‘2010/07/19’ カテゴリーのアーカイブ

34、破れた恋

2010/07/19

 それから程経て、敦子さまが死んだこと丈は何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか逢えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を終えて、戸外に出て、四辺の景色を眺めて居りますと、私の守護霊……この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねてまいります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます。』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう。』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現われました。

『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか……。』

 私が近づいて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いた切り、顔の色なども何所やら暗いように見えました。私はちょっと手持無沙汰に感じました。

 すると案内のお爺さんが代って簡単に挨拶してくれました。――

『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかとは思われたが、ただ本人が是非御身に逢いたい、一度逢わせてもらえば、気持が落ついて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも依んで、今日わざわざ連れてまいったような次第……御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、いろいろとよく言いきかせて貰いたい……。』

 そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰って了いました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけてやさしく申しました。――

『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄……殊にあなたが何回も私の佗住居を訪れていろいろと慰めてくだされた、あの心尽しは今もうれしい思い出の一つとなって居ります。その御恩がえしというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。何うぞすべてを打明けて、あなたの相談相手にしていただきます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます……。』

 敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森とした、浄らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ついて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。

『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄りつけはしませぬ……。』

 こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打明話をすることになりましたが、最初想像したとおり、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、いろいろこみ入った事情があり、そして結局飛んでもない死方――自殺を遂げて了ったのでした。敦子さまは、斯んな風に語り出でました。――

『生前あなたにも、あるところまでお漏らししたとおり、私達夫婦の仲というものは、うわべとは大へんに異い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、もともと他所へ縁づく気持などは少しもなかったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで躯だけは良人にささげましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄……他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました……。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生き永らえて居りましたのは、間もなく私が身重になった為めで、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜くもないその日その日を送っていたのでございました。

『こんな冷たい妻の心が、何でいつまで良人の胸にひびかぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にもまして、一層大きな溝ができて了い、夫婦とはただ名ばかり、心と心とは千里もかけ離れて居るのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換のない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気がふれたようになって、何の前後の考もなく、懐剣で喉を突いて、一図に小供の後を追ったのでございました……。』

 敦子さまの談話をきいて居りますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応尤もなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


2010年7月
« 6月   8月 »
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。