‘2010/07’ カテゴリーのアーカイブ

36、弟橘姫

2010/07/21

 あまりに平凡な人達の噂ばかりつづきましたから、その埋合せという訳ではございませぬが、今度はわが国の歴史にお名前が立派に残っている、一人の女性にお目にかかったお話を致しましょう。外でもない、それは大和武尊様のお妃の弟橘姫様でございます……。

 私達の間をつなぐ霊的因縁は別と致しましても、不思議に在世中から私は弟橘姫様と浅からぬ関係を有って居りました。御存じの通り姫のお祠は相模の走水と申すところにあるのですが、あそこは私の縁づいた三浦家の領地内なのでございます。で、三浦家ではいつも社殿の修理その他に心をくばり、又お祭でも催される場合には、必ず使者を立てて幣帛を献げました。何にしろ婦女の亀鑑として世に知られた御方の霊場なので、三浦家でも代々あそこを大切に取扱って居たらしいのでございます。そして私自身もたしか在世中に何回か走水のお祠に参拝致しました……。

 ナニその時分の記憶を物語れと仰っしゃるか……随分遠い遠い昔のことで、まるきり夢のような感じがするばかり、とてもまとまったことは想い出せそうもありませぬ。たしか走水という所は浦賀の入江からさまで遠くもない、海と山との迫り合った狭い漁村で、そして姫のお祠は、その村の小高い崖の半腹に建って居り、石段の上からは海を越えて上総房州が一と目に見渡されたように覚えて居ります。

 そうそういつか私がお詣りしたのは丁度春の半ばで、あちこちの山や森には山桜が満開でございました。走水は新井の城から三四里ばかりも隔った地点なので、私はよく騎馬で参ったのでした。馬はもちろん例の若月で、従者は一人の腰元の外に、二三人の家来が附いて行ったのでございます。道は三浦の東海岸に沿った街道で、たしか武山とか申す、可成り高い一つの山の裾をめぐって行くのですが、その日は折よく空が晴れ上っていましたので、馬上から眺むる海と山との景色は、まるで絵巻物をくり拡げたように美しかったことを今でも記憶して居ります。全くあの三浦の土地は、海の中に突き出た半島だけに、景色にかけては何処にもひけは取りませぬようで……。尤もそれは現世での話でございます。こちらの世界には龍宮界のようなきれいな所がありまして、三浦半島の景色がいかに良いと申しても、とてもくらべものにはなりませぬ。

 領主の奥方が御通過というので百姓などは土下座でもしたか、と仰っしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ違う時にちょっと道端に避けて首をさげる丈でございます。それすら私には気づまりに感じられ、ツイ外へ出るのが億劫で仕方がないのでした。幸いこちらの世界へ参ってから、その点の気苦労がすっかりなくなったのは嬉しうございますが、しかしこちらの旅はあまり、あっけなくて、現世でしたように、ゆるゆると道中の景色を味わうような面白味はさっぱりありませぬ……。

 こんな夢物語をいつまで続けたとて致方がございませぬから、良い加減に切り上げますが、兎に角弟橘姫様に対する敬慕の念は在世中から深く深く私の胸に宿って居たことは事実でございました。『尊のお身代りとして入水された時の姫のお心持ちはどんなであったろう……。』祠前に額いて昔を偲ぶ時に、私の両眼からは熱い涙がとめどなく流れ落ちるのでした。

 ところがいつか龍宮界を訪れた時に、この弟橘姫様が玉依姫様の末裔――御分霊を受けた御方であると伺いましたので、私の姫をお慕い申す心は一層強まってまいりました。『是非とも、一度お目にかかって、いろいろお話を承り、又お力添を願わねばならぬ……。』――そう考えると矢も楯もたまらぬようになり、とうとうその旨を龍宮界にお願いすると、龍宮界でも大そう歓ばれ、すぐその手続きをしてくださいました。

 私がこちらで弟橘姫様にお目通りすることになったのはこんな事情からでございます。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


35、辛い修行

2010/07/20

 それから引きつづいて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一伍一什を私に物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大へんに趣が異いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んで居るものでございました。私は今ここでその全部をお漏しする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。

 敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分みじめなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。――

