15 幽界の売店

 越えて四日目の七月七日に、ワアド氏は又もお馴染の住宅を訪れますと、レックスと叔父さんとが居る丈で、外に人影が見えません。理由を訊いて見ますと、陸軍士官は伝令を連戻しに出かけたまま、まだそれに成功せずに居るのだということでした。

 叔父。『近頃幽界へやって来る人数と言ったら大したものじゃが、その大部分は修羅道に陥って居て、死んでからも熾んに格闘をつづけている。その癖が脱けるまでには余程の時日がかかりそうじゃ。』

 レックス。『実は僕も一緒に出掛けて行って、戦争を止めるように戦友を説得してやろうかと思って居るのです。つまり叔父さん達が私に対して行ってくだすったところを、そっくり受売りするつもりなのですがね、ただ叔父さんの言われるには、お前はまだ弱い。そんな真似をすれば自分も戦争熱にかぶれて逆戻りをして了う……。』

 叔父。『そうじゃとも! お前はあぶなくてしょうがない。――尤も、モ些し経てば意志が強固になって救済事業に当れるじゃろう。また是非当らんければならぬ。他人の救済が能るようにならんければ、真実の進歩を遂げたとは言われぬからナ……。』

 斯んな会話の後には、家庭の私事に就きての雑談がはずみ、その日は格別幽界の奇談を聞かずに、ワアド氏は地上へ戻って了いましたが、中間三日を置いた七月十日の晩に、ワアド氏は再び二人を訪問しました。今度は陸軍士官も居ることは居たが、例の伝令救済の為めにすぐ出掛けて了い、後は三人で水入らずの雑話に耽りました。ワアド氏は卓上に大へん精巧な将棋の駒が置いてあるのを見て、先ずその事を話題にのぼらせました

 ワアド。『こいつは印度製の象牙の駒じゃありませんか? 一体何所から斯んなものが来るのです?』

 叔父。『そりャ近頃地上で滅びたものじゃがネ。』

 ワアド。『それはそうでしょうが、何うして斯んなものを手にお入れなすったのです?』

 叔父。『幽界にも商店らしいものがあって、其所へ滅びた品物の幽体が集まって来るのじゃ。商店にもいろいろ専門があって、象牙の駒のある店には、そればかり山のように積んである。とても地上ではお目にかかれないほど豊富なものじゃ。中には一と組すッかり揃わんのもある。つまりその残部が地上に残っているのじゃ。この駒を手に入れた店には、ひとり将棋の駒に限らず、あらゆる種類の象牙細工やら、%其他の骨董品もあって、精巧なのやら醜悪なのやら、さまざま並べてあった。主人というのは地上に居た時分には骨董家じゃったということで、死んで此所へ来て見ると所有主無しの骨董店があったので、そのまま其店に居据わったというのじゃ。主人の話によるといろいろの物品が幽界に出現する状態は頗る奇妙で、何時着くのかは決して判らない。ただいつの間にやら来て居るのだというのじゃ。お前が次回に幽界へ出張して、若し他に格別の用事もなかったら、一つお前を右の骨董店へ連れて行って詳しく説明することにしょう。イヤその主人というのはなかなか気持のよい話相手じゃ。』

 ワアド。『矢張り地上と同様金子を出して買うのですか?』

 叔父。『ナニそうではありません。店の主人に一と組欲しいというと、幾個も幾個も出して見せて気に入ったのを持って行けというのじゃ。その話によると、近い中にまだ幾つも入荷がありそうだということじゃ。この主人などは道楽で店を出して居るのじゃが、中には物品を売るのが面白くて店を張っているものがあるらしい。ともすると顧客を騙くらかして歓んで居る奴もある。其様な連中は折角そうして地獄に入る準備をしているのじゃ。が、私は平生あまり買物をせんので詳しい事は知らぬ。まだ一度もここで金銭を手に入れようとしたことがないので、従って金銭は持っていない……。』

 ワアド。『でも幽界で金銭を手に入れることが能ますか?』

 叔父。『多分能るじゃろう。――他の物品の幽体がある以上貨幣の幽体もある筈じゃ。――そうそう私は一度一人の欲張爺さんが、わざわざ汚らしい家屋に住んで、有っている貨幣をしきりに勘定して歓んでいるところを目撃したことがある。多分その男などはいつまでもそればっかり行りつづけ、最後に幽体が失せると共に地獄へ墜ちて行くであろう。

『私はまだ、一度もこちらで貨幣蒐聚を試みはせぬが、捜せばあちこちに、沢山見つかるだろう。が、ここで記憶せねばならぬは、地上でするように、黄金の壷を溶解して金貨に改鋳するような真似は能ない。霊界と異なってここは純なる形ばかりの境地でないと同時に、地上と異なって本式の物質も無い。――私の説明が判るかナ?』

 ワアド。『イヤよく判ります。――ところで、私は曾てビルマ滞在中、在住の支那人が紙幣や衣服などを神殿で燃して、それを他界の霊魂達に供えるのを目撃したことがありますが、いかがなもので厶いましょう、それが先方に通ずるでしょうか?』

 叔父。『さァある程度までは通ずるじゃろうナ。若し人が充分精神を統一して、死者を思念すれば右の品物はきっと先方に届くに相違ない。が、むろん品物の幽体と霊体とをごっちゃに考えてはならぬ。霊体というものは単に形だけであるから、それはむろん霊界に現われるけれども、ただそれ丈で格別の効能はない。いくらかの慰安にはなるが、それッきりじゃ。

『之に反して幽界の方へは紙幣や衣服の幽体が出現する。むろんそんなものは余り役には立たない。幽界には衣服や食物の真の必要はない。欲しいと思えばいくらでも無代で獲られるからナ。要するに金銭を使って売買することは、単に地上の遺習に過ぎないから、そんな習慣は早く止めるに越したことはない。さもないと地獄の物質主義者の仲間にブチ込まれることになる。――オットお前の帰るべき時刻が来た。イギリスではもう夜明じゃ。あの通り夢見る人々の群が急いで帰る最中ではないか。』

 気がついて見ると成程その通りなので、ワアド氏は急いで其所を辞去しました。


底本:「幽界行脚(A Subaltern in Spirit Land)」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎・粕川章子 共

 

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。