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20、龍宮へ鹿島立

2010/07/05

 こちらの世界の仕事は、何をするにも至極あっさりしていまして、すべてが手取り早く運ばれるのでございますが、それでもいよいよこれから龍宮行と決った時には、そこに相当の準備の必要がありました。何より肝要なのは斎戒沐浴……つまり心身を浄める仕事でございます。もちろん私どもには肉体はないのでございますから、人間のように実地に水などをかぶりは致しませぬ。ただ水をかぶったような清浄な気分になればそれで宜しいので、そうすると、いつの間にか服装までも、自然に白衣に変って居るのでございます。心と姿とがいつもぴったり一致するのが、こちらの世界の掟で、人間界のように心と姿とを別々に使い分けることばかりはとてもできないのでございます。

 兎も角も私は白衣姿で、先ず御神前に端坐祈願し、それからあの龍神様のお祠へ詣でて、これから龍宮界へ参らせて戴きますと御報告申上げました。先方から何とか返答があったかと仰っしゃるか……それは無論ありました。『歓んであなたのお出でをお待ちして居ります……。』とそれはそれは鄭重な御挨拶でございました。

 龍神様のお祠から自分の修行場へ戻って見ると、もう指導役のお爺さんが、そこでお待ちになって居られました。

『準備ができたらすぐに出掛けると致そう。俺が龍宮の入口まで送ってあげる。それから先きは汝一人で行くのじゃ。何も修行の為めである。あまり俺に依る気になっては面白うない……。』

 そう言われた時に、私は何やら少し心細く感じましたが、それでもすぐに気を取り直して旅仕度を整えました。私のその時の旅姿でございますか……。それは現世の旅姿そのまま、言わばその写しでございます。かねて龍宮界は世にも奇麗な、華美なところと伺って居りますので、私もそのつもりになり、白衣の上に、私の生前一番好きな色模様の衣裳を重ねました。それは綿の入った、裾の厚いものでございますので、道中は腰の所で紐で結えるのでございます。それからもう一つ道中姿に無くてはならないのが被衣……私は生前の好みで、白の被衣をつけることにしました。履物は厚い草履でございます。

 お爺さんは私の姿を見て、にこにこしながら『なかなか念の入った道中姿じゃナ。乙姫様もこれを御覧なされたらさぞお歓びになられるであろう。俺などはいつも一張羅じゃ……。』

 そんな軽口をきかれて、御自身はいつもと同一の白衣に白の頭巾をかぶり、そして長い長い一本の杖を持ち、素足に白鼻緒の藁草履を穿いて私の先きに立たれたのでした。序でにお爺さんの人相書をもう少しくわしく申上げますなら、年齢の頃は凡そ八十位、頭髪は真白、鼻下から顎にかけてのお髭も真白、それから睫毛も矢張り雪のように真白……すべて白づくめでございます。そしてどちらかと云へば面長で、眼鼻立のよく整った、上品な面差の方でございます。私はまだ仙人というものをよく存じませぬが、若し本当に仙人があるとしたら、それは私の指導役のお爺さんのような方ではなかろうかと考えるのでございます。あの方ばかりはどこからどこまで、きれいに枯れ切って、すっかりあくぬけがして居られます。

 山の修行場を後にした私達は、随分長い間険しい山道をば、下へ下へ下へと降ってまいりました。道はお爺さんが先きに立て案内して下さるので、少しも心配なことはありませぬが、それでもところどころ危つかしい難所だと思ったこともございました。又道中どこへ参りましても例の甲高い霊鳥の鳴声が前後左右の樹間から雨の降るように聴えました。お爺さんはこの鳥の声がよほどお好きと見えて、『こればかりは現界ではきかれぬ声じゃ。』と御自慢をして居られました。

 漸く山を降り切ったと思うと、たちまちそこに一つの大きな湖水が現われました。よほど深いものと見えまして、湛えた水は藍を流したように蒼味を帯び、水面には対岸の鬱蒼たる森林の影が、くろぐろと映って居ました。岸はどこもかしこも皆割ったような巌で、それに松、杉その他の老木が、大蛇のように垂れ下っているところは、風情が良いというよりか、寧ろもの凄く感ぜられました。

『どうじゃ、この湖水の景色は……汝は些と気に入らんであろうが……。』

『私はこんな陰気くさい所は厭でございます。でもここは何ぞ縁由 のある所でございますか?』

『ここはまだ若い、下級の龍神達の修行の場所なのじゃ。俺は時々見廻わりに来るので、善うこの池の勝手を知っている。何も修行じゃ、汝もここでちょっと統一をして見るがよい。沢山の龍神達の姿が見えるであろう……。』

 あまり良い気持は致しませんでしたが、修行とあれば辞むこともできず、私はとある巌の上に坐って統一状態に入って見ますと、果して湖水の中は肌の色の黒っぽい、あまり品の良くない龍神さんでぎっしり填っていました。角のあるもの、無いもの、大きなもの、小さなもの、眠っているもの、暴れているもの……。初めてそんな無気味な光景に接した私は、覚えずびっくりして眼を開けて叫びました。――

『お爺さま、もう沢山でございます。何うぞもっと晴れやかな所へお連れ下さいませ……。』


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。