『死後私はしばらくは何事も知らずに無自覚で暮しました。従ってその期間がどれ位つづいたか、むろん判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡すかぎり真暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私はすぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。もともと死ぬる覚悟で居ったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱って了いました。しかもそれがただの暗さとは何となく異うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やろうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話しになりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いて居るものが、何れも皆異様の人間なのでございます。――頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷いて居るもの……ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私のすぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きができなくされて居ります。すると、そこへ瞋の眥を釣り上げた、一人の若い女が現われて、口惜しい口惜しいとわめきつづけながら、件の男にとびかかって、頭髪をったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似をいたします。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな苛責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪がだんだん怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、偏にこの暗闇の内部の、世にもものすごい懲戒の賜でございました……。』

 敦子さまの物語はまだいろいろありましたが、だんだんきいて見ると、あの方が何より神様からお叱りを受けたのは、自殺そのものよりも、むしろそのあまりに強情な性質……一たん斯うと思えば飽までそれを押し通そうとする、我侭な気性の為めであったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。――

『私は生前何事も皆気随気侭に押しとおし、自分の思いが協わなければこの世に生甲斐がないように考えて居りました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来てもなかなか脱けず、御指導の神様に対してさえ、すべてを隠そう隠そうと致しました。すると或時神様は、汝の胸に懐いていること位は、何も彼もくわしく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にして居った、ある一つの事柄……大概お察しでございましょうが、それをすつぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお恕しを願いました。その為めに私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることができました。尤も私の先祖の中に立派な善行のものが居ったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで……。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落され、大へんに損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折入ってお詫びしなければならぬことがございます。実はこのお詫をしたいばかりに、今日わざわざ神様にお依みして、つれて来て戴きましたような次第で……。』

 敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それはつまらないことでございました。――

『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ちあけた時、あなたは私に向い、自分同志が良いのも結構だが、斯ういうことは矢張り両親の許諾を得る方がよい、と仰っしゃいました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大へんにあなたを軽視したのでございます。

――しかし、こちらの世界へ来て、だんだん裏面から、人間の生活を眺めることが、できるようになって見ると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私は矢張り悪魔に魅れて居たのでございました。――私は改めてここでお詫びを致します。何うぞ私の罪をお恕し遊ばして、元のとおりこの不束な女を可愛がって、行末かけてお導きくださいますよう……。』


 この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分つらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩一歩と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達して居ります。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない。』と仰っしゃって、神様にお願いして、わざと小さな岩窟のような所に籠って、修行にいそしんで居られます。これなどは、むしろ私どもの良い亀鑑かと存じます。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

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※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

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入力者: 泉美

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34、破れた恋

2010/07/19

 それから程経て、敦子さまが死んだこと丈は何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか逢えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を終えて、戸外に出て、四辺の景色を眺めて居りますと、私の守護霊……この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねてまいります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます。』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう。』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現われました。

『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか……。』

 私が近づいて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いた切り、顔の色なども何所やら暗いように見えました。私はちょっと手持無沙汰に感じました。

 すると案内のお爺さんが代って簡単に挨拶してくれました。――

『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかとは思われたが、ただ本人が是非御身に逢いたい、一度逢わせてもらえば、気持が落ついて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも依んで、今日わざわざ連れてまいったような次第……御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、いろいろとよく言いきかせて貰いたい……。』

 そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰って了いました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけてやさしく申しました。――

『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄……殊にあなたが何回も私の佗住居を訪れていろいろと慰めてくだされた、あの心尽しは今もうれしい思い出の一つとなって居ります。その御恩がえしというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。何うぞすべてを打明けて、あなたの相談相手にしていただきます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます……。』

 敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森とした、浄らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ついて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。

『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄りつけはしませぬ……。』

 こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打明話をすることになりましたが、最初想像したとおり、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、いろいろこみ入った事情があり、そして結局飛んでもない死方――自殺を遂げて了ったのでした。敦子さまは、斯んな風に語り出でました。――

『生前あなたにも、あるところまでお漏らししたとおり、私達夫婦の仲というものは、うわべとは大へんに異い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、もともと他所へ縁づく気持などは少しもなかったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで躯だけは良人にささげましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄……他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました……。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生き永らえて居りましたのは、間もなく私が身重になった為めで、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜くもないその日その日を送っていたのでございました。

『こんな冷たい妻の心が、何でいつまで良人の胸にひびかぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にもまして、一層大きな溝ができて了い、夫婦とはただ名ばかり、心と心とは千里もかけ離れて居るのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換のない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気がふれたようになって、何の前後の考もなく、懐剣で喉を突いて、一図に小供の後を追ったのでございました……。』

