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27、会合の場所

2010/07/12

 私の修行場を少し下へ降りた山の半腹に、小ぢんまりとした一つの平地がございます。周囲には程よく樹木が生えて、丁度置石のように自然石があちこちにあしらってあり、そして一面にふさふさした青苔がぎっしり敷きつめられて居るのです。そこが私達夫婦の会合の場所と決められました。

 あなたも御承知の通り、こちらの世界では、何をやるにも、手間暇間は要りません。思い立ったが吉日で、すぐに実行に移されて行きます。

『話が決った上は、これからすぐに出掛けるとしよう……。』

 お爺さんは眉一つ動かされず、済まし切って先きに立たれますので、私も黙ってその後について出掛けましたが、しかし私の胸の裡は千々に砕けて、足の運びが自然遅れ勝ちでございました。

 申すまでもなく、十幾年の間現世で仲よく連れ添った良人と、久しぶりで再会するというのでございますから、私の胸には、夫婦の間ならでは味われぬ、あの一種特別のうれしさが急にこみ上げて来たのは事実でございます。すべて人間というものは死んだからと言って、別にこの夫婦の愛情に何の変りがあるものではございませぬ。変っているのはただ肉体の有無だけ、そして愛情は肉体の受持ではないらしいのでございます。

 が、一方にかくうれしさがこみあぐると同時に、他方には何やら空恐ろしいような感じが強く胸を打つのでした。何にしろここは幽界、自分は今修行の第一歩をすませて、現世の執着が漸くのことで少しばかり薄らいだというまでのよくよくの未熟者、これが幾十年ぶりかで現世の良人に逢った時に、果して心の平静が保てるであろうか、果して昔の、あの醜しい愚痴やら未練やらが首を擡げぬであろうか……何う考えて見ても自分ながら危ッかしく感じられてならないのでした。

 そうかと思うと、私の胸のどこやらには、何やら気まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久し振りで良人と顔を合わせるのも気まりがわるいが、それよりも一層恥かしいのは神さまの手前でした。あんな素知らぬ顔をして居られても、一から十まで人の心の中を洞察かるる神様、『この女はまだ大分娑婆の臭みが残っているナ……。』そう思っていられはせぬかと考えると、私は全く穴へでも入りたいほど恥かしくてならないのでした。

 それでも予定の場所に着く頃までには、少しは私の肚が据ってまいりました。『縦令何事ありとも涙は出すまい。』――私は固くそう決心しました。

 先方へついて見ると、良人はまだ来て居りませんでした。

『まあよかった……。』その時私はそう思いました。いよいよとなると、矢張りまだ気おくれがして、少しでも時刻を延ばしたいのでした。

 お爺さんはと見れば何所に風が吹くと言った面持で、ただ黙々として、あちらを向いて景色などを眺めていられました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。