‘2010/06/17’ カテゴリーのアーカイブ

2、その頃の生活

2010/06/17

 先ずその頃の私達の受けた教育につきて申上げてみましょうか――時代が時代ゆえ、教育はもう至って簡単なもので、学問は読書、習字、又歌道一と通り、すべて家庭で修めました。武芸は主に薙刀の稽古、母がよく薙刀を使いましたので、私も小供の時分からそれを仕込まれました。その頃は女でも武芸一と通りは稽古したものでございます。処女時代に受けた私の教育というのは大体そんなもので、馬術は後に三浦家へ嫁入りしてから習いました。最初私は馬に乗るのが厭でございましたが、良人から『女子でもそれ位の事は要る』と言われ、それから教えてもらいました。実地に行って見ると馬は至って穏和しいもので、私は大へん乗馬が好きになりました。乗馬袴を穿いて、すっかり服装がかわり、白鉢巻をするのです。主に城内の馬場で稽古したのですが、後には乗馬で鎌倉へ実家帰りをしたこともございます。従者も男子のみでは困りますので、一人の腰元にも乗馬の稽古を致させました。その頃ちょっと外出するにも、少くとも四五人の従者は必らずついたもので……。

 今度はその時分の物見遊山のお話なりといたしましょうか。物見遊山と申してもそれは至って単純なもので、普通はお花見、汐干狩、神社仏閣詣で……そんな事は只今と大した相違もないでしょうが、ただ当時の男子にとりて何よりの娯楽は猪狩り兎狩り等の遊びでございました。何れも手に手に弓矢を携え、馬に跨って、大へんな騒ぎで出掛けたものでございます。父は武人ではないのですが、それでも山狩りが何よりの道楽なのでした。まして筋骨の逞ましい、武家育ちの私の良人などは、三度の食事を一度にしてもよい位の熱心さでございました。『明日は大楠山の巻狩りじゃ』などと布達が出ると、乗馬の手入れ、兵糧の準備、狩子の勢揃い、まるで戦争のような大騒ぎでございました。

 そうそう風流な、優さしい遊びも少しはありました。それは主として能狂言、猿楽などで、家来達の中にそれぞれその道の巧者なのが居りまして、私達も時々見物したものでございます。けれども自分でそれをやった覚えはございませぬ。京とは異って東国は大体武張った遊び事が流行ったものでございますから……。

 衣服調度類でございますか――鎌倉にもそうした品物を売り捌く商人の店があるにはありましたが、さきほども申した通り、別に人目を引くように、品物を店頭に陳列するような事はあまりないようでございました。呉服物なども、良い品物は皆特別に織らせたもので、機織がなかなか盛んでございました。尤もごく高価の品は鎌倉では間に合わず、矢張りはるばる京に誂えたように記憶して居ります。

 それから食物……これは只今の世の中よりずっと簡単なように見受けられます。こちらの世界へ来てからの私達は全然飲食をいたしませぬので、従ってこまかいことは判りませぬが、ただ私の守護しているこの女(T夫人)の平生の様子から考えて見ますと、今の世の調理法が大へん手数のかかるものであることはうすうす想像されるのでございます。あの大そう甘い、白い粉……砂糖とやら申すものは、もちろん私達の時代にはなかったもので、その頃のお菓子というのは、主に米の粉を固めた打菓子でございました。それでも薄っすりと舌に%甘く感じたように覚えて居ります。又物の調味には、あの甘草という薬草の粉末を少し加えましたが、ただそれは上流の人達の調理に限られ、一般に使用するものではなかったように記憶して居ります。むろん酒もございました……濁っては居りませぬが、しかしそう透明ったものでもなかったように覚えて居ります。それから飲料としては桜の花漬、それを湯呑みに入れて白湯をさして客などにすすめました。

 斯う言ったお話は、あまりつまらな過ぎますので、何卒これ位で切り上げさせて戴きましょう。私のようなあの世の住人が食物や衣類などにつきて遠い遠い昔の思い出語りをいたすのは何やらお門違いをしているようで、何分にも興味が乗らないで困ってしまいます……。


底本:「霊界通信 小桜姫物語」 潮文社

1998(平成10)年07月31日第九刷発行
底本の親本は心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年02月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力者: 泉美

かな修正: いさお


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。