 敦子さまの談話をきいて居りますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応尤もなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

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33、自殺した美女

2010/07/18

 今度は入れ代って、或る事情の為めに自殺を遂げた一人の女性との会見のお話を致しましょう。少々陰気くさい話で、おききになるに、あまり良いお気持はしないでございましょうが、斯う言った物語も現世の方々に、多少の御参考にはなろうかと存じます。

 その方は生前私と大へんに仲の良かったお友達の一人で、名前は敦子……あの敦盛の敦という字を書くのでございます。生家は畠山と言って、大そう由緒ある家柄でございます。その畠山家の主人と私の父とが日頃別懇にしていた関係から、私と敦子さまとの間も自然親しかったのでございます。お年齢は敦子さまの方が二つばかり下でございました。

 お母さまが大へんお美しい方であった為め、お母さま似の敦子さまも眼の覚めるような御縹緻で、殊にその生際などは、慄えつくほどお綺麗でございました。『あんなにお美しい御縹緻に生れて敦子さまは本当に仕合せだ……。』そう言ってみんなが羨ましがったものでございますが、後で考えると、この御縹緻が却ってお身の仇となったらしく、矢張り女は、あまり醜いのも困りますが、又あまり美しいのもどうかと考えられるのでございます。

 敦子さまの悩みは早くも十七八の娘盛りから始まりました。諸方から雨の降るようにかかって来る縁談、中には随分これはというのもあったそうでございますが、敦子さまは一つなしに皆断って了うのでした。これにはむろん訳があったのでございます。親戚の、幼馴染の一人の若人……世間によくあることでございますが、敦子さまは早くから右の若人と思い思われる仲になり、末は夫婦と、内々二人の間に堅い約束ができていたのでございました。これが望みどおり円満に収まれば何の世話はないのでございますが、月に浮雲、花に風とやら、何か両家の間に事情があって、二人は何うあっても一緒になることができないのでした。

 こんな事で、敦子さまの婚期は年一年と遅れて行きました。敦子さまは後にはすっかり棄鉢気味になって、自分は生涯嫁には行かないなどと言い張って、ひどく御両親を困らせました。ある日敦子さまが私の許へ訪ずれましたので、私からいろいろ言いきかせてあげたことがございました。『御自分同志が良いのは結構であるが、斯ういうことは、矢張り御両親のお許諾を得た方がよい……。』どうせ私の申すことはこんな堅苦しい話に決って居ります。これをきいて敦子さまは別に反対もしませんでしたが、さりとて又成る程と思いかえしてくれる模様も見えないのでした。

 それでも、その後幾年か経って、男の方があきらめて、何所からか妻を迎えた時に、敦子さまの方でも我が折れたらしく、とうとう両親の勧めに任せて、幕府へ出仕している、ある歴々の武士の許へ嫁ぐことになりました。それは敦子さまがたしか二十四歳の時でございました。

 縁談がすっかり整った時に、敦子さまは遥ばる三浦まで御挨拶に来られました。その時私の良人もお目にかかりましたが、後で、『あんな美人を妻に持つ男子はどんなに仕合わせなことであろう……。』などと申した位に、それはそれは美しい花嫁姿でございました。しかし委細の事情を知って居る私には、あの美しいお顔の何所やらに潜む、一種の寂しさ……新婚を歓ぶというよりか、寧しろつらい運命に、仕方なしに服従していると言ったような、やるせなさがどことなく感じられるのでした。

 兎も角こんな具合で、敦子さまは人妻となり、やがて一人の男の児が生れて、少くとも表面には大そう幸福らしい生活を送っていました。落城後私があの諸磯の海辺に佗住居をして居た時分などは、何度も何度も訪れて来て、何かと私に力をつけてくれました。一度は、敦子さまと連れ立ちて、城跡の、あの良人の墓に詣でたことがございましたが、その道すがら敦子さまが言われたことは今も私の記憶に残って居ります。――

『一たい恋しい人と別れるのに、生別れと死別れとではどちらがつらいものでしょうか……。事によると生別れの方がつらくはないでしょうか……。あなたの現在のお身上もお察し致しますが、少しは私の身の上も察してくださいませ。私は一つの生きた屍、ただ一人の可愛い子供があるばかりに、やっとこの世に生きていられるのです。若しもあの子供がなかったら、私などは夙の昔に……。』

 現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りかと存じます。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

