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18、龍神の話

2010/07/03

 山の修行場へ移ってからの私は、何とはなしに気分がよほど晴れやかになったらしいのが自分にも感ぜられました。主なる仕事は矢張り御神前に静座して精神統一をやるのでございますが、ただ合間合間に私はよく室外へ出て、四辺の景色を眺めたり、鳥の声に耳をすませたりするようになりました。

 前にも申上げた通り、私の修行場の所在地は山の中腹の平坦地で、崖の上に立って眺めますと、立木の隙間からずっと遠方が眼に入り、なかなかの絶景でございます。どこにも平野らしい所はなく、見渡すかぎり山又山、高いのも低いのも、又色の濃いのも淡いのも、いろいろありますが、どれも皆樹木の茂った山ばかり、尖った岩山などはただの一つも見えません。それ等が十重二十重に重なり合って絵巻物をくり拡げているところは、全く素晴らしい眺めで、ツイうっとりと見とれて、時の経つのも忘れて了う位でございます。

 それから又あちこちの木々の茂みの中に、何ともいえぬ美しい鳥の音が聴えます。それは、昔鎌倉の奥山でよくきき慣れた時鳥の声に幾分似たところもありますが、しかしそれよりはもッと冴えて、賑かで、そして複雑った音色でございます。ただ一人の話相手とてもない私はどれ丈この鳥の音に慰められたか知れませぬ。どんな種類の鳥かしらと、或る時念の為めにお爺さんに伺って見ましたら、それはこちらの世界でもよほど珍らしい鳥で、現界には全然棲んでいないと申すことでございました。尤も音色が美しい割に毛並は案外つまらない鳥で、ある時不図近くの枝にとまっているところを見ると、大さは鳩位、幾分現界の鷹に似て、頚部に長い毛が生えていました。幽界の鳥でも矢張り声と毛並とは揃はぬものかしらと感心したことでございました。

 もう一つ爰の景色の中で特に私の眼を惹いたものは、向って右手の山の中腹に、青葉がくれにちらちら見える一つの丹塗のお宮でございました。それはホンの三尺四方位の小さい社なのですが、見渡す限りただ緑の一色しかない中に、そのお宮丈がくッきりと朱く冴えているので大へんに目立つのでございます。私の心は次第に、そのお宮にひきつけられるようになりました。

 で、ある日お爺さんが見舞われた時私は訊ねました。

『お爺さま、あそこに大そう美しい、丹塗のお宮が見えますが、あれはどなた様をお祀りしてあるのでございますか。』

『あれは龍神様のお宮じゃ。これからは俺にばかり依らず、直接に龍神様にもお依みするがよい……。』

『龍神様でございますか?』私は大へん意外に感じまして、

『一体それは何ういう神様でございますか?』

『そろそろそちも龍神との深い関係を知って置かねばなるまい。よほど奥深い事柄であるから、とても一度で腑には落ちまいが、その中だんだん判って来る……。』

 お爺さんはあたかも寺子屋のお師匠さんと言った面持で、いろいろ講釈をしてくださいました。お爺さまは斯んな風に説き出されました。

『龍神というのは一と口に言えば元の活神、つまり人間が現世に現われる前から、こちらの世界で働いている神々じゃ。時として龍の姿を現わすから龍神には相違ないが、しかしいつもあんな恐ろしい姿で居るのではない。時と場合でやさしい神の姿にもなれば、又一つの丸い球にもなる。現に俺なども龍神の一人であるが、そちの指導役として現われる時は、いつも斯のような、老人の姿になっている……。ところで、この龍神と人間との関係であるが、人間の方では、何も知らずに、最初から自分一つの力で生れたもののように思って居るが、実は人間は龍神の分霊、つまりその子孫なのじゃ。ただ龍神はどこまでもこちらの世界の者、人間は地の世界の者であるから、幽から顕への移りかわりの仕事はまことに困難で、長い長い歳月を経て漸くのことでモノになったのじゃ。詳しいことは後で追々話すとして、兎に角人間は龍神の子孫、汝とても元へ溯れば、矢張りさる尊い龍神様の御末裔なのじゃ。これからはよくその事を弁えて、あの龍神様のお宮へお詣りせねばならなぬ。又機会を見て龍宮界へも案内し、乙姫様にお目通りをさしてもあげる。』

 お爺さんのお話は、何やらまわりくどいようで、なかなか当時の私の腑に落ち兼ねたことは申すまでもありますまい。殊におかしかったのが、龍宮界だの、乙姫様だのと申すことで、私は思わず笑い出して了いました。

『まァ龍宮などと申すものが実際この世にあるのでございますか。――あれは人間の仮構事ではないでしょうか……。』

『決してそうではない。』とお爺さんは飽まで真面目に、『人間界に伝わる、あの龍宮の物語は実際こちらの世界で起った事実が、幾分尾鰭をつけて面白おかしくなっているまでじゃ。そもそも龍宮と申すのは、あれは神々のおくつろぎ遊ばす所……言わば人間界の家庭の如きものじゃ。前にものべた通り、こちらの世界は造りつけの現界とは異り、場所も、家屋も、又姿も、皆意思のままにどのようにもかえられる。で、龍宮界のみを龍神の世界と思うのは大きな間違で、龍神の働く世界は、他に限りもなく存在するのである。が、しかし神々にとりて何よりもうれしいのは矢張りあの龍宮界である。龍宮界は主に乙姫様のお指図で出来上った、家庭的の理想境なのじゃ。』

『乙姫様と仰ッしゃると……。』

『それは龍宮界で一番上の姫神様で、日本の昔の物語に豊玉姫とあるのがつまりその御方じゃ。神々のお好みがあるので、他にもさまざまの世界があちこちに出来てはいるが、それ等の中で、何と申しても一番立ち優っているのは矢張りこの龍宮界じゃ。すべてがいかにも清らかで、優雅で、そして華美な中に何ともいえぬ神々しいところがある。とても俺の口で述べ尽せるものではない。そちも成るべく早く修行を積んで、実地に龍宮界へ行って、乙姫様にもお目通りを願うがよい……。』

『私のようなものにもそれが協いましょうか……。』

『それは勿論協う……イヤ協わねばならぬ深い因縁がある。何を隠そう汝はもともと乙姫様の系統を引いているので、そちの龍宮行は言わば一種の里帰りのようなものじゃ……。』

 お爺さんの述べる所はまだしッくり私の胸にはまりませんでしたが、しかしそれが一ト方ならず私の好奇心をそそったのは事実でございました。それからの私は絶えず龍宮界の事、乙姫様の事ばかり考え込むようになり、私の幽界生活に一の大切なる転換期となりました。

 が、私の龍宮行きはそれからしばらく過ぎてからの事でございました。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。