50 妖精人

 ワアド氏は例の如くそれから一週間の後、即ち一九一八年一月二十一日夜、幽界を訪問しました。

 兄の顔を見るや、待ち設けていたレックスは妖精国の話を続けるのでありました。

 山毛欅を離れて、森の中を進んで行くと、種々の形をした妖精を見ましたが、赤楊はとうとう眼に入りませんでした。路傍で割き砕かれた秦皮の木がありました。「きッとこれは樫に殺されたものに違いない」――そうジョイスが言いました。成程、その傍を見ると挫がれたデッドリー・ナイト・シェードがありました。

 遂に森を離れて、長閑な平野に出る事が出来ました。小さい家が其処彼処に点々と存在し、向うの方には川が流れ、それを隔ててピカピカと光る円屋根のある賑やかそうな町が見えるのでした。

 あまり遠くない処に中世期風の城を中心とした一部落がありましたから、僕達は先ず其処を目掛けて進んで行くと、不意に背後で疳高い声がするので、振り向いた処が、一軒の家から可笑しな恰好の婆さんが出て来ました。古めかしい着物で、とんと昔噺にある皺クチャ婆さんの様でしたよ。

 僕が出来る丈叮嚀に、「御早う厶います。」と挨拶すると、この婆さんはなかなかハキハキしたもの、早速質問されました。

「あなた方は何処から来られたのじゃ? そしてまた何処へ行かれるのじゃ?」

「私達は人間で――イヤもう死んでいるのですから人間であったといった方がよいかもしれませんが――妖精国を見学して居る処なのです。」

「それは判りますがの……。さてどうして此処まで来られたか? 聞きたいものじゃ。」なかなか小やかましそうな婆さんでした。

 そこでジョイスが代って説明すると、

「此処へ来たからには、来てよいからじゃったに違いはないが……。」と婆さんは漸く得心した様子でした。

「貴女は何んという御方で……?」と僕が訊くと、

「名などは未だないがの……。何れ小供達に発見れば名が出来るじゃろう。だが近頃は妖精が居る事を考える人は稀れじゃから、昔し人の眼について名前が出来たもの丈はとにかく、さもないものは皆な名無しじゃ。あなた方も家へ帰られたら、妖精の居る事を他の人々によっく話して下さらんかの?」

 僕が承知すると、此婆さんは家へ入りかけながら呟きました。――

「妾があなたなら、先ず御城に行くがな!」

 それから城までは何事もなく、僕達はその周囲を廻る広い壕の前へ出ました。見ると城門に向い合った樹木に銀の角笛が掛っていました。

「あの笛を吹いたらどう? どんな事が起るか一つやって見ようじゃないの。」

 ベリルの云う通りに、僕がブーブーと其角笛を吹き嗚らすと、跳橋がスーツと下りて来て、僕等の目前へ架りました。次に城門の櫓が迫り上って、銀の鎧に身を堅め、白馬に跨った立派な騎士が現われました。

「ようこそ、御入来なされました。」彼は頗る叮重です。

「地上からの旅人は久しい事見えませなんだ……。さぁさぁ御入り下さい……。」

「貴下は何誰で……?」僕が訊くと、

「拙者は人間界ではサー・ギアレスと呼ばれ、愚妻はレディ・リオネスという名で知られて居ります。ガウェーン卿とリネット夫人とは彼処の城に居られます。其他の騎士仲間も大勢此辺に住居を構えて居ります。」

 僕には物語りに出て来る騎士と言うのが腑に落ちないので、

「貴殿方の名は昔しの人物に後からつけた名か、さもなければ、単に詩人が考え出した架空のものかと思っていましたが……。」

「それは大間違い、御覧の通り、拙者は妖精であります。そして世の中に伝わる騎士の武勲は皆此妖精国であった事であります。中には此の国での話が地上に住んだ人のものとなって残されたものがない事もありません。アーサー王の物語り等は其一例であります。アーサー王は実際人間でありましたが、歴史上のその業績には、この妖精国のアーサー王の為した事どもが多く織り込まれて居り、従って此国のアーサー王は人間界のアーサー王の名を貰いました。拙者の為した所行は、皆此妖精国であった事で、事実ではありますが、人間界でやった事は一つもありませぬ。然しながら、往時は人間界も妖精界もあまり差別がなかったため、斯ういう事が生じたのでありましょう。処で御訊ね致したい事は、貴殿は拙者に忰があったという事をお聞きになられましたか?」

 僕が首を横に振ると、彼はニコニコしながら、

「妖精国では地上の如く、子児等は生れないので、アーサー王に世嗣がないのもそのためと御思い下さい。あまり斯様な話を致しても如何故、これ丈に致し、先ず城内へ御入り下さい。愚妻も喜んで御迎え申上げるでありましょう。拙者の手柄話も、実の処人間界には半ばも知られて居らぬ有様、騎士の冒険等を喜ばぬ此頃では最早すべてが埋れてしまうのでありましょう。実際妖精国には今日姓名を持たぬ騎士が大勢居るのでありますが、これ等は皆終生無名のままで終る事かと思われるのであります。」

「一体どの様な工合に姓名が出来るのですか?」――其辺のいきさつが僕にはどうも合点が行かないので、質問したのです。

「さればで厶る……。」と彼は言葉を切ってから、「詩人が我々騎士の物語りを書くというのは、彼の霊魂が妖精国に入って、其国での出来事を眼に見、耳に聴くからであります。故に其詩に現われた騎士の姓名は、そのまま此国で其所行を為した妖精騎士の呼名となり、従って此処では一人が多くの名前を所持して居る場合も出来るというもの。妖精人は斯うして名附けられるのを待って居るのですが、中には待ちかねて地上に下り、再び此国に帰らぬものも屡々あるのであります。」

 それから僕達は城内に入り、中央の広間へ来ると、美しいレディ・リオネスが迎えてくれました。エドワアド四世時代の衣裳をつけて居ましたから、一通りの挨拶がすんでから、僕は何故其時代の服を著けているかを尋ねましたら、彼女は斯う答えました。――

「私は種々の作者に書かれましたが、此時代のある詩人が私を一番よく伝えてくれました。――けれども未だ種々と衣裳は換えますので、只今丁度此れを着ていた丈なのでございます。」

 僕は騎士から種々の話しを聴きましたが、そのまま一々御話すると、昔しの世界、即ち墓の彼方のローマンスで一冊の本位は出来てしまいます。

 暫らくしてから、其所を出立しようと、高級妖精へ行手を尋ねました。するとギアレス卿は昔しの魔法使いの様な風采を待った一人の男を呼び、僕達の案内を命じてくれました。別れの挨拶をして居る間に、使者が一人来て、

「騎士殿、直様御出で下さいませぬか? あの龍めが眼を覚しましたによって、御討伐願わねばなりませぬ!」

 一寸「龍退治」の見物にも心を引かれましたが、多分物語りでさんざん読んだものと大差はあるまいし、どの道、大して兄さんの御用にも立つまいと考えたので、思い切って此処を去る事にしました。


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。