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32、無理な願

2010/07/17

『何やら昔の香織らしい面影が残って居れど、それにしては随分老け過ぎている……。』私が、そう考えて躊躇して居りますと、先方では、さも待ち切れないと言った様子で、膝をすり寄せてまいりました。――

『姫さまわたくしをお忘れでございますか……香織でございます……。』

『矢張りそうであったか。――私はそなたがまだ息災で現世に暮して居るものとばかり思っていました。一たいいつ歿ったのじゃ……。』

『もう、かれこれ十年位にもなるでございましょう。私のようなつまらぬものは、とてもこちらで姫さまにお目にかかれまいとあきらめて居りましたが、今日図らずも念願がかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事で……些ッとも姫さまは往時とお変りがございませぬ。お懐かしう存じます……。』現世らしい挨拶をのべながら、香織はとうとう私の躯にしがみついて、泣き入りました。私もそうされて見れば、そこは矢張り人情で、つい一緒になって泣いて了いました。

 心の昂奮が一応鎮まってから、私達の間には四方八方の物語が一しきりはずみました。――

『そなたは一たい、何処が悪くて歿ったのじゃ?』

『腹部の病気でございました。針で刺されるようにキリキリと毎日悩みつづけた末に、とうとうこんなことになりまして……。』

『それは気の毒であったが、何うしてそなたの死ぬことが、私の方へ通じなかったのであろう……。普通なら臨終の思念が感じて来ない筈はないと思うが……。』

『それは皆わたくしの不心得の為めでございます。』と香織は面目なげに語るのでした。『日頃わたくしは、死ねば姫さまの形見の小袖を着せてもらって、すぐお側に行ってお仕えするのだなどと、口癖のように申していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘れて了ったのでございます。どこまでも執着の強い私は、自分の家族のこと、とりわけ二人の子供のことが気にかかり、なかなか死切れなかったのでございます。こんな心懸の良くない女子の臨終の通報が、どうして姫さまのお許にとどく筈がございましょう。何も彼も皆私が悪かった為めでございます。』

 正直者の香織は、涙ながらに、臨終に際して、自分の心懸の悪かったことをさんざん詫びるのでした。しばらくして彼女は言葉をつづけました。――

『それでもこちらへ来て、いろいろと神様からおさとしを受けたお蔭で、わたくしの現世の執着も次第に薄らぎ、今では修行も少し積みました。が、それにつれて、日ましに募って来るのは姫さまをお慕い申す心で、こればかりは何うしても我慢がしきれなくなり、幾度神様に、逢わせていただきたいとお依みしたか知れませぬ。でも神さまは、まだ早い早いと仰せられ、なかなかお許しが出ないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと知りながらもツイ神様に喰ってかかり、さんざん悪口を吐いたことがございました。それでも神様の方では、格別お怒りにもならず、内々姫さまのところをお調べになって居られたものと見えまして、今度いよいよ時節が来たとなりますと、御自身で私を案内して、連れて来て下すったのでございます。――姫さま、お願いでございます、これからは、どうぞお側にわたくしを置いてくださいませ。わたくしは、昔のとおり姫さまのお身のまわりのお世話をして上げたいのでございます……。』

 そう言って香織は又もや私に縋りつくのでした。

 これには私もほとほと持ちあつかいました。

『神界の掟としてそればかりは許されないのであるが……。』

『それは又何ういう訳でございますか? わたくしは是非こちらへ置いて戴きたいのでございます。』

『それは現世ですることで、こちらの世界では、そなたも知る通り、衣服の着がえにも、頭髪の手入にも、少しも人手は要らぬではないか。それに何とも致方のないのはそれぞれの霊魂の因縁、めいめいきちんと割り当てられた境涯があるので、たとえ親子夫婦の間柄でも、自分勝手に同棲することはできませぬ。そなたの芳志はうれしく思いますが、こればかりはあきらめてたもれ。逢おうと思えばいつでも逢える世界であるから何処に住まなければならぬということはない筈じゃ。それほど私のことを思ってくれるのなら、そんな我侭を言うかわりに、みっしり身相応の修行をしてくれるがよい。そして思い出したらちょいちょい私の許に遊びに来てたもれ……。』

 最初の間、香織はなかなか腑に落ちぬらしい様子をしていましたが、それでも漸くききわけて、尚おしばらく語り合った上で、その日は暇を告げて自分の所へ戻って行きました。

 今でも香織とは絶えず通信も致しまするし、又たまには逢いも致します。香織はもうすっかり明るい境涯に入り、顔なども若返って、自分にふさわしい神様の御用にいそしんで居ります。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

