24、なさけの言葉
2010/07/09先刻も申上げたとおり、私は小娘に導かれて、あの華麗な日本間に通され、そして薄絹製の白の座布団を与えられて、それへ坐ったのでございますが、不図自分の前面のところを見ると、そこには別に一枚の花模様の厚い座布団が敷いてあるのに気づきました。『きっと乙姫様がここへお坐りなさるのであろう。』――私はそう思いながら、乙姫様に何と御挨拶を申上げてよいか、いろいろと考え込んで居りました。
と、何やら人の気配を感じましたので頭をあげて見ますと、天から降ったか、地から湧いたか、モーいつの間にやら一人の眩いほど美しいお姫様がキチンと設けの座布団の上にお坐りになられて、にこやかに私の事を見守ってお出でなさるのです。私はこの時ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。私は急いで座布団を外して、両手をついて叩頭をしたまま、しばらくは何と御挨拶の言葉も口から出ないのでした。
しかし、玉依姫様の方では何所までも打解けた御様子で、尊い神様と申上げるよりはむしろ高貴の若奥方と言ったお物越しで、いろいろと優しいお言葉をかけくださるのでした。
『あなたが龍宮へお出でなさることは、かねてからお通信がありましたので、こちらでもそれを楽しみに大へんお待ちしていました。今日はわたくしが代ってお逢いしますが、この次ぎは姉君様が是非お目にかかるとの仰せでございます。何事もすべてお心易く、一切の遠慮を棄てて、訊くべきことは訊き、語るべきことは語ってもらいます。あなた方が地の世界に降り、いろいろと現界の苦労をされるのも、つまりは深き神界のお仕組で、それがわたくし達にも又となき良い学問となるのです。きけばドウやらあなたの現世の生活も、なかなか楽なものではなかったようで……。』
いかにもしんみりと、溢るるばかりの同情を以て、何くれと話しかけてくださいますので、いつの間にやら私の方でも心の遠慮が除り去られ、丁度現世で親しい方と膝を交えて、打解けた気分でよもやまの物語に耽ると言ったようなことになりました。帰幽以来何十年かになりますが、私が斯んな打寛いだ、なごやかな気持を味わったのは実にこの時が最初でございました。
それから私は問われるままに、鎌倉の実家のこと、嫁入りした三浦家のこと、北條との戦闘のこと、落城後の侘住居のことなど、有りのままにお話ししました。玉依姫様は一々首肯きながら私の物語に熱心に耳を傾けてくだされ、最後に私が独りさびしく無念の涙に暮れながら若くて歿ったことを申上げますと、あの美しいお顔をばいとど曇らせて涙さえ浮べられました。――
『それはまァお気毒な……あなたも随分つらい修行をなさいました……。』
たッた一と言ではございますが、私はそれをきいて心から難有いと思いました。私の胸に積り積れる多年の鬱憤もドウやらその御一言できれいに洗い去られたように思いました。
『斯んなお優しい神様にお逢いすることができて、自分は何と幸福な身の上であろう。自分はこれから修行を積んで、斯んな立派な神様のお相手をしてもあまり恥かしくないように、一時も早く心の垢を洗い浄めねばならない……。』
私は心の底で固くそう決心したのでした。
底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社
1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行
※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。
※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。
※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。
※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。
※ ルビ付き版はこちらです。
入力者: 泉美
かな修正: いさお