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21、龍宮街道

2010/07/06

 しばらく湖水の畔を伝って歩るいて居る中に、山がだんだん低くなり、やがて湖水が尽きると共に山も尽きて、広々とした、少しうねりのある、明るい野原にさしかかりました。私達はその野原を貫く細道をどこまでもどこまでも先きへ急ぎました。

 やがて前面に、やや小高い砂丘の斜面が現われ、道はその頂辺の所に登って行きます。『何やら由井ヶ浜らしい景色である……。』私はそんなことを考えながら、格別険しくもないその砂丘を登りつめましたが、さてそこから前面を見渡した時に、私はあまりの絶景に覚えずはっと気息づまりました。砂丘のすぐ真下が、えも言われぬ美しい一ツの入江になっているのではありませぬか!

 刷毛で刷いたような弓なりになった広い浜……のたりのたりと音もなく岸辺に寄せる真青な海の水……薄絹を拡げたような、はてしもなくつづく浅霞……水と空との融け合うあたりにほのぼのと浮く遠山の影……それはさながら一幅の絵巻物をくりひろげたような、実に何とも言えぬ絶景でございました。

 明けても暮れても、眼に入るものはただ山ばかり、ひたすら修行三昧に永い歳月を送った私でございますから、尚更この海の景色が気に入ったのでございましょう、しばらくの間私は全くすべてを打忘れて、砂丘の上に立ち尽して、つくづくと見惚れて了ったのでございました。

『どうじゃ、なかなかの良い眺めであろうが……。』

 そう言われて私はやっと自分に戻りました。

『お爺さま、わたくし、こんななごやかな、良い景色は、まだ一度も見たためしがございませぬ……。ここは何と申すところでございますか?』

『これが龍宮界の入口なのじゃ。ここから龍宮はそう遠くない……。』

『龍宮は矢張り海の底にあるのでございますか?』

『イヤイヤあれは例によりて人間どもの勝手な仮構事じゃ。乙姫様は決して魚族の親戚でもなければ又人魚の叔母様でもない……。が、もともと龍宮は理想の別世界なのであるから、造ろうと思えば海の底にでも、又その他の何処にでも造れる。そこが現世の造りつけの世界と大へんに異う点じゃ……。』

『左様でございますか……。』

 何やらよくは腑に落ち兼ねましたが、私はそう御返答するより外に致方がないのでした。

『さて』とお爺さんは、しばらく経ってから、いと真面目な面持で語り出でました。『俺の役目はここまで汝を案内すればそれで済んだので、これから先きは汝一人で行くのじゃ。あれ、あの入江のほとりから、少し左に外れたところに見ゆる真平な街道、あれをどこまでもどこまでも辿って行けば、その突き当りがつまり龍宮で、道を間違えるような心配は少しもない……。又龍宮へ行ってからは、どなたにお目にかかるか知れぬが、何れにしても、ただ先方のお話を伺う丈では面白うない。気のついたこと、腑に落ちぬことは、少しの遠慮もなく、どしどしお訊ねせんければ駄目であるぞ。すべて神界の掟として、こちらの求める丈しか教えられぬものじゃ。で、何事も油断なく、よくよく心の眼を開けて、乙姫様から愛想をつかされることのないよう心懸けてもらいたい……。では俺はこれで帰りますぞ……。』

 そう言って、つと立ち上ったかと思うと、もうお爺さんの姿は何所にも見えませんでした。

 例によりてその飽気なさ加減と言ったらありません。私はちょっと心さびしく感じましたが、それはほんの一瞬間のことでございました。私は斯んな場合にいつも肌から離さぬ、例の母の紀念の懐剣を、しっかりと帯の間にさし直して、急いで砂丘を降りて、お爺さんから教えられた通り、あの龍宮街道を真直に進んだのでした。

 その後も私は幾度となくこの龍宮街道を通りましたが、何度通って見ても心地のよいのはこの街道なのでございます。それは天然の白砂をば何かで程よく固めたと言ったような、踏み心地で、足触りの良さと申したら比類がありませぬ。そして何所に一点の塵とてもなく、又道の両側に程よく配合った大小さまざまの植込も、実に何とも申上げかねるほど奇麗に出来て居り、とても現世ではこんな素晴らしい道路は見られませぬ。その街道が何の位続いているかとお訊ねですか……さァどれ位の道程かは、ちょっと見当がつきかねますが、よほど遠いこと丈は確かでございます。街道の入口の辺から前方を眺めても、霞が一帯にかかっていて、何も眼に入りませぬが、しばらく過ぎると有るか無きかのように、薄っすりと山の影らしいものが現われ、それから又しばらく過ぎると、何やらほんのりと丹塗りの門らしいものが眼に映ります。その辺からでも龍宮の御殿まではまだ半里位はたっぷりあるのでございます……。何分絵心も何も持ち合わせない私の力では、何のとりとめたお話もできないのが、大へんに残念でございます。あの美しい道中の眺めの、せめて十分の一なりとも皆様にお伝えしたいのでございますが……。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。