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入力者: 泉美

かな修正: いさお


31、香織女

2010/07/16

 良人との再会の模様を物語りました序に、同じ頃私がこちらで面会を遂げた二三の人達のお話をつづけることに致しましょう。縁もゆかりもない今の世の人達には、さして興味もあるまいと思いますが、私自身には、なかなか忘れられない事柄だったのでございます。

 その一つは私がまだ実家に居た頃、腰元のようにして可愛がって居た、香織という一人の女性との会合の物語でございます。香織は私よりは年齢が二つ三つ若く、顔立はあまり良くもありませぬが、眼元の愛くるしい、なかなか悧溌な児でございました。身元は長谷部某と呼ぶ出入りの徒士の、たしか二番目の娘だったかと覚えて居ります。

 私が三浦へ縁づいた時に、香織は親元へ戻りましたが、それでも所中鎌倉からはるばる私の所へ訪ねてまいり、そして何年経っても私の事を『姫さま姫さま』と呼んで居りました。その中香織も縁あって、鎌倉に住んでいる、一人の侍の許に嫁ぎ、夫婦仲も大そう円満で、その間に二人の男の児が生れました。気質のやさしい香織は大へんその子供達を可愛がって、三浦へまいる時は、一緒に伴て来たことも幾度かありました。

 そんな事はまるで夢のようで、詳しい事はすっかり忘れましたが、ただ私が現世を離れる前に、香織から心からの厚い看護を受けた事丈は、今でも深く深く頭脳の底に刻みつけられて居ります。彼女は私の母と一緒に、例の海岸の私の隠れ家に詰め切って、それはそれは親身になってよく尽してくれ、私の病気が早く治るようにと、氏神様へ日参までしてくれるのでした。

 ある日などは病床で香織から頭髪を解いて貰ったこともございました。私の頭髪は大へんに沢山で、日頃母の自慢の種でございましたが、その頃はモー床に就き切りなので、見る影もなくもつれて居ました。香織は櫛で解かしながらも、『折角こうしてきれいにしてあげても、このままつくねて置くのが惜しい。』と言ってさんざんに泣きました。傍で見ていた母も、『モー一度治って、晴衣を着せて見たい……。』と言って、泣き伏して了いました。斯んな話をしていると、私の眼には今でもその場の光景が、まざまざと映ってまいります……。

 いよいよ最う駄目と観念しました時に、私は自分が日頃一ばん大切にしていた一襲の小袖を、形見として香織にくれました。香織はそれを両手にささげ、『たとえお別れしても、いつまでもいつまでも姫さまの紀念に大切に保存いたします……。』と言いながら、声も惜まず泣き崩れました。が、私の心は、モーその時分には、思いの外に落付いて了って、現世に別れるのがそう悲しくもなく、黙って眼を瞑ると、却って死んだ良人の顔がスーツと眼前に現われて来るのでした。

 兎に角こんなにまで深い因縁のあった女性でございますから、こちらの世界へ来ても矢張り私のことを忘れない筈でございます。ある日私が御神前で統一の修行をして居りますと、急に躯がぶるぶると慓えるように感じました。何気なく背後を振り返って見ると、年の頃やや五十許と見ゆる一人の女性が坐って居りました。それが香織だったのでございます。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


