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22、唐風の御殿

2010/07/07

 しばらくしてから私はとうとう龍宮界の御門の前に立っていましたが、それにしても私は四辺の光景があまりにも現実的なのをむしろ意外に思ったのでございました。お爺さんの御話から考えて見ましても、龍宮はドウやら一の蜃気楼、乙姫様の思召でかりそめに造り上げられる一の理想の世界らしく思われますのに、実地に当って見ますと、それは何所にもあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘の現実の世界なのでございます。『若しもこれが蜃気楼なら世の中に蜃気楼でないものは一つもありはしない……。』私は心の中でそう考えたのでございました。

 龍宮界の大体の見た感じでございますか――さァ一と口に申したら、それはお社と言うよりかも、寧ろ一つの大きな御殿と言った感じ、つまり人間味が、たっぷりしているのでございます。そして何処やらに唐風なところがあります。先ずその御門でございますが、屋根は両端が上方にしゃくれて、大そう光沢のある、大型の立派な瓦で葺いてあります。門柱その他はすべて丹塗り、別に扉はなく、その丸味のついた入口からは自由に門内の模様が窺われます。あたりには別に門衛らしいものも見掛けませんでした。

 で、私は思い切ってその門をくぐって行きましたが、門内は見事な石畳みの舗道になって居り、あたりに塵一つ落ちて居りませぬ。そして両側の広々としたお庭には、形の良い松その他が程よく植え込みになって居り、奥はどこまであるか、ちょっと見当がつかぬ位でございます。大体は地上の庭園とさしたる相違もございませぬが、ただあんなにも冴えた草木の色、あんなにも香ばしい土の匂いは、地上の何所にも見受けることはできませぬ。こればかりは実地に行って見るより外に、描くべき筆も、語るべき言葉もあるまいと考えられます。

 御門から御殿まではどの位ありましょうか、よほど遠かったように思われます。御殿の玄関は黒塗りの大きな式台造り、そして上方の庇、柱、長押などは皆眼のさめるような丹塗り、又壁は白塗りでございますから、すべての配合がいかにも華美で、明朗で、眼がさめるように感じられました。

 私はそこですっかり身づくろいを直しました。むろん心でただそう思いさえすればそれで宜しいので、そうすると今までの旅装束がその場できちんとした謁見の服装に変るのでございます。そんな事でもできなければ、たッた一人で、腰元も連れずに、龍宮の乙姫さまをお訪ねすることはできはしませぬ。

『御免くださいませ……。』

 私は思い切ってそう案内を乞いました。すると、年の頃十五位に見える、一人の可愛らしい小娘がそこへ現われました。服装は筒袖式の桃色の衣服、頭髪を左右に分けて、背部の方でくるくるとまるめて居るところは、何う見ても御国風よりは唐風に近いもので、私はそれが却って妙に御殿の構造にしっくりと当てはまって、大へん美しいように感ぜられました。

『私は小桜と申すものでございますが、こちらの奥方にお目通りをいたし度く、わざわざお訪ねいたしました……。』

 乙姫様とお呼び申すのも何やらおかしく、さりとて神様の御名を申上ぐるのも、何やら改まり過ぎるように感じられ、ツイうっかり奥方と申上げて了いました。こちらへ来ても矢張り私には現世時代の呼び癖がついてまわって居たものと見えます。それでも取次ぎの小娘には私の言葉がよく通じたらしく、『承知致しました。少々お待ちくださいませ。』と言って、踵をかえして急いで奥へ入って行きました。

『乙姫様に首尾よくお目通りが叶うかしら……。』

 私は多少の不安を感じながら玄関前に佇みました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。