには、守護霊さんの方でも蔭で一と方ならぬ骨折じゃった。――もう追ッつけ現界の方では鎮座祭が始まるから、こちらもすぐにその支度にかかると致そうか……。』
毎々申上げますとおり、私どもの世界では何事も甚だ手取り早く運びます。先ず私の服装が瞬間に変りましたが、今日は平常とは異って、身には白練の装束、手には中啓、足には木の蔓で編んだ一種の草履、頭髪はもちろん垂髪……甚ださッぱりしたものでございました。他に身につけていたものといえばただ母の紀念の守刀――こればかりは女の魂でございますから、いかなる場合にも懐から離すようなことはないのでございます。
私の服装が変った瞬間には、もう私の守護霊さんもいそいそと私の修行場へお見えになりました。お服装は広袖の白衣に袴をつけ、上に何やら白の薄物を羽織って居られました。
『今日は良うこそ私をお召びくださいました。』と守護霊さんはいつもの控え勝ちな態度の中にも心からのうれしさを湛え、『私がこちらの世界へ引移つてから、かれこれ四百年にもなりますが、その永い間に今日ほど肩身が広く感じられることはただの一度もございませぬ。これと申すも偏に御指導役のお爺さまのお骨折、私からも厚くお礼を申上げます。この後とも何分宜しうお依み申しまする……。』
『イヤそう言われると俺はうれしい。』とお爺さんもニコニコ顔、『最初この人を預かった当座は、つまらぬ愚痴を並べて泣かれることのみ多く、さすがの俺もいささか途方に暮れたものじゃが、それにしてはよう爰まで仕上ったものじゃ。これからは、何と言おうが、小桜神社の祭神として押しも押されもせぬ身分じゃ……。早速出掛けると致そう。』
お爺さんはいつもの通りの白衣姿に藁草履、長い杖を突いて先頭に立たれたのでした。
浪打際を歩いたように感じたのはホンの一瞬間、私達はいつしか電光のように途中を飛ばして、例のお宮の社頭に立っていました。
内部に入ってホッと一と息つく間もなく、忽ち産土の神様の御神姿がスーッと神壇の奥深くお現われになりました。その場所は遠いようで近く、又近いようで遠く、まことに不思議な感じが致しました。
恭しく頭を低げている私の耳には、やがて神様の御声が凛々と響いてまいりました。それは大体左のような意味のお訓示でございました。
『今より神として祀らるる上は心して土地の守護に当らねばならぬ。人民からはさまざまの祈願が出るであろうが、その正邪善悪は別として、土地の守護神となった上は一応丁寧に祈願の全部を聴いてやらねばならぬ。取捨は其上の事である。神として最も戒むべきは怠慢の仕打、同時に最も慎むべきは偏頗不正の処置である。怠慢に流るる時はしばしば大事をあやまり、不正に流るる時はややもすれば神律を紊す。よくよく心して、神から托された、この重き職責を果すように……。』
産土の神様のお馴示が終ると、つづいて龍宮界からのお言葉がありましたが、それは勿体ないほどお優さしいもので、ただ『何事も六ヶしい事はこちらに訊くように……。』とのことでございました。
私は今更ながら身にあまる責任の重さを感ずると同時に、限りなき神恩の忝さをしみじみと味わったことでございました。
底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社
1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行
※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。
※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。
※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。
※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。
※ ルビ付き版はこちらです。
入力者: 泉美
かな修正: いさお