3〇、永遠の愛

2010/07/15

 思い切って私はここに懺悔しますが、四辺に神さん達の眼が見張っていないと感付いた時に、私の心が急にむらむらとあらぬ方向へ引きづられて行ったことは事実でございます。

『久しぶりでめぐり合った夫婦の仲だもの、せめて手の先尖位は触れても見たい……。』

 私の胸はそうした考えで、一ぱいに張りつめられて了いました。

 物堅い良人の方でも、うわべはしきりに耐え耐えて居りながら、頭脳の内部は矢張りありし昔の幻影で充ち充ちているのがよく判るのでした。

 とうとう堪えきれなくなって、私はいつしか切株から離れ、あたかも磁石に引かれる鉄片のように、一歩良人の方へと近づいたのでございます……。

 が、その瞬間、私は急に立ち止って了いました。それは今まではっきりと眼に映っていた良人の姿が、急にスーツと消えかかったのに驚かされたからでございます。

『この眼がどうかしたのかしら……。』

 そう思って、一歩退いて見直しますと、良人は矢張り元の通りはっきりした姿で、切株に腰かけて居るのです。

 が、再び一歩前へ進むと、又もやすぐに朦朧と消えかかる……。

 二度、三度、五度、幾度くりかえしても同じことなのです。

 いよいよ駄目と悟った時に、私はわれを忘れてその場に泣き伏して了いました……。


『何うじゃ少しは悟れたであろうが……。』

 私の肩に手をかけて、そう言われる者があるので、びっくりして涙の顔をあげて振り返って見ますと、いつの間に戻られたやら、それは私の指導役のお爺さんなのでした。私はその時穴があったら入りたいように感じました。

『最初から申しきかせた通り、一度逢った位ですぐ後戻りする修行はまだ本物とは言われない。』とお爺さんは私達夫婦に向って諄々と説ききかせて下さるのでした。『汝達には、姿はあれど、しかしそれは元の肉体とはまるっきり異ったものじゃ。強いて手と手を触れて見たところで、何やらかさかさとした、丁度張子細工のような感じがするばかり、そこに現世で味わったような甘味も面白味もあったものではない。尚お汝は先刻、良人の後について行って、昔ながらの夫婦生活でも営みたいように思ったであろうが……イヤ隠しても駄目じゃ、神の眼はどんなことでも見抜いているから……しかしそんな考えは早くすてねばならぬ。もともと二人の住むべき境涯が異っているのであるから、無理にそうした真似をしても、それは丁度鳥と魚とが一緒に住おうとするようなもので、ただお互に苦しみを増すばかりじゃ。そち達は矢張り離れて住むに限る。――が、俺が斯う申すのは、決して夫婦間の清い愛情までも棄てよというのではないから、その点は取り違いをせぬように……。陰陽の結びは宇宙万有の切っても切れぬ貴い御法則、いかに高い神々とてもこの約束からは免れない。ただその愛情はどこまでも浄められて行かねばならぬ。現世の夫婦なら愛と欲との二筋で結ばれるのも止むを得ぬが、一たん肉体を離れた上は、すっかり欲からは離れて了わねばならぬ。そち達は今正にその修行の真最中、少し位のことは大目に見逃がしてもやるが、あまりにそれに走ったが最後、結局幽界の落伍者として、亡者扱いを受け、幾百年、幾千年の逆戻りをせねばならぬ。俺達が受持っている以上、そち達に断じてそんな見苦しい真似わさせられぬ。これからそち達はどこまでも愛し合ってくれ。が、そち達はどこまでも浄い関係をつづけてくれ……。』


 それから少時の後、私達はまるで生れ変ったような、世にもうれしい、朗かな気分になって、右と左とに袂を別ったことでございました。

 ついでながら、私と私の生前の良人との関係は今も尚お依然として続いて居り、しかもそれはこのまま永遠に残るのではないかと思われます。が、むろんそれが互に許し合った魂と魂との浄き関係であることは、改めて申上げるまでもないと存じます。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


29、身上話

2010/07/14

 ここで一つ変っているのは、私達が殆んど少しも現世時代の思い出話をしなかったことで、若しひょっとそれを行ろうとすると、何やら口が填って了うように感じられるのでした。

 で、自然私達の対話は死んでから後の事柄に限られることになりました。私が真先きに訊いたのは良人の死後の自覚の模様でした。――

『あなたがこちらでお気がつかれた時はどんな塩梅でございましたか?』

『俺は実はそなたの声で眼を覚ましたのじゃ。』と良人はじっと私を見守り乍らポツリポツリ語り出しました。『そなたも知る通り、俺は自尽して果てたのじゃが、この自殺ということは神界の掟としてはあまりほめたことではないらしく、自殺者は大抵皆一たんは暗い所へ置かれるものらしい。俺も矢張りその仲間で、死んでからしばらくの間何事も知らずに無我夢中で日を過した。尤も俺のは、敵の手にかからない為めの、言わば武士の作法に協った自殺であるから、罪は至って軽かったようで、従って無自覚の期間もそう長くはなかったらしい。そうする中にある日不図そなたの声で名を呼ばれるように感じて眼を覚ましたのじゃ。後で神様から伺えば、これはそなたの一心不乱の祈願が、首尾よく俺の胸に通じたものじゃそうで、それと知った時の俺のうれしさはどんなであったか……。が、それは別の話、あの時は何をいうにも四辺が真暗でどうすることもできず、しばらく腕を拱いてぼんやり考え込んでいるより外に道がなかった。が、その中うっすりと光明がさして来て、今日送って来てくだされた、あのお爺さんの姿が眼に映った。ドーじゃ、眼が覚めたか?――そう言葉をかけられた時のうれしさ! 俺はてっきり自分を救ってくれた恩人であろうと思って、お名前は? と訊ねると、お爺さんはにっこりして、汝は最早現世の人間ではない。これから俺の申すところをきいて、十分に修行を積まねばならぬ。俺は産土の神から遣わされた汝の指導者である、と申しきかされた。その時俺ははっとして、これは最う愚図愚図していられないと思った。それから何年になるか知れぬが、今では少し幽界の修行も積み、明るい所に一軒の家屋を構えて住わして貰っている……。』

