33 地獄脱出

 一九一四年九月十二日、陸軍士官はワアド氏の肉体を占領して、自動書記の形式でその身上噺の結末をつけました。──

 その中吾輩が学校を出る時節が到着した。又してもあの闇の中にくぐり込むのかと思うと恐ろしくてとても耐らぬ気がしたが、ひるむ心を取り直して思い切って案内を依んだ。

 さてわれわれが地獄から出るのにはあのLさんが往来した楽な道路を取ることは許されない。絶壁の側面についている大難路を登らねばならぬのであるが、それは大ていの骨折りではないのです。

 われわれは休憩所を出てから右に折れ、しばらく巾広き山脈に沿うて進んだ。一方は第六境に導くところの深い谷であり、他方は見上ぐるばかりの絶壁である。闇は今迄よりも一層深く感ぜられたが、恐らくそれは在学中光明に熟れた為めであるらしかった。

 われわれがとある洞穴の前を通りかかった時に醜悪なる大入道がとび出して叫んだ。──

『止れ! 何人も地獄から逃げ出すことは相成らぬ。』

 が、彼が吾輩に手を触れ得る前に守護神がふりむいて十字を切ったので、キャーッ! と言いながら悪臭紛々たる洞穴の中に逃げ込んで了った。

 それからの難行は永久に吾輩の記憶に刻まれて残るに相違ない。登って行くのは殆んど壁立せる断崖であるが脚下の石ころは間断なくずるずると滑り落ち、一尺登って一丈もさがる場合も少くない。

 その間に守護神はいかにも軽そうにフワフワと昇って行かれ、いつも二三歩づつ吾輩の先に立ちて、その躯から放射する光線で道をてらしてくだすった。

 やがて止まれと命ぜられたので、吾輩は欣んでその通りにした。われわれの到着したのは一の狭い平坦地であった。吾輩の両眼は其所でしっかりと繃帯で縛りつけられた。守護神は斯う言われた。──

『汝の弱い信仰では半信仰の境涯の夕陽の光もまだしばらくは痛いであろう……。』

 それから再び前進を続けた。が、とある絶壁に突き当った時にはいよいよ何としても登れない。

すると守護神は斯う言われた。──

『恐るるには及ばぬ。余が助けてこの最後の難関を通過させてつかわす。これでいよいよ汝の長い長い地獄の旅も終りに近づいた。』

 次ぎの瞬間に吾輩は、守護神から手を引いてもらってとうとう絶壁の頂点の平坦地に登りつめて了った。

 が、其所の明るさ、眩しさ! 繃帯をしているにも係らず、その苦痛は実に強烈で、さすがの吾輩も地面の上をごろごろ転がったものだ。それから後の話はあなた方がモー御承知だ。Pさんが来て吾輩をLさんに紹介してくださる………。Lさんの周旋でワアドさんの躯を借りて地上との交通を開く………。意外なことになって了いました。

 これで吾輩の通信事業はいよいよ完結を告げました。吾輩はこれから他の霊魂達と共に幽界へ出動せねばなりません。幽界では国家の為めに生命をささげた軍人達の救済に当るつもりであるが、幸い吾輩は幽界の事情も地獄の状況も充分心得ていますから、相当目覚ましい働きをし得るつもりです。その中には昔の戦友などにも逢えるかも知れません。

 Pさんは又々地獄に降りて救済事業に当られ、僧侶さんはすでに『火の壁』を突きぬけて第五界へと進級され、今又吾輩が幽界に出動することになりましたから、Lさんの所は当分寂しくなる訳です。

 これで皆様におわかれ致します。

死後の世界(大尾)


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。