 私は良人の素朴な物語を大へんな興味を以てききました。殊に私の生存中の心ばかりの祈願が、首尾よく幽明の境を越えて良人の自覚のよすがとなったというのが、世にもうれしい事の限りでした。

 入れ代って今度は良人の方で、私の経歴をききたいということになりました。で、私は今丁度あなたに申上げるように、帰幽後のあらましを物語りました。私が生きている時から霊視がきくようになり、今では坐ったままで何でも見えると申しますと、『そなたは何と便利なものを神様から授っているであろう!』と良人は大へんに驚きました。又私がこちらで愛馬に逢った話をすると、『あの時は、そなたの希望を容れないで、勝手な名前をつけさせて大へんに済まなかった。』と良人は丁寧に詫びました。その外さまざまの事がありますが、就中良人が非常に驚きましたのは私の龍宮行の物語でした。『それは飛んでもない面白い話じゃ。ドーもそなたの方が俺よりも資格がずっと上らしいぞ。俺の方が一向ぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議なことをしている……。』と言って、大そう私を羨ましがりました。私も少し気の毒気味になり、『すべては霊魂の関係から役目が異うだけのもので、別に上下の差がある訳ではないでしょう。』と慰めて置きました。

 私達はあまり対話に身が入って、すっかり時刻の経つのも忘れていましたが、不図気がついて見ると何処へ行かれたか、二人の神さん達の姿はその辺に見当らないのでした。

 私達は期せずして互に眼と眼を見合わせました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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入力者: 泉美

かな修正: いさお


28、昔語り

2010/07/13

 良人がいよいよ来着したのは、それからしばしの後で、私が不図側見をした瞬間に、五十余りと見ゆる一人の神様に附添われて、忽然として私のすぐ前面に、ありし日の姿を現わしたのでした。

『あッ矢張り元の良人だ……。』

 私は今更ながら生死の境を越えて、少しも変っていない良人の姿に驚嘆の眼を見張らずにはいられませんでした。服装までも昔ながらの好みで、鼠色の衣裳に大紋打った黒の羽織、これに袴をつけて、腰にはお定まりの大小二本、大へんにきちんと改った扮装なのでした。

 これが現世での出来事だったら、その時何をしたか知れませぬが、さすがに神様の手前、今更取り乱したところを見られるのが恥かしゅうございますから、私は一生懸命になって、平気な素振をしていました。良人の方でも少しも弱味を見せず、落付払った様子をしていました。

 しばし沈黙がつづいた後で、私から言葉をかけました。――

『お別れしてから随分長い歳月を経ましたが、図らずも今ここでお目にかかることができまして、心から嬉しうございます。』

『全く今日は思い懸けない面会であった。』と良人もやがて武人らしい、重い口を開きました。

『あの折は思いの外の乱軍、訣別の言葉一つかわす隙もなく、あんな事になって了い、そなたも定めし本意ないことであったであろう……。それにしてもそなたが、斯うも早くこちらの世界へ来るとは思わなかった。いつまでも安泰に生き長らえて居てくれるよう、自分としては蔭ながら祈願していたのであったが、しかし過ぎ去ったことは今更何とも致方がない。すべては運命とあきらめてくれるよう……。』

 飾気のない良人の言葉を私は心からうれしいと思いました。

『昔の事はモー何とも仰っしゃってくださいますな。あたにお別れしてからの私は、お墓参りが何よりの楽しみでございましたが、矢張り寿命と見えて、直にお後を慕うことになりました。一時の間こそ随分くやしいとも、悲しいとも思いましたが、近頃は、ドーやらあきらめがつきました。そして思いがけない今日のお目通り、こんなうれしい事はございませぬ……。』

 かれこれと語り合っている中にも、お互の心は次第次第に融け合って、さながらあの思出多き三浦の館で、主人と呼び、妻と呼ばれて、楽しく起居を偕にした時代の現世らしい気分が復活して来たのでした。

『いつまで立話しでもなかろう。その辺に腰でもかけるとしようか。』

『ほんにそうでございました。丁度ここに手頃の腰掛けがございます。』

 私達は三尺ほど隔てて、右と左に並んでいる、木の切株に腰をおろしました。そこは監督の神様達もお気をきかせて、あちらを向いて、素知らぬ顔をして居られました。

 対話はそれからそれへとだんだん滑かになりました。

『あなたは生前と少しもお変りがないばかりか、却って少しお若くなりはしませぬか。』

『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来てから何年経っても年齢を取らないというところが不思議じゃ。』と良人は打笑い、『それにしてもそなたは些と老けたように思うが……。』

『あなたとお別れしてから、いろいろ苦労をしましたので、自然窶が出たのでございましょう。』

『それは大へん気の毒なことであった。が、斯うなっては最早苦労のしようもないから、その中自然元気が出て来るであろう。早くそうなってもらいたい。』

『承知致しました。みっちり修行を積んで、昔よりも若々しくなってお目にかけます……。』

 さして取りとめのない事柄でも、斯うして親しく語り合って居りますと、私達の間には言うに言われぬ楽しさがこみ上げて来るのでした。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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入力者: 泉美

かな修正: いさお


27、会合の場所

2010/07/12

 私の修行場を少し下へ降りた山の半腹に、小ぢんまりとした一つの平地がございます。周囲には程よく樹木が生えて、丁度置石のように自然石があちこちにあしらってあり、そして一面にふさふさした青苔がぎっしり敷きつめられて居るのです。そこが私達夫婦の会合の場所と決められました。

 あなたも御承知の通り、こちらの世界では、何をやるにも、手間暇間は要りません。思い立ったが吉日で、すぐに実行に移されて行きます。

『話が決った上は、これからすぐに出掛けるとしよう……。』

 お爺さんは眉一つ動かされず、済まし切って先きに立たれますので、私も黙ってその後について出掛けましたが、しかし私の胸の裡は千々に砕けて、足の運びが自然遅れ勝ちでございました。

 申すまでもなく、十幾年の間現世で仲よく連れ添った良人と、久しぶりで再会するというのでございますから、私の胸には、夫婦の間ならでは味われぬ、あの一種特別のうれしさが急にこみ上げて来たのは事実でございます。すべて人間というものは死んだからと言って、別にこの夫婦の愛情に何の変りがあるものではございませぬ。変っているのはただ肉体の有無だけ、そして愛情は肉体の受持ではないらしいのでございます。

 が、一方にかくうれしさがこみあぐると同時に、他方には何やら空恐ろしいような感じが強く胸を打つのでした。何にしろここは幽界、自分は今修行の第一歩をすませて、現世の執着が漸くのことで少しばかり薄らいだというまでのよくよくの未熟者、これが幾十年ぶりかで現世の良人に逢った時に、果して心の平静が保てるであろうか、果して昔の、あの醜しい愚痴やら未練やらが首を擡げぬであろうか……何う考えて見ても自分ながら危ッかしく感じられてならないのでした。

 そうかと思うと、私の胸のどこやらには、何やら気まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久し振りで良人と顔を合わせるのも気まりがわるいが、それよりも一層恥かしいのは神さまの手前でした。あんな素知らぬ顔をして居られても、一から十まで人の心の中を洞察かるる神様、『この女はまだ大分娑婆の臭みが残っているナ……。』そう思っていられはせぬかと考えると、私は全く穴へでも入りたいほど恥かしくてならないのでした。

 それでも予定の場所に着く頃までには、少しは私の肚が据ってまいりました。『縦令何事ありとも涙は出すまい。』――私は固くそう決心しました。

 先方へついて見ると、良人はまだ来て居りませんでした。

『まあよかった……。』その時私はそう思いました。いよいよとなると、矢張りまだ気おくれがして、少しでも時刻を延ばしたいのでした。

 お爺さんはと見れば何所に風が吹くと言った面持で、ただ黙々として、あちらを向いて景色などを眺めていられました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。